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旅ブロガー女性医師 10年ぶりの「医局に凱旋」で爆弾発言

2020年にコロナ禍に突入してから4年弱、医局と交信が途絶えておりましたところ、医局の同門が集まる懇親会が4年ぶりに開催され、OGとして医局に「凱旋」。

10年前に大学の医局をすっぱり辞め、日ごろ「フリーランス女医」を名乗り、やれ「組織には属さない」だの「医学に対するモチベーションはもう低い」だの、診療業務はいずれ減らしてやるだの豪語しながら好き勝手に旅行している今の私にとって、医局という存在がどんなものなのか、医局にとって私と言う人間は…。


果たして私の「複業」関心を持ってもらえていたのか…?

全く同じ日に医学部卒業20周年の同窓会と、4年ぶりに医局の懇親会がある、となった際、同窓会ではなく医局を選んじゃった私。最後に医局の会に顔を出したのは、まだまだブログも始めたばかりでまだ複業、という話もたいして出ていなかった頃のお話でした。

ブログ執筆とブロガーとしての複業と、こうも中途半端に稼働しだして、数ヶ月に一回旅先で見知らぬ方に「えりお先生ですか? ファンです」とか声をかけられるようになってから、医局に顔を出すのは初めてです。

医局の諸先生方はまだ私を気にかけてくださっているのでしょうか? そして今の私が医局という場で果たして彼らを前に「気後れ」しないでいられたのでしょうか…??

結論から申し上げると、要らぬことを考えていたあれこれ全て、杞憂に終わることとなりました。

まず、そもそも同日に行われた医学部同窓会ではなく、医局の同門懇親会に出ると決断するに至ったのが、4月に長崎で行われた形成外科学会総会、たかだか2時間足らずの滞在だったにもかかわらず(医学に対するモチベーションは少ないのよ笑)、唯一再会した医局関係者がお師匠である「お父ちゃん」だったことです。

確かに医局で一番お会いしたかったのは「お父ちゃん」でありますが、よりによってこんな偶然、ありますか?!

そして、その再会に喜んだのは私だけでなく「お父ちゃん」もではなかったか、その後5分ほどの会話でしたが、アットホームな医局で家族以上の時間を共にして働いていたあのころに、タイムスリップしたかのような時間を過ごし、確信しました。4年ぶりの医局懇親会には、是が非でも出席しなければならないと。

そんな劇的な再会からの5ヶ月後、おそるおそる懇親会の会場に入場したら、懐かしの先生方が次々と、笑顔で挨拶してくださったり、遠くから手を振ってくださったり。

「最近どうしてるの?」と聞かれ、咄嗟に答えたのが

「数年以内に医者を辞めることを目標に、ビジネスを構築しているところなんです」

この回答がどうも大正解。見事に食いついてくださり「旅しながら収入が入ってくる仕組み」であることを説明したところ、いろいろな先輩方が食い入るように聞いてくださいました。

医局長時代の“子分”であった、2人の男子も、真っ先に声をかけてくれました。
「学会とかで、えりお先生最近元気にされてるのかな~とかって話になった時、ブログ見て、あ~、元気みたいだわ、みたいな感じになってますよ笑」

キャリア重ねても…旅ブロガー女医が他人の意見を素直に聞く訳』に「遡ること研修医時代、自分の非常に痛いところを突くアドバイスを受けた​、当時ちょっと苦手だった先輩」でありました、3学年上のA先生。今となってはわかります。格下相手とはいえ、そうしたアドバイスをするのにいかほどのエネルギーが必要だったことか。

あの時A先生がどれだけ私に手を焼いていたか。にもかかわらず、どうにかして私を少しは「使える部下」に育て、一緒に仕事を回そうと、貴重な時間とエネルギーを割いてくれたのか。こうした気持ちはお会いできるうちに伝えねばなりません。そんなA先生からでたお言葉が「おう、お前の動向はちょこちょこチェックさせてもらっているぜ(ニヤリ)」

そうでした、A先生のご趣味は昔からネットサーフィンでした。

「え、ホントですか? A先生のことm3.comの連載で書いてますよw」と応酬したところ「おいこら! 余計なことは書くんじゃない」「いやいや、書くでしょ~~ww」

その後、今の複業の状況についてお話ししたところ

「え、まだオマエ、週15時間も医者やってんの!?」

15時間「も」ってww

15時間「しか」医師をやってないと言われることに甘んじていた私は、ナナメ上を行く回答に恐れ入ってしまったのでした。

本来ならば真っ先に挨拶に行くのがスジであるところ「後回し」になってしまった、主任教授であらせられる4つ上のO先生。
40代にして主任教授になられ、「今後ともよろしくお願いします」とご挨拶に行った際、「嘘言え! やめてから一度も医局の世話になったことないし、今後も世話になんかなるつもり、ないくせに笑笑」とケラケラ笑われながら返された、その方です。

ご挨拶が後回しになりほんとごめんなさいと言う私に、

「(医局が毎年発行し、外部の関係者に送付する)機関紙に貼ってある、オマエのブログのQRコードをみた、学内の超大御所先生(学長クラス)に“ブログのあの先生(=私)オマエんとこの医局員だって知って、ビックリした” って言われたんだけどww  先生、日頃何やってんだ!?笑」

衝撃な事実をぶっ込まれました。

「それそれ! そういうのですよ!!」

そこから話はブログやm3.comの連載へ。そして「YouTuberにはならないの?」のご質問。なんと答えたかは『活字離れの時代――医師があえて「文字での表現」を選ぶわけ』にまるっと書いてありますのでぜひご参照ください。 

編集部のみなさん、そういうことで、私の出身大学の、学長クラスの大御所先生が、何も知らずにm3.comの連載を読まれていた模様ですよ!


そうでした、この医局「ベンチャー企業」なんでしたww

「お前のその生き方は、医者の密かなる夢でもあるよ」と、お世話になった先生方に言っていただき、今回はこっちに出席して大正解だったと、ホッと安堵したのも束の間。今やすっかり准教授になってしまった、はずなんですが、研修医の頃から全く年をとっていないイケメンの1つ下の後輩、Oくんより「先生、後で、OB・OGの先生方から壇上で一言、いただきたいのでよろしくお願いします」と、これまたオソロシくも刺激的なお達し。

そうでした、この医局、お偉方だけじゃなく、OBやOGが矢面に立ってスピーチする医局なんでしたwww

私に先立って話された、2つ上のT先生というのが、これまた形成外科から法医学に進まれ、教授にまでなられたという、異色の経歴の持ち主なんですが、彼が「誰も目をつけていないニッチな部分というのも、選択肢の一つとして考えるといい」という、これまた私がこちらの連載で書いたまんまの内容をスピーチされ、その次にこれまた私が体よく呼ばれましてね。

おかげさまで、

「先ほどT先生から“ニッチな分野で” とお話がありましたが、私こそこの医局の中で一番ニッチなことをやっている部類なんじゃないか、と思います」

と、ぶっ込むことができました。

「果たして今の私は皆様にとって、“橘田先生” なのか “えりお先生” なのか、あるいはまだ私が誰かわからない存在なのか、わかりませんが、今私が何をやろうとしているのか、一言で申し上げると…」

ここで少し間を置かせていただいたところ、会場全体がシーンと静まり返り、自分に注目が集まったのを感じられました。

「なるべく早く、医者を辞めようと思ってます」

どっかーん。

「そのために動いています。またこの場に立った時、ここにいらっしゃる全員が、私が何者かを認識している、そこを目指します」

若手の頃は「プレゼン下手」で通っていた私ですが、インスタライブをやった甲斐もあったのか、なかなかいい形で「終わらせる」ことができたではありませぬか。

スピーチのあと、研修医の頃から可愛がっていただいていた、とあるビッグネームな女性から「詳しくお話を聞きたいわ。私との対談企画なんて、興味あるかしら?」と、いきなり大きな仕事が舞い込みました。ベンチャー気質なだけあり、同門会に出入りされているのは医師のみならず、ちょっとしたビッグネームな方などもいらっしゃってたりする、この医局ならではの「会の締めくくり」。

最後「お父さんはもう、寝る時間だよ~」
すっかり早寝早起きになってしまった師匠=お父ちゃんと「あの時」のように途中まで電車で2人、帰路についたのでした。

〜完〜



キャリア重ねても…旅ブロガー女医が他人の意見を素直に聞く訳

活字離れの時代――医師があえて「文字での表現」を選ぶわけ

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