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感情電車 #11 「マコーレマコーレカルキンカルキン」

2018年3月上旬。高専三年の過程を修了した後の春休みの居酒屋のアルバイトの帰り。酷く疲れた状態で家に帰ろうとしていた。頭を働かせまくった訳ではなければ、体を動かしまくった訳でもないのに、あらゆる神経が擦り減っているような感覚に見舞われていた。その疲労には、運動した後の疲れや勉強に集中した後の気疲れとは違う気持ち悪さがあった。
今日は先に3番テーブルに注文していたげんげの唐揚げを、後から注文した14番テーブルに間違えて先に運んでしまい、先にげんげの唐揚げを注文していたお客さんを待たせる形になってしまった。料理人にこっ酷く叱られた。でも、お客さんの前では誰よりも明るく振る舞っていたし、お客さんだって特に怒っていなかった。料理人に叱られている最中、私はお客さんにかけた迷惑以上に怒られているのではないかとさえ思った。
それに加えて、アルバイトの大学生達が「またかよ」と軽蔑の目で私を見てきた。皆の前でげんげの唐揚げを勢いだけで飲み込んでその場でゲロでも吐いてやろうかと思った。
周りのアルバイトは皆大学生で、高専三年の私が一番年下だった。アルバイトを始めてから二年が経とうとしているのに、私の肩身は狭かった。確かに私は大学生よりも失敗が多かったのだが、私が犯していないミスまで私のせいにされることがあるほど、私はそのアルバイト先の中で使えない奴として扱われていた。
居酒屋のアルバイトは本当につまらなかった。いつでも他のアルバイトを探したかったが、その居酒屋は母の知人の店だったから、辞めどきが分からなかった。ここで我慢をし続ければ、楽しいプロレス観戦が待っているのだと思って、やり過ごすしかなかった。
酷く叱られていつもより疲れている帰り道、アウターのポケットに忍ばせていたiPhone8が震動したのを感じた。「帰りにセブンで卵買ってきて」という母からのいつものLINEかなと思って、液晶画面をタッチした。LINEはLINEでも、母ではなかった。相手は翔だった。高専一年の夏休みに一緒に東京へ行った翔だ。一気に疲れが吹き飛んだ。中邑真輔の新日本プロレス退団が報道された時にニュース記事を送った以来、翔とは連絡を取っていなかった。
富山駅近くの居酒屋でアルバイトをしていた私は、放課後に富山駅行きのスクールバスに乗車して、そのまま五時半の営業開始時間に合わせてシフトに入るということが多かった。四時半に学校を出発するバスは、大体いつも五時過ぎに富山駅に到着した。
その時間帯の富山駅周辺は下校中の高校生が多く行き交った。私が通えなくて翔が通っている進学校の学ランを身に纏った男子学生をよく見かけた。ブレザーを着た私はこれから五時間酒を作り続けるというのに、あの学ランを着た人達は勉強するために真っ直ぐ家に帰っていた。その度に私は自分を惨めに思うのだった。少し野暮ったい学ランが、私の目には眩しくて仕方がなかった。
時間が経つにつれて、あの学ランを見かけても、徐々にダメージを負わなくなっていったが、最初に辛く思ったあの日からもう二年もの年月が経ったのかと思うと、私も長いことアルバイトとプロレス観戦を続けてきたものだなと思った。
そんなことを考えながら、開いたLINEには「久しぶり。最近プロレスどう?」という短い文が表示された。いつもいきなり本題から入らない彼らしいLINEだった。私は高専三年生で、彼は高校三年生だ。きっと大学受験が終わって、ひと段落ついたのだろう。なんとなくだが、彼は富山を出る気がした。富山を出る前に私に会おうと言いたいのではないかと思った。一緒に東京へ行った高専一年の夏休み以降、彼と私は一度も会っていなかった。

「久しぶり。相変わらず見てるけどまあ面白いよ」

「受験終わってひまやから話聞きたいわ」

「会う?」

「うんそうやね」

「いつ空いてる?」

「マジでずっとひま」

「じゃあ日曜の夜とかどう?」

「おけ」

いつの間にか私の方から誘う形になっていた。モテる男は私とやり方が違うなと思った。小学校からの幼馴染だった私達は、その週末に二年半ぶりに会うことになった。



3月4日。午後五時に私の自宅の近くにある公園で待ち合わせした。三年前、この場所で夏休みに一緒にどの興行を観に行くか話し合ったな、なんて思い出した。二人で会議した三年前の春と同じで、私は集合時間の五分前には公園にいるのに、彼は少し遅れてやってきた。公園の入り口からこちらへと向かってくる翔の姿が見えた。

「久しぶり〜。遅れて申し訳ない」

申し訳ないと思ってないような声色で彼は私に声を掛けてきた。
勉強ができて、運動能力が高くて、顔も整っていたのに、ファッションセンスだけが残念だった彼が着ている服は、ダサさを加速させていた。洗濯しすぎて伸びに伸びた赤と黒のチェック柄のジップアップパーカー、アンブロの紺のパンツ、空いた穴にスパイダーマンのチャームが一つ付いている紫のクロックス。いくら気合を入れてお洒落をする時ではないにしろ、頗るダサかった。
アイテム一つひとつがダサい上に統一性のない格好をしていた。だが、そんなファッションセンスがまるで退化している彼に成長を感じた。その清潔感のない格好は、彼が三年間勉強に勤しんだことを物語っていた。

「他校の人と会うのめっちゃ久しぶりだわ」

「受験終わってから今日までの間におんなじ高校以外の同級生に会わんかったの?」

「うん、ケンゴにしか連絡してない」

恥ずかしげもなく語る彼を見て少し照れてしまった。この春、高校の過程を修了する同級生達はあらゆる形で環境を変えていた。富山の大学に進学したり、県外の大学へ通うために富山を出たり、浪人したり、富山の企業に就職したりと、大慌てだった。
私が翔に声を掛けづらかったように、翔は翔で行き先が決まっているのかどうかも分からない同級生に声を掛けられずにいたのだろう。春がやってきても富山高専に通い続ける環境を変えない私は、翔にとって声を掛けやすい存在だったのだろう。
それでも彼が唯一私に声をかけてくれたというのは嬉しかった。会話なんかなくたって、私にとって彼が大切な存在であるように、富山を出る彼にとっても私が思い出の人であったことが嬉しかった。

「聞きづらいやろうから言うけど、さっき大学受かったわ」

「おめでとう!よかった!発表日今日って聞いてたからこんな日に俺と会って大丈夫なんかって思ってたところだった」

「そう思ってると思ったから先に言ったわ」

彼は北にある旧帝大へ四月から通うのだった。あそこに合格するほど勉強ができたのかと感心する一方で、大学に合格した日という本来特別であるはずの一日も特別な一日ではない顔をして生きている彼を格好良く思った。
中学二年の初夏、彼は定期テストの番数が学年で一番になったことがあった。その日も彼は「親が旅行行っててひまやから飯行こうぜ」とLINEしてくれたことを思い出した。ゴーゴーカレーで「一番って凄いね」と褒めたら、満足していない表情で「ありがとう」と一言だけ返してきた日のことを思い出した。あの時も、本来絶対に嬉しいはずの出来事を、もう浸っていたとしても仕方がない過去の出来事として扱っていた彼に憧れを抱いたことを思い出した。相変わらず前を向いていて格好良いなと思った私は、そんなことは口もせずにプロレスの話をした。

「俺も今月札幌行くよ。北都プロレスっていう向こうの小さいプロレス団体の興行観たくて、帯広と札幌はしごするわ」

「え、何?もうそんな段階まで来てんの?」

「札幌大会は19日なんだけど一緒に行く?」

「その頃まだ富山にいるわ。てか詳しく聞かせて」

プロレスの話を続けながら私達はバスに乗り込んだ。バスに乗った途端に高専に入学したての頃に一緒にこのバスに乗って大日本プロレスの興行を観に行ったことを思い出す。ノスタルジーに浸りそうになりながら、ノスタルジーに浸っていない様子の彼にプロレスの話を続けた。
富山大学前で降りた。富山大学前にある私の好きな少し洒落たハンバーガー屋に一緒に入った。店内には流行を取り入れた洋服を身に纏った富山大学の学生達が多くいた。女子会を開いている小綺麗なグループや、会話よりも時間を楽しんでいるペアルックをしたカップルなどが並ぶ中、統一感のない格好をした翔と上半身をHaomingで固めた私は店の一角のテーブル席に座った。
食べやすさを無視した大きなハンバーガーを少しずつ食べながら、お互いの学校生活や最近嵌っているものに関して話し合った。
我々の中学の同級生が東大に受験する人だけが参加する講習会が行われる教室に入ったことを目撃したこと。
運動に力を入れている学校だから秋に行われる運動会は全員が本気で臨んでいて、夏休みを返上してまで運動会に注力した団長達は、毎年大学受験に失敗していること。
お笑いが二人を繋いだきっかけでもあるのに、翔は第二期のM-1グランプリを一回も観ていないこと。
今までアイドルに嵌ったことがなかったのに、最近アンジュルムに嵌っていること。
向こうから聞く話はどれも新鮮だった。

「全然違う時間を過ごしてたのに、俺がエビ中に嵌ったみたいに、アンジュルムに嵌ってたなんか嬉しいな。なんとか坂じゃないところとか親近感湧くわ」

「そうだ。エビ中好きだって東京行った時言ってたね。なんか、流通的な意味でも、人の目的な意味でも、富山じゃこんなん買えんからとか言って、エビ中の写真集渋谷で買ってたの思い出したわ。…え、てかエビ中ってさ」

「そうそう。俺の好きだった子亡くなったんよな。まさか死ぬとは思ってないからマジでびっくりしたわ。人間って死ぬはずがない人が死んだら現実味なさすぎてしばらくショックとかないってこと知ったわ。そんで、後でめちゃくちゃショックを受けるっていう。こうやって話せるまでにはなったけど、ぶっちゃけ今も一年ちょっと前のこと思い出すと悲しいしな。先月も思い出して悲しくなったし、ここ先何年かも二月は悲しみに浸るんやろうなって」

久しぶりに会ったのに暗い話をしてしまったことを申し訳なく思った私は、プロレスの話に戻した。Wi-Fiを繋いでいないiPhoneで新日本プロレスワールドの試合映像を観せながら、色んな選手の説明をした。翔と会ってる時くらいギガ数なんて気にしない。
北村克哉がロスで柴田勝頼に鍛えられてオカダ・カズチカを倒す日を期待していると話すと、「そんなレベルまで妄想できるようになってんだ」と面白がってくれた。
昨年のG1 CLIMAXの決勝戦を見せたら、「ちょっと待って、ケニーって今こんな凄いん?俺ゴルラヴァはケニー派だったけど飯伏超える日来ると思わんかったわ」と言っていた。そういえば小学生の頃にゴールデン☆ラヴァーズは飯伏幸太よりケニー・オメガの方が凄いと彼は言っていた。私は飯伏の方が断然華があるから飯伏の方が凄いと言い張っていた。こういった先見の明のある人が勉強もできるのかなと考えてみたが、別に関係ないかと直ぐに思った。
そんなことを頭の中で考えながら、「この前の年なんかG1優勝してるからね、ケニー。俺らが一緒にG1観に行った次の年よ。中邑もAJもいない新日本で生まれたニュースターがケニーと黒い内藤だよ」と説明した。
私が色んな選手の話をして、その話を彼は楽しんで聞いてくれたが、マーティ・スカルのことだけは説明せずとも興味を抱いてくれた。

「え、こいつ入場派手なんに何でこんな技地味なん?めちゃくちゃおもろいやん。めっちゃ好きやわ」

「良い選手だよなー。この選手の周りがね、自分達の力で今度一万人規模の会場で自主興行やろうとしてるんだけど、その興行観に夏休みはアメリカいこうと思ってんの」

「アメリカ?プロレスのためにそこまで動けるようになってんの?凄っ。誰と?」

「もちろん一人。いくらプロレスファンの知り合いが少しずつ増えていってても、海外で一緒にプロレス観に行こうぜって話になる人は一人もいないわ」

「やば。マジか」

それがマジなんだよ。一人でアメリカ行くんだよ。



プロレスファンとして物心ついた頃から海外でプロレスを観たいという夢があった私は、高専四年の夏に初めて海外でプロレスを観るのだった。
九月にシカゴで行われるCodyとヤングバックスによる自主興行・ALL IN。ALL IN前日、前々日に開催される現地の小さなプロモーションの興行。そしてシカゴへ行った体のままメキシコシティを目指して、聖地・アレナメヒコでCMLLの興行を観るのだった。
中でもALL INは、いくら新日本プロレスに上がっている選手達も多く参戦するとは言え、アメリカのインディーシーンで活躍するレスラー達が行う興行としては、史上初の一万人規模の会場での興行だった。歴史的な瞬間をこの目で見たいと思った私は、シカゴへ旅立つことを決めたのだった。

しかし、やってしまった。ALL INの開催が四ヶ月後に迫った五月。シカゴ行きの航空券は抑えたのに、肝心なALL INのチケットが手に入らなかったのであった。
ALL INのチケットは日本時間の深夜に販売が開始された。一万枚もチケットがあればまず売り切れることがないだろうと考えた私は、チケット争奪戦が起こらないなら起きている必要もないなと、夜更かしせずに眠ってしまった。
翌朝起床し、Twitterを開いた時に青ざめた。ヤングバックスやCodyらがツイートしていた。

「THANK YOU SOLD OUT」

どういうことだ。一万と数百もの数のチケットが二、三時間で全て売り切れたということか。Codyとヤングバックスの力を舐め過ぎていた。航空券を抑えたのにALL INを観られないのか。笑えない。全く笑えない。だけどこんなの笑うしかない。
頗る悲しい感情も一層のことネタに昇華させようと考えた私は、ツイートすることにした。

「シカゴ行きのフライトおさえたのに、ALL INのチケット入手できず!くそ!」

神はいた。ツイートを見かけた私のもとに一件のDMが届いた。

「チケットですが、メンバーに連絡してみましょうか?」

DMの主はBULLET CLUBのメンバーと親しいプロレスファンのフォロワーさんだった。BULLET CLUBは、Codyもヤングバックスも所属しているユニットだった。絶望に満ちた私の目の前に現れた一条の光。この光は逃すまいと、私は躊躇わずにチケットの手配をお願いした。大会当日、ケニー・オメガからチケットを貰うことになった。



八月下旬。シカゴに出発する前に居酒屋のアルバイトを辞めることにした。帰ったらまたつまらないアルバイトが待っていると思いたくなかった。身軽な状態でシカゴとメキシコに行きたかった。
私が働いている居酒屋は、富山駅周辺という立地もあって、結構な数の有名人が来店していた。有名な歌手に、有名なスポーツ選手、富山のローカルタレントなどのサイン色紙が沢山飾られていた。どんなサインが飾られていてもいいと思うのだが、私は一つだけ不満があった。私が連れてきたチェーズ・オーエンズのサインがアルバイトと社員しか入れない物置き場の片隅に置かれていたのだった。元々ちゃんと飾られていたのに、サイン色紙を飾るスペースがなくなったということで、戦力外にされていたのだった。
二年半も働いたのだから、私の言うことも最後くらい聞いて欲しいなと思い、私は社長に「チェーズ・オーエンズのサイン飾ってくださいよ」と言った。
すると社長は、「飾るスペースなくなったからな」と言ったので、私は思わず「一回しか来店したことのない富山の住みます芸人のサインと、知ってる人が見たら『何で来たんだろ?』って食い付くチェーズ・オーエンズのサイン、普通どっち飾ります?」と嫌味ったらしく言ってしまった。
「チェーズ・オーエンズやなあ」と言った社長は、住みます芸人のサイン色紙を外して、チェーズのサイン色紙を飾っていた。




ケニーから事前に連絡が来るとのことだったが、大会一週間前になっても一切の連絡がなかった。私もそろそろ日本を出発するのだった。
起きたらチケットが売り切れていた時の絶望を思い出した私は、フォロワーさんに「お疲れ様です。あれからケニーさんから連絡が来ない日々が続いております。大変申し訳ないのですがケニーさんにもう一度確認していただけますか。」という文面を作成し、DMを送信した。
そのフォロワーさんから注意を受けたのだろうか、すぐにケニーからDMが届いた。

「こんにちは、ケニーオメガです
All Inのチケットが必要と聞いて、1枚で大丈夫ですか?」

私の知る限り、DM史上最も簡潔で強烈なDMが私のもとに届いた。IWGPヘビー級王者が知らない人に「こんにちは、ケニーオメガです」とDMで挨拶していた。強烈過ぎた。

「連絡ありがとうございます!1枚お願い致します!」

「はい!
名前は何にしようか?」

名前と連絡先を教えた後、どこでチケットを受け取れば良いか英語で尋ねた。

「ありがとう
後で教えます」

「Thank you very much」

私が英語で、ケニーが日本語という不思議な会話が続いて、一旦DMでのやり取りが終了した。



シカゴに到着して、四日目に突入した。母と一緒に中学三年の夏から半年に一度のペースでカタール経由などの激安航空券で海外を旅していたのだが、利用していた旅行代理店のてるみくらぶが旅中に倒産してしまった高専三年の春のパリ旅行以来、私は海外へ行っていなかった。
だが、体はちゃんと覚えているもので、一年半ぶりの乗り換えも問題なく、無事シカゴに到着した。昨日はAAWという小さなプロモーションの興行を生観戦して、海外でのプロレス観戦という長年の夢を叶えた。
今日もこれからAAWを観に行く。楽しみだ。
明日はいよいよALL INだ。楽しみじゃない。
楽しみじゃないというか、楽しみと思える段階にまだ至っていない。「後で教えます」と言われてから今日に至るまで、ケニーから連絡がないのだ。歴史的大会の前日でケニーも忙しいだろうから後で連絡が来るのだろうと信じた。

AAWの興行を観戦し、いよいよALL IN当日の日付になろうとしていた。ケニーからまだ連絡が来ない。もうこちらから連絡するしかなさそうだ。

「お疲れ様です!何度もすみません!
ALL INの9月1日は、どこで、誰に、話しかけたら大丈夫ですか?」

ケニーに寄せた日本語で文面を作成して、DMを送信した。

「今からスタッフさんと話します」という返信がケニーから来た。英語と照らし合わせられるような日本語で丁寧に接したつもりが、ケニーの方が自然な日本語を使っていて少し恥ずかしく思いながらも、安堵感に駆られた。その数分後にまたケニーからメッセージが届いた。

「チケットはwill callっていうで預けた」

それが人の名前なのか、何なのかよく分からなかったが、調べるとALL INの会場のサポートセンターのことだった。明日そこに行けば良いらしい。



ALL IN当日迎えた。ALL INに出場するしない関係なく幾多のレスラーが集結するサイン会の会場から、ALL INの会場までUberで向かった。
会場に到着すると、既に長い入場待機列が出来ていた。数千人に至るであろう群衆は、そのほとんどがBULLET CLUB関連のTシャツを身に纏っていた。日本でも観ることのできない異常な光景であった。そんな群衆の先頭にある入り口の隣に「will call」と書かれた看板が付いている建物があった。中に入って窓口のおばさんにDMの画面を見せながら、ケニー・オメガに招待してもらった者であることと名前を伝えた。
本人確認のために運転免許証の提示を要求されたが、免許証を持っていない私がパスポートの顔写真のページを見せると、引き出しから私のチケットを取り出して手渡してくれた。
無事にチケットを手に入れた。席種は何処かと封筒を開けると、「Lower Revel」でもなく、「Floor」でもなく、「Suite」と印字されたチケットが出てきた。スイートとは聞いたことのない席種だった。チケットは金色だった。これは相当凄いものを手に入れたのではないかと思った。

長い待機列の最後尾に並んだ。駐車場に到達するほど長い行列も、開場時間になれば待機者達は止まる暇もなく歩を進めるほどスムーズに捌かれた。右から順に電子チケット入場口、紙チケット入場口、招待券口と別れていて、私は一番左の招待券口を潜った。私の大き過ぎるバックパックを見たスタッフが笑いながら「Too big」と言ってきた。確かに他の観客は皆、車で来てるからなのか、スマホと財布以外の荷物を持っていなかった。私は四人部屋のドミトリーに泊まっていたので、荷物が盗まれないように全てを持ってきていたのだった。
最大で90Lまで入るバックパックをスタッフが案内してくれた場所に預け、番号札を受け取った。そのままスタッフに案内されるがままにエレベーターで移動した。エレベーターに乗っている人達は皆一様に綺麗な格好をしていた。カジュアルな格好をしてはいたが、どこか品があった。そんな品の塊達に押し潰された私は上へと駆け上がっていった。
フロアに到着すると、絨毯が目の前に広がった。入場口周辺はコンクリートだったのに、Suiteのフロアは絨毯だった。部屋は個室に分かれていて、扉は全て閉まっていた。完全に外から中が見えなくなっていた。私はチケットに記載されていた36号室を目指した。扉を開けると、10人から20人ほどが収まる広いけど広過ぎない部屋が目の前に広がった。
右手には洗面台があった。洗面台下の小さな扉を開くと、ポップコーンやキッシュなどのケータリングがあった。冷蔵庫を開くと、沢山の種類のビールが並べられていた。

まだ部屋には私しかいなかった。手をつけ放題ではあるのだが、「何お前が先に食うとんねん」と後から来たお偉いさん達に思われたらどうしようかと心配に思った。それでもせっかくだから何かを口にしたかったので、冷蔵庫の中から唯一未成年でも飲めるペプシを取り出した。

試合時間が近づくに連れて、徐々に会場全体にも部屋の中にも人が増えていった。気が付けば、隣にはFat Ass Masaさんと琥珀うたさんがいた。ALL IN開催に至るまでのストーリーを見せてきたYouTubeチャンネル・Being The Eliteに出てくる人だ。改めて自分が凄い空間にいることを確認した。
琥珀うたさんが明らかに日本人である私を不思議そうな目で見つめてきたが、彼らとは違って何者でもない私は、何と名乗ればいいのか分からず、結局ただスマホを触りつつ、たまにペプシを飲むことを繰り返した。
試合が始まると、アメリカにやってきたことを強く感じさせる異様な熱に会場が包まれた。昨日、一昨日と観戦したAAWの興行でのように、私も阿保みたいに騒ぎたかったのだが、私の周りは招待客というだけあって落ち着いていた。アリーナにいるビールを片手に大声を出しているファンとは違い、スイートルームでは目の前のテーブルに置いたビールを嗜む程度に飲んでいる綺麗な大人しかいなかった。
本当は阿保になりたいのに、私はスイートルームの中で、スイートルームの人間の顔をして、活気ある客席を物理的に見下す形で試合を観戦するのだった。スイートルームの空気に流されてしまっているのか、私自身がリングに感じている熱狂と、大勢の観客達の熱量との間に大きな差が開いた試合も少々あった。だが、その反対にこの会場にいる誰よりも私が興奮しているのではないかと思うことがあった。メインイベントに出場しているバンディードを観ていた時のことだった。
バンディードはAAWの興行に二日間とも出場していた。初日の興行ではフラミータと組んでルチャブラザーズと対戦していた。全員がメキシコ出身のルチャドールによるタッグマッチが、王座戦などをおさえて、メインイベントで行われた。ルチャブラザーズは既にアメリカの色んなインディー団体で名声を得ていて、フラミータも着実にアメリカのインディーシーンで場数を踏んでいるところだった。つまりメインイベントに出場している四選手の中で最もアメリカ経験の浅い選手がバンディードだった。そんなバンディードが新宿FACE規模の会場を一番沸かせた。
興行時間は既に三時間半も経っていて、時刻も午後十一時を過ぎていた。しかも平日だった。観客のゾーンに入ったかのような盛り上がりとバンディードの健闘が相まって会場は幸せな空間に満ちていた。試合に負けたバンディードに、客席にいるファンが丸めた紙幣や小銭をリングの方へと投げ始めた。私も同様にお捻りをリングに投げた。

シカゴの人間達がメキシコシティから来た戦士に精一杯の「Please come back」コールを送った。バンディードは涙ぐむようにお捻りを回収した。素敵な空間だった。夢にまで見た海外のプロレスのロマンがそこに全て詰まっていた。
帰りの地下鉄のホームで見た、先程まで馬鹿騒ぎしていたファン達の疲れ切った表情が、その日がいかに良い日であったかを物語っていた。翌日もバンディードは同じように会場を沸かせていた。
その二日間を観た上でのALL INのメインイベントに抜擢されたバンディードだった。数百人規模の会場を沸かせていたメキシコシティの若者が一万人規模の会場のメインイベントで名だたる顔ぶれの中に組み込まれていた。
バンディードが場外へのトルニージョを見せた瞬間、会場がどっと盛り上がった。スイートルームもどっと沸いた。スイートルームは招待客の席というだけあって、わざわざメインイベントまで残らずに部屋を去る者が多かった。ずっとスイートルームに残っていた人達は本当にプロレスが好きで仕方がない人達のようだった。どんどん人の数が減っていくスイートルームに残った招待客の皆で声を出して盛り上がった。私も「Oh my…」などと叫んでいて、そんな自分を俯瞰的に見て笑ってしまった。笑ってしまうほど凄い空間に私はいた。バンディードの場外トルニージョは、アメリカンドリームを象っていた。
興行が終了し、ケニーに感謝のDMを送って、スイートルームを出た。
会場からホテルまでの帰りは、プロレスファンと一緒だった。昨日の夜、ドミトリーで同じ部屋にいたバンクーバーから来たというお兄さんがマーティ・スカルのTシャツを着ていたので、「僕もALL IN観に行くよ」と声を掛けたら、「ネットで知り合った友達と一緒に帰る予定だから君も来ないか」と誘われたのだった。
待ち合わせした場所に行くと、そこにはバンクーバーのお兄さんを含めて三人の男がいた。ドイツから留学に来ている二十歳の青年とテキサスから来た三十歳のおじさんだった。バンクーバーのお兄さんが興行の中盤で花道から発射されたTシャツロケットをキャッチしたと興奮状態で見せてきた。「凄いね。そんな良い席に座ってたんだ」と相槌を打ちながら、駐車場へと向かった。
「今からUber呼ぶね」とドイツの二十歳が言った。てっきり誰かが車を用意してくれていた。でも、このメンバーだったら誰も車なんて用意できないよなと思った。会場はシカゴの中心部から外れた場所にあり、また、観戦を終えた皆が同じ時間帯にUberを呼んでいたため、ドイツの二十歳のスマホには二時間待ちとの案内が表示された。
会場の外で二時間待つのもどうかと思った私達は、会場から2kmほど歩いた場所にあるホテルに隣接されたバーで待つことにした。皆はビールを飲み、私だけがコーラを飲んだ。初対面の我々が話すことと言えば、今日の話題しかなかった。
どうしてALL INを観に来ることになったのかを尋ねると、皆一様にWWEに飽きてきた頃にBULLET CLUBという格好良いグループがいることを知ったからと答えた。BULLET CLUBの存在を知った後に、ALL INまでの物語を描いたBeing the ELITEを観て、なんて面白いんだと思ったそうだ。
ALL INというレスラー達の挑戦に興味を抱いているだけであって、BULLET CLUBが好きだから観に来たつもりは一切ない私からすると、新鮮な意見だった。そして彼らの話を聞きながら、私はBeing the ELITEをそこまで真剣に観ていなかったから、つまらないと感じる試合があるのも当然だと思った。
「ところでみんな今日の席はどこだったの?」とテキサスのおじさんが言った。皆でチケットを見せ合った。
「スイート?そんな席あったの?いくら?」と三人が私に問い詰めた。「友達の友達がケニーで、チケットが手に入らなかったから頼んだんだよ」と話すと、テキサスのおじさんが「Are you kidding me?」と言った。
出た。本場のAre you kidding me。海外のプロレスの実況でよく聞く台詞だった。「本当だよ」と言って、Twitterの画面を見せると、三人が同時に片手にしていたビールを机に置いて、驚いた表情を見せた。
バンクーバーのお兄さんが「Who are you?」と聞いてきたが、何者でもない私は「Just a pro wrestling fan」としか答えられなかった。キャッチしたTシャツに喜んでいた彼に「凄いね。そんな良い席に座ってたんだ」と言ってしまったことを何となく申し訳なく思った。
ドイツの二十歳がそろそろUberが来ると言ったので、皆でホテルの外に出た。バンクーバーのお兄さんが「おい、あれ見ろ」と私達に言ってきた。彼の右手の人差し指の先には、車のトランクから大きなスーツケースを取り出す素顔のルチャブラザーズの姿があった。
同じくUber待ちだった他のファン達も彼らの存在に気付いたようで、素顔のルチャブラザーズに対して、皆で「ル〜チャ!ル〜チャ!」とコールを送った。ペンタ・エル・セロ・ミエドは軽く会釈をして、レイ・フェニックスは大きく手を振りながらホテルの部屋へと向かった。
誰もスマホを彼らに向けなかった。向けるのは歓声だけだった。素敵な空間だった。アメリカに来て本当に良かったと思った。

Uberに乗りながら、深夜のシカゴの街を眺めていた。疲れと酔いが同時に来たようで、車内では三人とも怠そうな表情で黙り込んでいた。

「そういえばフェニックス、めっちゃ禿げてたな…」

どうでもいいことを考えながら、プロレスファンにとっても、プロレスラーにとっても大切な2018年9月1日が終わった。

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