読書備忘録_第3弾_4

【読書備忘録】魔法の夜から神秘列車まで

 ここ数日諸事情で自室のエアコンを使えず、師走の冷気に泣かされていた百句鳥です。末端が冷える方なので、読書する手の感覚が失せて何度も本を落としそうになりました。蝉時雨の季節には指先の汗を拭き拭き頁をめくっていましたが、この短期間で世界は常冬であるという説を唱えたくなるのですから単純なものです。幸いエアコン使用可能になり、明日からは凍えずに済むと思います。
 すっかり空気も乾燥してきました。ウイルスの流行する時期ですし、皆さまも体調には気を付けておすごしください。私も去年みたいにインフルエンザで寝込まないよう万全を期します。年末にも面白そうな本が発売されるので、体調を崩している場合ではありません。


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魔法の夜

*白水社(2016)
*スティーヴン・ミルハウザー(著)
*柴田元幸(訳)
 魔法の夜
 スティーヴン・ミルハウザー氏の小説はおもに白水社より翻訳出版されており、二〇一五年の『ある夢想者の肖像』を皮切りに毎年刊行されている。本書『魔法の夜』はその定期的刊行の二作目にあたる。原語版の初出は一九九九年。魔術的・幻想的な演出と彫刻を作るような緻密な文体で、立体感のある世界を構築するのがスティーヴン・ミルハウザー氏の特徴だが、このおもちゃ箱を思わせる中編小説でも、童話の色を施して雰囲気を変えながらささやかな夢幻を表現している。中編小説といっても、非常に短い章が折りかさなる構成なので掌編小説集に似た趣がある。大きな事件が起こることはない。これは海辺の町で暮らす人々の、八月のある一夜にスポットライトをあてた物語である。眠れない時間をすごす少女からマネキン人形に情熱を注ぐ酔っ払いまで、さまざまな人間たちが登場する。中には仮面を装着して家屋に侵入する少女たちといった奇妙な集団も現れるのだが、淡々とした詩的な語り口の効果なのか、すべて夜の町に見せられた壮大な幻影のように感じられる。

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プラータナー 憑依のポートレート

*河出書房新社(2019)
*ウティット・ヘーマムーン(著)
*福冨渉(訳)
 東南アジア文学の邦訳は残念ながら旺盛とはいえない。それだけにタイ現代文学を牽引する作家の作品が翻訳刊行されたことには大変な価値がある。表題のプラータナーの意味は日本語でいう欲望にあたる。この欲望には未来に対する希望等の意味も含まれており、本作品の核をなす言葉である。おおまかな筋に触れよう。二〇一六年を生きる芸術家カオシンはSNSで不思議な青年ワーリーと知り合い、対話をかさねながら過去を暴露していく。その過去は国家治安維持評議会のクーデター、大学入学後の出会いと別れ、数多の犠牲者をだしたデモ隊強制排除、そうした社会と人間関係の揺らぎに翻弄されてきた、切なく、血なまぐさいものばかりである。凄惨な情勢の中で芸術に生きる人間の苦悩が痛切に響く。著者ウティット・ヘーマムーン氏は芸術大学絵画彫刻版画学部を卒業、後にタイ国文化省現代芸術文化局よりシラパトーン賞(文芸部門)を受賞するヴィジュアル・アーティストでもある。長年の勉強と研究で培われた審美眼は、芸術を探究する中で生じる人間関係の破綻を描きだすグロテスクな筆致に結び付いている。

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パウリーナの思い出に

*国書刊行会(2013)
*アドルフォ・ビオイ=カサーレス(著)
*高岡麻衣(訳)
 野村竜仁(訳)
 ブエノスアイレス生まれの作家アドルフォ・ビオイ=カサーレスは、幻想文学の書き手としてアルゼンチン文学史に大きな足跡を残した。親交のあるホルヘ・ルイス・ボルヘスとオノリオ・ブストス=ドメックという共同筆名で活動していたことでも知られる。けれども今のところ邦訳や復刊は残念ながら盛んとはいえず、この短編小説集『パウリーナの思い出に』は短編小説を愛し、得意としていたビオイ=カサーレスを知るのに誂え向きだろう。読み始める前は、円環・無限といった諸概念を膨大な知識の渦で濾過するボルヘス的な作風を予想していた。ところが最初に掲載されている表題作でボルヘスとの相違を見たのであった。ある女性との相思相愛を信じていた青年が本人から別の男性を愛している事実を告げられ、失意のまま奨学金を受けて留学するくだりは正統的な恋愛譚を匂わせるのだが、帰国後にジャンル自体が転換するほどの急展開を見せる。と思えば並行世界を題材とした『大空の陰謀』、犯罪に手を染めて精神的に追い詰められていく夫婦を描いた『墓穴掘り』、死亡した知人の記録に「信頼できない語り手」の技法を盛り込んだ『雪の偽証』等、幻想性を貫きながらも意表を突くプロットを披露するという職人の技を堪能できた。

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シンコ・エスキーナス街の罠

*河出書房新社(2019)
*マリオ・バルガス=リョサ(著)
*田村さと子(訳)
 大金持ちが一枚の写真で強請られる話はめずらしくない。妻たちが同性愛に耽る話もめずらしくない。ゴシップ雑誌にどん底に突き落とされた落伍者の話もめずらしくない。政府の陰謀を暴く話もめずらしくない。それなのにいずれも含まれている『シンコ・エスキーナス街の罠は』は非常に稀有な話である。マリオ・バルガス=リョサ氏の小説には隙がない。どの時代でも、どの小説でも緻密な設計図が用意されており、完璧な構造の美しさを見せてきた。その文学的試行を支えるものを断定することは難しい。しかしこれまでのバルガス=リョサ作品を顧みれば、そこには権力に対する類まれな洞察力と飽くなき批判精神を認めることができる。そうした人間観察の成果は政治の世界に現れることもあるし、背徳的な官能の世界に現れることもある。アルベルト・フジモリ政権時のリマのある市街地を暴力・倒錯・欲望・貧困の象徴として、悪辣な国家の陰謀を、富裕層の倒錯した営みをジャーナリスティックに描きだした本作品は、短めの長編小説ながら彼の集大成ともいえる小説だろう。メタな視点で作品を語ることはあまりしたくないのだが、大統領選挙で争った経歴があるだけにアルベルト・フジモリ元大統領の汚点に切り込むテーマが設けられている点にどうしても特別な意味を見出してしまうことをお許しいただきたい。

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人はなぜ物語を求めるのか

*ちくまプリマー新書(2017)
*千野帽子(著)
 人は物語を求め、物語を作りながら生きている。ここでいう物語とは創作等の表現行為に限るものではなく、日常の中で意識的・無意識的におこなう思考も指している。例えば人は不可解な現象に遭遇すると「何故?」という疑問を抱き、さまざまな因果関係を拵えて即席の答えをだそうとする。しかし、その思考過程ではしばしば誤謬が生じ、物語の体をなした仮説に至る。こうした物語化の過程に言及し、物語論と並行して論ずる点が『人はなぜ物語を求めるのか』と題された本書の特色だろう。古今東西の文学・哲学から現代の事件まで扱う豊富な題材も面白い。難解なテーマを扱いながらも新書ならではの平易な文体で綴られており、巧みな情報の取捨選択がなされているところも含めて非常に優れた手引きとなっている。また他者に影響を与えがちなコントロール幻想の仕組みもロジカルに説いているので、日常生活はいわずもがなSNSにおけるユーザー心理を見抜く目も養われてお得だ。余談ながら発売当時以来久しぶりに読み返したのだが、新たに発見できたことがたくさんあった。

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中二階

*白水Uブックス(1997)
*ニコルソン・ベイカー(著)
*岸本佐知子(訳)
 実験小説の話題には欠かせない名著。ニコルソン・ベイカー氏はアメリカ合衆国ニューヨーク州生まれの作家で、二〇〇一年には全米批評家協会賞を受賞した。けれども彼の名前は処女作『中二階』が発表された一九八八年には全米の読書家に知れ渡っていた。この特異な小説が彼を時の人にした。ある男性が昼休み中ドラッグストアで靴紐を買ってオフィスに戻る。大雑把に説明すると本作品における出来事はこれしかない。オフィスに向かう途中、厳密にいえばエスカレーターを昇りエスカレーターを降りるまでのわずかな時間に想起される事柄、その脳裏をよぎる日常的記憶の断片にひたすら言及するだけで日本語訳にして二〇〇頁近くも費やすのである。また、顕微鏡で覗き込むような微細な描写・説明の積みかさねが特徴で、注釈の割合が本文を超えることも頻繁にあるため読みながら幾度も目が点になる。本作品では注釈は本文に付随するものではなく表裏をなすものなので、注釈もまた本文と解釈して読むことが肝要である。この遊び心とも悪戯心ともいえる試みは当時のアメリカ文学界にかなり衝撃を与えたようだ。納得がいく。仮に思い付いても実践するのは困難だろう。

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ほんとうの中国の話をしよう

*河出文庫(2017)
*余華(著)
*飯塚容(訳)
 余華氏は現代中国文学界を牽引する存在だ。一九六〇年浙江省の病院に務める医師と看護師の次男として誕生。文学の世界に飛び込む前は海塩の診療所で歯医者を務めていた。幼年時に文化大革命、魯迅文学院創作班在籍時に天安門事件を経験し、改革開放後の現代を生きる文豪は激動する中国を冷静に眺望する。アメリカ滞在中、講演準備過程で生まれたエッセイ集『ほんとうの中国の話をしよう』は、過去を顧み、社会問題や国民性を吟味し、自身の思想を添えて国外に発信する方針で編まれているので、私のような不勉強者も優しく迎え入れてくれる構成になっている。本書は一〇章にわかれている。各章に鍵となる題名が付けられており、体験談を交えながら感想を叙述するという形式。哀愁をただよわせ、感慨を込め、ときおり批判的にたしなめる語り口は母国を内外から見据えられる余華氏ならでは。なお本書は中国本土で発行禁止処分を受けたため、中国語版(繁体字版)は台湾で刊行されている。天安門事件を始め、中国史の禁忌に触れることには危険がともなうのである。もっとも翻訳担当の飯塚容氏が解説で書かれている通り、どうやら著者も国内刊行には固執していないようだ。外国での講演を元にするこの随想録は、我々外国人に向けられたメッセージでもあるのだろう。

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エウロペアナ 二〇世紀史概説

*白水社(2014)
*パトリク・オウジェドニーク(著)
*阿部賢一(訳)
 篠塚琢(訳)
 記念すべき第一回日本翻訳大賞受賞作品。本作品は歴史小説なのか。そもそも小説なのか。副題に二〇世紀史概説という「反語」を与えられた『エウロペアナ』は特殊な書物なので、概要を説明するだけでも容易ではない。所謂物語の筋らしい筋はなく、ヨーロッパの二〇世紀を象徴する出来事を六六の段落で振り返るのがおおまかな流れである。けれども年代順に語る真似はせず、段落ごとに(ときには段落の中で)時代も話題も変えていく。ジェノサイドの犠牲者に言及していたら性科学者によるバービー人形解釈に移り、映画における主人公たちの性交の変遷を語り始める。共産主義者による革命裁判の話をしていたと思えば、いつの間にかランダム・アクセス・メモリの話に変わっている。まるで自由連想するように次々飛躍する。そのため読んでいて「自分は何を読んでいたんだっけ」としばしば当初の話を失念するのだが、主題の転換が巧みなものだから変化に気付かないまま読み続けてしまう。まさに筆力の賜物であり、図書館員を務めた後、翻訳と並行してチェコ語の口語表現、スラング、隠語の辞典を編集した経歴を持つパトリク・オウジェドニーク氏の本領発揮といえる。

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ある青春

*白水Uブックス(2014)
*パトリック・モディアノ(著)
*野村圭介(訳)
 パトリック・モディアノ氏は『ある青春』を発表すると、若くしてベストセラー作家の仲間入りを果たした。すでに複数の受賞歴を持っていた。けれどもゴンクール賞受賞後の第一作目で、母国フランスでベストセラー上位を占め続けた『ある青春』は出世作と呼ぶにふさわしい名著である。パリから離れた山荘で暮らす主人公の家族。穏やかな日々をすごしているとわかる平和な情景が描かれるが、子供たちを眺める夫婦は仄かな陰を覗かせている。夫の名前はルイ、妻の名前はオディール。二人の胸中には子供たちが知るはずもない自分たちの放浪の日々が秘められていた。それは一五年前、兵役を終えてあてもなくさまようルイと、勤務先をクビになり町はずれの音楽ホールで歌うオディールの苦く切ない生活だった。二〇歳に届かない若輩の二人は希望もないまま暮らす内に偶然出会い、野望を抱くも敗れていった陰気な大人たちと奇妙な交流を始める。寂寞とした雰囲気が若い恋人たちを哀しくも美しく浮きあがらせる。この青春小説が邦訳されたのは一九八三年。単行本版の後書きではヌーヴォー・ロマン以後の代表的な中堅作家と紹介されており、期待の若手と認識されていた当時の風潮を垣間見ることができる。そのモディアノ氏も今では「現代のマルセル・プルースト」と評されるノーベル文学賞作家として現代フランス文学を盛りあげている。

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神秘列車

*白水社(2015)
*甘耀明(著)
*白水紀子(訳)
 初めて読んだのは発売間もない頃。ノーベル文学賞作家莫言氏に賞賛されたという話に惹き付けられて購入を決めた。甘耀明氏の作品を読むきっかけは莫言氏の言葉だった。けれども今は他者の意見ではなく、自分自身の意思で甘耀明氏を追いかけている。そうした経緯があるだけにこのオリジナル編集による短編小説集には特別な思い入れがある。政治犯だった祖父が乗ったという神秘列車を探している鉄道マニアの少年と、国民党による白色テロで離別した祖父と祖母の物語が交錯する『神秘列車』。土地神である伯公を崇めながらも、観光地化にともなうグローバリゼーションを受け入れられない村長の奮闘を描く『伯公、妾を娶る』。物語を愛し、語りすぎることから素麺と揶揄されてきた祖母の遺言に従い、孫が葬儀でさまざまな話を語る『葬儀でのお話』。町に現れたアミ族の二人組を通して、原住民族が住んでいた昔日の森林を想起させる『鹿を殺す』。甲乙付けがたい秀作の数々に驚嘆すると、私はたちまち甘耀明作品の虜になった。北京語、閩南語、客家語を複雑に絡める彼の文体を翻訳するのは至難の業だろう。それでもこの台湾文学の至宝を流麗な邦訳で紹介してくださった白水紀子氏には感謝しかない。

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〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録はお気に入りの本をピックアップし、短評を添えてご紹介するコラムです。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという筆者の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている筆者の趣味嗜好の表れです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その旅の中で出会った良書を少しでも広められたい、一人でも多くの人と共有したい、という願望をこめてマガジンを作成しました。

 このマガジンはひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。小さな書評とでも申しましょうか。短評や推薦と称するのはおこがましいですが、一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を記述しています。これでももしも当記事で興味を覚え、紹介した書籍をご購入し、関係者の皆さまにお力添えできれば望外の喜びです。


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