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日記『繁華街を歩いて』

歳を重ねるごとに出不精になってしまい、さらに買い物がamazon生活中心になって繁華街への外出は食事くらい。

ネット通販もない学生時代はアルバイトで稼いだお金を持って電車で繰り出し、きらびやかな街を歩きながらお目当てのものを足で探しつつ地元にはないコジャレた食堂や喫茶店に寄るのが楽しみだった。

たまたま取引先との付き合いで京都は河原町界隈と錦市場、大阪は心斎橋界隈と宗右衛門町を歩き回ることに。

久しぶりに練り歩く街は多少その頃の面影は残しつつも、今では表通りはハイブランド高級店がひしめき手軽な店が減ったなと時代の変化を感じる。

庶民の台所と言われていた錦市場、宗右衛門町は今も変わらずさまざまな食べ物を扱ってはいるが庶民市場の名を騙った加工も価格も明らかに観光客向テーマパークと言っても過言ではない。

モノの違いがあるかもしれないが、現地人としては観光地価格を差し引いてそれでも割高な商品に手を出す気にはなれない。

もちろん店も商売、一見の太い客を相手にするのも手法の一つなので仕方ない。

取引先の社長に夜の祇園の街並みを案内してもらった。昔から夜の蝶やお酒に全くと言っていいほど興味がなかったので、初めて歩く夜の祇園。まばらな通りの人影にこんなものかと思っていたら社長曰く、こちらも全く様変わりしてこれは閑古鳥の鳴くような閑散とした状態らしい。

確かに言われてみるとネオンは思ったより薄暗く、売、貸物件の看板もちらほら見える。

日本は内需型なのが強みと社会の授業でならった記憶があるが、いつしか小売店は外国人観光客を相手に、国内の社長の多くは祇園に繰り出す余力もなく景気は外需依存に変化していたんだなと思った。

京都はもともと観光資源に溢れた地域であり、観光資源の取扱い方をしっかり理解されているはずなので今後も安泰かと思われるが、多くの地域がオリンピックを間近に控えてインバウンド施策に力を入れていることだろう、バブル時代を過ごしたこにたんとしては、それっぽいものに乗せられて崩壊していったあの頃の二の舞にならないよう祈るばかりだ。

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