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個人の生、時代の生

女子断髪禁止令」。こんな法律があったことをご存知だったろうか。

調べてみると、明治政府は江戸時代まで身分ごとに決められていた髪型や服装の自由を認めたという。これにより男性に続いて、髪を短くする女性が現れたのに対して、「女性が髪を短くするのはいただけない」ということで、女性が断髪するのを禁止した法律だ。

ショートヘア歴がかれこれ10年以上の私は、この法律の存在を知ってあんぐりした。すきな髪型すら法律で許されていなかった時代があったのだ。もちろん今でもTPOをわきまえる、とか暗黙のルールみたいなものはあるけれど、ショートヘアだから処罰を受けるなんてことはない。(と思ったら、ツーブロック禁止の学校や会社もあるみたいだけれど、話がややこしくなるので、ここではこの事例は一旦置いておく。)

そういえば、と思った。最近見たVogue Japanの「禁じられたファッション、100年の歴史。」という動画の中でも、アメリカでは1993年まで上院議場で女性のパンツスタイルが禁止されていたとあった。

すきな服を着て、すきな髪型ができるのは当たり前だと思っていたけれど、それは今の時代に生まれたからこそできることなのだった。自覚・無自覚に関わらず、生まれた時代はひとりひとりの生き方に大きく影響している。

人はいつでも、「個人の生」と並行して、「時代の生」も生きなくてはなりません。 

梨木香歩さんの『ぐるりのこと』というエッセイ集の中にある一説だ。「個人の生」と「時代の生」。私はこの一文を読むといつも、私の母の話を思い出す。母の実家は地方の農家だった。勉強が好きだった高校生の母は、祖父に「大学に行きたい」と申し出たという。そんな母に祖父は言った。

「百姓の娘が大学まで行ってなんになる。」

政府のデータによれば、2013年現在で女性の大学進学率は45.6%だが、当時、女性の大学進学率は5%にも満たなかった。ましてや、母の生まれ育ったところでは、農家で女の子を高校まで進学させるのもそれほど一般的ではなかったらしい。母は結局、高校卒業と同時に集団就職した。

そして、百姓の孫であるところの私は、高校時代、進路を散々迷った挙句、大学に進学した。母も父も、大学進学そのものには反対しなかった。思えば、昔から両親にああしろ、こうしろと言われたことはなかった。学校の成績が悪くて怒られたことも、良かったからといって特別褒められたこともない。

「自分でしたこと、決めたことには、自分で責任を持ちなさい。」

これが母の口癖だった。そういう考え方の家庭で私の「個人の生」は始まり、女性の大学進学も珍しくない「時代の生」を私は今生きている。

今、自分はどう生きていて、これからどう生きていくのか。今はどういう時代で、これからどういう時代になるのか。決して切り離せない「個人の生」と「時代の生」。時に濁流に飲み込まれそうなときがあっても、荒波が押し寄せても、人生という航海を軽やかに楽しんでいきたい。

<参考>


ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。