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感情電車 #19 「走れ」

2019年11月20日。五年間の高専生活が終焉を迎えようとしていた秋。高専卒業後の進路先を決めるために私は三つの大学の三年次編入試験を受ける予定だった。
早速一つ目が落ちた。試験を受けてみて落ちた感触があったので、合格者一覧の中に私の受験番号がなかった時はあまり落ち込まなかった。だが、確かに焦りがあった。
来週には、残りの二校を立て続けに受験する予定だった。一週間という残された時間を前に私ができることは、新たな能力を身につけることより、今の自分のベストを本番にぶつけられるようにすることだった。だが、三分の一が消えてしまった手前、自分に自信がなくなってきていた。しかも次に受ける横浜国立大学は三つのうちの最難関だった。事実上三分の二が消えていた。今のベストをぶつけたところで、残りの一校も敵わなかったらどうしよう。ああ、飲んでないとやってられない。こんな時は、モンスターエナジーを飲むのだ。
勉強の集中力が途切れた私は、学校近くのファミマへ赴き、白のモンスターエナジーを買った。店の前にある喫煙者向けに用意されたベンチに大きく腰を掛けて、モンスターを胃に流し込むように一気に飲み干した。飲み終えた後は呼吸するようにTwitterを開いた。この時間が私の高専生活における至福のひとときだった。
滑り止めで入った高専に馴染めなかったあの頃。
授業が終わってからラグビー部の練習が始まるまでの憂鬱な時間。
英語スピーチコンテストでやらかした時。
何かに疲れた時は、いつもここにやってきて、モンスターを飲んで、スマホに一瞬の快楽を求めていた。今回は、大学の編入の勉強やら、まだ進路も決まっていないのに早く仕上げるように促されている卒業研究やらで蓄積された疲れを、ファミマのモンスターとTwitterのTLで一時的に忘れていた。
そういえばモンスターを初めて飲んだのは、高専一年の夏に翔と一緒に東京に行った時だった。たまにモンスターを飲むと言う翔が飲んだことのない私に勧めてくれたのだった。

「試験の前日とか気合い入れたい時に飲んでるわ。実際の効き目は分からんけど、モンスター飲んだんだしっていう感じで、モチベ上がるよ」

早朝の歌舞伎町のドンキホーテのドリンクコーナーで、雑多に商品が並べられた陳列棚を指した翔がそう言っていた。私はモンスターエナジーを購入し、カラスとゴミの匂いがする歌舞伎町のど真ん中に立って、それを飲み干したのだった。
翔との旅が終わっても、モンスターにはあの夏の思い出の味がして、気合を入れたい時は必ずのように飲んでいた。五年間の高専生活が終わろうとしているというのに、一年生の頃から何も変わっていない自分に少し嫌気が差した。
高専一年の頃の私は、テストが終わった後に担任から告げられる番数はいつもクラスのトップの方にいた。ラグビー部の過酷な練習を耐え抜いて、愛人に振られて酷く落ち込んでいる母を慰めて、そんな環境でクラスのトップの方に名前を並べていたのだから、クラスで一番の学力こそ誇れなくても、私が一番このクラスで頑張っている、私がこのクラスで一番人間的に厚みがあるのだ、と信じ込むことで、精神の安定を図っていた。
それなのに、高専五年の今の私は、クラスでも下から数えた方が早いほど定期試験の点数が良くない。図抜けて得意な分野は一つもない。何かの才能を持っている訳ではない。そもそもお勉強が好きじゃない。国立大学は出ておいた方が良いよなという考えのもとで只々編入試験の勉強をしている。あらゆることに真剣に向き合えていない。
高専に入学したばかりの頃、あるクラスメイトを見て、こんな馬鹿でも入れる学科に入ってしまったのかと落ち込んだものだが、そんな当時馬鹿だと思っていたクラスメイトは旧帝大の編入試験に合格したらしい。一方の私はと言うと、まだ一つも大学の合格を貰っていない。
昔から誰よりも心が大人でいたつもりが、私は年齢を重ねるごとに子供になっていくのだった。内面性ベンジャミンバトンだった。やりたいことしかできない体になっていった。一方でクラスメイト達は、有名大学の編入試験に合格したり、TOEICで900点を連発したり、と着々に大人になる準備を進めていた。
大好きな同世代のアイドルが死んだ時、今日死んでもいいくらい毎日を悔いなく生きることを心に誓い、その誓いの通りに、悔いの残らない楽しい選択ばかりを取ってきたが、それは単に頑張ることから逃げていただけなのではないかとさえ思えてきた。その一瞬一瞬を楽しむためだけに生きていた。こつこつと努力している周りの方が私よりもよっぽど優れた生き方をしているのではないかと、自分を情け無く思うことが最近増えた。
第一志望の進学校に入れず、高専に入学することになった時に誓った「高専で勉強も運動も頑張る」という目標はもう捨ててしまっていた。
ラグビー部を辞めて、背中に翼が生えたかのように体が軽くなった私は、ずっとプロレスを追いかけてきた訳だが、中学の時から抱いている「プロレスを世に広めたい」という夢を叶える準備まではできていなかった。
私の高専生活は、本当にこれで良かったのだろうか。戻ってやり直したいとは思わないし、後悔も特にないのだが、高専に入ってから今日までの四年半を振り返ると、漠然と反省してしまうのだった。そのくらい落ち込んでいる私が、学校に戻ろうとベンチから立ち上がった時、ファミマの店内から猛烈な視線を感じた。
振り向くと、何かを訴えたそうな必死の形相を私に向けている男がいた。電子情報工学科五年の与田くんだった。
与田くんは、高過ぎない程度に身長が高くて、よく見たら顔が綺麗なのに、猫背で、お洒落より機能を重視した眼鏡で、エミネムがやって初めてお洒落になるエミネムみたいな髪型で、全体としてなよなよしていて、その垢抜けなさを際立たせている子だった。与田くんにはモテるポテンシャルが秘められているのに、恋愛経験がない上にモテる努力もしていない私は、与田くんよりはモテるのではないかとさえ思えた。だが、「与田くんより俺の方がモテると思う」なんて本人に言おうものなら、たとえそれが冗談めいた口調であったとしても、本気で怒って首を絞めてきそうな空気感すら与田くんにはあった。喧嘩の仕方を知らずに育った人間の怖さも、彼をイケてない人間にする一つの理由だったと思う。
与田くんと私の接点というと、二つしかない。
一つは、私が学園祭でミスター・ポーゴの格好をして絶叫するという芸を披露し、死にたくなるほどスベった時のことだ。トイレでメイクを落としていたら、「さっきはお疲れ。死ぬほど笑わせてもらったわ」と、与田くんに声を掛けて貰った思い出がある。プロレス同好会として徳井さんと健さんと一緒にステージに立ちつもりが、二人にドタキャンされた挙句、私が一人でポーゴメイクをしてギャグを披露したのだった。裏切られたことに対しても、一人でスベったことに対しても落ち込んでいたので、彼の言葉には救われた。
もう一つは、数ヶ月前のことだ。夏休み前最後の登校日に学校近くの海で相撲をとった思い出だ。いきなり相撲で対決しろと私のクラスのリーダーに言われ、勝負を受けたものの負けて、罰ゲームとして嘘みたいに真っ白なブリーフを履いた弱々しい体を「このやろーっ」と叫びながら海に投じる与田くんを見た時、面白い人間だなと思った。
与田くんを怒らせるようなことだったかと思い返した。あの時は喜んでいるように見えたが、実は恨んでいたのか。目の前にいる与田くんは鬼気迫る表情を浮かべていた。何かやらかしたか考えてみるが、思い当たる節が相撲で倒したことくらいしかなかった。
会計を済ませていないコカ・コーラを片手に与田くんがファミマの外に出てきた。与田くんと同じ野球部のクラスメイトからは少し不思議な子と聞いていたが、不思議なんてものではなかった。立派な万引き犯だった。

「与田くん、それ…」

「ん?…あっ」

与田くんは急いでコーラを扉式の冷蔵庫に戻しに行った。店員も与田くんの犯罪を見逃していたのに、与田くんは丁寧に店員に謝罪していたから、何処かのネジは外れているが、育ちは良いことが分かった。
謝罪を終えた与田くんが私に言った。

「そのパーカー、会場で買ったの?」

私は胸に「水曜日」と刺繍されたパーカーを着ていた。それは、人気バラエティ番組「水曜日のダウンタウン」の総合演出を担当する藤井健太郎主催の音楽イベントで販売されたパーカーだった。

「会場じゃないよ。こないだ通販で売ってたから即買いした」

「通販やってたの!マジ!ちなみにいくらだった?」

「一万した」

「高っ!欲しくてもパーカーに一万出せねえな俺。いや、でもイベント会場だったら買ってたかも。俺、藤井健太郎好きだし、音楽も大好きだからさ、あのイベント行きたかったんよね」

与田くんは感情を顔で表現することが下手なだけで、私に対して怒っていた訳ではなかったのかと安堵すると同時に、藤井健太郎が好きという同世代に初めて出会えたことに感動した。学校で「昨日の水曜日見た?」という話題が上がることはあっても、藤井健太郎が好きという人には出会ったことがなかった。私は小学生の頃から藤井健太郎が手がける番組に翻弄され続けてきた。
初めて出会った藤井健太郎作品は一回こっきりの特番として放送された「クイズ⭐︎タレント名鑑」だった。2009年8月。当時小学四年生の私は、ただのクイズ番組かと思って軽い気持ちで見ていた。ニンテンドーDSを触りながら、ながら見をしていたら、クイズの答えに「エリック・ムサンバニ」やら「妃羽理」やらが出てきて、このクイズ番組は何なのだと興味を抱いた。そこからDSの操作ボタンを動かしていた手を止めて、食い入るようにテレビを見た。クイズ番組なのに、回答者達が正解を狙わずに大喜利を始めた。その大喜利は、限りなく悪ふざけに近い大喜利だった。芸能人の悪口のオンパレードだった。クイズ番組そのものが壮大なフリになっている構成に感動してしまった。
その後、タレント名鑑は、二度の特番を経て、2010年8月よりレギュラー放送が開始された。当時小学五年だった私は、あの面白い番組がレギュラー化すると知って、胸を躍らせた。小学の同級生達は皆、タレント名鑑の裏番組の「世界の果てまでイッテQ」を見ていたが、そんな同級生らを見て、「お前らは小学校高学年にもなってまだあんな笑いを求めるのか」と本気で思っていた。タレント名鑑並みに私も尖っていた。
レギュラー化したらつまらなくなる特番を今までいくつか見てきたが、タレント名鑑は、レギュラー化して更に面白さに磨きがかかっていた。
大喜利に付き合わずに正解を連発してしまう小島よしおがMCのロンブー淳に退場処分を下された場面。
「田舎でモノマネ芸人バレる?バレない?クイズ」で石原裕次郎のモノマネ芸人・ゆうたろうがお年寄りに声を掛ける場面。
「モノマネ芸人いる?いない?クイズ」で毎回選択肢に登場していた、郷ひろみのモノマネ芸人・GO!ピロミが、番組中に倒れ、「GO!ピロミ殺人事件」というくだらなさ過ぎるサスペンスドラマが始まった時。
どの場面を思い出しても未だに笑えるのがクイズ☆タレント名鑑だった。視聴者の想像の先を行くバラエティ番組で、毎週日曜日が待ち遠しかった。だが、やはりと言うべきか、誰もが楽しめるバラエティ番組は、タレント名鑑ではなくイッテQだった。私が小学校を卒業するタイミングと同じ2012年3月に番組が打ち切りになった。
タレント名鑑がレギュラー放送されていた、小学校高学年の頃の思い出は数え切れない。友人とのエピソードが山ほどある。休み時間や放課後に沢山馬鹿なことをした。一方でタレント名鑑打ち切りと入れ替わる形で始まった中学生生活には、ほとんど思い出がない。
他人からしたら、それは単なる偶然というか、あくまで趣味の話と日常の話という全く別の話であって、偶然と言えるほどの繋がりすら持っていないと思われるかもしれなかった。しかし私の中では、好きなテレビ番組の終わりは楽しい日常生活の終わりを意味していた。タレント名鑑が終わったことと、その春に始まった中学生活がつまらないというのは、因果関係があると思っていた。タレント名鑑は私の青春だった。タレント名鑑のあの遊び心は、小学生の頃の私に大きな影響を与えたし、今も私の体の中で生き続けている。

「え、与田くん、藤井健太郎好きなの?」

「うん、藤井健太郎に憧れて来年の春から制作会社で働くし…」

「えっマジで?好きを就職にしたの凄い。いや、ほんと凄いよ。俺も大好きなプロレス界に就職したいって気持ちはあるけど踏み出せずにいるもん」

「いやいや。俺は馬鹿なだけよ。だって高専でせっかく専門的なこと学んできたんに全く関係ないADやるんよ?」

「直接は生きないかもしれないけど、どこかで高専で学んだことは生きてくると思うよ。電子の人が卒研でやってる実験とかまさにそうじゃん。あの嫌気差すような地道な作業は絶対AD業務に生きるでしょ。それに『馬鹿なだけ』って言うけど、それが馬鹿だとしたら、その馬鹿はあっていい馬鹿だと俺は思うけどね」

「そうなんかな。ありがとう。やりたいことやらずに世間的に良しとされる堅い道を進むくらいなら、一回やりたいことやってみたいんよね。親とか周りに安心されたところで、やりたいことやらなかったら後悔しか残らないからさ。まあ、駄目だったとしても諦めつくだけいいかなって」

「いや、凄い。俺がなりたくてもなれない人間から出る言葉だもん。船木誠勝っていう中卒でデビューしたレスラーも言ってたわ。『もし人生が二回あれば、お母さんの言う通りに高校へ行くけど、一回しかないんだから自分の自由にさせてください』っていう名言。船木と同じこと言ってるじゃん」

「船木って知ってるよ、俺!『有田と週刊プロレスと』大好きなんよ!プライムコンテンツの中で一番素晴らしいと俺は思ってる!ちょっと待ってね……ほらほらこれ、俺のプライムの履歴!」

そう言った与田くんは、Amazon Primeの視聴履歴が映るiPhoneの画面を見せてきた。

「凄っ。全部見てんじゃん。俺一回も見たことないんだよね」

「プロレスファンなのに見たことないの?絶対見て!プロレスファンじゃない俺が見て面白いって感じるから、プロレスファンのキムくんが見たらもっと面白いんじゃないかな!特に桜庭の回は、シーズン3の最後の桜庭のやつは絶対見て!それだけでもいいから絶対見て!」

与田くんは、好きなものを語る時だけ楽しそうな表情で捲り立てるように早口になった。口角を上げて私に話しかけている最中に、ふと我に返ったように、ほぼ初対面の人間に対しては笑い過ぎたかなと、私に見せる笑顔の分量を調整し始める仕草は、高専二年くらいの頃の自分を見ているようだった。イケてない人間は他人にどれほど笑顔を見せていいのか知らないのだ。
その他には、時折呂律が追いつかなくなる早口も、彼のイケてなさを物語っていた。自分から私に声を掛ける大胆さは持っているものの、人と話すことには慣れていないのか、自身についての話をする時は、自分の口から出る言葉を一言ずつ確認するようにゆっくりと話していた。私に褒められた時は、嬉しく思いつつも、何と返事すればよいか困っているようだった。それなのに、趣味の話になると舌が追いつかなくなるほど饒舌になった。
私は与田くんを凄いと思った。自身の垢抜けなさを自覚していないほど与田くんは鈍感そうではなかった。でも、自分の魅力に気付けていないという点では鈍感だったと思う。大好きな趣味の世界に一歩踏み出せる与田くんは、与田くん自身が思っている以上に凄い。同じ富山高専の三つ上の学年に、制作会社に就職した人がいたが、その人は学園祭でミスター富山高専に選ばれるほどのイケメンで、「今テレビのADやってるらしいよ」と人伝てに聞いた時は、「あの人、面白い番組を作るようなタイプの人間ではなくないか」と思ってしまった。
でも、与田くんは素直に応援したいと思った。ふとした瞬間に狂気じみた言動を犯してしまうような人間に、面白いバラエティ番組を作って欲しいなと、私は切に願うのだった。

「じゃあさ、タレント名鑑見てた?俺、人生で一番好きな番組がタレント名鑑だったんだよね」

「え!キムくんもタレント名鑑見てたの?俺も小学校の頃見てた!」

「流石だわ。うん、俺は第一回の特番の時から全部見てたよ。あ、でも一回だけ家族で大阪行ってた時に録画し忘れて見逃したな。あの時大阪旅行どうでもよくなるくらいショックだった。そのくらい好きだった」

「凄えな。特番時代はさすがに見とらんかったわ」

「裏のイッテQなんてクソ喰らえと思ってたからね、小学生の俺は」

「あの、俺…イッテQも凄え好きで見てた。ははっ、ははっ」

「そこは一緒じゃなかったか〜。でも、色んなものに面白いアンテナ張れるほうがADに向いてる気がする。俺なんか、これは俺の体の中に取り入れるべきではないと途中で思ったら、テレビでも、映画でも、本でも、すぐにやめちゃうから。えっ、じゃあさ、俺らが二年の時に出た藤井健太郎の本って読んだ?」

「読んだ読んだ。当時読んだよ。後ろの方の席だったからさ、聞かんでいいような授業の合間にこっそり読んでたんだけど、面白過ぎて声出そうになって、とにかく大変だったわ。ははっ」

「え、全く同じシチュエーションだわ!俺もその頃席一番後ろだったから授業中にあの本読んでたんだけど、声出したいくらい面白いのに、声出せないシチュエーションで、息できんくてマジで死にそうになった」

「俺も俺も!必死に笑い声押し殺してた!」

同じ頃に、同じようなことが、同じ校舎の下で起きていたのかと思うと、凄く嬉しかった。私は辛いことのみならず、楽しいことも、ずっと一人で抱えてきた。趣味のプロレスの話にしたって、好きなテレビ番組の話題にしたって、日常に潜む胸に来た場面にしたって、誰かと共有することもできずにいた。
与田くんは、タレント名鑑をタイムリーで見てきた同級生だった。プロレスファンではないものの、プロレスに興味を示している同級生だった。与田くんの話を更に聞いていくと、中学時代は友達だと言える人がほとんどいなかったらしく、とても楽しい学生生活ではなくて、有吉弘行のラジオを繰り返し聴いた時間と怒り新党を観ている時間だけが青春だったそうだ。私も中学時代はプロレスにしか青春を見出せなかった。
何でこんなに波長の合う子が隣のクラスにずっといたことに気が付けなかったのか。残り四ヶ月で五年間の高専生活が終わってしまうと言うのに、ずっと限られた人としか会話してこなかった自分に呆れた。新たな友達を作るには時間が経ち過ぎていた。
富山高専には面白い人間が沢山いる。こんなにも自分と似た青春を過ごしてきた人がいる。私とは全く違った人生観を持っている人もいる。それなのに私というやつは、そんな面白い同世代達から刺激を受けることもなく、高専を卒業しようとしていたというのか。
楽しい会話を進めながらも、ふとした瞬間にセンチになってしまうほど、私は高専を卒業が近づいていることに寂しさを抱いていた。第一志望の高校の受験に失敗して、滑り止めの高専に入学した時は絶望しかなかったが、与田くんと出会えた頃には、この高専が好きでたまらなくなっていた。
与田くんと話し続けていると、藤井健太郎の本に関すること以外にも、あるあるが見つかった。
高二の秋。「クイズ☆タレント名鑑」が「クイズ☆スター名鑑」と名前を変えて、まさかの復活を遂げた時。私は友人といたところを抜け出し、リアルタイムで初回放送を見た。
初回放送当日、私は金沢で韓国語能力試験を受け、その帰りにクラスの男子達でROUND-1に行った。まだまだROUND-1を満喫しようとしているクラスメイトを尻目に、私は一人、スター名鑑が始まる19時に合わせるように途中退席した。
一方の与田くんは、その日昼間に野球の大会があり、夜には打ち上げがあったらしい。打ち上げ会場に顔だけ出して、お世話になった大人達に簡単に挨拶して、飯も食べずにスター名鑑初回放送をリアルタイムで見るために帰宅したらしい。
これほどピンポイントな思い出を共有できる友達が高専生活の最後にできるなんて思ってもいなかった。
芸人キャノンボールのエンディングでスター名鑑のスタートが発表された時はテレビの前で興奮したけど、あまりにもテンションが上がってしまい、興奮のやり場をどこに吐き出せばいいのかわからなくて発狂しそうになったこと。
水曜日のダウンタウンは面白かったと思う回を繰り返し見るようにしていること。
Creepy Nutsがそこそこ好きであること。
一方が口を開けば、もう一方が「分かるわあ」と反応することを繰り返した。私の話には共感されたし、与田くんの話には共感した。気が付けばベンチで一時間も話し込んでいた。

「いや〜、与田くんみたいな同世代がこんな近くに、高専にいるとは思っていなかったわ。嬉しいわ。話しかけてくれてありがとう」

「いやいや!水曜のパーカー着てくれててありがとうって話だよ。今度ゆっくり酒でも飲みに行こう!」

「そうだね、酒飲むってのも五年になってから出会えたからこそできることだしね」

「まあ俺、誕生日まだ来てないんだけど。ははっ」

与田くんは、良い奴だけど、変な奴だった。気になる人が目に留まったら万引き未遂を犯し、趣味の話になれば呂律が追いつかなくなる。面白そうなものに触れたら、そこだけに集中してしまう、その与田くんの才能が、制作会社で作品という形に反映されたら嬉しいなと思った。
LINEを交換して、私達は解散した。



12月6日。富山大学の編入試験に合格した。他に受けた二校は落ちていたから、来年の春から富山大学に通うことになった。
富山大学に通うことが決まった日に、Twitterで「富山大学」となんとなく検索してみたら、あるツイートを見かけた。

【ニュース】2020年2月6日(木)に「Uta-Tube in 富山大学」の公開録画が、五福キャンパス黒田講堂にて行われます。ゲストはBiSHとCreepy Nutsです。公開録画の観覧には事前のお申込みが必要です。お申込み方法、詳細については番組HPをご覧ください。

BiSHとCreepy NutsがNHK中部で放送されている歌番組の収録で富山大学に来るようだった。Creepy Nutsはずっとそこそこ好きだったし、BiSHもそこそこ好きだった。特にその頃、アメトーークでBiSHの特集が組まれていて、BiSHへの興味が加速していたところだった。編入試験の勉強で明け暮れている時に、BiSHの「Nothing.」を何度も聴いていた。
BiSHの楽曲を初めていいなと思ったのは、一年前の学園祭のステージで軽音部が「PAiNT iT BLACK」をコピーしていたのを見た時だった。一年前の学園祭。つまりそれは、私がポーゴのメイクでスベった時であり、与田くんと初めて喋った時だった。
与田くんと一緒にBiSHとCreepy Nutsを生で見られたら、それはもう高専最後の最高の思い出になるのではないかと思った。なんか素敵だなと思った。
私はすぐさま与田くんにLINEを送信した。「行きたい!!!」と返信が来た。BiSHとCreepy Nutsの観覧応募は、どちらか一組にしかできないようになっていた。私はBiSHに、与田くんはCreepy Nutsに、互いに観覧人数を「2名」に選択して応募した

その後、与田くんとは、頻繁に連絡を取り合うわけではないが、話し始めた時にはとことん話し込むような関係を築いていった。
「家ついて行ってイイですか?」の神回は何かを語り合うこともあったし、互いの高専生活を振り返ったりもした。
LINE上で最近見た作品で何が面白かったかという話題になった時に、与田くんから「テレクラキャノンボール2013が面白かった。エロ超えて芸術だった」との文面が届いたので、「キャノンボールシリーズのプロレス版のDVDなら持ってるけど見る?」と返信した。すると、「それは観たい!!」と言ってきたものだから、翌日の放課後に電子情報五年の教室に向かい、与田くんにDVDを渡したら、特に嬉しそうでもない表情で「見れたら見る」という絶対に見ない人間の返事をされた。
他人にされたら少し嫌なことでも、与田くんにやられると、その狂気に興奮してしまう自分がいた。与田くんの奇妙な行動に嫌な気持ちになった人も過去にはいたと思うし、これから先も嫌な気持ちになる人が現れると思う。だけど、サブカルチャー好きの高専生というフィルターが通っているからなのか、単に私の感覚が変なのか、判断はつき兼ねたが、私は与田くんの変なところさえも面白く感じていた。

十二月の中旬。水曜日のダウンタウンの企画から生まれたアイドルグループ・豆柴の大群のメンバーとのツーショット撮影会が金沢で行われると番組内で発表された。
イベントの参加券の配布が始まるのは、グループのメンバーが決定した回が放送された翌日だった。水曜日のダウンタウンファンとして迷わずイベントに参加すると決めた私は、あと一回欠席するだけで単位が貰えなくなるほどにサボってしまっていた授業だけ朝に受けて、学校から最寄りの駅まで四十分かけて自転車で走り、そこから一時間ほど電車に揺られて金沢に移動し、イベントの参加券を入手した。取り敢えず撮影会の券を六枚手に入れたが、流石に6パターンも女の子と写真を撮るのは厳しかった。そこで思い浮かんだのが与田くんだった。
すぐさまLINEで撮影券の写真と共に「一緒に行かない?」という文面を送った。「行けたら行く」ではなく、「え!!!!行く!!!」と直後に返信が来た。

イベント当日。会場の近くで合流したら、与田くんは私に断りを入れずに地元の友達を隣に連れていた。友達がほとんどいないと語っていた与田くんの友達はどんな人なのか気になったし、せっかくの縁だし、嫌に思うどころかむしろ歓迎したのだが、撮影券の数に限りがあるのに黙って友達を連れてくる与田くんはやはりどうかしてると思った。
正解が分からない笑顔で慣れないハートマークを女の子と作った三人は、金沢競馬場へ向かった。与田くんが連れてきた友達は、競馬が好きだと言う。軽い気持ちで行った競馬場で8,000円勝った時の快感が忘れられなくて、それからずっと競馬が好きらしい。与田くんの車に乗って、三人で競馬場へ向かった。
興味があったから私もお金を賭けてみたかったが、残念ながら場外馬券場に着いた頃には馬券の販売時間が終了していた。与田くんの友達は頗る残念そうな表情を浮かべていた。仕方なく外のレース場に映ると、馬がいなくて驚いた。オーロラビジョンに映るレースをライブビューイングで見るだけらしかった。
レースが終わった瞬間、与田くんの友達が「よっしゃあああ!」と飛び跳ねるように喜んでいた。賭けようとしていた馬が遅かったらしい。賭けていたらマイナスだったそうだ。
与田くんの友達以外の皆も一喜一憂していた。頭を抱えてる中年もいれば、ハイタッチして喜ぶ中学生二人組もいた。

「今の時代って普通馬券ネットで買うんよ。レースを生で見れる訳でもないしさ、ここに来る奴らっていうのは、基本的に、ネットだと法的な問題で買えん未成年か、シンプルにネットを使いこなせんジジイだけなんよ」

嘲笑うように与田くんが説明してくれた。私達に適した世界だなと思った。
帰りは、与田くんが車で送ってくれた。友達を家に降ろした後の車内で、私は与田くんに尋ねた。

「あの子、大学生って言ってたけど、学部ってどこなの?」

「ああ、医学部」

「医学部?てことはあの子医者目指してんの?」

「ああ、そうなるか。そうなんじゃない?」

与田くんの友達も面白い人と知れて嬉しかった。



2月6日。私と与田くんは、富山大学で合流した。私はBiSHの観覧に落選したのだが、与田くんがCreepy Nutsの観覧に当選したのだった。合流した与田くんは、何処かふわふわした感じがあった。

「お疲れ様。酒飲んでる?」

「よく分かるね。大学とかさ、一回も敷地に足踏み入れたことない場所だったから、なんかすんげえ緊張しちゃって。編入もせずに高専から直で就職しちゃう俺みたいな奴が足踏み入れちゃ駄目なような敷居の高さを感じるというか。ははっ、ははっ」

「来たことないにしても考えすぎだよ。てか、まあまあ飲んでるよね?」

「向こうにある学食でストロングゼロ500一本とスーパードライ350二本だけね」

「やばっ!全然だけじゃない!」

「ははっ」

「あと与田くんの考え方でいくと、学生が集う学食が一番敷居高い場所じゃん。そこで酒飲んでんじゃん」

「確かに…ははっ」

「多分だけど、キャンパス内で酒飲んじゃ駄目だし」

酩酊状態にある訳ではないが、いつもより気持ちよさそうな与田くんと寒すぎる外でBiSHのライブが終わるのを待っていた。雪の日が続いていた。ライブ当日も午前中まで雪が降っていた。雪が降り終わった後特有の冷え込みがあった。与田くんは感覚が鈍って寒さを感じていないようで羨ましかった。
BiSHのライブが終わり、BiSHが好きというよりは流行っているものが好きといった感じの澄ました顔した学生が続々と外に出てきた。学生達は皆、ある程度勉強ができる人間の顔つきだったし、場所も場所だから、きっと富山大学の学生なのだろうと思った。高専の学生ほど面白い人間の匂いがしなかった。私はこんな個性も糞もない味気のない人間達の中に春から放り込まれるのか、と一抹の不安を感じた。
BiSHのメンバーが乗っていると思われる富山駅方面へと向かうマイクロバスを見送って、私達は会場の中に入った。BiSHの観覧よりは仲間と思える外見をした若者が見られた。Run DMCの時代でヒップホップ止まってんのかなと思えるバケットハットにジャージ姿の若者もいて、そういう目立った学生がかえって私の心を落ち着かせた。だけど、そんな会場内でも私と与田くんだけが圧倒的にお洒落に拘っていなくて、圧倒的に冴えなかった。
素人目で見ても凄いDJプレイとラップにどうリアクションすれば良いのか戸惑っていた私に反して、与田くんは手を天にかざしながら「フゥ〜」と言っていた。楽しんでいる姿までダサいのが頗る愛おしかった。
ライブが終わった後は、富山大学前にある小洒落たハンバーガー屋に入った。ライブ前よりも酔いが回っている与田くんは、有田と週刊プロレスとのシーズン3の桜庭回が最高だという過去に聞いた話を熱っぽく語ってくれた。

「え、やばいやばい。俺そろそろ出ないとだわ。明日大好きなレスラーのサイン会が東京であるからこれから夜行バス乗らなきゃいけなくて。お金置いてくから会計済ませて貰っていい?」

「分かった。今日はありがとう」

「与田くんは?今日帰れるの?」

「キムくん家の近くに住んでる友達の家泊まろうかなって思ってる〜」

「大丈夫?ここから歩いて四十分くらいだよ?」

「ラジオ聴けば余裕よ」

「雪で路面ツルツルしてるから気を付けてよ。あとイヤホンしてもいいけど、ちゃんと車の気配感じてよ」

「大丈夫大丈夫〜」

「酔ってんだから気を付けてよ。てか急いでる俺が何でこんな心配してんだよ。じゃあまた!」

「お疲れ〜」

「今日はありがとう!」

財布から1,500円だけ取り出して店を出た。雪で滑りそうな所は重心をやや前にしながら早歩きした。急がないと間に合わない恐れがあるほど夜行バスの出発時刻が迫っていた。少し前まで寒くて仕方なかったのに、今はウルトラライトダウンを脱ぎ捨てたいほど、汗を迸らせながら走っている。
思えば私は、五年間の高専生活でいつも時間に追われて走っていた。
ラグビー部時代は毎日疲れでギリギリの時刻まで寝ていたから、スクールバスの乗り場まで懸命に走っていた。
近鉄パッセの中にある書店でエビ中の雑誌を立ち読みしていたら高速バスの出発時刻が迫っていることを忘れてしまい、慌てて名鉄バスセンターまで走ったこともあった。
ACHの泊まっているホテルの部屋に走って向かったこともあった。
プロレス会場からプロレス会場へとニューヨークの街を走り回った一週間もあった。
レッスルマニアの会場からジョン・F・ケネディ国際空港まで走ったこともあった。
Twitterで出会った女の子を待たせてしまい、走ってお笑いライブの会場まで向かったこともあった。
高専時代の思い出達が走馬灯のように蘇った。そして時折、滑りかけて、現実に引き戻された。五年間の高専生活が間もなく終わる。入口は絶望だったけど、中に入れば思い出しかなかった高専生活の出口へと、今、私は走っている。高専最後の思い出を今から作る。
待ってろ、KENTA。

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