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【医局でのキャリア形成】 「医師でありながら週の半分旅に出る」まで何年?

フリーランスなのに「医局と切れていません」旅ブロガー女医えりおの思惑より、大学の医局をすっぱり辞め、日ごろ「フリーランス女医」を名乗り、好き勝手に旅行している私と、以前お世話になった医局との繋がりについて、
今までいかに人と関わりあうのが面倒臭く、団体行動を避けて過ごしているか、つらつらと書き並べてきたにもかかわらず、医局とは「付かず離れず」の繋がりを保ってきたこと、医局を辞めたからといって没落したんじゃないぞ的な意地がある、なんてことを書きました。

2020年にコロナ禍に突入してから4年弱、医局と交信が途絶えており、ここへきてようやく、4年ぶりに開催された医局の同門懇親会に顔を出したりして、どうだったのか、というところだったかと思うのですが、
実はそのことを書きながら、
「自分は医局にどう育ててもらって、週の半分旅に出られるご身分になったのか」について、
ブログやnoteでは書いてたけど、m3.comメンバースメディアの連載では書いていないじゃないか(!)ということに気づきました。

今回は少し時間を戻して、その頃のことを書いていきたいと思います。



若手医師が知りたい!?「医局」 貴重な2つの「問い」

以前の記事でもご紹介した、「m3.comメンバーズメディアから先生のブログにたどり着きました」とおっしゃるはなこさん(仮名)より、以下の貴重なご質問、

<質問1>よく旅に出るライフスタイルに憧れるのですが、どのような仕事のフリーランス医をされているのですか?

<質問2>先生のような立場になるには、一から勉強すると何年かかりますか?

これがもろに「医局」に直結する内容でしたので、以前書いた内容を医局視点でアップデートしつつ、この場でご紹介いたします。


私の「医師として」の専門分野

形成外科の専門医を持ち、皮膚科のクリニックに勤務しているので、厳密にいうと専門は形成外科であり、所属していた医局も皮膚科ではなく形成外科です。

私が医学部を卒業し、医師免許を取得した2003年というのは、現行の研修医制度が不要で、1年目から医局に入局可能な、最後の年でした。

亡き父が所属していた耳鼻科・頭頸部外科、皮膚科、形成外科の3科から、なぜ形成外科をチョイスしたのかというと、形成外科の医局は1990年4月​​開設と、歴史がまだ浅く、どこかしら「ベンチャー企業」的な要素を感じたからです。

しかも、実は自分が学問的に、形成外科以上に興味があったのは、皮膚科でした…笑 本当は皮膚科の医局に入るべきだったんでしょうが、ちょっと保守的なニオイがして、合わなそう、だけど、形成外科の医局は新しい風が吹いているような、そんな雰囲気で、なんか楽しそうだし、まずは皮膚の手術から覚えればいっか♪

なんてノリで入局したのですが、それが大正解だった、という事実を、フリーランスとしてほぼ10年過ごした、今の時点で噛み締めることになるとは。

とはいえ医局とは政治力も絡んでくる世界、男女格差も決してないとは言えない中、自分の実力だけで大学にずっと残って教授まで出世できる確証はありません。

ということで、万が一大学を出されたときにも食べていけるよう、プランBも可能なキャリア形成が必要となっていくわけです。
そこで出てきたプランBというのが、本来興味があった、皮膚科という分野です。

ちなみに通常、大学以外で形成外科だけで食べていく、となると、まず、美容外科・美容皮膚科といった分野が筆頭にあがります。が、この分野、形成外科未経験でもできるため、商売っ気のある他科出身の先生も手をつける分野。いわば競争過多な状態です。これは都会にあふれている美容クリニックの数を見れば容易に見当がつくことではないでしょうか。

当然、経営手腕が問われますし、雇われる側からすると、時給などの給与面は悪くなります。

加えて、私は、保険外診療に特有の、いわゆる「接客業務」的なアプローチ、これ絶対やりたくなかったのです。患者のニーズを第一にする治療、完全に患者の「言いなり」になる診療は正直ゴメンでした。保険診療を続けたかった。

「保険診療」で「食べられる」「仕事のニーズがある」分野のうち、形成外科医が会得するのが多いのが、皮膚科あるいは整形外科分野です。実は形成外科の医局が1990年4月​​に開設したというのは、「皮膚科の医局から独立」という歴史があったりします。ので、形成外科の医局にいながら皮膚科を学ぶということに対して、ハードルが低い。これは皮膚科に興味があった私にとって、願ったり叶ったりでした。

「大学を辞めることになったら皮膚科でも食べていけるように」
「皮膚科寄りの形成外科医、というのも面白いじゃない」
と、私の気持ちを理解し、バックアップしてくださった指導者というのが、私が医局を去るまで、一番手をかけていただいた師匠であり「お父ちゃん」であります(※師匠ご本人公認につき、実際本人を前にしてこう呼んでました笑)。
この「お父ちゃん」のサポートを受けながら家族以上!?に多くの時間を過ごし、割と若手のうちから、皮膚科の習得も視野に入れてキャリア形成をしてきました。

(ちなみに家族といえば、2019年に亡くなった私の実の父。私や「お父ちゃん」と同じ医科大学の卒業生で、2012年に我々が務める大学病院に入院した経緯から「お父ちゃん」とも面識があり、医局では2人して「リアルとーちゃん」と呼んでおりました。)

形成外科専門医の取得以降、主にやっていた手術はホクロ取りや皮膚がん治療など、形成外科の中でも、皮膚科の先生も実践している医師もいるにはいる、皮膚外科という分野が中心。

形成外科の医局に所属して皮膚外科を極めながら、皮膚科に頻繁に顔を出し、皮膚がんについては業務提携体制を強化したりなど、接点を強固にしながら、皮膚科のアルバイト業務もこなし、外来診療レベルで日常的に遭遇する、アトピーやニキビといったような、いわゆる“common disease”について勉強しました。

かくして、私は形成外科の医局にいながら、
皮膚科専門医の半分の所要時間で、皮膚科の医師よりはるかに綺麗に手術を行える皮膚科医
というスペックを手に入れることとなった
わけであります。


“代わりのいない人材になる”という戦略

フリーランスになって、あらゆる病院・クリニックで皮膚科の診療にあたっているわけですが、同僚の皮膚科医師からは、おそらく「皮膚科が専門」という認識は持たれておりません。

が、形成外科サイドから見ても、私は「形成外科っぽくない」医師としてとらえられているはずです。

そして、このスペックを持つ医師は、ややレアキャラです。

こうもなるとライバルは少なくなる。

当然、フリーになった後、より良い条件の仕事を選びやすくなり、今に至ります。

ブログのアクセス数を増やす戦略として、

いきなり大手メディアが書いているようなメジャーなテーマを取り上げるのではなく、その情報を必要とする読者が少なくても、他にライバルのいないような、自分にしか書けないテーマから着手する

というものがあります。

私は、医師としてもこの戦略を実践しています

ニッチ市場といいますか、

自分が活躍できるポジションを、人とはちょっと違った視点で目指していく。

人と違うキャリアを持つことで、
人と違う生活ができる。

「そう代わりのいない人材市場」に少し足を踏み入れることができ、そんな私を重宝してくださる職場とのご縁に恵まれて、旅ブロガーと両立させていただけている。

こういう原理です。


「えりお先生のような立場になるには、一から勉強だすると何年かかりますか?」

ズバリ申し上げます。

医師国家試験に合格してから、私の今のポジションに並ぶのに要する年数は10年です。

10年とは、どういう年月なのか、

まず肩書きだけで見た場合

大学の医局で順当に進んだとして専門医までに7年(科によっては6年?)
上級専門医(抗加齢医学会など)や指導医/分野指導医までにプラス3年

さらにうまくいけば医学博士も取れる年数です。

自分はこの年数で

  • 形成外科専門医

  • 皮膚腫瘍外科分野指導医

  • 日本抗加齢医学会専門医

  • 医学博士

もれなく全部取りました

この10年で、確固たる「後ろ盾」を味方につけることが絶対条件だと思います。私の場合、言うまでもなくお師匠であった「お父ちゃん」がその人であったわけです。


「世渡り力=政治力」とコミュニケーション能力は必須です。

先輩、後輩、指導者、看護師、コメディカル、事務スタッフ、すべてにおいて良好なコミュニケーションを可能とするスキルを身につけるのも大事でした。

そして女性の場合「男性社会と正面からのガチンコ勝負に行かないこと」、

このあたりを教えてくれたのも「お父ちゃん」でした。

私がここまで、医師としてのキャリアを会得するのは、医局への所属なくしては絶対に不可能だったことでした。医局内である程度の政治力を持った指導者のバックアップ=後ろ盾が必要不可欠だった、というのもありますが、

師匠に本格的に師事するそれ以前、「ならず者」だった20代研修医の私の根性をたたき直してくれた、『キャリア重ねても…医師ブロガーが他人の意見を素直に聞く訳』で「ちょっと苦手だった」と書かせていただいていた3つ上のA先生だったり、そして今やカリスマ主任教授となられた4つ上のO先生だったりと、まあもうたくさんの先輩方が私をイジリながら、時には厳しく育ててくださったからこそ、今の私があります。

医局を辞める際も、波風を立てずに、と思ったのは、師匠である「お父ちゃん」や今までお世話になった先生との繋がりを、完全に断ちたくなかったからこそ。

そして前回も書きましたとおり、今度は「異業種」で、医局の先生方に負けない活躍をしていきたい、と思うに至っているわけです。

はい、ということで、さんざん引っ張ってまいりました。4年ぶりの同門懇親会で久々に医局に「凱旋」し、どうなったのか、いよいよ次回書かせていただきますので、固唾を飲んでお待ちくださいませ。


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