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感情電車 #8 「見た目は大人、中身は子供」

2014年12月中旬。中学三年の冬。当時の私は、高校受験に向けて勉強漬けの毎日だった。学校で勉強して、帰宅したら、慌ててシャワーを浴び、軽くご飯を食べて、また勉強を始める。そんな毎日を繰り返していた。
地道に何かに取り組むことが苦手な私にとって、決まった時間配分に従って行動する毎日を続けるのは辛いものがあったが、そんな時も私の心の状態が正常に動いていたのは、就寝前の深夜に今日一日の自分へのご褒美として見るプロレスとバラエティ番組があったからだった。
受験本番が刻一刻と迫り、緊張感が高まっていたある日のことだ。その日の自分へのご褒美は、私の大好きなバラエティ番組・ゴッドタンの見逃し配信だった。
最新回は、照れカワ芸人更生プログラムという名物企画だった。ちょっとした芸を披露した後に照れを見せることで「カワイイ!」と女性にチヤホヤされがちな芸人、通称「照れカワ芸人」を更生させるという企画だった。照れカワ芸人のパンサー向が鬼教師・ザキヤマ先生の無茶振りに耐えながら、照れずにアイドルの応援をできたら更生完了という破茶滅茶な内容だった。
私は演者がほぼ芸人で成り立っているお笑い番組にアイドルが出演するのが昔から好きではなかった。可愛い女の子が頑張って笑いを取ろうとしている光景を見ると、その痛さに耐えられず鳥肌が止まらなかった。かといって、やる気がないアイドルの姿を見ると、大好きなバラエティを汚された気がして腹が立った。
現役アイドルをゲストとして登場させることでバラエティ番組が視聴率を保っていることは分かっていた。だから本来は、出演してくれたアイドルに感謝しなければならなかった。
バラエティ番組とアイドルは切っても切れないことは分かっていた。分かってはいても、芸人が作る空間にやってくるアイドルの姿は見たくなかった。しかし、ゴッドタンほどキャスティングに信頼がおけるバラエティ番組もなかった。どこからそんな面白いタレントを発掘したのかと思うことが度々あった。企画自体は面白そうだからとりあえず見てみようと思った。軽い気持ちでiPadからGYAO!のアプリを開き、見逃し配信を再生した。

そこに出てきた私立恵比寿中学、通称・エビ中というアイドルグループを見た時、私の胸の中で何かが走った。かわいい。とにかくかわいい。
顔がかわいいというのも勿論あるが、そういうことではなかった。内面から外へと溢れ出る麗しさがそこにあった。見た目という単純な物差しでこの子達を「かわいい」と形容したくないとさえ思った。番組内で大役を務めていたメンバーの柏木ひなたは、特に抱きしめたくなるような愛くるしさがあった。かわいさの核心に触れたような感覚があった。
バラエティに出ているアイドルを見て、初めて寒さではなく温かさを覚えた。初めてアイドルがゲストとして出演するバラエティ番組で笑った。初めてバラエティに出演するアイドルに惚れてしまった。
ゴッドタンを見終えたら、すぐさまSafariを開き、エビ中の公式ホームページをお気に入りに追加した。その日以来、エビ中がテレビに出る時は必ず録画して見るようになった。



私がエビ中に興味を持ち始めたのと同時に、エビ中のテレビへの露出が段々と増え始めた。
私が第三志望の私立高校を合格し、とりあえず中卒になることは回避できた頃に、エビ中がミュージックステーションに初出演した。エビ中がMステで披露したのは、「金八 DANCE MUSIC」という新曲だった。金曜の八時はMステに出演したいという率直過ぎる思いを歌っていた。Mステに出たいと歌った曲を引っ提げて、本当にエビ中はMステに出演した。「なんとかかんとかして爪あと残してトレンド入りしたいのよ」と歌った後に本当にエビ中はTwitterでトレンド入りを果たした。
この、世の中に仕掛けている姿勢に、私は『対世間』を掲げてプロレスラー人生を全うしたアントニオ猪木を重ねた。エビ中は、昨今のプロレスラーよりプロレスラーだと思った。

私が第二志望の富山高専の国際ビジネス学科を受験して、今日くらい勉強と休戦したいと思っていた日に、NHKの音楽番組にエビ中が出演していた。
この日披露した曲は、新作アルバムに収録されている「ちちんぷい」という曲だった。曲中に「これは熱くたぎるもの イャァーオ!」という歌詞があった。「滾る」も、「イヤァオ」も、中邑真輔の言葉だった。アントニオ猪木最後の弟子の言葉だった。私が感じたものは間違いではなかったのだと確信した。

2015年2月中旬。第二志望の富山高専に合格した。高専に合格したことで、第一志望の公立の進学校に向けて突っ走れる環境が整った。
受験勉強をしながら、過去問の横に置いたiPadからMステで聴いたエビ中の曲を薄っすら流している自分がいた。深夜の癒しが勉強の最中にまで侵食してくるのは初めてだった。



3月10日。第一志望の進学校の受験を終えた。それが最後の高校受験だった。
勉強という束縛から一旦解かれた私は、YouTubeで「エビ中」と検索し、ヒットした動画を順に貪るように観た。ミュージックビデオや過去に出演したバラエティ番組の切り抜き動画を観て、メンバー一人一人の顔と名前を覚えていった。2013年の動画にはいるのに、2014年の動画にはいないメンバーを見て、この人は卒業したのかなと考え、ネットで検索するなどした。
メジャーデビュー曲の「仮契約のシンデレラ」の由来が気になって調べたら、レコード会社とは本契約を結んで貰えず、取り敢えず仮契約を結ばれたからこのようなタイトルに至ったとのことだった。そのことを知った上で聴き直すと、早く結果を出さなければ契約を切られてしまう状況を魔法が解けたら普通の女の子に戻ってしまうシンデレラに喩えている歌だった。恥ずかしい話も曝け出してエンターテイメントに昇華する。これこそがプロレスだと思った。
沢山の曲を聴いたが、中でも「ハイタテキ!」という曲のミュージックビデオが衝撃的にかわいくて、格好良かった。私の頭の中で何かが走り回り、心の中では何かが踊り始めた。イヤホンを外しても、iPadの電源を落としても、布団の中に潜ってみても、その夜はハイタテキが脳内で鳴り止まなかった。



3月16日。中学校の卒業式があった。高専に合格してから第一志望の進学校を受験するまでの約一ヶ月、溜まった配布物を皆が帰った放課後に週に一度回収しに行く時以外は学校に通わずにいた。要するに私は引きこもっていた。朝礼、給食、掃除、自習という名の授業。それら全て不必要だと判断した私は、学校へ行かなかったのだった。
式が行われる体育館に入ると、久しぶりに学校に通っている私に驚いている生徒や先生が確認できた。確かに私は、ここ一ヶ月ほど不登校だったのだが、一般的な不登校児とは学校へ行かない理由が大きく異なった。さすがに卒業式くらい普通に来るだろと思いながら着席した。
舌足らずな校長先生が長々と眠たいことを言っていた。「羽ばたく」とか「輝く」とかつまらない比喩が多い話をしていた。校長という権威ある立場になって考えると、卒業式という格式高い式典の挨拶を任されたら、固い話をするのが無難なのかもしれないが、話しかけられてる側の立場になると、頗る怠いことには変わりなかった。周りを見ると、私以外の皆も、真剣な顔を取り繕っていた。不毛な時間だなと思った。
道から外れることが格好良いことだと信じ続けながら毎日登校していた不良達も、こんな日に限って、黙って校長の話を聞いていた。「こんな不毛な時間こそお前らが騒いでぶち壊せよ」と思いながら見ていた。悪く見せることに精を出しておきながら結局権力に逆らえないあの人達は本当の意味での不良なのかもな、と考えながら時間が経つのを待っていた。
それにしてもつまらない卒業式だった。同じような光景が永遠と続き、心の中で話題にする対象も段々となくなってきた。最近、退屈な時間や苛々する時間に突入すると、脳内でハイタテキが流れ出す。この時もハイタテキの音量が徐々に上がっていった。音量を増すハイタテキを聴きながら、ああ、今むかついていたのか、と我にかえった。ハイタテキを繰り返し流していたらあっという間に式が終わった。
卒業式が終わると、体育館の外には、幾多の仲良しグループが集合していて、各々記念撮影をしていた。私も誘われるがままに、それなりに仲良くしてきた同級生達と写真を撮った。
撮った写真をその場で確認した。友達のスマホの液晶画面に映るニキビだらけの私は、晴れない表情をしていた。その表情は、中学校生活への名残惜しさによるものではなく、明日の結果発表への不安によるものだった。

翌日、進学校を落ちた。春から富山高専に通うことになった。



3月25日。一人で富山-羽田便に乗り、東京へ行った。東京で暮らしている三女の姉が私を空港で迎えてくれて、そのまま一緒に東京観光した。
花やしき、スカイツリー、ヨシモト∞ホール。私が行きたい場所を姉が案内してくれた。最後に行ったのは、リブロ池袋だった。WWEのポップアップショップが開催されていて、プロレスアパレルに目がない私はどうしてもそこに行きたかったのだ。
リブロ池袋は本屋だった。本屋の一角に往年のレスラー達のアパレルが並べられていた。私はその一角で見つけたランディ・サベージのTシャツを持って、レジに並んだ。会計を済ませている時、レジの向こう側にいる店員の後ろの壁に、東京周辺の限られた書店にしか流通してないエビ中の月刊誌が大々的に宣伝されている光景が目に留まった。表紙の柏木ひなたが笑顔で私に買ってくれと言っているようだった。

「後ろにあるエビコレクションも一つください」

その一言が言いたかった。店員はTシャツを丁寧に袋に詰めている。詰め終わるまでに言いたい。でも言えなかった。斜め後ろに居る姉の目が気になって買えなかった。年齢的にも、男の子という生き物的にも、中高生の女性アイドルグループを好きになることは全く不思議なことではないのに、まだエビ中が好きだということを人に言えずにいた。

翌日、開通したばかりの北陸新幹線に乗って富山から東京にやってきた母と羽田空港で合流した。これから母と一緒にヨーロッパ旅行をするのだった。てるみくらぶで見つけたホテル付きの激安航空券で、まずはカタールを目指すのだった。カタールで乗り換えたらパリへ向かい、パリに二日滞在したら電車でローマに移動し、さらにローマに二日滞在してからヴェネツィアに向かうという一週間の旅だった。
母は空港内のユニクロで靴下などを購入していた。私はローソンでAppleカードを購入した。海外へ行く前にiTunesでハイタテキをダウンロードするのであった。

現地時間4月2日。長かった旅の終盤、ヴェネツィアからドーハに移動した。ドーハから日本へ発つフライトまで空き時間が十六時間もあるということで、カタール航空が無料でホテルを用意してくれた。産油国の航空会社ならではの対応だった。
その日のカタールは、半年に一度の砂嵐が吹き荒れる日で、空港の外に出たら、屋根の下にいないと5m先も見えないほど砂嵐が酷く舞っていた。

夜なのかどうかも分からない砂色の空を走るカタール航空が用意してくれたマイクロバスに乗って着いたホテルは二十六階建てだった。私達が泊まるのは二十五階だった。二人部屋と聞いていたが、布団さえあれば十人ほど泊まれる広さだった。
パリで地下鉄を乗っている時に財布をすられたり、母がチャットサイトで知り合ったヴェネツィア大学に通う女の子と一緒に入った飲食店で200ユーロも請求されたりと、散々な旅だった。
母は、広すぎる部屋の真ん中で爆睡していた。私は、世界で一番回線が速いと思われるWi-Fiを繋いで、エビ中の動画をこっそり嗜むのであった。羽田空港で借りたポケットWi-Fiは、動画を観たらすぐに電池が減るから、ここ数日エビ中の動画を観られずにいたのだった。こんな異質な状況でもエビ中を欲してしまうほど、私の頭の中はエビ中で一杯だった。



4月6日。一週間の初めの月曜日。富山高専の入学式が富山駅北口の目の前にある大きなホールで行われた。
富山高専は、二つのキャンパスに分かれている。いくらキャンパスが違うとはいえ、式典くらい一緒にやるべきだという校長の方針から、入学式や卒業式などの式典は、毎年それぞれのキャンパスの古びた体育館ではなく、思い出を乗せるには現代的過ぎるホールで行われているのだった。
入学式が終わったら、会場外にある「平成27年度富山高等専門学校入学式」と大きく書かれたパネルの前に人が集っていた。私は看板に目もくれず、ホールに隣接する建物の中の一角にある小さな本屋に向かった。
エビ中のメンバー・松野莉奈の連載が始まった「ROLA」という雑誌を購入するためだった。YouTubeで切り抜き動画を観る度に、私はゴッドタンを観た時に一目惚れしてしまった柏木ひなたから、松野莉奈に、所謂「推し変」というやつをしそうになっていた。
その日の夜は、人気番組「しゃべくり007」の二時間スペシャルにエビ中が出演していた。「永遠に中学生」をコンセプトにしたエビ中は、各メンバーに出席番号が割り振られているのだが、いきなり出席番号3番の挨拶から始まったことを受けて、MCの上田晋也が「1番と2番どこ行った?アイドルが辞めるなんて恋かタバコだろ?」とボケていた。
メンバー達が揃って、「違います〜」とアイドルらしく笑顔で否定する中、松野莉奈だけは否定せずに腹を抱えて笑っていた。そういうところが好きだった。形振り構わずに生きている彼女に私は惚れそうになっていた。

4月10日。怒涛の一週間を終えようとしている金曜にエビ中の番組が始まった。
公立や私立の高校に通い始めた学生達は、木曜に入学式があって、金曜が登校初日というスケジュールだったが、高専だけは月曜に入学式があって、火曜にはもう授業が始まっていた。
こちらが心配になるほどコミュニケーション障害も甚だしい先生が授業の説明もなく突然二進数の話をし始めたり、現代国語の先生が誰も興味のない自分の生い立ちと嫁との出会いまでの話を九十分間ノンストップでしていたりと、不快な時間が目立った。真面目に話を聞かないといけないと思っていても、脳内の何処かでハイタテキが流れていた。高専に入学したことを後悔した。
中学時代の私は、多くの先生達を良く思っていなかった。レールに従って生きてきただけなのに自分が絶対的に正しいと思い込んでいて、自らを教えの師と名乗っておきながら人の気持ちも理解できない人間だなと思いながら見ていた。高専の先生達は、中学の先生達ともまた違う、敷かれた道から外れてしまった大人が醸し出す狂気があった。
九十分間の授業は長く感じた。面白い授業は一つもなかった。まだ時差ボケが抜けていないから余計に辛かった。でも、友達はまだ作れていないけど、ラグビー部という居場所を早速見つけた。
短くて長い一週間の終わり、そして長くて短い高専生活の始まりと共に、BSフジで「エビ中たすたす」なる新番組の放送が始まった。
安易に録画していたら、ドライブレコーダーを見た母にエビ中ファンであることを知られてしまった。今まで録画していたエビ中が出演する番組は、全て人気の音楽番組やバラエティ番組だったから特に疑われることはなかったが、番組名に「エビ中」が入っているものだから流石に気付かれてしまった。

エビ中たすたすは、エビ中に何かをプラスすることでその化学反応を見てみようという番組だった。もう少し構成を練ってもよいのではないかと思ってしまう企画が目立った。しかし、その緩い企画が、かえってエビ中メンバーの無邪気さを引き出していた。毎週楽しみで仕方がなかった。
企画次第で、楽しい表情も、そこそこ気怠そうな表情も見せるエビ中メンバーが愛おしかった。バラエティではしゃぐアイドルも、バラエティでの態度が悪いアイドルも、それは私が今まで最も苦手とするタイプだったはずなのに、エビ中だけは不思議と嫌な気がしなかった。
『エビ中+誕生日会』という企画で、柏木ひなたが安本彩花にプレゼントを渡す時に放った「二人の間に色々あったけど…仲良くしてね」の一言にはやられた。裏でのいざこざを表にもってくるアイドルが何処にいるのか。
「元気一杯なように見せておいて、裏では辛い思いをしていたのか」という感動と、「裏での揉め事を表舞台に昇華する」というアントニオ猪木的な発想が自然とできていることに感動した。やはりエビ中はプロレスラーだった。

エビ中たすたすを見続ける上で一番好きになったメンバーが松野莉奈だった。柏木ひなたから完全に推し変したのだった。
「見た目は大人、中身は子供」というキャッチコピーのとおり、彼女が一番見た目は大人っぽいのに、一番子供っぽい性格をしていた。
外でのロケ企画では、誰よりも笑顔だった。室内での企画では、退屈そうにしていた。気分屋な点を番組内で指摘された時、彼女は「私は偽りたくないの。自分の気持ちに正直でいたいの」と言っていた。そんなピュアな彼女に完全に惚れてしまった。
私は彼女と誕生日が一緒だと後で知った時は感動した。初めて本格的に嵌ったアイドルが一歳上の同じ誕生日。運命さえ感じていた。



ゴールデンウィークの終盤。離れて暮らす父に会いに名古屋へ行った。
その日はちょうどエビ中のツアーの名古屋公演が行われる日だった。本当は行きたかった。でも、まだライブに足を踏み入れられなかった。大した知識もなければ、ファン仲間もいない私なんかが足を踏み入れてもいいのかという不安があった。その上、家族に「エビ中のライブ行ってくる」と言う勇気がなかった。一歩踏み出せなかった。
名古屋駅周辺でエビ中グッズを身に纏ったファンを見かけた時は切ない気持ちになった。

5月17日。宿泊学習があった。私の入学した国際ビジネス学科は、クラスメイトの9割が女子で、男子学生は9人しかいなかった。二段ベッドが4つと小さな畳に敷布団が1つ用意された部屋に9人まとめて泊めさせられた。
9人のうちの一人が、中学時代に運動会の応援合戦でエビ中の「未確認中学生X」という曲でダンスさせられたと話し始めた。YouTubeで「未確認中学生」と検索した彼は、iPhoneから曲を流し、ベッドと小さな畳に囲まれた部屋の真ん中の空いたスペースで、覚えている範囲でそれを踊ってみせた。
ダンスを見た周りの学生は、「何やこの曲」「いや全然踊れてないやん」などと笑っていたが、私だけは真面目に「俺エビ中好きなんだよね」と言っていた。
その後、私がエビ中が好きなことが瞬く間にクラスメイトに広まった。プロレスが大好きなことが広まる前にエビ中が好きなことが広まるのが恥ずかしかった。
全然話したことのない女子に突然「エビ中好きなんだよね?推しメンは?声高い子?」と聞かれたこともあった。その頃、メンバーの廣田あいかが香取慎吾とザキヤマがMCのゴールデン帯の番組のレギュラーに抜擢されたり、「SMAP×SMAP」のコントに登場したりと、声の高いアイドルとして頻繁にテレビに出演していたのだった。廣田あいかの活躍と共にエビ中は知名度を広げていた。
私はクラスの女子に「俺が好きなのはね、声高い子じゃなくて、背高い子」と答えるのだった。



7月11日。私は名古屋に向かっていた。父に会うためではなく、エビ中に会いに行くためだった。どうしても生身のエビ中メンバーを見てみたかった私は、握手会に参加しに行くのだった。シングルCD六枚についてきた六回分の握手会引換券を握りしめて高速バスに乗った。

会場のポートメッセなごやに着いた。エビ中の握手会は、イベント館という場所で行われるようで、本館では、他のイベントが行われているようだった。
本館とイベント館の間の大きな広場にあるベンチでエビ中ファンの男性二人組とエビ中ファンではない女性二人組が会話をしていた。エビ中の魅力は何かと尋ねられた男性二人組は、「いや色々あるんですけどね…とにかく全員かわいいんですよ」と言っていた。
私もかわいさに惹かれてエビ中が好きになった訳だが、他人に魅力を語る時に「かわいい」の一言で済ますのは違うと思った。私はプロレスの魅力を尋ねられたら、「とにかく面白いんですよ」なんて絶対に言わない。面白いのは確かだが、プロレスの何に面白さを覚えているのかを簡潔に話すように心掛けている。「とにかくかわいいんですよ」。私だったら絶対に言わないなと思った。
でも、私もまだエビ中の魅力を他人に上手く語れなかった。クラスメイトにエビ中の魅力について聞かれた時も、上手く返せなかった。「エビ中にはアントニオ猪木を感じる」と言っても、相手からすると意味不明だろうから言えなかった。自分がエビ中の何にこれほど熱狂しているのか言語化できなかった。生のエビ中に触れることで、エビ中の魅力を握手会で確かめようと思った。

受付開始時刻の十五分前にイベント館に入った。既に入場待機列が出来ていた。若年層のファンも沢山いたのだが、エビ中メンバーと同年代の私ほど年齢の若い男性はいなくて、複雑な感情を抱いた。
保安検査場より厳しい手荷物検査があった。前年にAKB48の握手会会場で傷害事件が発生したことで警戒が強化されているようだった。リュックの中を隈無く見られた私は、ホールの中に入った。
二、三人で形成された小さな集団がいくつも並んでいた。ファンとファンの楽しそうな声が至るところから耳に届いた。握手会第一部でのメンバーの様子や次のツアーの話。楽しげな会話が聞こえる度に、仲間がいない私は疎外感を抱いた。やはり私の居場所はプロレス会場かと思いながら、握手会の待機列に並んだ。

時間になると、エビ中メンバー全員が登場した。エビ中は実在した。本物のエビ中が目の前にいる。エビ中が笑顔を絶やさずファンに手を振っている。メンバー達がマイクを握って、握手会と握手会の休憩時間で起こったちょっとしたハプニングを話している。エビ中が「それでは16時の部スタート〜」と言って、それぞれのレーンに分かれていく。
全ての光景が信じられなかった。初めてプロレス会場で憧れの真壁刀義を見た時の感覚に近いものがあった。実際に存在しているに決まっているのに、実際に存在したんだと思ってしまった。彼女らから放たれているものなのか、私が勝手に感じているものなのか分からないが、とにかくオーラが凄かった。真壁を初めて見た時もこの不思議な感情を覚えたことを思い出した。

松野莉奈のレーンに並んだ。六枚の握手券を持っていた私は、松野莉奈レーンを三周することにした。振り出した握手券の数だけ長い時間話せる仕組みだった。一周目はきっと言葉に詰まるだろうから一枚。二周目は二枚。三周目あたりでは少し免疫がついているだろうから三枚。そう決めていた。
自分の順番が近づくに連れて、パーティションの向こう側に隠れている彼女の声が鮮明に聞こえてきた。松野莉奈を間近で見たいという気持ちが先走っていて、特に話したいことがある訳ではないことを思い出した。パーティションの向こう側に入ったファン達は、短い時間の中で矢継ぎ早に春ツアーの感想やらブログのことやらを話している。伝えたいことなんて特にない。どうしようか。でも、一歩前に進むようにスタッフに指示される度に早く間近で彼女を見たいという気持ちが高まっていく。

いよいよ自分の番が来た。手指をアルコールで消毒し、スーツを着た大柄な男性に案内されるがまま、仕切りの向こう側に行くと、本物の松野莉奈が目の前に現れた。
松野莉奈は笑顔で「こんにちは〜」と私を迎え入れてくれた。私も同様に「こんにちは」と言ってみたが、私の口から出た「こんにちは」は、感情の昂りの数千分の一に過ぎない弱々しい「こんにちは」だった。
向こうから右手を出してくれた。その右手を私が優しく両手で包むと、向こうも左手を差し出し、私の手を両の手で優しく包んでくれた。レスラーのごつい手しか触れたことのない私は、女性の手の小ささと柔らかさに感動してしまった。手と言うよりおててと呼ぶのが相応しかった。
流れに身を任せるように「富山から来ました」と彼女の目を見て言った。せっかく本物がいるのに、目を合わせないと勿体ないと思った。恥ずかしいけど、もうどう思われてもいいからしっかりその顔を目に焼き付けようと思った。

「えー!富山から名古屋って結構かかりますよね。本当にありがとうございます」

そう話す彼女の目をじっと見つめていると、その艶かしさに吸い込まれそうになって、言葉が出てこなくなった。
「はい…」と私が小声で発してから数秒間の沈黙が続いた。すると、そんな私を見て笑った彼女が「富山って何が有名なんですか?」と尋ねてくれた。

「富山といえばブラッ…」

話し始めた瞬間に、スーツ姿の男性に肩を叩かれた。それは握手会におけるお別れの合図だった。

「え〜っ!このタイミング〜!またね〜!」

そう言って大きく口を広げながら、どんどん遠ざかっていく私に対して全力で手を振り続けてくれた。

二周目に並んだ。待機列にいる間、富山の有名なものは何だろうかと考えた。先程は食べることが何よりも好きだと常日頃から言う彼女には、ご飯の話をしなければいけないという使命感に駆られて、ブラックラーメンを話そうとした。富山の食べ物と言うと、白エビ、ホタルイカ、ブラックラーメン。色々あるが、彼女に紹介するには白エビもホタルイカも渋過ぎた。私はブラックラーメンを紹介しようと再度決めた。

「はじめま…あれ?違った、さっきも来てくれましたよね?」

「そうです。さっき富山って何があるかで会話終わっちゃって」

「そうでしたそうでした」

「富山にはブラックラーメンっていうのがあるんですけど」

「えー!何それ!ブラックラーメン!?分かんないけど美味しそう!」

先程よりも目を輝かせた笑顔で彼女がそう言ってきた。食べ物の話になると、そこまでテンションが上がるのかと驚いた。そして「ブラックラーメン」という言葉の響きから「美味しそう」を連想できる彼女を見て、かわいいなと思った。
よくあるアイドルの嘘っぽい笑顔ではなく、偽りのない笑顔だった。自分の気持ちに正直でいたい彼女が私にだけ見せてくれたこの笑顔は、心からの笑顔だった。ブラックラーメンと聞いた瞬間にタメ口になったのだからきっと本当に心から興味を示してくれているのだろう。

「普通のラーメンより醤油の量がかなり多くて、真っ黒な見た目をしたラーメンです」

「ラーメン大好きだけど限られた味のラーメンしか食べてないからそれめっちゃ食べたい!ブラックラーメン?だね?絶対食べる!」

そこでまたスーツ姿の男に肩を叩かれた。

三周目は別れの挨拶的な会話だった。

「また来てくれたんだ!」

「これで最後です!」

「富山だよね?本当遠くからありがとうね」

「いえいえこちらこそ素敵な時間をありがとうございました。また来ます!富山にも是非来てください!」

「ありがと!私も行ったことない土地でライブしてみたいから富山行きたかったんだよね!富山でもライブできるように頑張るね〜!」

ここで肩を叩かれた。

「待ってますし、待たずともまた来ますね!」

「うん!またね〜!」

そう言いながら彼女は、握ってくれていた私の手にぐいっと力を入れた。「大好きです」と言いたかったが、直接的過ぎるからその言葉は呑み込んだ。
結局私も他人にエビ中の魅力を語る時は「かわいい」としか言えないようだった。

帰りの高速バスは胸が痛かった。iPhone6にイヤホンを繋いでエビ中を曲をシャッフル再生していたのだが、どの曲を聴いても、胸に鋭い痛みが走った。
エビ中は明るくふざけた曲を歌うこともあれば、頗る切ない曲を歌うこともあった。J-POPが誇る「矛盾」「意味不明」「楽しい曲の次に悲しい曲を歌うような振り幅」などといった魅力が詰まったアイドルグループだった。明るい曲を聴いても胸が痛いし、切ない曲を聴けば余計に胸が痛かった。
次はいつあの笑顔に会えるのだろうか。例年通りなら秋に新たなシングル盤がリリースされて、それと同時にまた握手会が開催されるのだろうが、秋と冬はラグビーで忙しくなりそうだった。私の所属するラグビー部は全国大会に出場しそうだった。
今年中にまた会うことは無理でも、来年はどこかのタイミングで会えるかなと考えていたら、来年まで会えないのかと、また胸が抉られそうになった。
楽しい出来事の帰りに胸が痛む。プロレスでは体験したことがない感覚だった。こんなに胸が痛くなるのに、また行きたい。抱いたことのない感情だった。



その後もエビ中を応援していた。八月に小中の同級生の翔と東京へ行った時は、その夏に発売された柏木ひなたの単独写真集を渋谷のジュンク堂で買った。翔に「俺、最近エビ中に嵌ってんのよ」と言って、その写真集を見せた。

予想通り秋には「スーパーヒーロー」という新しいCDシングルが発売された。予想通りラグビーで忙しくて握手会には参加できなかった。でも、iTunesで曲を落として、何回も聴いた。
スーパーヒーローは応援ソングだった。先輩はピリピリしていて、次々グラウンドにやってくるOBに叱られて、と散々だった全国大会直前の辛いラグビー部生活も、スーパーヒーローにかなり救われた。行きと帰りのスクールバスの中で繰り返し再生した。あの曲を聴いていると、少しだけ頑張ろうと思えるのだった。

2016年2月14日。母が「なんかポストにあんた宛てのもの届いてたよ」と言って渡してきた封筒の中には、エビ中メンバーの直筆サイン入りのチェキが入っていた。松野莉奈のROLAでの連載のプレゼント企画に当選したのだった。人生で一番のバレンタインデーだった。

同じく二月には新アルバムが発売される予定だった。新アルバムの発売記念特典は、握手会ではなくツーショット撮影会だった。絶対に参加したいと思った私は、アルバムを購入しようと思ったのだが、柏木ひなたが突発性難聴を発症して、発売が延期になった。
結局アルバムは四月に発売されることになった。発売の二ヶ月前の二月にアルバムの予約をした。ツーショット撮影会に参加するためには早めの購入が必要だった。

9月11日。ポートメッセなごやで行われたツーショット撮影会に参加した。一年ぶりに会う松野莉奈も綺麗だった。

「ポーズはどうします?」

「そのまま普通のポーズをしてもらえますか?」

ツーショット撮影会に参加するために購入した二枚分のアルバムは、アルバイトを始める前の私にとってはかなり大きな金額だった。本当は何枚もアルバムを購入して、何回もツーショットを撮りたかった。しかし、お金がなかった。本当はふざけたポーズや他のファンがやっていないポーズをやって松野莉奈を笑わせたかった。
ツーショット撮影会が開催されるのは、私がエビ中に嵌ったばかりの中三の冬から春にかけての時期以来だった。あの頃、ファンがツイートしていたエビ中メンバーと楽しそうに撮ったツーショット写真を見て羨ましく思っていた。いつか私もメンバーと写真を撮りたいと思っていた。メンバーの最高の笑顔を引き出したいと思っていた。
だが、たった一枚しかとれない撮れないツーショットでスベりたくなかった。だから私は、特別なポーズをとらないという置きに行った選択をした。
写真を撮ったら、すぐに肩を叩かれた。
松野莉奈が「また来てね〜」と言って、笑顔で手を振ってくれた。私も笑顔で手を振り返した。

「また来てね〜」を富山行きの高速バスの中で思い出して、また胸を痛くするのだった。アルバムの曲をシャッフル再生して、また胸を痛くするのだった。一年二ヶ月ぶりの感覚だった。

この時の私は、また会える日が来るものだと思っていた。



2017年2月8日。高専二年の最後を締め括る学年末試験の真っ只中だった。
情報基礎演習の試験を終えて、落としていたiPhoneの電源を入れると、家族のグループLINEで姉が何か言っていた。

「この子、応援してた子だよね?」

メッセージに添付されたYahoo!ニュースを開くと、衝撃的なタイトルが目に飛び込んできた。

『エビ中・松野莉奈さん(18)が急死』

急な脱力感が私を襲った。意味が分からなかった。そんなはずがなかった。
コンピュータ室で空いた口が塞がらずにいる私に、二年前の宿泊学習でダンスを披露してくれた友人が「昼飯どうする?学食?」と明るく声を掛けた。
「ああ…今日はいいや」と言って、私は一人コンピュータ室を後にした。
ネットニュースの続きを読んだ。松野莉奈は昨日体調不良でイベントを欠席していたが、今朝容態が急変し、そのまま搬送された病院で息を引き取ったと書いてあった。意味が分からなかった。
確かに昨日休んでいた。でも、エビ中の運営は、メンバーの体調を大切に管理していた。メンバーが少し風邪を引いただけでも、ライブやイベントの出演を欠席させるようにしていた。
昨日の公式サイトの発表によると「体調不良」との事だったから、少し頭痛があるのかな、風邪でも引いたのかなくらいにしか思ってなかった。それに昨日、本人がインスタグラムで元気な姿を見せていた。それもあって、深刻な話ではないと勝手に思っていた。
ネットニュースを見た後でもそう思っていた。死ぬはずがなかった。
エビ中の公式サイトに飛んでも、アクセス集中でサーバーがダウンしていて、辿り着けなかった。誰か公式サイトに辿り着いている人がいないかなと思って、Twitterで「エビ中 公式」で検索をかけた。

エビ中公式全然つながんない」
公式からの発表はまだでしょ?エビ中メンバーが死ぬわけないじゃん」
エビ中公式からまだ発表がないんだから、そんなはずがない!」
エビ中公式サイト、サーバーダウンしてるな…」
エビ中公式いけたけどまだ発表ないよ!!」
エビ中の子の件、公式からの発表はまだないみたいだけど、これが本当じゃなかったらこんな不謹慎なニュース記事ないでしょ…」

死ぬはずがない。
公式からの発表こそまだないけど、メディアがそんな嘘をつくはずもない。

そのどちらも私が思っていたことだった。

昼ご飯も食べずに家に帰ることにした。テスト期間は帰りのスクールバスの出発時刻が早かった。
13時40分発のバスに乗った。いつもはエビ中の曲を聴きながらスクールバスに乗っているが、今イヤホンを装着してエビ中の曲を流すと、明るい感情を抱くことはまずない。珍しくイヤホンをつけずにバスに乗っていた。
バスの中のあちこちから「エビ中の子亡くなったらしいよ」「エビ中死んだの知ってる?」という声が聞こえた。いつもは耳に届かない「エビ中」という言葉がこんな日に限って沢山聞こえる。いつもなら微笑ましくなるような言葉でここまで辛い思いをする日が来るとは思ってもいなかった。

家に帰って、放心状態でTwitterを見続けていた。何を考える訳でもなく、「りななん」と検索をかけて、ファンの言葉を見ていた。ファンでもない人間の言葉は目にしたくなかったので、なるべくファンが使いそうな「りななん」という言葉で検索をかけた。
ファンの意見を見ていても、「その美貌や演技力からいつか日本を代表するような女優になると思ってた」とか「モデル活動を続けてればいつか超有名になってたと思う」とか、きっともう叶わない夢が並べられていて、ファンくらいそんなに悲しいツイートするなよと思った。
タイムラインを見たら、高専の同級生がネットニュースを引用して、「ご冥福をお祈りいたします」とツイートしていた。彼は別にエビ中ファンではなかった。怒りすら感じなかった。その言葉で傷つく人間もいることを分かって欲しいなと思いながら、私は只々苦しむのだった。

出かけていた母が帰宅した。「悲しいやろ?」と私に言ってきた。確かに悲しいが、現実味がなさ過ぎて、悲しいという感情にもまだ辿りついていないような気がした。そこで私は「うん、まあ」と素っ気ない返事をした。
「そんな悲しんでなさそうだね」と言う母は、私のことを何も分かっていないのだなと思った。

午後六時過ぎ。エビ中公式サイトより『松野莉奈に関してのお知らせ』が更新された。
報道の通り、今日未明に病院で亡くなったそうだ。

「ああ、本当に死んだんだ。また会えるもんだと思ってたのに、本当に死んだんだ」

そう思いながらも、まだ現実味がなくて涙も出てこなかった。



翌朝からテレビでは、しばらく「エビ中・松野莉奈さん(18)が急逝」と報道される日々が続いた。
彼女が亡くなる直前に発表された岡崎体育がプロデュースした楽曲「サドンデス」のミュージックビデオがテレビで流れていた。アナウンサーが暗い声色で亡くなったことを伝えているバックで、明るい表情でダンスをする彼女の映像が流れていた。笑顔ではしゃいでいる彼女の映像を見ていると、かえって辛くなった。見てられなかった。それでも私は、まっすぐテレビを見つめていた。

同世代の死を受けて、愛する人の死を受けて、初めて死について真剣に考えた。
私の高専生活を象徴する存在の死を受けて、私の五年間の高専生活がここで一つ区切られたような感覚に陥った。今こそ自分を変えなければいけない時なのかもしれなかった。
でも、変われるほどの力が湧いてこなかった。



2月25日。松野莉奈さんを送る会が横浜で開催された。ファンも参加できる会だった。
春休みに突入していた私は、横浜へ行けないこともなかったが、夜行バスに乗って一人で横浜まで行けるほど精神が安定していなかった。
先日、天龍源一郎の引退決断から引退までを描いたドキュメンタリー映画を金沢まで観に行った時、エンドロールで自分でも信じられないほど号泣してしまった。泣いている自分を俯瞰で見て、精神が安定していないことに気付いた。
天龍の映画自体も感動的ではあったのだが、天龍というレスラーの終焉に松野莉奈を連想させてしまった自分がいた。
それに加えて、2月8日の夜以降、毎日夢の中に松野莉奈が出てきていた。今までは夢にエビ中メンバーが出てきたらその日一日笑顔でいられたのに、今は起床後に悲しい気持ちが私を襲うのだった。

送る会に参加したファンのツイートや、テレビ各局が流す送る会に参加した著名人のコメントを見ていた。
インディーズ時代からエビ中の楽曲制作に携わっていたヒャダインが
「最初歌が下手で、でもやればやるほどうまくなって、『努力すれば人間は変われる』『女の子に、アイドルに限界はない』ということを松野莉奈には教えてもらいましたね」
と涙ながらに話していた。
本当にそうだった。昔はソロパートさえもらえないほど歌が下手だったのに、どんどん上手くなっていった。エビ中たすたすでは、放送回を重ねる度に、放送開始時に比べて、退屈そうな表情を浮かべる回数が減っていた。
見た目は綺麗なのに、どこか欠けているところがあるのが人間らしくて大好きだったし、その欠けているところがどんどん埋まっていくところも大好きだった。



3月11日。私は父に会いに名古屋へ向かった。高専に入学したばかりのゴールデンウィーク以来の再会だった。それまでの間にもエビ中のイベントに参加するために名古屋へ行っていたのだが、全て日帰りで、父には会っていなかった。

名古屋に到着すると、まずは栄にあるHMVに向かった。HMV栄が追悼記念として、松野莉奈のパネルや過去に来店した時のサインなどを飾っている様子をTwitterで見ていた。でも、もう死後から一ヶ月以上も経っていたから、撤去されているのではないかと心配しながら栄に向かった。
HMVに着くと、そこにはもうK-POPグループのパネルが飾られていた。そのグループのパネルの写真を撮っている女の子達の前で泣きそうになった。店内にはSHISHAMOの「明日も」が流れていた。

苦しいけど走った 痛いけど走った 明日が変わるかはわからないけど

その歌詞を聴いた瞬間に堪えていた涙がこぼれてきて、急いで近くのトイレに駆け込んだ。

HMV栄から今池に移動すると、ウェルビーというそこら界隈では有名なサウナに入った。初めて松野莉奈に会った日に、私は初めてウェルビー今池店を訪れたのだった。
あの日以来のサウナでまたも泣きそうになった。3月11日のサウナ室のテレビには震災当時の映像が流れていて、心が蝕まれそうになった。

サウナを出て向かった先は、愛知県体育館だった。新日本プロレスの興行をこれから観戦するのだった。
会場の中に入ると、デビュー前の練習生・北村克哉の姿があった。
レスリングの学生チャンピオン。異種格闘技戦で勝利経験あり。努力だけでは辿り着けない大きな筋肉。その見た目と経歴の凄さから、道場に入る前から入団記者会見が行われるほど期待されている新人だった。ただ、新人と言っていいのか分からないほど既に年齢を重ねていた。彼は既に三十一歳だった。いくら妻子持ちではないにしろ、三十を過ぎて新日本プロレスの道場に住み込み、ゼロから始めるというのは異例だった。
その異質な感じから期待されているだけあって、デビュー前からファンがいるようだった。リング周辺で練習生業務に勤しむ北村に女性ファンが声を掛けていた。「これ、受け取ってください」と、女性はプロテインを渡していた。
プロテインを受け取った北村は、会場に響き渡る目一杯の声量で「ありがとうございます!」と深く頭を下げた。感謝の度合いを声量で表現する三十路の筋肉の塊は、如何にも馬鹿っぽかった。私は面白い人だなと思った。その後、北村は、女性にツーショット撮影をお願いされていた。
「はい…」と少し元気のない返事をしていた北村は、リングに立て掛けていた箒を手に取り、リングサイドにいる女性と少し距離を置いて、「僕ちゃんと掃除に勤しんでますからね」と周囲にアピールするように両の手を左右に動かしながら、女性が持つスマホのカメラをじっと見つめていた。
確かに、もしも自分が北村の立場だったら、デビューもしていない練習生の分際で、呑気にファンと写真を撮ってもいいのかと思うだろう。でも、ファンの気持ちには応えたいとも思うだろう。
それにしても、北村の場合は、その一連の感情の起伏が露骨過ぎた。
プロテインを貰ったら大声で感謝を伝えた。
写真をお願いされたら「本当は立場的に駄目なんだけどな」という不安な表情を分かりやすく浮かべた。
でもファンのお願いには応じたかった。
そこで先輩に怒られないように手だけ動かした。
ファンと距離を置いて、ファンサービスをしていない風を装った。
距離をとって、箒を手にしたところで、女性とツーショット写真を撮っているのは、傍から見たら、あからさまだった。下がった口角と皺が寄った眉間を、恐る恐るカメラがある方に向ける男の姿は、見た目こそ鍛え過ぎてる三十一歳であったが、その中身は子供だった。

「見た目は大人、中身は子供」。それはあの子を連想させた。

この一ヶ月余り、あの子を連想させる度に泣きそうになってしまったのに、何故か今は笑っている。あの子を見てる時の自分がいつも笑っていたように、今目の前にいる筋肉の塊を見て笑っている。
そもそも笑うのはいつ振りだろうか。久しぶりに笑っている自分に驚きを隠せなかった。


試合を観戦している途中、父から「駐車場で待ってるから早く。店閉まる」というLINEが届いた。迎えに来るように伝えた時間の一時間半前に着いたようだった。人のスケジュールを平気で狂わせる父のこういうところが苦手で、しばらく会っていなかったのだった。
「今から好きな選手の試合始まるからそれ終わったらすぐ向かう。多分すぐ終わる」と返信した。
第七試合の矢野通vsタマ・トンガで無事3分で矢野通が勝ったところを見届けた私は、セミファイナルとメインイベントを観ずに駐車場へ走った。

久しぶりに笑えたから、セミもメインも見なくていいや。
久しぶりに笑えたから、今日は良い日だ。

笑顔で会場の外に出ると、「遅いぞ」と冗談交じりで父が言ってきた。
「すぐそこに停めてある」と言う父について行って、車に乗り込むと、ラジオが流れ出した。
SHISHAMOの「明日も」の終盤が流れていた。

昨日の自分を褒めながら 今日もひたすらに走ればいい 走り方はまた教えてくれる ヒーローに自分重ねて 明日も

今日という日を走り続けようと心に誓った時、父が車を発進させた。

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