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感情電車 #6 「おらタニマチさなるだ」

「何かに挑戦したいから」「もっと成長したいから」
そんな理由でラグビー部を辞めたものの、必死に取り組みたいことがすぐに見つかる訳ではなかった。
強い意志を持ってラグビー部を辞めたつもりが、本当はとにかく辞めたいという思いが前提としてあって、挑戦や成長といった理由は単なる後付けに過ぎなかったのではないかと思ってしまう時もあるほど、夢中で取り掛かれることが目の前にない日々が続いた。これならラグビー部を続けていた方が成長できたのではないかと思い、自分が情け無くなる時もあった。
そう思ったところでどうにもならなかったから、今ある時間をポジティブに考えるようにした。とりあえずラグビー部を退部したことで、私は背中に翼が生えたかのように自由になった。時間と体力に余裕ができた。せっかく自由になったから、大好きなプロレスでも観に行こうと思った。時間と体力に加えて、そこそこのお金も貯まってきたから、よりプロレスを観に行きたい気持ちが高まっていた。
「三月だけお手伝い感覚でいいから来て欲しい」と母の知人に言われて始めた居酒屋のアルバイトは、「来月もちょっと出れたりする?」と言う社長のお願いを聞いていたら、四月も働くようになり、五月も働くようになり、というようにずるずると期間が延びて、気が付けば正式な戦力として働いていた。私から誘う形で一緒にアルバイトを始めた耕平は、社長との約束通り、三月末で辞めていったが、私だけはずっと残っていた。もう春休みは終わったと言うのに、ラグビー部を辞めたものだから、五月からは平日や土日関係なしに遠慮なくシフトをぶつけられていた。
元々お金が必要でアルバイトを始めた訳ではなかった。放課後や休日に一緒にどこかへ遊びに行くような友人もいなかったし、ファッションには無頓着だったし、実家暮らしだし、とにかくお金を使う習慣がなかった。稼いだバイト代は貯まっていく一方だった。気が付けば日本のどこへでも行けるくらいのお金は貯まっていた。いざプロレスを観に行くとなっても、興行のチケット代と旅費に関しては心配する必要がなかった。アルバイトを始めるために作った通帳は、記帳する度に印字される数が大きくなっていくのが確認された。
ガンバレ☆プロレス王子大会を生観戦して以来、もっと色んなプロレス空間に出会いたいとずっと思っていた。色んな土地で、色んなプロレスを観たい。私の知らない熱狂に触れてみたい。クラスメイトがジャニーズのライブに行くだの、友人と県外へ旅行するだの言ってた時も、私はずっとラグビーをしてきた。時間を取り戻すかのようにプロレスを生観戦したい。さあ、どの興行から観に行ってやろうか。
しかし、どの興行を観に行けばいいのか分からなかった。最近、生で観たいと思えるほど熱心に応援できるレスラーがいなくなっていた。

その春、小学生の頃から応援していたカール・アンダーソンが新日本プロレスを去り、世界最高峰のWWEへ移籍した。ここ数年の私のお気に入りのレスラーは、矢野通とカール・アンダーソンだった。二人とも主役になるような選手ではなかったが、時として主役を食ってしまうような活躍ぶりを見せてくれるところが好きだった。
しかし矢野通は、興行の前半戦で会場の空気を温める担当みたいになってしまっていた。相変わらず試合は面白かったが、ファンを忘我の境に陥らせるような試合を見せてくれなくなった。強さと怖さとユーモアのバランスが絶妙だったのが、気が付けば、ユーモアの比重が大きくなっていた。リーグ戦やトーナメントで主役級の選手を丸め込んで倒すこともあったが、その勝利が後の抗争に発展しなくなってしまったのが、矢野通ファンとしては悲し過ぎた。
それでも矢野通のことを愛していた。毎試合熱心に観ていた。しかしそれは、生で観たいと思える試合ではなくなってきていた。意外な選手をタッグパートナーに選んだり、反則技の種類が尽きなかったり、矢野通からは常に向上心があることが窺えた。その姿勢自体は好きだったが、矢野通が追求する面白さと私が矢野通に求める面白さは徐々に乖離していた。
一方のカール・アンダーソンは、普段はタッグ屋として活動しながらも、シングルリーグ戦の時期になると、いつでも主役を食ってしまうような試合を見せ続けてくれた。
一撃必殺のガンスタンを武器に、G1 CLIMAXの決勝まで上がったことがあった。新日本プロレス最強と化していたオカダ・カズチカから勝利をあげたこともあった。定期的にシングルのベルトに挑戦してくれるのも嬉しかった。非常に応援し甲斐のある選手だった。
そんなアンダーソンはWWEに行って、完全なるタッグ屋になってしまった。WWEで活躍するアンダーソンも魅力的ではあったが、やはり私は大好きな新日本プロレスで活躍する“ザ・マシンガン“カール・アンダーソンを観続けたかった。
器用過ぎるが故に結局何が魅力なのか分からなくなってしまっているレスラーを今まで沢山見てきたが、新日本プロレスは、シングル戦線にもタッグ戦線にもスイッチを切り替えられる彼の器用過ぎるところを上手く使っていたと思う。新日本プロレス所属のカール・アンダーソンが好きだった。

ラグビー部を辞めて、やっと生活が落ち着いてきたと思ったら、今度はプロレスファンライフが狂い始めた。生で観たいと思うレスラーがいて、初めて生で観たい興行が出てくる。それなのに、生で観たいと思うレスラーがいないのだ。

それでもプロレスを見続けていた頃、この選手なら生で観たいかもしれないと思ったのが、チェーズ・オーエンズだった。

***
2014年10月、中学三年の秋。チェーズ・オーエンズというレスラーが新日本プロレスに登場した。当時の新日本プロレスのリングには、アメリカのプロレス団体・NWAから次々と刺客が送り込まれていた。ラインストーンを施した派手過ぎるジャケットに身を包んだブルース・サープ社長が、刺客の隣で「我々はニュージャパンより優れている」と訴える姿が何とも滑稽で好きだった。
NWAから新日本プロレスに送られてくる刺客は皆、昨今のプロレス界の流行を無視した胡散臭さのあるレスラーだった。近年のプロレス界で“忘れ去られていた”というよりは“排除されていた”という表現が適切であろう胡散臭さというプロレスにしか演出できない重要なパーツをNWAが担ってくれていた。
味はイマイチだけど、また行きたくなる町の中華料理屋。可愛くないけど、何故かまた見たくなるアダルトビデオ。名勝負ではないけど、胡散臭くて面白いプロレス。
どれも排除されて欲しくない。絶対的に良いものだけに拘った挙句、個性が淘汰される時代はつまらないと思う。そんなつまらなくなりかけている時代に問題を提起していたのがNWAだった。
そのNWAからの刺客のうちの一人がチェーズ・オーエンズだった。NWAから送り込まれる刺客は、主に三十代半ばから四十代前半にかけてのレスラーだった。結構なキャリアを積んでるはずなのに聞いたことのない名前の選手達の新日本プロレス参戦が続く中、チェーズ・オーエンズは、NWAの刺客としては珍しい二十代前半のレスラーであった。
その若さもあって、一応“NWAの期待の新星”という括りで、新日本プロレスマットに登場したのだが、期待の新星と括るには一挙手一投足が渋過ぎた。見た目も垢抜けてなさ過ぎた。
近年の海外のインディーシーンのトレンドは、見たことのないハイフライムーブだ。おまけに人気の若手選手は皆、外見が洗練されている。現にチェーズ・オーエンズと近い時期に新日本プロレスに登場した彼と同年代の選手は、リコシェとニック・ジャクソンであり、両者とも想像を超える動きで見る者を魅了するような選手だった。見た目も格好良かった。
ファンが見たことのない飛び技を披露したり、ファンが見たことのないキャラクターを演じたりと、未知の領域を切り拓く若手レスラーで溢れかえっているアメリカのインディーシーンで、チェーズ・オーエンズのようなオールドスクールなスタイルで勝負している若手レスラーがいたことに驚いた。
チェーズ・オーエンズは、ニット帽とヘッドホンを身につけ、若さを全面に出して新日本プロレスデビューを果たした。若さをアピールしている割にはフレッシュさのない二十四歳だった。そもそもニット帽にヘッドホンというのは、若さの定義が古い気さえした。それに加えて、絶妙にだらしない体型をしていたし、特に意味のないレガースを履いていた。
これはまたNWAらしい胡散臭い見た目の選手だなと思っていたら、外見とは正反対に整合性のあるレスリングスタイルを披露した。かえって新鮮に感じるオールドスクールな動きを披露した。
見た目が垢抜けないなと思ったら、試合はしっかりしていて、しかもその試合中の動きは古くて新しいものだった。裏切りに次ぐ裏切りだった。ファンの想像を超えているのは、リコシェよりもこの選手なのではないかとさえ思った。そもそもNWAからの刺客なのに二十代前半という時点で裏切られているし、NWAなのにまあまあ試合が面白いのもなかなかの裏切りだった。面白い選手を見つけたと思った。
次から次へとNWAから新日本プロレスへと刺客が送り込まれていたため、一刺客あたりの新日本プロレス参戦回数は少なかった。チェーズも一度や二度の参戦で新日本プロレスで観られなくなると勝手に思っていた。しかし、チェーズだけは何故か定期的に来日するのだった。新日本プロレス初参戦の翌年の2015年。チェーズはベストオブザスーパージュニアに出場した。
多くのファンが予想していた田口隆祐の決勝進出を最終公式戦で阻止した。チェーズは後楽園ホールのメインイベントで田口を葬った。その試合後のリング上では、チェーズvs田口の結果によって、決勝に進出することが決まったカイル・オライリーとKUSHIDAのマイクパフォーマンスが行われた。
外国人選手にとって、後楽園ホールのメインイベントは夢の舞台であろう。しかもそれがシングルマッチで、天下の新日本プロレスの田口隆祐を下したというのは、ジャパニーズドリームを掴んだと言っても過言ではないだろう。それなのに、チェーズは興行を締めるどころか、試合後にマイク一つ握らせてもらうことができなかった。そんな彼に同情した。でも、そんな彼が好きだった。主役を仕留めても主役にはなれない彼が好きだった。

「チェーズ・オーエンズ面白いな。だけど次いつ来日するんだろ」

そんなことを考えていたら、何の脈絡もなく、ヒールユニット・BULLET CLUBのメンバーとして再来日することが決まった。ケニー・オメガとタッグを組み、ジュニアタッグリーグに出場することが発表された。数合わせで呼ばれて、数合わせでヒールユニットに加入したとしか思えない彼には思わず笑ってしまった。
リング上でも、SNS上でも、BULLET CLUBに所属するに至る展開は見受けられなかったのに、「BULLET CLUBに加入したチェーズ・オーエンズが」と新日本プロレス公式サイトに当たり前のように書かれているのを見た時は、彼らしくて愛おしいなと思った。
BULLET CLUBのメンバーとしての初戦だった新日本プロレス所沢大会で、ケニーに「ニューメンバーのチェーズ!」と、やっと紹介されていた。順序が崩壊していても誰にもつっこまれないチェーズが好きだった。

2016年のベストオブザスーパージュニアでは、獣神サンダーライガー、ウィル・オスプレイ、リコシェという大物を次々と仕留めていた。
ファイトスタイルもそうだが、外見からして決して主役になれるような選手ではないのに、いつでも主役級の選手を倒してしまうそのレスラー像は、まさに私が新日本プロレスに求めていたものだった。私は気が付けばチェーズに夢中になっていた。
ベストオブザスーパージュニアが終わった頃。この選手の試合なら生で観に行きたいかもしれないと思わせてくれたのが、チェーズ・オーエンズだった。
***

私がラグビー部を辞めてから二ヶ月が経った七月上旬のある日の深夜。就寝前にTwitterを見ていたら、チェーズが新しく発売するTシャツのデザインを公開していた。
チェーズがピカチュウにパッケージドライバーを決めているイラストがツイートされていた。
ポケモン風のイラストではなく、ポケモンだった。パロディの一線を超えて、勝手にコラボしていた。そのデザインに私は感動してしまった。権利社会のアメリカで、このデザインのTシャツを売るというのは狂っているなと思った。
このTシャツをどうしても手に入れたいと思った私は、チェーズの宣伝ツイートに対して、日本で販売する予定はあるかとリプライを送信した。
その三分後、一件のダイレクトメールが私のもとに届いた。

「If u order one I can try and bring one to Japan」

メッセージの主はチェーズ・オーエンズだった。リプライを送信しているからDMで返信が来るというのは全くおかしな状況ではないのだが、突然のプロレスラーからのDMに理解が追いつかなかった。誰かとDMでやりとりすること自体が初めてだったのに、その初めてがチェーズ・オーエンズだった。
チェーズは注文してくれたら日本に持っていくよと言ってくれた。私は言葉を選んで返信した。

「日本に持っていくというのは、ホテルなどでお会いして取引するということでしょうか」

「そうだよ」

見たことがあるやつだった。謎のお金持ち、あるいはお金持ちでもなさそうだけど有り金を全てプロレスにはたいているような日本人プロレスファンが、外国人レスラーの滞在するホテルの部屋にお邪魔して、グッズやコスチュームなどを買取している様子をよくアメブロやFacebookなどで見ていた。
私は幼い頃から、試合を観る時間以上に、ファンのブログやSNSをインターネット上で検索することに時間を割く傾向があった。

「失礼ですが、次の来日の予定はお決まりでしょうか」

「九月だよ。まだ発表しちゃいけないんだけど」

私が言葉を選んで時間をかけながら返信するのに対し、チェーズからの返信は毎回一瞬だった。返信が来る度に申し訳なく思った。
それでも失礼があったら駄目だから、簡単な内容のメッセージ一つさえ推敲する必要があった。ましてや英語でやりとりしているわけだから、余計に注意を払わなければいけなかった。
チェーズは次の来日が九月だと言っている。はっとした。9月10日に私の地元、富山で新日本プロレスの興行が行われることを思い出した。DMでやりとりを始めた手前、チェーズ・オーエンズのTシャツを買いに行く東京一人旅を漠然と思い描いていたのだが、私の地元で会えるのだった。せっかく大好きなレスラーと会うのなら、慣れない街よりも知り尽くした街で会いたいと思った。

「9月10日に私の地元の富山で新日本プロレスの興行が行われます。そこで購入させていただけますか」

「わかったよ。サイズは?」

「Mでお願いします」

「わかったよ。そっちに着いたらまた連絡するよ」

「よろしくお願いします」

Twitterが私を眠らせてくれなかった。興奮状態に陥った私は、その夜沢山イメージトレーニングをした。決戦は二ヶ月後だった。



8月10日。春に一緒に韓国旅行に行った家族が営んでいる梨農園で短期のアルバイトを始めた。旅行の帰りに、向こうの家族のお母さんに「夏休み暇だったらうちでバイトしてってや。若いもんおらんくて困っとってさ」と言われたのだった。若い人がいない梨畑でアルバイトは面白そうだなと直感的に思った私は二つ返事で引き受けたのだった。
梨畑でのアルバイトの初日。私に任された仕事は、広い畑で収穫作業を行うおじいちゃん達が肩にぶら下げている籠が収穫した梨で一杯になったら、空の籠と交換してあげる、という嘘みたいな内容だった。こんな仕事で時給1,000円も貰えるのかと思った。
偉そうな客の対応をして、何も考えていないような茶髪の大学生に囲まれて稼ぐ居酒屋での時給850円よりも、おじいちゃん達に囲まれながらのんびりと稼ぐ梨畑の時給1,000円の方が有難かったし楽しかった。
おじいちゃん達はすぐに疲れるから、一時間に一度のペースで10分間の休憩が入る。その休憩中も時給が発生している。最高だった。おじいちゃん達との会話は、大学生との会話と違って楽しかった。
仕事中は常におじいちゃんらの籠に目をやりつつ、その持て余した時間で色んなことを考えていた。

「あ、そういえば一ヶ月後の今日じゃん。チェーズと会うの」

そんなことを思い出した。そういえば母にもこの話はしていなかった。「あんたがしたいと思ったなら何でもやりなさい」といつも言う理解のある母だから、私がチェーズとホテルで会うことを否定するようなことはまずないのだが、一応言っておいたほうがいいよなと畑の中で考えていた。
畑から帰宅した私は、「そういえば来月の新日本富山大会の前にガイジンレスラーと富山のどっかのホテルで会うことになったわ」と母に告げた。「全然いいけど、どういう経緯?」と尋ねられた。
一連の流れを説明すると、母は「へえ、面白そうじゃん。行ってこられ」と言ってきた。想定通りの返事が来ただけだった。



チェーズとホテルで会うと母に告げた数日後。突然母から「私も行かせて」と言われた。プロレスファンではない母が付いてくるとは何事だと思い、何故そう思っているのか、事情を説明してもらった。
母の知人であり、私がアルバイトしている居酒屋の社長である人物に、私が来月新日本プロレスの外国人レスラーとホテルで会うことになったと母は話したらしい。すると社長は、「それ、もし部屋ん中で掘られるようなことあったらどうするんよ」と言ったらしい。
社長はいつも冗談を言う人だった。それを聞いた私は、なんて酷い冗談を言うのだろうと思った。一発目の返事がそれはどうかしてるだろと思った。でも、母もどうかしていた。適当に受け流してくれたらよかったのに、社長の冗談を聞いて一気に不安に駆られた母は、「私も行かせて」と言ったのだった。
来なくていいのに、と思いつつも、英語塾を営むだけあって母は流暢に英語を話せるので、正直心強かった。私は「じゃあ付いてきて」と返事した。



9月1日に、チェーズから今回のシリーズのスケジュールが出たとの連絡が来た。富山には大会前日の夕方に到着するらしいが、その日はBULLET CLUBメンバーと飲みに行くそうだ。だから大会当日の昼間に会えないかとメッセージが届いた。
「もちろんです。ホテルの場所が分かったら教えてください」と返信して、その日の会話は終わった。

富山大会前日の9月9日の午後三時過ぎ。チェーズから、ホテルの名前と住所が書かれた領収書の写真が送られてきた。アルバイト先の居酒屋から徒歩七分の場所にあるビジネスホテルだった。
この時間に送ってくれたということは、チェックインしてすぐに私に連絡をくれたということか。丁寧な人だなと思いながら、私もすぐに返信した。

「わかりました。明日そこに行きます。何時だったら都合がいいですか?」

「正午かな」

「わかりました」

いよいよ決戦は明日になった。



9月10日。富山大会当日の午前十一時五十分。母と一緒に指定されたホテルの前まで行くと、続々と新日本プロレスのレスラー達が出てきた。ヒールやベビーフェイスなどの所属ユニットに関係なく、選手達全員がそのホテルに滞在しているようだった。
ケニー・オメガとヤングバックスによるユニット・the ELITEのTシャツを着ている私の姿を見た永田裕志が、面倒くさいファンがいるよといった軽蔑の表情でコンビニのある方へ向かった。
ホテルの前に立つ私は、「今着きました」とチェーズに連絡を入れた。すると、約束時間の正午丁度に「516号室に来て」との連絡が届いた。
いきなり部屋を訪ねることに緊張しながら、エレベーターに乗った。エレベーターの中には私と母と川人拓来の三人がいた。川人も永田さん同様、私がプロレスファンであることを察しているようだった。不思議そうな表情を浮かべていた。
川人と会話することなく五階に着いた。心臓の音が段々と大きくなっている。
516号室の前に着いた。扉の向こうに入ったところで、Tシャツを購入するというごく簡単な行為しか待っていないのに、心臓の音しか聞こえなくなるほど緊張してきた。他の部屋の客はチェックアウトしていて、各部屋の前には使用済みのシーツが雑に並べられていたのに、516号室の前だけはシーツがなかった。
「この中に本当にチェーズ・オーエンズがいるのか」
冷や汗が止まらなかった。近くでおばちゃんが勢いよく掃除機をかけているのに、私には心臓の音しか聞こえない。ああ、緊張する。
そんな私を見兼ねた母が目の前の扉を二回ノックした。そのノックが私の緊張を解く合図だった。まだ心の準備ができてないわと心の中でつっこむことで、かえって冷静になれたのだった。
「ちょっと…」と母に小声で言った瞬間に、目の前のドアノブが右に回った。扉からチェーズ・オーエンズが出てきた。「さあ、入って」と私に言うチェーズと、「どうも、この子の母親です」とチェーズに説明する母の間に挟まれながら、思っていた以上に体の大きなチェーズに圧倒されている私は部屋の中に入った。
狭い部屋の中には、大きなスーツケースやハンガーに掛かったコスチュームなどがあり、これが巡業中のレスラーの日常なのかと感激した。
自然と笑みがこぼれる私を見たチェーズが、「TシャツはMでよかった?」とスーツケースを開きながら言った。スーツケースの中には、ピカチュウを倒しているチェーズが沢山いた。私以外のファンにも旅先でTシャツを売っていることが窺えた。
私は相槌を打ちながら、約束の3,000円をチェーズに渡した。チェーズは「ありがとう」と言って、私にTシャツを渡してくれた。

「こんなところに泊まってるんですね」とプロレスを知らない母がチェーズに言った。

「ああ、このホテルは特に狭いけど、大体いつもこんな感じだよ」

「巡業はやっぱり疲れますか?」

「疲れるよ。体は癒えないし、移動は時間がかかるし、日本のことは分からないし」

「そうなんですね。…この後時間あったりします?」

「あるよ。三時に会場に出発するよ」

「よかったら一緒にランチしませんか?」

「もちろんだよ。吉野家くらいしか自分で行ける店がないから嬉しいよ」

「ここから七分ほど歩いたところに私の知り合いの店があるのですが、そこまで歩くのでもいいですか?」

「もちろん」

待て、待て、待て。そんな心の準備は出来ていないぞ。
唖然とした表情の私を見た母は、「チェーズとランチ行くことになったわ」と言った。そういうことではない。今目の前で繰り広げられた英会話を聞き取れなかった訳ではない。新日本プロレスに参戦する外国人レスラーと母と私でランチに行くという特殊な状況に呆気にとられているだけなのだ。
そんな私をよそに、チェーズはチェーズで「一分だけ部屋の外で待ってもらっていい?」と言うのだった。
母と二人で廊下で待っていると、部屋から出てきたチェーズが「君にプレゼント」と言って、「Thank you for everything」というメッセージが入った特製のポートレートを渡してくれた。これもファンのブログで見たことがあった。金持ちそうなおじさんのブログで見たことがある外国人選手の感謝のメッセージが添えられたサインだった。
今の私は夢にまで見たあのシチュエーションにいるのかと思うと、興奮してきた。当たり前ではないことが当たり前のように行われている現実に段々と興奮してきた。
「ありがとうございます!」とチェーズに言って、一緒に私のバイト先の居酒屋まで向かうのだった。ホテルのロビーにいた川人は、さっきよりも不思議そうな目で見てきた。
店に入ると、社長が迎え入れてくれた。明らかに体格の良い外国人を引き連れた私を見た社長が「え、もしかしてあの話してたレスラー?」と言ってきた。「あ、そうです」と言って、案内されるがままにテーブルへ向かった。
店の中に入ったチェーズは、「こんな雰囲気の店、一人じゃ来れないよ」と呟いていた。目の前のレスラーが喜んでくれている。何だ、この快感は。
チェーズが下座に座ろうとしたので、これでいいのかなと思った私は、拙い英語で下座と上座の説明をしようと思ったら、私より先に母がその説明をし始めた。

「そんな文化があるんだ」

感心するようにチェーズが言った。
上座に座ったチェーズに、下座に座った我々親子がメニューを机に広げて、ランチメニューを一つずつ英語で説明した。外国人に向けた英語表記のメニューなどない居酒屋だった。
「これは生の魚が米の上に沢山のったもので」というように、丁寧に説明した。好き嫌いや宗教上の理由で食べられないものなどあるかもしれないから、一つひとつ丁寧に説明した。チェーズが選んだのはビーフ重だった。
注文したものが来るまで、談話が続いた。私が着ているthe ELITEのTシャツを見たチェーズが「エリートのTシャツじゃん」と言ったので、私も「ランディ・サベージのTシャツですね」とチェーズが着ているTシャツに目をやりながら言った。

「ああ、マッチョマンは少年時代の俺のヒーローだね。違うな、今でもヒーローだな」

少年時代のヒーローは大人になってもヒーロー。ああ、目の前にいるこの人も私と同じプロレスファンなのだ。親近感が湧いた。それにしても良い言葉だ。
ランディ・サベージ以外にもハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーが少年時代のお気に入りの選手だったそうだ。彼の現在のファイトスタイルからは想像もつかない名前が出てきて、驚きつつも感動した。
チェーズの口から出たお気に入りの選手達は皆、派手な英雄タイプだ。そんな憧れの選手達とは違う、自分に合ったレスラー像で、若くしてこの業界を生きているのかと思うと、感動した。また、1990年生まれの彼にしては、サベージも、ホーガンも、ウォリアーも、チョイスが少し古かった。彼の世代ならザ・ロックあたりの名前が出てくるのが妥当な気がした。そこは彼の古き良きファイトスタイルに影響を与えているのだろう。そう考えると、しっかり憧れの選手達の影響を受けているのだなと思った。目の前にいるレスラーを愛おしく思えた。
社長がビーフ重を持ってきた。蓋をとったチェーズは、「美味しそう!」と屈託の無い笑顔で言いながら、ポケットから取り出したスマホをビーフ重に向けた。写真を撮った後もそのまましばらくスマホを触っていた。

やっとビーフ重を口に運んだチェーズは、「すごく美味しい!」とはしゃぐように言った。噛み締めるようにビーフ重を食べるチェーズは、「こういう自分では行けないようなところに誘ってもらえるのが本当に嬉しいんだ」と話してくれた。
オーエンズはまだ新日本プロレスと所属契約を結んでいないこともあって、巡業が終わって帰国する直前に、その巡業分のファイトマネーを現金で貰っているそうだ。
巡業中はお金を貰えないから、いつも着陸した日本の空港で、アメリカドルを日本円に換金して、これから始まる巡業に備えるらしい。しかし、過去には、巡業中に換金した日本円を全て使い果たしてしまったこともあったそうだ。クレジットカード社会のアメリカで暮らすチェーズにとって、絶対に使えるだろうと思っていた場所でもクレジットカードが使えなかったりする日本を旅するのは大変だそうだ。
そういった理由や言葉の壁から、こうした自分一人では入りにくい飲食店に連れて行ってくれる存在は有難いのだと話してくれた。また、巡業中にTシャツを買ってくれる人も、日本円に困らなくて済むから有難いそうだ。聞けば聞くほど、自分の知らない視点の話に触れられた。

「でもどんな大変なことがあっても、新日本プロレスで戦えるのは嬉しい限りだね。俺の誇りだよ」

チェーズがそう言った瞬間に疑問に思ったことがあった。そういえば、NWAの選手が新日本プロレスに参戦することがなくなったなのに、何故チェーズだけ新日本に生き残っているのだろうか。

「NWAのレスラーは新日本プロレスに参戦しなくなったのに、何故あなただけ今も参戦しているのですか?」

「どうしてもここで働きたいと思ってトライアウトを受けたからね」

新日本プロレスを愛するチェーズには新日本プロレスの頂点まで上り詰めて欲しいなと思った。しかし、「ベルトをとってください」程度の言葉しか思い浮かばず、英語で上手く思いを話せそうになかった私は、チェーズの言葉に相槌を打つことしかできなかった。もどかしかった。
新日本プロレスで戦えることに誇りを持っていると語るチェーズが、ビーフ重を頬張りながら被っているキャップは、BULLET CLUBのキャップだった。本当に新日本プロレスで戦えることに喜びを感じているのだなと思うのと同時に、上座や下座の説明をしておきながら、キャップを被りながら食事することに関しては特に触れずにいたことに私は気付くのだった。
ランチを食べ終わった頃に、「インスタグラムの通知が鳴り止まないよ。友達からは羨ましいってコメントが来てる」と、チェーズは笑って言いながら、スマホの画面を見せてくれた。食べ始める前にしばらくスマホを触っていたのは、インスタグラムに投稿するためだったらしい。
大きな右手に支えられたスマホの待ち受け画像もBULLET CLUBのロゴだった。誇りとはこういうことなのだなと改めて思った。
食後はコーヒーを飲みながら、家族や新日本プロレスのレスラー達の話をしてくれた。時折「その選手はBULLET CLUBではないけどファンに話しても大丈夫か」と思ったりしたが、それほど心を許してくれる彼を応援したいと思った。
会計は母ではなく私が払うことにした。こんな貴重な時間を作ってくれたチェーズ及び母には私から奢りたかった。
私は今まで誰かにご飯を奢るという経験をしたことがなかった。中学時代は後輩ができる前に柔道部を辞めてしまったし、柔道部を辞めた後に入った科学部で出会った後輩は皆可愛げがなかった。高専に入ってから所属したラグビー部も、新入生が入ってきてすぐに退部した。まさか初めて人に奢る飯がチェーズ・オーエンズのビーフ重だとは思ってもいなかった。
レジの前に立つ私は、好きな人に奢るのは気持ちいいことなのだなと知った。会計を済ませて、私達は店を後にした。
帰り道、チェーズは私に言ってきた。

「今日の席はどこ?リングの上から探すよ」

「七列目です。1,000人以上客がいるから探しにくいと思います」

「そしたら俺が勝つから、席から立って『イェ〜イ!』って叫んでよ。そしたら目線を飛ばすから」

明るく話してくれるチェーズの隣で、私も同じく明るい声色で「わかりました!」と答えた。だが、少し引っかかってしまった。
今日のチェーズの対戦カードは、『後藤洋央紀&石井智宏&YOSHI-HASHI対ケニー・オメガ&高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズ』だった。申し訳ないが、どう考えても、唯一ジュニアヘビー級の選手であるチェーズが負けるとしか思えなかった。
いや、でも違う。チェーズはどんな踏み込んだ話をしても、勝敗に関しては一切口にしなかった。それに純粋な瞳で「俺が勝つから」と今言ってくれた。本当に今日オーエンズは勝つのではないか。
チェーズは「またね」と言って、ホテルの方へと一人で帰った。


塾の仕事を控えた母とは富山駅で解散して、一人で会場へ向かった。会場に到着すると、化粧室でthe ELITEのTシャツからチェーズから購入したTシャツに着替えた。
チェーズのインスタグラムの投稿を見ながら、開場を待っていると、「あの人チェーズ・オーエンズのTシャツ着てんじゃん」と言う少年達の声が耳に届いた。心の中で少年達に返事する。

「このTシャツね、さっきチェーズから買ったんだよ。チェーズが地元でポケモンGOをやりながら木にぶつかってる少年を見た時に思いついたデザインらしいわ。最高のデザインを思いついたと思って家に帰ってすぐに紙にイラストを描いてみたけど、画力無さすぎて、結局イラストが得意な友達に頼んだらしいわ。製作背景含めて、いいTシャツでしょ?」


会場の中に入ると、グッズ売店では、ロッキー・ロメロとバレッタのサイン会が行われていた。「写真集を一つください」とロッキーに言おうとしたら、「ナイスTシャツ!」と腹を抱えて笑われた。チェーズ、愛されてるんだな。


第四試合が始まった。数時間前まで一緒にご飯を食べていた人が1,000人を超える観客に囲まれながら試合をしていた。
試合時間が十分を経過したとアナウンスされた頃、チェーズが後藤洋央紀を捕まえて、必殺のパッケージドライバーの体勢に入った。後は腰を下ろすだけだった。

「え、まさかチェーズ本当に勝つんじゃ…早く!早く腰を地に落とせ!」

私の体感では十秒くらいチェーズは後藤をパッケージドライバーの体勢で捕らえていた。チェーズが腰さえ下ろしたら、チェーズはきっと勝つ。チェーズが勝てば、私は席を立つ。席を立った私にチェーズは目線をくれる。早く、早く腰を下ろしてくれ。
そう思っているうちに、後藤は何とかパッケージドライバーを回避して、反撃に転じた。結局後藤のGTRがチェーズに決まって、チェーズは負けるのだった。


興行が終わった。会場の富山テクノホールは、車がないと行き難い場所にあった。車がない私は、会場から二十分ほど歩いて、富山空港を目指した。そこからさらに三十分ほど空港の中で、富山駅行きのバスの出発を待っていた。
観客達のほとんどが車で会場に来ていたようで、富山空港にはプロレスファンらしき人物が私しかいなかった。というか、私しか人がいなかった。この時刻の富山空港発富山駅行きのバスに乗る人達は、そのほとんどがこれから富山空港に着陸する羽田-富山便の搭乗者であるため、富山空港には警備員と私しかいなかった。
閑散とした富山空港の中で、今日一日のことを思い出していた。音一つない富山空港で一人考え事をしていると、夢から覚めたようにも、まだ夢の中に居るようにも感じる変な気分になった。でも、今日あった出来事は夢なんかではなく、全て現実だった。

「なんだかんだ母さん連れて行って正解だったな…」

羽田からやって来た人達が続々とロビーにやってきた。私は社長の下品な冗談に感謝しつつ、富山駅行きのバスに乗り込み、家路につくのだった。

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