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感情電車 #10 「まだ誰も知らない ときめき抱きしめて」

2015年4月。私が高専に入学したばかりの頃に、出会いは突然やってきた。
プロレス格闘技専門チャンネル・サムライTVで放送されていたDDTプロレスリングの男性客限定興行「野郎Z」の中継をなんとなく見ていたら、メインイベントに黒潮“イケメン”二郎というプロレスラーが出てきた。
野郎Zのメインイベントでは毎回、女性人気の少ない選手が集まった「野郎Z軍」と、端正な顔立ちをした選手が集まった「二枚目軍」の対決が行われるのが名物だった。この時、二枚目軍のリーダー格として出てきたのが黒潮“イケメン”二郎だった。
黒潮二郎としてデビューした頃の彼のことは知っていたが、私は彼の試合をここ数年観ていなかった。
野郎Zの中継に登場した彼は、デビュー当時の雰囲気とは大きく変わっていた。そこにいたのは、福山雅治の「HELLO」に乗って入場し、郷ひろみばりのジャケットプレイを披露する黒潮“イケメン”二郎だった。
イケメンという斬新なキャラクター。
彼の中のイケメンの代名詞が福山雅治と郷ひろみという古さ。
だけど、これ以外にないと思ってしまうほど似合っている福山のHELLO。
演じているのではなく、天性のものなのだろうなと一目で分かる周囲を笑顔にさせる明るさ。
イケメンキャラという形式的なキャラクターではあるが、それが自分という人間の魅力を最大限に表現できる舞台になっていること。
全てが光っていた。つっこみどころは沢山あったが、いちいちつっこむのは野暮だった。そのくらい全てを正当化させる力を持ったレスラーが現れたなと思った。
イケメンの入場を続けて見ていた。イケメンは、バックで流れるHELLOがBメロからサビへと移る瞬間に片足をリングに入れて、リングインしようとした。だが、次の瞬間、「まだまだ終わりませんよ」といった表情でリングに入れた片足を花道に戻し、リングインしなかった。
見たことのない焦らし方で観客を翻弄していた。私はこれの何が面白いのか説明できなかった。だけど確実に面白かった。
言葉では形容し難い魅力を持った者こそが新時代のスターだと私は思う。イケメンの入場を見た瞬間、この人はスターだなと思った。
さらに、焦らされた観客による大「イケメン」コールをテレビ越しで見た時は、これこそがプロレス会場の在るべき姿だと思った。黒潮“イケメン”二郎。とんでもないレスラーに出会ってしまった。
2月、3月は高校受験があったため、勉強に専念しなさいと、母が長年結んでいたサムライTVの契約を一時的に切っていた。
高校受験が終わり、第二志望だった高専に入学した4月。2カ月ぶりに見たサムライTVに出てきたのがイケメンだった。久々に見るプロレスだったから余計に面白く感じたのかもしれなかった。第一志望の高校に入れなくて、落胆していた頃だったから、馬鹿げたことをやって客を沸かせている彼が余計に輝いて見えたのかもしれなかった。
そう考えてみたが、全て違うなと思った。只々テレビに映るイケメンが面白かった。テレビに映るイケメンが輝いていた。テレビの前でここまでときめいたのもいつ以来だろうか。
イケメンに出会った十五歳の私は、プロレス会場に行くことなんて年に3回ほどだった。しかもその全てが地元の富山で行われるメジャー団体の地方巡業だった。富山にやってこないプロレス団体の興行を生観戦するのなんて、夢のまた夢の話だった。そんな環境にいた私が、初めて「この人のプロレスだけは絶対に生で見てみたい」と心から思った。

イケメンとの衝撃的な出会いを果たして以来、私はイケメンの試合映像をネットで検索して観るようになった。気が付けば、私はイケメンの虜になっていた。
イケメンの試合を生で観てみたいという気持ちが強まる一方で、イケメンが所属する団体・WRESTLE-1は私の住んでいる富山へ巡業に来ないこともあり、彼の姿を生で観られない日々が続いていた。
そんな日々を続けながらも、イケメンのことを追っていたら、あっという間に高専二年になるのだった。



2016年4月6日。高専二年になったばかりの春。「8月21日は何があってもイケメンの試合を観に行く」と私は心に誓った。8月21日というと、SUPER J-CUP 2016の決勝大会が行われる日だった。
4月6日の夜、私はWRESTLE-1のハッシュタグを追って、ファンのイケメンに関するツイートを見ていた。その夜、WRESTLE-1 後楽園ホール大会のリング上で、WRESTLE-1のCEO・高木三四郎にシングルマッチで負けたイケメンがマイクを握り、SUPER J-CUP 2016に出場させろと叫んだのだった。
その春、七年ぶりに開催されることが発表されたSUPER J-CUP。ハヤブサやザ・グレート・サスケ、CIMA、丸藤正道、といった錚々たる顔ぶれのスター選手を業界に生み出した、様々な団体の若手有望株が一堂に会する伝説的なトーナメントだ。
SUPER J-CUPの醍醐味というと、新たなスターが業界に誕生する瞬間だろう。J-CUPはまさに黒潮“イケメン”二郎に最適な舞台だと思った。高専に入学したばかりの頃の私が自宅のテレビの前で受けた衝撃を、今度はプロレスファン全員が受けることになるのかと思うと、胸が躍った。
イケメンが一夜にして、日本プロレス界のスターになるところをこの目に焼きつけたかった。イケメンのJ-CUP出場宣言をTwitterで知った私は、すぐにチケットを購入することを決めた。



6月上旬。新日本プロレスのファンクラブ会員限定の先行予約で、J-CUP決勝大会のチケットを購入した。席種はロイヤルシートを選んだ。最も高い席種だった。12,000円というチケット代は、私が今まで払ってきたチケット代の中で最も高かった。それでもイケメンがスターになる瞬間を最前列で観られるのなら安いものだった。
私がチケットを購入した頃には、既にSUPER J-CUP 2016のトーナメントに参加する団体の名前と団体別の出場枠数が発表されていた。
そこにWRESTLE-1選手の出場枠はなかった。多くの団体が参加するとはいえ、SUPER J-CUP 2016は、新日本プロレス主催の大会だった。イケメンが所属するWRESTLE-1のCEOは、高木三四郎だった。高木三四郎は、DDTの社長でもあった。DDTというと、2015年夏の棚橋弘至対HARASHIMAでいざこざがあって以来、新日本プロレスと気まずそうな関係にあった。
2016年2月に、DDTと新日本プロレスのW所属だった飯伏幸太が両団体を退団した時は、新日本プロレスとDDTの関係に一区切りついた感じすらあった。
良い若手選手が揃っているのに、WRESTLE-1も、DDTも、新日本プロレス主催のSUPER J-CUP 2016に出場枠が設けられていないのは、そういった背景が組み込まれているのではないかと思った。イケメンの出場も難しいのではないかと思った。
色んなことを勘繰ってしまうほど、私は繊細になっていた。イケメンの願いは叶わないのではないかと心配に思っていた。ロイヤルシートを買った私はどうなるのか。
でも、まだ出場のチャンスがあった。X枠というのがあった。発表されている参加団体に関係なく、どの団体の、どの選手が、その枠に入ってもいいのがX枠だと思っていた。事前に発表されている参加団体以外の団体の選手がやってくるから、わざわざ大層に「X」という枠を設けてあるのだろう。
このXはイケメンに違いない。このXがイケメンだとしたら、新日本プロレスはわかっている。「WRESTLE-1さんは参加させませんよ」と装っておいて、X=黒潮“イケメン”二郎というのは、最高の展開ではないか。なんだかんだでファンファーストで、ファンに夢を見せてくれるのがプロレスだと信じていた。私はXがイケメンであることを信じて止まなかった。



7月6日。私は学校で落胆した。授業と授業の合間にスマホを覗くと、新日本プロレスがSUPER J−CUP 2016に出場する全16選手を発表していた。
そこにイケメンの名前はなかった。唯一の望みだったX枠は、WRESTLE-1の黒潮“イケメン”二郎ではなく、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのBUSHI。
意味が分からなかった。何故BUSHIなのか。何故新日本プロレス以外の団体の選手ではないのか。そのXがイケメン以外の他団体の選手やフリーランスの選手なら腑に落ちるが、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン枠のBUSHIは流石に許せなかった。それなら最初から新日本プロレス枠を増やして欲しかった。Xで煽る必要性を感じられなかった。
やり場のない怒りを覚えた。私は何のために東京へ行って、最前列でSUPER J-CUPを観るのか分からなかった。イケメンのいないSUPER J-CUP2016なんてJ-CUPじゃないと思っていたからだ。
怒りは収まらなかったが、一つだけ嬉しいことがあった。
4月6日の夜、裏で出場が内定していたわけでもないのに、ファンと高木三四郎の前で「SUPER J-CUPのJは二郎のJじゃないんですかぁ!?」と叫ぶほど、イケメンは心臓に毛の生えたプロレスラーであったということだ。それが唯一の救いだった。私が直感的に好きだと思ったレスラーは、規格外の男だった。



7月20日。後楽園ホールでSUPER J-CUP 2016一回戦が行われた。私は新日本プロレスワールドの生中継で試合を観ていた。
Xを背負って出場したからにはBUSHIに優勝して欲しかった。イケメンの分を背負って勝利して欲しかった。しかし、BUSHIは金丸義信相手にあっさりと負けてしまった。熱戦の末ではない。あっさり負けた。金丸の勝利をアナウンスするiPadミニを叩き割ってやろうかと思った。



8月21日。その夏、毎日通っていたアルバイト先の梨農園に二日だけ休みをもらい、私は東京へ向かった。憧れの東京。慣れない一人旅。最前列でのプロレス観戦。ワクワクする要素しかないのに、モヤモヤを抱えたまま新幹線に乗った。
午前十時過ぎに東京駅に到着した。丸の内で働くビジネスマンも休戦中のはずの日曜の昼前でも東京駅はすし詰め状態だった。ただでさえ何が何処にあるのか分からないのに、とにかく人が多くて、鬱陶しかった。一人で東京に来たのはこれで三度目だが、まだ慣れなかった。でも、慣れない東京に静かに興奮している私もいた。

東京という大きな街の中でも唯一馴染みがある水道橋に移動した。プロレスショップチャンピオンで、会場で着るためのthe ELITE Tシャツを、そして闘道館では、黒潮“イケメン”二郎が記者会見やインタビュー撮影時に着用したとされる向日葵柄のショートパンツを購入した。買うべき日に買うべき物を購入した私は、水道橋駅前にある立ち食いそば屋でそばをかき込み、有明へと向かった。

「有明コロシアム 最寄駅」で検索したらヒットした有明テニスの森駅に到着した。有明コロシアムに一番近い出口がどこかまでは調べずに地上に出てしまった。富山の田舎者にとっては、欧米のそれかと思うぐらい広い車道が目の前に広がった。
辺りを見渡したら、車道を挟んだ向こう側に有明コロシアムらしき建物を発見した。しかし横断歩道が近くになかった。横断報道がある方へと遠回りし、無駄に多く歩いていることを自覚しながら会場へ向かった。
十二時四十五分に会場に辿り着いた。雲一つない青空と八月の元気な太陽、会場周辺の緑の多さ、涼しい風を浴び続けられるほど影が多い会場周辺。そして目の前には、大きくそびえ立つ有明コロシアムがあった。
新幹線に乗る前のモヤモヤは何処へやら、気持ち良くなってる自分がいた。夏の終わりに開催されるSUPER J-CUPに、これほど適した環境はないと、両手で数えられるほどのプロレス会場にしか訪れたことがない私は思った。

開場時間が午後一時半で、開始時間が午後三時だった。会場に着くには早過ぎた。会場周辺を見渡した時、まだ数えられるほどしかファンが集まっていなかった。会場に早く到着してしまう自分は田舎者だなと痛感した。
人がいないことを良いことに、熱中症対策として会場周辺に設置されていた巨大扇風機を独り占めしながらスマホを触り、開場までの時間を潰していたら、会場の中から選手の入場曲が聴こえた。
Twitterを開いたら、あべみほが「リハーサル中〜♪」とツイートしていた。そのツイートをタップすると、「このツイートは削除されました。」と表示された。

「リハーサルか。イケメンが出場していたら一足先にHELLOを聴いてしまっていたのかな」

そんな想像してしまい、急に悲しくなってきた。

会場の中に入ってからは、あっという間に時間が過ぎていった。久々に生で観戦するビッグマッチだった。しかもそれは最前列だった。さらに最前列の中でも入場ゲートから最も近い場所という、その日の有明コロシアムを最も満喫できる特等席だった。
選手の表情もよく見えれば、テレビ中継のマイクすら拾うことのできない選手の声まで聞こえた。素直に目の前のプロレスを楽しんでいる私がいた。
SUPER J-CUP 2016は、IWGPジュニアヘビー級王者のKUSHIDAの優勝で幕を閉じた。最前列の特権で優勝後のKUSHIDAとハイタッチできたときは、来てよかったと思った。

高揚感を得た体は有明からその日の宿がある錦糸町へと場所を移した。
宿周辺の松屋でカレーを胃に流し込むように食べ、カプセルホテルにチェックインした。プロレス観戦後のサウナと水風呂は極上だった。
サウナから上がり、カプセルの中に入って、今日撮った写真を見返した。

「楽しかったけど……イケメンの写真、撮りたかったな」

リュックからイケメンショーツを取り出して、広げてみるのだった。やり場のない虚しさだけが残るのだった。




J-CUPから3ヶ月が経った11月。年越しプロレスにイケメンの参戦が発表された。サムライTVを見て育ったプロレスファンなら一度は会場へ行きたいと思うのが年越しプロレスだ。私は大晦日が来るたびに、この会場へ行きたいと思っていた。その年越しプロレスにイケメンが出場することになった。
イケメンがJ-CUP出場を口にした4月の後楽園大会。試合後に高木三四郎がイケメンに言っていた。

お前には華があるんだよ。お前みたいな魅力的な選手はな、日本マット界、いや、世界見渡してもどこにもいねえよ。お前は入場曲が福山のHELLOでなくても十分に盛り上げられる。おい、イケメン!お前、『俺に勝ったらDDTに上がりたいです』とか言ってたけど、DDTなんてちっぽけなこと言ってんじゃねえよ!俺がCEOになってから、お前はWRESTLE-1にとって、宝のような男だから、あんまよそに出さない方が良いんじゃないかなと思ったけど、お前はやっぱ宝だよ。だから、いろんな団体に出て、WRESTLE-1の素晴らしさを、世間に伝えてこい!お前ならできるよ

DDTと大日本プロレスとKAIENTAI-DOJOの三団体が合同で主催する年越しプロレス。そこにゲストとしてWRESTLE-1から単身で参戦するイケメン。
舞台は整った。初めて生で観るイケメンは、年越しプロレスに決めた。



12月31日。私は4ヶ月ぶりに東京にいた。さいたまスーパーアリーナのRIZIN格闘技EXPOでガンバレ☆プロレスを観戦し、夕方はWRESTLE-1の選手たちが足繁く通う北新宿の名店・宝そばでワンコイン中華そばを堪能した。

狭いカウンターには、これから実家に帰るのを怠そうにしている芦野祥太郎の姿があった。突如現れたイケメンのライバルが店主と楽しく会話しているところに声を掛ける勇気がなかった私は、黙って中華そばを食した。
宝そばで空腹を満たした後は、近くに見つけた風情ある銭湯でひと風呂浴び、万全の状態で後楽園ホールへと向かった。
朝に寄った東京駅。さいたまスーパーアリーナ近くのレストラン街。北新宿の銭湯。大晦日の東京周辺はどこも家族連れが多く、片親で育った富山の十七歳にとっては少し寂しさを覚えるものがあったが、今日の夜にはやっとイケメンに会えると思ったら、ワクワクが止まらなかった。
ワクワクしすぎて、開場時間の一時間半前に後楽園ホールに着いてしまった。また田舎者を発動させてしまった。

時刻は午後七時になった。やっと開場時間だ。
5階へと上がり、スタッフにチケットの半券をもぎられて、展示場へ入ると、入口近くでパンフレットが販売されていたので一部購入した。その後奥に進むと、各団体のグッズ売店が並んでいる光景が目の前に広がった。奥の方にイケメン個人の売店を見つけた。売店にはイケメンが立っていた。迷わずイケメンのいる売店へと足を運んだ。
イケメンはWRESTLE-1所属でありながら、団体から発売されているグッズではなく、自主製作のTシャツを売っていた。自身のグッズではなく、竹ノ塚にある実家の水炊き屋さん「鍋家黒潮」のTシャツを売っていた。黒寄りの白を攻めるイケメンに、私はより興味を掻き立てられた。

「あの〜、このTシャツのLを一枚ください」

「Lですね!3,000円になります!」

財布から千円札を三枚取り出して、イケメンに渡した。

「ありがとうございます!サインはどうされます?」

「Tシャツじゃなくて、パンフレットに書いてもらってもいいですか?」

「もちろん!」

サインを書いてくれてるイケメンを見つめながら、伝えるなら今しかないと思った。きっと喜んでくれるはずだ。

「あの、今日、イケメンさんを観るために富山から来ました!僕、イケメンさんを見たくてJ-CUPも最前列で観たんですよ!」

「えー!本当!?大晦日に富山からって…行動力が凄い! あれもね、いろいろと大人の事情があって結局出られなくて…。ごめんね。今日は岡林さんとのタッグでどうなっちゃうかわかんないけど、応援よろしくお願いします!」

大きなリアクションを取ってくれた後に、J-CUPの裏をちらっと見せてくれて、最後は今日の試合の煽り。完璧な流れに惚れ惚れしてしまった。そして何より、自分の中で消化し切れずにいたもどかしさを本人に伝えたことで、そのモヤモヤが一つの物語として昇華されたのだった。

「はい!今日はイケメンさんを応援しに来たので!岡林さんとのタッグ、楽しみにしてます」

2016年の年越しプロレスはシャッフルタッグトーナメントが行われた。くじ引きの結果、イケメンは大日本プロレスの岡林裕二とタッグを組むことになったのだが、試合前の記者会見で仲違いしたのだった。当日の二人はどんな距離感で登場するのか、ファンは注目していた。

後楽園ホールに集うプロレスファン特有の熱気に、大晦日特有の人間の異様なテンションが交じって、大盛り上がりの中、興行が進行されていた。
あっという間にイケメンの試合の時間になった。タッグトーナメント1回戦は岡林の入場曲で一緒に登場した。入場時も試合中も終始揉めながらもなんとか勝利し、二人は2回戦へと駒を進めた。

トーナメント2回戦ではいきなりHELLOが会場に響き渡り、二人揃ってジャケットを着て、笑顔で登場した。先程の喧嘩は何だったのか。
WRESTLE-1以外の団体を好いている観客が多いはずの会場が大「イケメン」コールで包まれた。普段は会場で声を出さない私も、この日ばかりは大声で「イケメン」と叫び続けた。

そう。これが見たかったんだ。二人は2回戦で負けてしまったが、「イケメン」コールに包まれる後楽園ホールのように、私の心は幸せに包まれていた。


全試合が終了したのが午前零時半だった。
年をまたいで、2017年1月1日。帰り際も売店に立っていたイケメンに声をかけた。

「今日、本当に見に来て良かったです。また近いうちにイケメンさんの試合を見に行きますね」

「ありがとう!次は俺のシングルマッチ観に来てよ!」

「はい!必ず近いうちに見に行きます!」

すぐにでもまた東京に来たいなと思ったのだが、その1月にイケメンは左膝の靭帯を損傷し、4ヶ月間の欠場期間へと入った。



2017年7月12日。欠場明けのイケメンが、WRESTLE-1のシングルトーナメント「WRESTLE-1 GRAND PRIX」で優勝を果たした。
来たる9月2日、WRESTLE-1の年間最大のビッグマッチ・横浜文化体育館大会で、ライバルであり、欠場に追い込まれた相手でもある芦野祥太郎が持つWRESTLE-1チャンピオンシップに挑戦することが決定した。

イケメンがシングルのベルトに挑戦。

機は熟した。9月2日は、横浜へ行くことにした。



9月1日。イケメンが芦野に挑戦する前日。東京に前乗りしていた私は、イケメンのお父さんが営む鍋家黒潮を訪れた。
告知なく休むことがあるらしいから「今日お店はやっているか」、一応食べログには一人からでも大丈夫だと書かれていたものの、「本当に一人で行っても大丈夫か」、「未成年でも大丈夫か」などを事前に電話で確認して、電話越しで伝えていた到着予定時刻の午後七時半に店に入った。

「おお、さっき電話くれた子?ここ座ってよ」

イケメンのお父さんはカウンターを用意してくれた。

「ごめんね、今日団体の予約が一つ入っててさ。そっちのテーブル埋まっちゃうから、ここのカウンターに座ってね」

「いえいえ、むしろこうやって切り盛りされてる中でも間近で話せるわけですし、有難い席ですよ」

「ところでいくつ?」

「18です。高3です」

「へー。高3!どこに住んでるの?」

「富山です」

「ほお〜。若えなあ。イケメン、好きなの?」

「はい。僕、イケメンさんが出るものだと思って、J-CUPの最前列取ったんですよ。

「ああ、君か!J-CUPの子だ!」

どうやらイケメンのお姉さんが「#黒潮イケメン二郎」とインスタグラムで検索していたら、私の投稿がヒットしたそうだ。その投稿は、私がイケメンを観たくてJ-CUPの最前列を抑えたけどイケメンを観られなかった悲しみを、カプセルホテルで撮ったイケメンショーツの写真を添えて綴ったものだった。
その投稿がお姉さんの目に留まり、イケメンのために最前列を抑えて、富山からわざわざJ-CUPを観に行った高校生がいることが、お父さんにも伝わっていたらしい。

イケメンのお父さんは、イケメンのエピソードを沢山話してくれた。

船木誠勝に才能を買われてトレーニングに付き合ってもらっていたこと。
船木に食事管理までされていたこと。
船木の指導に付いて行けなくて辛かったけど、WRESTLE-1を退団することを知らされた時、イケメンは泣き崩れたこと。
明日の横浜大会は白馬に乗って入場したいと会社に提案したが、横浜文化体育館に白馬を連れてくるのに400万円もかかることが判明し、武藤より高いギャラを馬に払えるかと却下されたこと。
明日対戦する芦野とイケメンは、試合のスタイルこそ違うが、プロレスの面白がるポイントは似ていること。
芦野とイケメンの二人がWWEの試合映像を観ながら、イケメンパパには理解できないポイントで盛り上がっていたことがあったこと。

色々と話してくれた後、携帯電話を触りながら、「今イケメン呼んだから。もうちょっとしたら店来るわ」とイケメンのお父さんは言った。ビッグマッチ前日だから流石にイケメンは来ないと思っていたから、まさかの出来事だった。

午後九時半を過ぎた頃、イケメンがやってきた。
イケメンが店に入るや否や、イケメンのお父さんが私のことを紹介してくれた。

「この子、富山からイケメンを見るためにSUPER J-CUPの最前列取っちゃったんだって。高3で」

「えーマジっすか!ありがとうございます!ところでこれ、水割り?」

そう言って私のテーブルにあったサイダーを指した。
か、軽い。とてもタイトルマッチのメインイベントを翌日に控えている若手レスラーとは思えなかった。
というか、年越しプロレスの帰りに言ってくれた「次は俺のシングルマッチ観に来てよ!」という言葉を思い出して、運命すら感じたから、ビッグマッチのメインイベントでタイトルマッチに挑むイケメンの姿をこっちは観に来たのに、J-CUPのことから丸ごと覚えてくれてなかったことには笑ってしまった。勝手に覚えてくれてるものだと思ってた自分に対してもだが、感動している未成年に「水割り?」と聞いてくるイケメンに対して笑ってしまった。
イケメンのこの軽い感じには等身大のヒーロー感があった。それがまたたまらなかった。数十分前に「あいつ、プロレスの才能は凄いんだけど、他がポンコツなんですよ」と嬉しそうに語っていたイケメンのお父さんの姿を思い出した。素晴らしい才能の持ち主だと思う。

「今日あのパンツ持ってきてんだもんな。サインして貰いなよ」

イケメンパパが、私がJ-CUP当日に購入したイケメンショーツの話題について触れてくれた。

「おー!これ、週プロの懸賞に出したのに闘道館で転売されてたやつだ!買ってくれたんだ!」

「ジャケットと上下で10万近くかかったのにな。下だけで7,000円で売られてんだよ。イケメンが履いた価値どころか、元値より安いっていうんだよ」

そう笑いながら話すイケメンのお父さんは、カウンターに置いてあった酒をちょびっと飲んでいた。

サインを入れる時、イケメンが私に「名前はどうする?」と聞いてくれた。「学生証あるんで、この名前で書いてください」と私は財布から学生証を出した。
「国際ビジネス学科…なんか凄そう!」と言いながらイケメンはショーツにサインを入れてくれた。

出来上がったサインに添えられた日付は「2017.9.2」になっていた。今日は9月1日なのに、サインの日付は明日になっていた。私に「水割り?」などと言っておきながら、明日のタイトルマッチに意識が集中していることが窺えて、思わぬところで感動してしまった。

「これね、明日の履く新コスチュームなんだけど、先見せようかな」

そう言ってイケメンはエコバッグの中に入ったコスチューム一式を私に見せてくれた。

「おー明日からレガースなんですね!」

「そうそう」

記念撮影をしてくれた後、イケメンは「じゃあ今から髪染めるから帰るわ」と言い残して、店を後にした。
イケメンが去った後、私はイケメンのお父さんに聞いた。

「ずっとリングシューズでやってきたイケメンさんが大一番であのレガースって、師匠の船木さんへのメッセージですよね」

「あ〜…そうなのかもね」

カウンター越しのイケメンパパは私の目を見ずにそう言った。知らない振りをするなんて粋だなと思った。だが、その直後に本当に知らないようにも思えてきた。

美味しい鍋を食べ終えた後も、イケメンの試合が録画されたDVDを観ながらカウンターにいたら、あっという間に午後十一時を過ぎた。

「今日の宿は?」

「錦糸町です」

「錦糸町か。じゃあそろそろ出ないとな。錦糸町なら乗り換え一回で帰れるよ」

「わかりました!ご馳走でした!」

会計を済まして、忘れ物がないか確認して、外に出ようとしたら、雨が降っていた。

「傘あるの?」

「ないです」

「これ持ってって。客が忘れたけど絶対取りに来ない傘」

渡された百円均一で購入されたと思われるビニール傘を受け取って、店を後にした。
終電間近だからなのか、乗り換え一本では帰れなかった。



翌日。イケメンは芦野に負けた。ベルトを奪取することができなかった。
アンクルロックを極められたイケメンがマットを叩いて、会場に芦野のテーマ曲「Fuel」が流れた瞬間、頬肉が地に付きそうな猛烈な脱力感が押し寄せてきた。絶対に勝ってくれると思っていただけに余計に怠かった。
芦野も好きだが、私はイケメンが大好きだった。だけど、イケメンが負けた瞬間、J-CUPを観に行った昨年の夏が今年の夏を彩ってくれたことを思って、この負けもきっといつか何かを彩ってくれるのだろうと考えた。

芦野祥太郎vs黒潮“イケメン”二郎は面白かった。最高の試合を見せてもらった。

これからもイケメンを応援しようと誓って、十八の夏が終わった。

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