感情電車 #1「プロレスがなければ、平凡な夏でした。」

2015年3月16日。高校受験に失敗した。三人の年の離れた姉たちが通ってきた県内で一番と言われている進学校を受験するも、不合格という結果に至った。滑り止めに受けていた富山高等専門学校に4月から通うことになった。
高等専門学校、通称「高専」。五年制の学校。一年次から専門的な勉強に取り組むのが特徴の専門学校。全国にある高専のほとんどが理系の学科で成り立っているのだが、私が入学することになった富山高専の国際ビジネス学科は、非常に珍しい文系の学科である。ちなみに私が通うことになった富山高専射水キャンパスは、国際ビジネス学科と電子情報工学科、そして船乗りを目指す商船学科の三つから成る個性豊かな学校だ。三つの全く違う分野に夢を抱いた少年少女たちが一つの校舎のもとで過ごすのだ。
進学校を落ちたこと自体も悲しかったが、私のことを大事に大事に可愛がって育ててくれた母が、私が高専に進むことにひどく落ち込んでいる姿を見た時はもっと悲しくなった。三女が産まれた九年後に産まれた、四人目にして初の男の子。私は相当可愛がられて育ったと思う。周りの同級生達が夏期講習を受けていた中学三年の夏休みには「受験勉強以上のことを教えたい」と言って、私をパリに連れて行ってくれたような母だ。そんな素敵な母が今回のことをちゃんと悲しんでいた。私も悲しかった。
それともう一つ、悲しいことがあった。合わす顔がない人ができてしまったのだ。

高専に入学してから三週間が経ったある日のこと。私は母に来週の予定を告げた。

「来週末、大日本プロレスが高岡に来るから観に行くね」

「わかったよ。ひとりで?せっかくなら翔君でも誘われよ」

***
翔とは小中学校の幼馴染だ。小学一年の頃、帰り道が一緒で次第に仲良くなった幼馴染だ。彼とはお笑いという共通の趣味があって意気投合した。私が小学四年の頃にプロレスに夢中になると、彼も同様にプロレスを観るようになった。
お小遣いで週刊プロレスを購入し、読み終えたら学校で意見交換をした。放課後は各々が考えたキャラクターになりきってプロレスごっこをした。新日本プロレスやドラゴンゲートプロレスリング、プロレスリングDDTといったプロレス団体が地元の富山に巡業に来たら、毎回一緒に観に行った。学校で唯一プロレスについて語り合える友人が翔だった。
とにかく私達は、プロレスの話題が尽きなかった。しかし、中学に入ると、会話が少なくなった。翔はスクールカーストの一軍に、私は限りなく三軍に近いことを認めず、カーストなんかで括ってくれるなとアピールする尖った野郎になってしまった。
それもそのはずだった。彼は運動神経抜群で、勉強ができて、誰に対しても優しくできる人だった。彼の周りには自然と人が集まった。おまけに知的な飯伏という感じのイケメン具合だった。
一方の私は捻くれ者だったと思う。顔は例えるならブルー・ウルフに近かった。性根の腐ったウランバートルの少年が中学村のイケてる部族と上手く交流できるはずがなかった。
一軍と三軍。そもそも小学生の頃は何故あれほど仲良くできたのかと思うほど、距離が遠くなっていた。向こうはそう感じていなかったのかもしれないが、私はそう感じていた。
私が中学生になってもプロレス熱を帯び続ける一方で、彼は自然とプロレスから距離を置くようになった。一緒にプロレスごっこをしていた日々が戻ることはなかった。

中学三年の十二月のことだった。廊下ですれ違った翔が私に言った。

「来年の春には一緒に自転車通学できたらいいね」

翔と私は同じ高校を受験する予定だった。中学になってから自然と会話の数が減った私達だが、中学を卒業して、同じ高校に通うとなれば、また昔みたいに色々と話すことができるだろう。でも、違う高校に通うことになれば、もう交わることはないだろう。

2015年3月16日。翔が合格で、私は不合格だった。
***

母が言った。「翔君でも誘われよ」と。
合わす顔がなかった。それに彼が今、課題という荒波に揉まれていることをあの学校に通う姉たちの背中を見てきた私は知っていた。
だが、そんなことは三人の娘をあそこに通わせた母の方がもっと知っているはずだった。きっと息子が思っている以上に母親という存在は偉大だ。母の意図は判然としなかったが、酸いも甘いも噛み分けた母の言うことに従ってみようと思った。私は翔にLINEを送った。

「来週の土曜日にテクノドームでやる大日本観に行くんだけど、よかったら一緒に行かない?」

「いこーぜ!」

友人同士の会話として不自然な文章にはなっていないか、かなり推敲したのに、返事は一瞬だった。こうして三年ぶりの翔とのプロレス生観戦があっさり決まった。



4月25日。大日本プロレス高岡大会当日を迎えた。
翔と顔を合わせると、小っ恥ずかしさがあった。バス停の待合所で単語帳を開いている彼を見た時、やはり彼は全てにおいて私より優れているのだなと感じた。彼は門を潜った人間で、私は門を潜れなかった人間だった。だが、そんな恥ずかしさもプロレスが洗い流してくるのだった。
ことプロレスにおいては時が止まっている彼に、会場へ向かうバスの中でここ三年間のプロレス界について説明した。私の話を聞くうちに彼はどんどんプロレスに前のめりになってくれた。
話しているうちに会場に到着し、あっという間に試合開始時刻になった。

バケツを持ったバラモン兄弟から必死に逃げる翔。
元警察官の植木嵩行が拳銃を対戦相手に向ける姿を見て、大笑いする翔。
アブドーラ小林のやられっぷりに興奮する翔。

私よりも興行を楽しんでいた彼が、帰り道に言った。

「今日めっちゃ楽しかったわ。プロレスってこんなに面白かったっけってくらいおもろかった。もっと大きい大会見に行きたいなって今めっちゃ思っとる」

「そんなに?誘って良かったよ。じゃあさ……高校生にもなったし、夏休みに二人でどっか観に行く?」

「行こうぜー!G1かな?」

「そうだね。夏ならG1だよね」

「東京、行きたいね」

「うん、俺も行くなら東京近辺かなって今思ってた」

「よっしゃ行こー!」

今日が彼との最後のプロレス観戦になると思っていたが、次の観戦予定ができてしまった。しかも場所は東京だった。富山を飛び出し、自分達の足で大都会のプロレス会場へ向かうのだ。中学校、いや、小学校に捨ててきたワクワクを取り戻した感覚があった。



二人だけの会議が始まった。どの興行を観に行くか決めるにあたって、お互いに譲れない点を言い合った。
翔からの提示は、二つだった。東京に行くことと、G1 CLIMAXを観ることだった。
私からの提示は、後楽園ホールで観ることだった。
私は過去に二度、母に後楽園ホールに連れて行ってもらったことがあった。後楽園ホールの観客の熱量には衝撃を受けた。
富山で見慣れた、我が街にプロレスがやってきたことに興奮する観客の熱とは全く違った。そこでは必ずしも人気な選手にコールが集中する訳ではなかった。観客が今夜応援しなければいけない選手に歓声を向けた。そして、応援する時には、精一杯声を出していた。
また、息を呑むタイミングや声を出すタイミングが素晴らしかった。後楽園ホールの一体感には、地方で悶々としているプロレスファンが唸らされるほどの力があった。ファンも興行の作り手であることを教えてくれたのが後楽園ホールだった。
そんな衝撃を受けた後楽園ホールで彼と一緒にプロレスが観たい。この思いを素直に彼にぶつけた。

「それは俺も体験してみたい!じゃあ後楽園にしよ!」

その年の後楽園ホールで行われるG1 CLIMAXは3連戦であったが、私は高専でラグビー部に所属していて、ラグビー部の合宿の都合で3連戦の最終日しか行けなかった。彼もそこは理解してくれた。そうして私達は、8月12日に後楽園ホールで行われるG1 CLIMAX 25公式戦を観に行くことになった。
その時点で対戦カードは一切発表されていなかったが、新日本の後楽園に行けば、間違いなく良い試合と冠たる空間を味わえると信じて止まなかった。
後楽園ホールはG1 CLIMAXで使用される会場の中では比較的規模が小さかったが、どこよりも発信力のある会場だった。通なプロレスファンが集うだけあって、優れた対戦カードが用意されていた。そしてその目の前にある闘いに客が本気で盛り上がるのが後楽園ホールだった。
前年に後楽園ホールで行われたG1 CLIMAX公式戦の鈴木みのる対AJスタイルズは、ネットプロレス大賞の最優秀試合賞を獲っていた。あの一戦は後楽園ホールで実現したことが重要な点だったと私は考えている。
たとえ3連戦のうちのたった一日しか行けなくても、後楽園ホールへ行けば、感動が待っているはずなのだった。



8月11日。赤く染まった雲の下を走っていたバスが学校に到着した。四泊五日の長いラグビー合宿を終え、合宿先の長野から富山に帰ってきたのだった。初めてのラグビー合宿は、肉体的にも精神的にも辛かった。
一日中芝生の上で走り、毎食大量に食わされ、夕飯を終えたら先輩達の練習着を洗いに、旅館から離れたコインランドリーへ行った。乾燥機が埋まっている時は、旅館にお願いして、ボイラー室を貸してもらい、壁と壁の間に張られたロープに先輩らの服を掛けた。自分が昭和の新日本プロレスの新弟子かと思う五日間だった。
合宿の疲れはとれていないが、疲れている暇などなかった。なぜなら今夜、翔と夜行バスに乗って東京へ行くのだから。

午後十時十五分。翔がお母さんと一緒に私の家にやってきた。バスの出発地である富山駅まで、翔のお母さんに車で送ってもらうのだった。
車内で翔に今年のG1 CLIMAXの話をした。

「G1見てる?俺さ、期末試験とラグビー部の合宿が立て続けで、G1ともろ被っててあんま追えてないんだよね」

ラグビー合宿が始まる前日まで、前期末試験があった。ただでさえ滑り止めの高専に入学したのに、ここで良い点を取らなければ完全に落ちぶれたことになってしまうと感じていた私は、G1に目もくれず、テスト勉強に励んでいた。
一方の翔も、学校の課題に追われていて、試合を追うことができていないようだった。

「俺は勉強の息抜きにちょっと見てたって感じかな。数試合しか見てないんだけどさ、今の内藤めっちゃ面白いね。広島の棚橋との試合とかめっちゃおもろかったわ」

「俺もそれはちゃんと見た。吹っ切れてる感じが最高だったね」

「そうそう。他になんか見た試合ある?」

「文体の棚橋柴田はフルで見たよ」

「俺も見た。あれも面白かったね。終わり良かったよね」

「うん、終わり良かった。古くて新しいプロレスって感じだったね」

「おっ、めっちゃ良いこと言うじゃん」

数試合しか見てないのに会話が止まらない私達は、やっぱりプロレスファンなのだった。

会話が盛り上がってきたところで富山駅に着いた。バスロータリーそばのローソンで購入した常温の水を飲み、昂ぶる心を落ち着かせた。興奮するにはまだ早い気がした。
無理やり落ち着こうとしているところに一台のバスがやってきた。バスから降りてきた運転手に名前を告げると、「3のCと3のDですね」と座席を案内された。
さあ、人生初の夜行バス。このバスに乗れば、物語が始まる。地方で悶々としているプロレスファンの自分とは休戦だ。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。期待に胸をふくらませながらバスに乗車し、自分に言い聞かせた。明日がある、まずは寝よう。


翌朝六時。真っ暗の車内が突然明るくなり、その眩しさに私は目を覚ました。どうやら終着の新宿に近づいているようだった。

「おはよう。もう新宿着くって」

翔は目を擦りながら起きた。起きるや否やカーテンをめくり、車窓から街を眺めた。目が輝いていた。

新宿の辺鄙なところで降ろされた。来年には新宿駅前に大きなバスターミナルが誕生するそうだが、今はまだ新宿駅から離れた変な場所でしか降ろしてくれないらしい。
夜の後楽園までこれといった予定がない私たちは、あてもなく新宿を歩き続けた。歌舞伎町エリアに入ると、ゴミとカラスと勤務を終えたと思われる水商売で生きる人間が広い道に並んでいた。それは汚いのに新鮮な光景で、東京を私達に語ってくれているようだった。
昼には水道橋へ移動した。何度か水道橋を訪れたことがある私が翔を案内した。
階段が急な闘魂SHOPや、移転してから広々とした闘道館、少しゆっくりしづらいほど店員と距離が近いプロレスショップチャンピオン、入店のチャイムを聞きつけた店員が裏からマスクを被って出てくる覆面屋工房など、あらゆるプロレスショップを巡った。
お金はないけどせっかくだから何か買っておきたい私達は、闘魂SHOPで内藤哲也のTシャツだけ購入して、東急ステイへと向かった。
順番にシャワーを浴びて、テレビを見ながら色んな話をした。ふかわりょうが夕方の帯を務めている光景が新鮮だった。目に映るもの全てが新鮮な東京に、私達は心を弾ませていた。
スマホと財布とチケットとバッテリー。必要なものだけを持って、後楽園ホールへ向かった。
東京ドームシティは平日にも関わらず、多くの人で賑わっていた。プロレスTシャツに身を包んだ人。ベースボールシャツを身に纏った人。ジャニーズのうちわを持った女の子。主に三種類の人間で構成された人混みをかき分けて、プロレスTシャツを着た私達は後楽園ホール前に辿り着いた。
「後楽園はね、初めて来たならエレベーターじゃなくて階段なんだよ。ちょっと上らなきゃいけないけど」と言って、落書きだらけの階段を案内し、五階を目指した。
五階まで上ると、右へと曲がり、展示場売店へと進んだ。
トロフィーと共に飾られていた現時点でのG1 CLIMAXの戦績表を見た翔が「小島って今こんなに弱いんだ」と悲しそうな表情を浮かべながら独り言とも取れる声量で呟いた。小島聡が最強だった頃で彼の中の新日本プロレスは止まっていることを改めて知った。今日に至るまでの時間を今一度受け止めて、ロビーへと進んだ。
レモンサワーで有名な飲食売店の横にある階段を上ると、いつも中継で見ている景色が目の前に広がった。

「うわ!めっちゃリング近いじゃん!」

既に感動している翔を見て、私が後楽園ホールを選んだことは間違いではなかったと確信した。熱い夏が始まった。
第一試合では、ヤングライオンが田口隆祐と笑いの要素が強い試合をしていた。興行のスタートからお祭り感が凄かった。思い返せば、富山で翔と夏祭りに行くことなんてなかった。初めて一緒に夏祭りに来たような感覚に陥った。後楽園ホールは、地元の祭り会場とは違って、一軍の人間と三軍の人間が一緒に来ることを許してくれた。不思議な高揚感に包まれた。お尻を突き出してふざけている田口だって噛み締めるように観た。
タマ・トンガを金的攻撃で綺麗に仕留める矢野通。6人タッグマッチで試合をボイコットする内藤哲也。カール・アンダーソン対高橋裕二郎の仲間同士での対決。あの頃より弱くなった小島聡と未だに強い中邑真輔の一戦。私達の英雄・永田裕志とオカダ・カズチカの初対決。
どれも面白かった。一瞬一瞬を見逃さないようにしていても時間は淡々と過ぎていって、セミファイナルが始まった。セミファイナルは、後藤洋央紀対マイケル・エルガンだった。IWGPインターコンチネンタル王者と初来日の外国人による試合だった。
私も翔も、この試合は特に注目していなかった。しかし、両者が入場し、ゴングが鳴ると、客席にいる皆が腹の底から声を振り絞って「エルガン」の4文字を連呼し始めた。もともとマイケル・エルガンについての知識が乏しかった上に、この夏のマイケル・エルガンの軌跡を見逃していた私達は驚いた。
翔が「エルガンって選手こんな人気なん?」と聞いてくるが、私もエルガンについては有名なファンブロガー・エヌヒトが書いた記事で読んだ「海外で初めてレインメーカーをパクった選手」という情報しかなかった。
試合を観て思った。マイケル・エルガンは確かに魅力的な選手だ。はち切れそうな肉体をした自分に合った、力で相手をねじ伏せるような技を主に使っていた。強さの見せつけ方が抜群だった。使う技がどれも大胆だから、よく見たら後藤の方が大きいのに、後藤よりもずっと大きく見えた。
また、日本のプロレスが大好きなことが試合から伝わってきた。プロレス少年っぷりに、ずんぐりむっくりな体型、更には決して爽やかとは言えない顔面。それら全てが心の琴線に触れた。気が付けば、私達も「エルガン」コールを送っていた。
試合中盤。後藤がエプロンサイドでエルガンのデスバレーボムを食らった。場外で倒れる後藤をよそにエルガンはリングの中に戻った。普通このような状況であれば、劣勢な状況にある後藤に声援が集中する。しかし、後楽園ホールは違った。後楽園ホールは分かっていた。後藤がとんでもない技を食らってダウンしているというのに、「後藤」コールをする観客は一人もいなかった。観客の全員がリングの中にいるエルガンを応援していた。
試合終盤。時間差のロープワークでロープから走ってきた後藤をエルガンがラリアットで迎撃した。エルガンが後藤をカバーすると、観客全員が「ワン!ツー!」と数えた。
後藤が肩を上げると、この日一番の大「エルガン」コールが後楽園ホールを包んだ。歓声を聞いたエルガンの瞳が輝いていた。この後楽園ホールという会場は、ファンにとっての夢の空間でもあれば、レスラーにとっての夢の空間でもあるのか。

「これ、後藤に勝ち目なくね?」

翔がそう言ってきた。

「そうだね。まあ、後藤式ならあるけど」

その瞬間だった。後藤がエルガンに後藤式を仕掛けた。初っ端からパワーとパワーで勝負していたのに、王者が突然テクニックを披露して初来日の外国人の芽を潰そうとしたものだから、観客達は思わず「えっ」と声を漏らした。レフェリーがマットを三回叩いた。私も翔もため息をついた。後藤、今日はそれじゃない。
試合が終わった時、私は客席にいる観客達の顔を見なければいけないと瞬時に思った。後ろを振り向くと、南側の客席にいる全員がエルガンが負けたこと及び後藤の勝ち方に放心していた。そうだよな。私達だけではないよな。
客席の皆の顔を心のカメラに収めたところで、リング上を見ると、エルガンが後藤を讃えていた。後藤式で勝った後藤にブーイングを送る者はいなかった。最高の試合を見せてくれた二人に対して、みんなで拍手を送った。後藤、ありがとう。エルガン、ジャパニーズドリームを掴んでくれ。
メインイベントは、本間朋晃対石井智宏だった。試合開始早々、大「本間」コールが響いた。昨年の戦績も含めてG1 CLIMAX公式戦で全敗を喫している本間に観客は声援を送った。石井が所属しているチーム、CHAOSのTシャツを着た人まで「本間ーっ!」と叫んでいた。後楽園はやはりひと味違った。
後藤対エルガンが生んだ観客の一体感を加速させるようにメインイベントは盛り上がった。最後はこけしが石井の肩にヒットして、本間がG1初勝利を挙げた。
試合後にマイクを握った本間がしゃがれた声で言った。

「なんて新日本プロレスのリングっていうのは素晴らしいのかなって。やっぱり俺はプロレスが大好きです」

この言葉に胸を揺さぶられた。今夜に至るまでにあった色んなことを回想した。私も新日本プロレス、そしてプロレスが大好きだ。
隣の翔を見ると、窓から新宿の街並を眺めていた今朝の何倍も目を輝かせていた。

後楽園ホールを後にして、帰り道にあったポプラで唐揚げ弁当とココナッツサブレを購入して、ホテルに戻った。一階ロビーから部屋がある七階へと向かうエレベーターの中、楽しみ切った表情をした翔が呟いた。

「俺、今もっとプロレス観たい気分だわ」

嬉しい気持ちになったのと同時に、私が後楽園ホールではなく、G1 CLIMAXの最終公式戦から決勝までが行われる両国国技館大会を観に行こうと言っていれば、二日連続、あるいは三日連続で一緒に興行を観られたことに気付き、申し訳ない気持ちになった。そして二人の旅の目的をこれで終えたのかと思うと、余韻から目が覚め、一抹の寂しさを覚えた。翔はまだ自分の心と会話するように「いや面白かったな」と小さく声に出していた。
七階に到着した。部屋に戻って、コンビニ弁当を食べながら興行の感想を話し合った。私が選ぶベストバウトも、翔が選ぶベストバウトも、後藤洋央紀対マイケル・エルガンだった。


翌日。朝から電車とバスを乗り継ぎ、野毛を目指した。二人で新日本プロレスの道場を訪れた。道場の中からはキャプテン・ニュージャパンだと思われる大人の太い声が聞こえた。
野毛道場もかつて母に連れてきてもらったことがある場所だ。あの時は、風呂上がりにバスタオル一枚で出てきた永田裕志に記念撮影をお願いしたら、「いいわけねえだろ」と叱られた。少し怖かったが、今となっては立派な思い出だ。
バスタオル姿の永田さんが出てきて欲しいとは思わないが、二人で東京に来た記念に選手と写真が撮れたらいいなという淡い期待を抱いていたが、遭遇したのは素顔の獣神サンダーライガーだけだった。バスタオル一枚の永田裕志より写真をお願いできなかった。

昼は渋谷へ移動し、音楽が好きな翔を尊重して、タワーレコードへ向かった。彼はロックを中心に様々な曲を試し聴きして、タワレコを満喫していたが、私には矢野通プロデュースのCD「CHAOS音頭」くらいしか試しに聴くものがなかった。
夕方は、二人が仲良くなったきっかけ、言わば原点であるお笑いのライブを観た。渋谷ヨシモト∞ホールで知らない芸人しかいないライブを観た。ネタを終えた芸人が平場でスベったら即フォローし始めるゆにばーすの川瀬という芸人の見事な司会っぷりに二人で感服した。
帰り際、劇場内の売店に並べられた「火花」を指した翔が、「びっくりしたよね。まだ読んでないけど」と言っていた。「まだ」という言葉が引っかかった。純文学を読む時間なんてあるのかなと疑問を抱いた。
夜になると、渋谷から新宿へ移動した。色んな話をしながら、新宿の街を歩いた。
学校の話。お笑いの話。YouTuberの話。アイドルの話。
街で流れていたEXILEの曲を聴いた翔が「EXILE好きって言ってる人って信用できんくない?」という弩級の偏見を語り始めた時は、彼も私くらい口が悪かったことを思い出した。こいつも私くらい捻くれているところがあった。
そしてはっとした。翔が中学時代に仲良くしていたヤンキー達は揃ってEXILEが大好きだった。小学五年のバレンタインデーに翔にチョコレートを渡していた女の子は家族総出でEXILEを応援していた。その二つの事実が私を苦しめた。
彼は彼で息苦しい生活を過ごしていたのかと思うと、彼には到底敵わないと思った。あの時はチョコに嫉妬して申し訳なかった。
翔との旅の終わりが近づいていた。朝から活動して疲れ果てた私達は無言でバス乗り場へ向かっていた。
新台入替の旗を仕舞おうとしているパチンコ屋の店員や残業帰りだと思われる働くおじさんに道を尋ねる時だけ、私は口を開いた。積極的に話しかける私を見た翔が「すごいね。俺知らない大人に声かけることできないわ」と言った。彼に敵う点を一つだけ見つけられた。富山に帰ったら、また辛い日々を過ごすことになるであろう自分に一つお土産ができた。
バス乗り場に到着した。待合室の椅子に腰掛け、自動販売機で買ったジュースを片手に乾杯した。私達の打ち上げにアルコールなど要らなかった。CCレモンとペプシで十分だ。

「いや〜濃い二日間だったね」

「チケットの手配から道案内まで色々ありがと。ほんっと楽しかったわ」

「うん。楽しかったね」

「やっぱ東京だわ」

翔が言った「やっぱ東京だわ」。そうだ。やっぱ東京だ。ここ東京には、富山にはない出会いが沢山待っている。翔とプロレスを観に出かけるという夏の思い出を作った訳だが、東京という街がその思い出を一層厚くしてくれたと思う。
進学校のように莫大な量の課題に追われる訳でもなければ、受験戦争がある訳でもない、そんな高専に入学した私だからこそ、あの高校に通う翔とは違う形で、人間的な成長を遂げればいいじゃないか。色んなところに訪れて、沢山の人と出会い、自分だけの思い出をこの先作っていけばいいじゃないか。受験の失敗をいつまでも引きずっていても、何も変わらない。
翔との夏が終わりを迎えようとしている一方で、私の高専生活がようやく始まった気がした。


翌朝。五時半に富山駅前に到着した。翔のお父さんが車で迎えに来てくれた。

「朝早くからありがとうございます」

「いえいえ。翔がお世話になったんでね」

二人とも寝不足で、車内では一切会話をしなかった。興奮冷めやらぬせいか、4列シートの狭い座席のせいか、私も翔もバスの中でなかなか寝付けなかった。
あまりにも会話がなかったから、翔のお父さんに二人の仲が悪くなったと勘違いされるのではないかと思った。無理に翔に声をかけようと思ったが、疲れた二人を乗せて運転するお父さんの顔をバックミラー越しに見ると、微笑んでいるのが確認できたので、そのまま無言を貫いた。
翔のお父さんが「着いたよ〜」と優しく起こしてくれた。私の家の前に到着した。
車を降りようとすると、私の母がやってきた。翔のお父さんと翔に御礼を言うために早起きしたようだ。ちゃんとメイクをしていた。

「お父さん、ありがとうございます〜」

「いえいえ、とんでもないです。翔がお世話になりました」

親同士が会話をしている中、後部座席を降りる。この車を降りると、本当に旅が終わってしまう。

「翔、ありがとね」

「こっちこそありがと。またね」

「うん、またね」

「また」が来るのかな、なんて思っていると、翔を乗せた車が行ってしまった。
車が勢いよく朝の一本道を走っていった。どんどん小さくなって、やがて見えなくなった。
一本道をまっすぐ走る車が、進学校に通う彼が大学受験に挑む姿に見えた。また遠くへ行ってしまうのだな。

高校生活と高専生活。お互いに色々なことがあるだろう。翔が通う高校に比べて、自由に時間を使える高専に入学したからこそできることを私はやろう。
また会う日にはお互い成長した姿で会おう。

とりあえず近いうちにまた東京に行ってくるわ。

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