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感情電車 最終回 「愛を止めないで」

内藤哲也対KENTAを大阪城ホールで観た体のまま夜行バスに乗り、富山駅に到着した頃には既に内藤対KENTAが昨日の出来事になっていた。上に目をやると、まだ朝なのか夜なのかはっきりと示してくれない冬の朝独特の空をしていた。
冷たい空気が出来るだけ触れないようにダウンジャケットで肌を隠した私の体は、そのままスクールバスへ乗り込み、学校へと向かった。
卒業研究の口頭試問があった。原宿でKENTAのサイン会が行われる2月7日だけは口頭試問を入れないでください、と伝えていた結果、今日が口頭試問の日になったのだった。
学校の教員陣の中で唯一「教授」や「准教授」などの肩書きがなく、少し肩身が狭そうな片瀬先生が私の論文に対していくつかの質問を投げかけてきた。肩身が狭いと学生の論文に対して偉そうに質問することもできないのか、学生の論文に対してさえ核心を突いた指摘をすることができないから肩書きがないのか、難しい質問一つされずに、四方山話を十分ほどしただけで口頭試問が終わった。



卒業生を送る会に参加した。会の終盤で、人前で喋るのが苦手な担任の川村先生が、締めの挨拶をお願いされていた。先生は照れながら無言を貫いていた。学生達はその光景を微笑ましく見つめていた。
私は、近くに座っていた仲の良い男子学生だけに聞こえるように「いや、お前は準備しとけや」と呟いた。しかし、思ったより大きな声が出てしまい、冬の室内の温度とは相反して温もりに包まれた総合メディア教室に私の冷たい言葉が響いてしまった。先生の前では真面目なのに、友人の前では口が悪い私の化けの皮を最後の最後に自ら剥いでしまった。本当は続け様に、「照れ笑いに逃げんなよ。お前が思うほど強い武器じゃねえぞ」と言ってみんなを笑わせるつもりだった。
やってしまったと焦りつつも、「心を許せる人の前でボケ倒したくなる自分の特性に気付かせてくれたのも高専だったな」としんみりしてしまう自分もいた。クラスの女子の笑い声が聞こえて救われた。



九州の中学から富山高専に入学し、五年間を共に過ごしたクラスメイトと温泉街に行った。趣味が一致している訳でもなければ、性格も似ていないが、口から出てくる言葉が随分と大人びている子で、この子と二人でいる時にだけ話すこともあった。
かつてのような活気を取り戻せずにいる雰囲気に満ちていて、温浴施設や食事処が短い距離に密集している街を、小雨に打たれながら二人で歩いた。その子以外のクラスの男子とはまず食べに行こうとはならない釜飯を一緒に食べたり、二分も浸かればのぼせるほど熱い温泉に浸かったりした。
湯船の中で私の目に映った富山高専を語っていた時、振り返ると全部楽しかったな、と思い耽た。彼の富山高専の話を聞いている時は、限られた学生としか交流してこなかった自分を責めた。
話をしている時も、聞いている時も、強い感情に苛まれた。今話していることの全てがもうすぐ昔話になってしまうことを思うと、さらに苦しめられるのだった。私達は富山駅で解散するまで、もうすぐ昔話になる高専での出来事に花を咲かせた。



卒業研究発表会があった。これが高専に入学して5回目のプレゼン発表だった。年度末がやってくると、クラス内でプレゼン大会が開催されるのが、毎年の恒例だった。パワーポイントを使って、自分の好きなことを今年度学んだ授業の内容と絡めて発表する大会だった。私は、プロレスを商学・経営学と絡めて毎年プレゼン大会に参加していた。
私は一年生の頃から毎年クラスの誰よりも笑いをかっさらっていた。大会が開催される総合メディア教室は、座席が雛壇状になっている。舞台の上に立つと、跳ね上げ式の椅子に座っているクラスのみんなの顔がよく確認できる。最初は無表情だった49個の顔が、徐々に笑顔になっていく光景は気持ちが良かった。普段話す機会がないクラスの女子が口角を上げているのを確認すると、先生が求める以上にプレゼンを作り込んできた私が、一瞬にして報われるのであった。
最後のクラスのみんなの前で発表するプレゼンに限って、壮大にスベってしまった。みんなは卒業が懸かった研究の発表に必死で、とても人の発表を見て笑えるほど気持ちが穏やかではなかったのに、私は例年通り真面目な顔してふざけてしまった。
自分でも鳥肌が立つほどスベった。途中から目の前の景色が白黒に見えた。四年生も見に来ていたから余計に恥ずかしかった。発表を終えた後、口頭試問を担当してもらった片瀬先生に「キム、スベった?」とイジられたが、それすらもスベるという最悪なオチだった。
発表はスベっても卒業認定はスベらなかった。卒業より笑いが欲しかった気もした。

教官室のプリンターを使って、卒業論文を印刷した。ページ漏れがないか何度も確認して、論文を学生課に提出した。
幾度となく業務的なやり取りをしてきた学生課のおじちゃんに、「ZERO1ってまだあったんだね」と言われた。私の研究テーマは、熱狂的なファンは一定数いるのに、一向に観客の数が増えないZERO1の問題点を探るというお節介過ぎるものだった。
高専生活の最後に、かつて橋本真也を愛したおじちゃんが近くにいたことを知れて嬉しかった。でも、もっと早く知りたかった。最初で最後の学生課のおじちゃんとの私用な会話がプロレスの話になるのは淋し過ぎた。論文を学生課に提出したことで、富山高専を訪れる意味が完全になくなってしまった。



新型コロナウイルスの感染を防ぐために修了式が体育館ではなく放送で行われた。論文を学生課に提出した五年生は学校に来る義務がなかった上に、ほとんどの学生は既に卒業論文の提出を終えていたため、50個の机が並べられた教室は閑散としていた。みんなと会える機会もこれで最後だからと思って学校へ来たのに、こういう時に限ってみんなドライだった。
私は図書室で修了式を聞いていた。放送をなんとなく聞きながら、最終提出日の今日に未だ卒業研究を書き終えれていない友達の手伝いをしていた。友達を卒業させたい一心でひたすらアンケートの集計をしていた。文章の添削ならまだしも、今からアンケートの集計というのは無謀すぎる気もしたが、それでも手伝っていた。
息抜きにTwitterを開いてしまったのが失敗だった。国が各イベント主催者にイベントの中止や延期を要請したらしく、そのことに対して、プロレスファンで埋め尽くされたタイムラインが騒いでいた。真っ白な紙に正の字を書き足せる精神状態ではとてもなくなってしまった。

「ちょっとごめん、俺ファミマ行ってくるわ」

卒論を仕上げられそうにない友達にそう伝えて、学校近くのファミマを目指した。店の前にあるベンチに腰を掛けて、モンスターエナジーを飲んだ。
高専での夏休みと春休みはずっと大切にしてきた。最後の長期休暇も計画を練っていた。しかし、国が中止を要請したとなると、全て台無しだった。3月8日に観に行く予定だった潮崎豪対藤田和之は、きっと生で観られないだろう。図書館に戻った私は、集計ミスを犯しかねない精神状態で正の字を紙に描き続けた。

その日は高専が名残惜しくて、わざと最終便のスクールバスに乗った。五年間乗り続けたスクールバスとゆっくりお別れしたかった。
富山駅行きのバスは、いつも出発時間よりもかなり早く停留所に到着していた。そこにいつも一番乗りで乗車するのが私だった。運転手のおじちゃんとは毎日のように雑談していた。私は大好きなプロレスの話を、おじちゃんは趣味のバイクの話をした。

「夏休みもプロレス観にどっか行くの?」

「シカゴとメキシコに行ってきます」

「メキシコ?凄いね。間違えてもマリファナなんて吸われんがよ」

なんて会話をしていたあの頃が懐かしい。時々怖いボケを放り込んでくるおじちゃんが好きだった。
だけど、最後の乗車日に限って、おじちゃんは出発時間の直前にやってきた。

「寂しくなるね」

「いや本当そうですよ。もっと話したいこと山ほどありますよ」

今日はこのような会話をする予定だったのだが、雑談する時間は一切なかった。

バスを降りる時に最後の言葉を交わした。

「長い間お世話になりました」

「うん、ありがとね」

素っ気ない返事をして、おじちゃんは渋滞で遅れているバスをすぐに発進させようとした。乗客のほとんどが終着の富山駅前で降りる学生のスクールバスだが、私は富山駅以外の場所でいつも降車していた。さっさと降りて、バスをスムーズに出発させられるように、私は毎日運転手の左斜め後ろの特等席に座っていた。だからおじちゃんとも毎日雑談できた。最後も早く来てくれたらよかったのに。

一旦家に荷物を置いて、高専からの帰り道にたまに遠回りして寄っていた家系のラーメン屋を目指した。
365日、季節に惑わされることなく、サザンオールスターズが夏の歌を響かせているラーメン屋である。ラグビー部の土曜練習の帰りに普段は通らない道に入ってみたら見つけたラーメン屋だ。家系にしては客の年齢層が高めなのが、かえって心地良かった。高専という若者の世界で上手くやれない私を受け止めてくれる空気さえあった。
にんにくが効いたつけ麺が癖になって、一時期は頻繁に通っていた。ここに通うようになってからサザンがより好きになった。
最後のつけ麺を食べていた時に、机に置いていたiPhoneに通知が届いた。ALL INのチケットのためにケニー・オメガを繋いでくれたフォロワーさんが、来月のNEW JAPAN CUPが中止になりそうなことを教えてくれたのだった。次々と興行が駄目になりそうだから、プロレス遠征の手配は待った方が良いかもしれないと助言してくれた。
今日までに乗車を取消したら全額が戻ってきたから、潮崎対藤田を見るために予約していた東京行きの夜行バスをキャンセルした。
店内に流れる「鎌倉物語」の甘くて澄んだ声と優しい旋律が異様に悲しく聴こえた。家系ならではの、声に張りのある「いらっしゃいませ〜」と「お客様お帰りになられま〜す。ありがとうございやした〜」が時折、原由子の声をかき消してくれた。
希望はまだあるのだろうか。にんにくはこんな味だっただろうか。

その翌日にプロレスリングノア横浜大会が延期になると発表された。延期した後の日程は調整中とのことだった。この春のうちに延期した大会が行われる気はしなかった。全額が払い戻されるうちに夜行バスをキャンセルできたことが不幸中の幸いだった。



新型コロナウイルス対策で、卒業式が最低限の人数で行われることになったとの知らせがクラスのLINEグループから届いた。当日卒業式に出席する先生は、四、五年生の頃に担任を務めてくれた先生のみになったらしい。まだ高専の仕組みを分かっておらず、慣れない日々を過ごしていた一年生の頃から三年の終わりまで担任を務めてくれた先生すら参加が認められないらしい。
卒業式当日に色んな先生に挨拶にまわる予定だったが、挨拶したい先生に限って卒業式に来られないことになった。すぐさま学校へ駆けつけ、先生に挨拶回りをした。

まず校門から一番近くに部屋があるラグビー部時代の顧問の小林先生のもとへ行った。

「辞めてしまった身で言うのは自分でもどうかと思いますけど、ラグビー部にいた一年間で人間的に成長させてもらいました。本当にありがとうございました」

素直に感謝を告げた。先生は、嫌な顔一つしなかった。むしろ嬉々とした表情を私に見せてくれた。

「五年間ラグビー続けてきた学生も言ってくれない一言をまさかキムに言われるとはね〜」

先生はそう言いながら笑ってくれた。
「将来はプロレス団体?」と聞かれたので、「団体かは分からないですけど、大好きなプロレスを広めたいと思ってます」と私は言った。
定年退職でこの学校を去ったもう一人の顧問にもよろしくお伝えくださいと言って、部屋を去った。

一年生から三年生の頃まで担任を務めてくれた先生に、富山大学へ編入することになったことを告げた。
「よかった〜。富山大学だったらあと二年は富山でしょ?いいじゃない。お母さんも喜んでるでしょう。キム自身が一番分かってると思うけど、お母さん、あんたのこと頼りにしてるからさ」と言われた。

「ところであんた、歩いてここまで来たの?」

「はい。もう今しかないなと思ったので歩いて来ました。月末の夕方は学科会議があるじゃないですか。月末の月曜の今行けばちょうどどの先生にも会えそうだなと思いまして」

「間違いない。あんた、いつも読みが鋭いよね」

私を鋭いと思ってくれていたことを最後に知れて嬉しかった。人を「あんた」と呼ぶところ以外は好きな先生がそう思ってくれていたのが嬉しかった。

卒業式当日は50人のクラスメイトが群がって長々と挨拶できない気がしたので、担任の川村先生のもとにも前以て挨拶しに行った。川村先生は私が高専に入学して一発目の授業で、この授業がどういった授業であるかも説明せずに、突然二進数の話を始めた先生だった。あの時は糞みたいな学校に入学してしまったと失望した。
だけど、今では感謝してる。富山大学の編入試験を受ける前日に付き合ってもらった面接の練習で、「これは本当にいつもの口下手な川村先生なのか」と思うほど、沢山指摘を受けた。なかなか気が滅入ったが、どの指摘も的を射ていてから、目を覚まして貰った感覚があった。
その感謝を素直な言葉で川村先生に話すと、川村先生は笑顔で「卒業してもいつでも訪ねに来てね」と言ってくれた。感謝はしているけど、卒業後にまた会いたい人ではないんだよなと思いながら、「その時はよろしくお願いします」と笑顔で返事した。

英語スピーチコンテストを一緒に戦った丸山先生と、一年半もの間卒業論文の作成に付き合ってくれた先生に会えなかったのが、心残りだった。彼らに会いにまた学校に来ることを誓った。

家にまっすぐ帰らずに学校近くの海を眺めに行った。学校近くの唯一の遊び場だったのが、この海だった。見飽きた海もこれで最後かと思うと、今はなんだか愛おしかった。
数え切れないほどの高専生達の思い出を乗せた波を見つめていたら、ポケットに入れていたiPhoneが震えた。一通のメールが届いていた。学校からのメールだった。新型コロナウイルス感染症対策で、今後暫くは学生も構内への立ち入りが禁止になったとの内容が書かれていた。
誰もいない海に向かって、寂しいこと言うなよと大袈裟に声に出して言ってみた。潮騒が私の独り言をかき消した。



3月2日。延期予定だったノア横浜大会が中止になったことが発表された。潮崎対藤田は、3月29日に後楽園ホールで行われることが発表された。
Twitterを通して仲良くなったプロレスファン達のLINEグループに「誰か行かない?」というメッセージが届いていた。すぐに「行きます!」と言った私は、3月29日にフォロワーさんと一緒に観戦することになった。

その夜、私は夜行バスに乗った。各団体が興行を自粛する中で有観客興行を続ける決断を下してくれた大日本プロレスの後楽園ホール大会を観に行くためだった。ノアで今一番気になっている稲村愛輝が橋本大地とシングルマッチで戦うということで、居ても立っても居られなくなり、急遽東京まで向かうことにしたのだった。
The Show Goes On。時を止めないのがプロレスの魅力なのに、プロレス界が時を止めつつある現状にもモヤモヤしていた。致し方ないことではあるが、それでもモヤモヤしていた。私が後楽園へ向かったのはその腹いせでもあった。
沢山キャンセルが出たのか、4列シートの夜行バスは珍しく隣がいなくて快適だった。



3月10日。富山駅北口にあるホールで卒業式が行われた。新型コロナウイルス感染症対策のため手短に式を終えると事前に連絡が来ていたが、本当に五分で卒業式が終わってしまった。結果として、ほとんどの学生が晴れ姿で写真を撮るためだけに来た形になった。
クラスの女子達がみんなで自撮りしている。「○○くんもおいでよ!」と言って、男子と女子で一緒に写真を撮ったりもしていた。私は誰に誘われる訳でもなく、静かにクラス全員で撮る集合写真の時間がやってくるのを待っていた。もっとみんなと仲良くしておけばよかったとまでは思わなかったが、少し寂しく思ったのは確かだった。

式が終わったら、男子学生達で呑みに行った。悪酔いをした男子学生のうちの一人が「お前は良い奴やけど話がつまらんのよな」といった具合に、その場にいる男子を一人一人評価し始めた。
彼は私に対して、「キムケンはな、顔は正直不細工やけど、それを補えるくらい話がおもろいわ」と言ってくれた。嬉しかった。
入学したばかりの頃にあった能登での宿泊学習でのことだった。男子学生9人が夜の部屋で色々な話をしていた時、順番に自分の過去の恋愛話を語る時間に突入したことがあった。その時、彼は、「キムケンの恋バナは聞きたくねえわ」と私に言ったのだった。私自身も今まで好きになった人の話を、まだ仲良くもない人達にどのようなテンションで話せば良いのか分からず、自分の順番が来るのが嫌だったのだが、私の恋バナは聞きたくないと言われると傷つくのだった。
思考の成長を止めていて、判断の軸がまるで変わっていない彼が、五年越しに私を褒めてくれたことを思うと、私も成長したのだなと実感した。五年間の何かが回収されたような感覚に陥った。それは心地の良い感覚だった。

男子で呑み終えた後は、クラスの女子学生と合流して、二次会に行くことになった。私を不細工と言った彼は、二次会に行ける体ではなかったために帰宅した。私は、この五年間の高専生活で、クラスメイトの女子と学校以外の場所で会うことがなかったのだが、最後くらい一緒に呑んでみようかなと思った。
しかし、悪酔いして帰宅した奴とはまた別の男子学生が、一次会でハイボール二杯しか飲んでいないのに、酷く酔った振りをし出して、クラスで一番美人だった子の肩を借りようとしている姿を見た瞬間、やっぱり帰ろうと思った。普段はハイボール二杯程度では酔わない彼が酔った振りをしていることにも冷めたし、仮に本当に酔っていたとしても、過去にテキーラのショットでも酔わなかった彼がクラスメイトの女子の前で気を許して酔ったことを思うと悲しかった。
そいつが嫌いになった訳ではないが、熱が冷めた私は、「帰るわ」とだけ言って、みんなと別れた。



3月25日。小池都知事が週末の都民の外出自粛を要請した。私は明日の夜に出発する夜行バスで東京へ向かう予定だった。
観に行く予定だったノアの興行は、勿論中止となった。潮崎対藤田は無観客でやることになった。もう今バスの予約をキャンセルしたところで乗車代のほとんどが返ってこなかった。かといって東京に行ってもやることがない。どうしようかと悩んだ。

翌3月26日。木曜日。私は今夜出発のバスに乗ることにした。高専生活を振り返る上で、どうしても行っておきたい場所があった。鍋家黒潮だった。
イケメンパパにDMを送った。

「ご無沙汰してます、高専です。明日の夜、お店は営業してますか?」

「土曜日においで」

「よろしくお願いします。」

「7時位から」



3月27日、土曜日を迎えた。昨日は九州出身のクラスメイトの男子が用事でたまたま東京にいたから、一緒に出かけた。高専二年の頃から通い続けているHaomingに彼を連れて行った。Haomingに初めて訪れた時の社員さんとの会話やALL INのサイン会の会場で再会した時に驚いた表情をされたことなどを思い出しながら、社員さんと友人と、三人で立ち話をした。Haomingは、高専を卒業する前にもう一度触れておきたい東京の景色のうちの一つだった。
帰りの渋谷のスクランブル交差点は酷く閑散としていて、来てはいけない街に来てしまったという背徳感が私を襲った。友達が横にいなければどうなっていたことだろう。
その後は一緒に笹塚にあるサウナに入った。サウナに関しては、人がいないことがかえって快適だった。

昨日は一日友達と一緒にいて、割と充実していたが、今日は一人だった。今日は竹ノ塚の鍋家黒潮を約束の午後七時に訪れる前に、以前からずっと行きたかった草加健康センターに行くのだった。
草加駅に着いて、無料のシャトルバスに乗り、健康センターへと向かった。渋谷よりも人情味のありそうな草加駅ですら閑散としていて、シャトルバスの中も私しかいなかったので、罪悪感はどんどん増していった。
草加健康センターに到着し、サウナ室に入ると、国から摘発されるのではないかと思うほど密で、ほっとした。ロウリュサービスの時間になると、横に広いサウナ室が、隣の客の脚と自分の脚が触れ合うほど密になった。座る場所がないけど熱波だけは浴びたいからと、立ってロウリュに参加する客まで現れた。
そんなサウナ室に元気一杯のお姉さんが入ってきて、一段目と二段目の座席の間の少しだけ空いたスペースを器用に渡り歩き、全員に爆風ロウリュを浴びせた。「あちい!」と叫びながら水風呂に駆け込む客を見て、密も、飛沫も、糞もないなと思った。思わず笑う私も飛沫を飛ばしていた。水風呂の前にあるテレビは、クレヨンしんちゃんを映していて、鍋家黒潮へ行く時間が段々と迫っていることを確認した。
五時台に出発する草加駅行きのバスに乗った。サウナ室から出ると、街は昼間よりも静かになっていて、先程までの安堵感は何処へやら、一気に不安に駆られた。昼間よりも曇天模様で、今にも雨が降り出しそうな空が、私の心を表しているようだった。
結構な時間バスに揺られていると不安が段々と増した。何故私はあんな密な空間を面白がっていたのだろうと、胸が痛くなってきた。気を紛らわすためにiPhoneにワイヤレスイヤホンを繋いで、Apple Musicをシャッフル再生した。
サザンオールスターズの「みんなのうた」が流れてきた。学校の帰り道に寄ったラーメン屋でよく流れていた曲だった。ラグビー部の春合宿で女子マネージャーの名前の由来だと知った「栞のテーマ」も収録されているアルバムの一曲で、よく聴いていた。
よく聴いていたものの、桑田佳祐の英語っぽい歌い方が好きなだけで、あまり歌詞に注目していなかった。

愛を止めないで 君よあるがまま
 揺れる思いを 抱きしめながら

今の自分の背中を押してくれているようだった。高専生活の最後に、大好きな場所に行ってくるのだと気を引き締めた。


「おう、高専。久しぶりだな」

「どうも、ご無沙汰しております」

店の中に入ると、10人近くの全員初対面のプロレスファン達がいた。皆に挨拶をすると、イケメンのお父さんが「この子はね、イケメンのアメリカデビュー戦を現地で見てるんだよ」とファン達に説明した。イケメンを観るためにSUPER J-CUPの最前列を買った話から、ニューヨークでイケメンのアメリカデビュー戦を見届けた話に、私の情報が上書きされていることをなんとなく嬉しく思った。

「で、高専。お前、ニューヨークで何があったんだ?」

標準語特有の淡々とした口調でイケメンのお父さんが聞いてきた。私は長くなり過ぎないように気を付けながら話した。周りにいたファン達は、皆一様に驚いていた。

「あとでイケメンが来るから、もう一回話してよ」

イケメンのお父さんにそう言われた。向こうから土曜に指定してきたのは、そういうことだったのかと思った。
自己紹介が遅れたので、ファンの皆さんに自分がどういう者か簡単に説明したら、一人の男性ファンが色々と質問してくれた。

「え、じゃあ高専はこの春で卒業?」

「そうです」

「どうするの?就職?」

「進学です。三年時編入というのがありまして」

「どこ?東京?」

「いや、それが富山なんです」

「富山大学?」

「はい、まあそうです」

「え、国立じゃん。凄いじゃん。卒業後はどんな業界に入りたいの?」

矢野通の前で言えなかったように、あれから七年が経った今でも「プロレス界に就職したいです」と言えない自分がいた。

「そうですね。なんでしょう。ゆっくり考えます」

そんな会話をしていたら、パーカーを着込んでいてもゴツさの目立つ男が店の中に入ってきた。イケメンかと思ったら、イケメンのライバルの芦野祥太郎だった。当たり前のように私の斜向かいに座る芦野を見て、軽く混乱した。続いてイケメンがやってきた。二年半前に横浜文化体育館で観たイケメンと芦野の一戦は、私にとって思い出の試合である。WRESTLE-1に希望を見出した試合である。そんなライバル二人が目の前にいる。不思議な空間に訪れたものだと思っているうちにここで宴が始まるのだった。
イケメンのお父さんが「おい、高専。イケメンにもあの話してよ」と言ったので、ニューヨークの話をもう一度した。周りのファンは、「さっきより流暢になってる」と笑い、イケメンは、「怖っ!あの時そんなことあったの!俺に相談してくれれば良かったのに!」と言ってくれた。イケメンは、イケメンだった。
芦野とイケメンが目の前で鍋奉行を務めてくれた。そこにお客さんのうちの一人が持ってきた刺身と酒が加わり、楽しい宴となった。
酒が進むと、この春活動を停止するWRESTLE-1の話題で盛り上がった。三日前に鍋家黒潮でWRESTLE-1の選手達の飲み会があったそうだ。店で働くイケメンのお姉さんは、「史上最悪の飲み会だった。大五郎4本空いたの初めてだわ」と言っていた。芦野は、「みんなスタートからすげえ勢いで呑んでたなあ。みんな職場失ってストレス溜まってたんだよ」と笑いながら言った。その次に少し暗い表情を浮かべて、「いやあ、でもなあ。最後の試合が無観客っていうのは正直俺らも悲しいですよ」と言った。WRESTLE-1の最終興行は、4月1日に後楽園ホールで行われる予定だったが、コロナの感染拡大防止のために無観客で行われることになったのだった。笑顔から一変しての真顔に胸が痛くなった。

「イケメンはアメリカ行けるの?」

ファンのうちの一人がイケメンに尋ねた。

「それが分かんないんですよね。行けそうにないからマジで最近遊んでしかないんですよ。…いや、でもこれが本っ当に最高で。今日も一睡もしてない。ずっと遊んでた。明日も吉岡と遊ぶんですけど、ギャンブルで三万くらい勝ち取ってやろうかなって。あいつも団体なくなっちゃうけど、俺も今金ないから」

「そうだよね。イケメンって友達多そうだしね」

「いや、俺マジで友達いないっすよ。プロレスファンって友達いないじゃないですか」

「プロレスファンって友達いない」。強い偏見ではあるものの、大好きなイケメンが放ったその一言は、私の高専生活を肯定してくれてるようだった。

「最近はどの団体見てるの?」

周りの話に相槌を打つだけで黙り込んでいる私に、イケメンが聞いてくれた。

「最近は結構ノア観てます」

「ずっとノア好きなんだ?」

「いや、小中学生の頃は観てたんですけど、むしろここ数年は観てませんでしたね」

「え、じゃあじゃあ、ハヤタさんとヨーヘイさん来た時どう思った?」

「終わったなって思いましたよ」

「あはははは」

痛いところを突いて、悪くて爽やかな笑顔を見せるイケメンが好きだと思った。

「今は好きですよ。ラーテルズ興行も先日観に行ったくらいですし」

「そういえばBUSHIさんに会った時に、俺がJ-CUPのXだと思い込んで最前列買ったのに、XがBUSHIさんで絶望してた少年が富山にいるってこと話したよ」

「え、めちゃくちゃ嬉しいです」

「BUSHIさん、『そんなやついんの?』ってすんげえ馬鹿にしながら笑ってた」

高専生活の最後にBUSHIが好きになれて良かった。

それからずっとファンとイケメンと芦野のWRESTLE-1の思い出話を聞いていたら、あっという間に時間が過ぎて、気付けば、時刻は午後十一時半を迫ろうとしていた。

そんな時にイケメンのお父さんが声を掛けてくれた。

「高専。お前そろそろ帰らなくちゃだろ。もしあれなら泊まってってもいいけど」

「いえいえ、そんな訳には行かないです。錦糸町なら今からでも帰れるのでそろそろ失礼します」

「雨降ってるけど、傘あるのか?」

「ないです」

「これ、客が忘れてった傘やるよ」

初めて黒潮に来た時も同じ展開があったことを思い出した。初めて黒潮に来た時の記憶も、若かった頃の思い出になってしまうのかと思った。高専生活の思い出達が間も無く完全な昔話になることを思うと、少し胸が苦しくなった。

「高専。今日あったこと、全部ブログに書いていいからな」

イケメンのお父さんは、私が三年前に書いたイケメンを求めてJ-CUPを観戦したことを綴ったブログ記事を気に入ってくれてるようだった。今日のこともブログに書いて欲しいと思ってくれるのは、素直に嬉しかった。

「でも今日の話は流石にほとんど話せないですよ」

「いいんだよ。なくなる団体の話なんだから」

「団体はなくなっても、レスラー続ける人もいるじゃないですか」

「気にしなくていいよ」

「はい!時間かかるかもしれないですけど、書きます!」

イケメンのお父さんは笑いながら、「おう、待ってるわ」と言った。

私が帰る前にイケメンは「これ」と言って、スイカ柄のスラックスを渡してくれた。

「え!いいんですか!ありがとうございます!」

「これ未使用なんだけど、使ったやつとどっちがいい?」

「使ったやつで」

「分かった。サイン入れるよ」

「よろしくお願いします!」

「そういえば俺、J-CUPの子としか覚えてなくて名前知らないわ。宛名どうすればいい?何にしようか。富山の怪獣でいい?」

「せっかくなんで、マジでそれでお願いします」

「いや、怪獣は違うか」

と言ってイケメンが書いたサインの宛名には、「富山の君へ」と書かれていた。

イケメンと芦野が店の外にまで出て、私を見送ってくれた。

「アメリカ来る時は来る前に俺に連絡入れてくれ!」とイケメンが私に言うと、

「イケメンさん、マジで向こうで遊び相手いないですからね」と芦野が言った。

WRESTLE-1のリング上では「おい、イケメン!」と言っていた芦野が、今日は終始「イケメンさん」と呼んでいたことに少し感動を覚えた。

「マジで遊び相手いないんだよね。どうやってKUSHIDAをパチンコに誘おうかずっと考えてる」

向こうにパチンコなんてあるのかなと思いながら、私は笑った。

「じゃあ、本当に来る時連絡してよ!」

「はい!イケメンさんも芦野さんもありがとうございました」

二人にお見送りされながら竹ノ塚駅へと歩を進めていると、富山高専に入学した頃のように、また辛い日々が始まる予感がした。
でも、きっと辛いことの先には楽しいことも待っている。富山高専に入学した頃は辛かったけど、今は卒業したくないほど富山高専が好きだ。ニューヨークのことだって、今日みんなの前で苦い思い出として話して、少しは宴を盛り上げることができた。
僅かな光を探し求めて、また歩んでいこう。全ては明日の煽りVに過ぎないのだから。
愛おしくてたまらない五年間を思い出しながら店を後にした。

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