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フリーランスなのに「医局と切れていません」旅ブロガー女医えりおの思惑

今回のテーマは「医局」

「医局」といえば…「白い巨塔」!?

皆様、そして世間のイメージは、どうでしょう、
決してよろしくないイメージが先行しているのではないでしょうか。

幼稚園で誰一人友達ができず、小学校ではいじめられ、その後も友人がたくさんできたわけではなく、2つのオンラインサロンに一時期所属するも、2つとも追い出されるという過去を持つ私、正直、人と関わりあうのは正直面倒臭い。団体行動を避けて過ごしております。

が、そんな私でもまさかの「医局」と「付かず離れず」の繋がりを保っているのです。「集団」を嫌う私が、よりによって、各メディアで度々物議をかまし、おそらく「フリーランス女医」の名前から予想もつかない、「アノ集団」医局とですよ!?

今回はそのあたりを、お話しさせていただこうと思います。


「フリーランス」なのに「医局」と「切れて」ないの!?

【私のキャリア形成】 「医師でありながら週の半分旅に出るライフスタイル」を可能にした方法とはで書きましたが、私は「フリーランス女医」と名乗っているものの、医局で育ててもらったフリーランス、です。所属していた医局との関係は、決して「切れて」はおりません。
どれほど切れていないかというと、全く同じ日に医学部卒業20周年来の同窓会と、4年ぶりに医局主催で現役・OB・OGを交えた「同門」懇親会がある、となった際、同窓会ではなく医局を選んじゃったくらいです。笑

いったん辞めて医局人事から外れておりますので「現役医局員」ではありません。
が、現役医局員・OB・OGが集まる「医局同門会」一員であり、今でも年会費を納めております。
年1回、医局から対外的に発刊される医局の機関紙にOGとして800字ほどの近況報告文を寄稿させていただいてたりもします。ブログへのQRコードつきで。笑

私が医局を辞めてフリーランスになった翌年、私と4学年しか先輩でない(つまり私が大学1年の時に5年生でいらした)O先生が、40代にして主任教授になられ、「今後ともよろしくお願いします」とご挨拶に行った際、「嘘言え! やめてから一度も医局の世話になったことないし、今後も世話になんかなるつもり、ないくせに笑笑」とケラケラ笑われながら返されましたが、確かにその通り笑。

通常、辞めた後の働き口ですとか、開業される際、医局員を派遣してもらったりするケースが多いようなのですが、私はそういうのは一切なく、医局内では「あいつすげえや」ってなっていたとかいないとか。

しかしそれは別に医局と仲が悪かったから、ではなく、本当にお願いする必要がなかったからなのでありまして笑 兎にも角にも、医局と揉めてやめたでもなく、かといって癒着することもなく!?研修医の時から仲良くしてくださっていた先輩O先生が主任教授になられたことで、今でもお付き合いはあります。

ということで、この記事で医局に対する憎しみやイザコザ!?みたいなオチを期待している方、申し訳ございませんが、そういうのは、一切ございませんので先に申し上げておきます。


医局を離れる=出世街道を外れる…もう「医局を越える存在」にはなれないのか?

「お付き合い」はあるといっても、辞めるタイミングとして、若干不本意というか、出世に未練を残した状態でしたので、辞めたとしても現役医局員から引き離されたくないみたいな!?「意地」みたいなものは多少あります。

やっぱり、医師のキャリアとしての最高峰は、大学の主任教授である、という認識が、私にはどうしてもあって、「医局をやめた=医師として“最強”にはなれない」という思いが消えません。
そんな中、自分の年代で医局に残っている人間は、講師・准教授として活躍し、4つしか学年が違わないO先生は主任教授になられていらっしゃいます。

O先生は「別格」でしたけれども、それ以外の、同年代で講師・准教授となられた方々や、まだ医局に残っている先生方と、自分とで、そこまでの実力の差はあったのか…。
医師としての実力、あるいは「医局内の政治力」の面ではあった、かもしれません。

が、医局に力を借りることなく、医師として、ブロガーとして収入を得て、自由気ままに旅をしている。

その辺りをトータルに考えると、果たしてどうか。

2つのオンラインサロンから追い出された経験からわかったのが、「集団」に居づらくなる理由というのが、自分とその集団との「歩調」が合わなくなったときです。つまり、自分が集団より進化してしまった場合か、その集団に置いていかれてしまった場合。

オンラインサロンとの「決別」はどちらかというと、私自身が彼らより歩みを進めてしまったことが原因でしたが、医局との関係の場合、あり得るのは、私が医局の「歩み」についていけなくて、置いてけぼりをくらってしまう可能性です。そうは絶対なるものか、という、私個人の意地みたいなのがあって。

もちろん、医学のみで、医局より最先端を行くのは、ムリです。しかしそこにブログやSNS発信、WEBマーケティング、PRなどの「異業種」としてのキャリア、そして「ノマドワークの実現」なんてのが掛け合わされたとき、果たしてどうか。決して負けてないんじゃないか、とか思いたい部分があるんです。

医局を辞めた私は医師以外の自分独自の道で、医局内で講師や准教授になった彼らや、はたまた大学の主任教授となったO先輩に匹敵する!?唯一無二の道を探してやるぜ、というのが今の私の野望であり、今の私が医局という場で果たして彼らを前に「気後れ」しないでいられるか、これが、私が自分に対し勝手に課した、挑戦みたいなものでもあり、現在もその挑戦は進行中なわけです。


果たして私の「複業」関心を持ってもらえるのか…?

「発信者が一番憂慮すべき事態はアンチではなく、無関心な人々だ」ということは過去にこの連載で再三書いておるわけですが、医局の先生方との関係で、私が一番避けたい事態が、私に対しての「無関心」です。笑 かまってちゃんかよ。

そりゃ、会ったこともない若手の医局員たちに「え、あれはもしかして、えりお先生では!?」と言われるレベルには、もちろん達しているとは思いません笑。
が、私をすでに知る先生方が、今でも私の発信する内容に関心を持ってくださっているのか、そこは気になるじゃないですか。笑

医局と仲違いはしていない、とはいえ「一度も医局の世話になっていない」状態の私が発信する内容を、お師匠方、先輩、後輩が日ごろどれだけチェックしてくださっているのか、そもそも私の消息というものに、いかほど興味を持っていただけているのか、年会費払ってますし(笑)そこは忘れられたくはないじゃないですか。

それ以外に、大学病院、ったって分院ですけど、4人体制の医局で、お師匠=「お父ちゃん」に次ぐ医局長、つまりはナンバー2だった時代に、私の下で働いてくれた男子2人も、あの頃はだいぶ私に懐いてくれたかのように、私は思っていたけれども、もしかしたら内心そうではなかったかも? 

今でこそパワハラとかなんとかハラとか、色々ありますが、あのころは色々言ってしまっていたしなあ…とかなんとか。大学を離れて「医局長」という肩書きがなくなっても、今までと変わらず接してくれるものなのか…。

いろいろと要らぬことを考えておるわけですよ。

実は4年ぶりの同門懇親会はすでに開催され、もう結果は出ております。
あれこれ考えていたことは全て、杞憂に終わったからこんなこと書いてるわけで、詳しい経緯は次回以降、というわけなのですが、かなり予想のナナメ上を行く感じですから。期待して待っていてください。

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