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他人の懐を気にしながら食う飯ほど味気のないものはない

産休に入って1か月がたった。

久しぶりに地元京都で出会った学生時代の親友たちと、5,6年ぶりとかに会ってご飯を食べたりお茶したりする以外は、積読状態だった本を引っ張り出して読み漁ったり、京都にできた新しい飲食店やカフェを巡ったり、散歩をしたり、レシピを書いてみたりしている。


昨日は19歳で出会って約10年の付き合いになる男の親友と朝ごはんを食べにでかけた。京都の老舗料亭、和久傳がプロデュースするこじんまりとしたごはんやさんだ。東山白川沿いに構える店は間口はそれほど広くはないが、大きなガラス扉で解放感があって、2階からの眺めもいい。入ってすぐの長テーブルを10人ほどの客が囲い合わせ、みんなでそろって朝ごはんを食べる。

小さな台所、というコンセプトの素敵さもさることながら、老舗料亭の目の利いた素材や味を背伸びせずに、まるで日常の延長のような空間で食べられるのがうれしかった。センスの良い食卓のしつらえに、洗練されたオリジナルのインテリア。Casa BRUTUSの特集記事を三次元化したかのような憧れの丁寧な暮らしが体験でき、これで朝食2500円は価値があると思う。

朝食を終えると2階のゆったりしたソファーのある空間で食後の珈琲をいただける。親友とはよくこうやって何度も珈琲を飲みに出かけたりしていたものだが、自分が東京で働き始めたり、親友が喫茶店を切り盛りするようになってからは長らく話込めていなかったのでゆっくり話せたのは久々だった。10年という月日が流れ、親友は有名店での下積みを経て喫茶店を開業し、すでに軌道に乗り始めているらしい。一方で私は結婚して、東京での会社員生活をいったん離れて親になろうとしていた。

20代前半の、共通の話題は結婚観や男女関係が多かった。私は例のごとく、結婚しないだの、子どもは嫌いだし、不幸な人間がこの世に増えるくらいなら産まないほうがいいだの極端な持論を展開していたと思う。それが今や臨月を迎えるとは我がことながら苦笑せざるを得ない…

産休中は気楽である一方で社会とかけ離れていくような、疎外感や焦燥感を感じてしまう。会社の名前やタイトルや仕事が自分にない今、アイデンティティを失った、ただの妊婦だ。だからこの2年弱はありがたいことに、育児に専念できる環境を享受することにして、また会社に戻ったときにすぐにでも働けるマインドでいられるような、自己研鑽にあてたたいと考えている。とにかく今現状は専業主婦になったとしても、自分でお金を稼ぐ、という思考を手放したくはないと私は親友に話した。

『でも正直、旦那の稼ぎでも生活できるでしょ?』と親友は言った。

偶然にも、いわゆる総合商社マンと結婚できたティンデレラ(ティンダー経由でうまくいったシンデレラ)の私。一般論的に言えば確かに夫の稼ぎだけでも生活はできるのだろうし、いろんな訳あってキャリアを離れ、今は専業主婦の女性だってたくさんいるだろう。

ただ私は誰と結婚しようが、自分の生業は自分で得たいし、自分のお金で食べるもの、買うものにまさる豊かさはないと考えている。その価値観は、幼いころの食べ物の記憶にルーツがある。

自分のお金でないと、おいしくご飯が食べられない

幼いころ私は祖父母と暮らしていたが、母と弟とは別居しており、いわゆるシングルマザーだった。1年に数回だけ母と3歳年下の弟と私の3人で出かけることがあった。当時小学4年くらいだっただろうか、母は私たち姉弟を大阪のスパワールドで遊ばせ帰りに焼肉を食べに連れて行った。

母は働いてはいたが、自営の祖父母とは違い余裕のある暮らしではなかったと思う。祖父母は母にとっては嫁ぎ先になるのだが、当時関係性はよくなかった。私は子どもながらに、祖父母と母の金銭状況には大きな違いがあると推測し、その日も遠慮しながら焼肉を食べていた。

何となくお腹いっぱいな気がすると遠慮がちに弟に肉を寄せたり、安いホルモンのメニューなんかを注文していた中で、最後何か注文する?と言った母に弟は、2500円もする牛タンが食べたいと言い出した。とっさに、「え、高いしやめない?ほかのにしなよ」という私の提案をよそに、事情の分からない弟は意固地になり、母もいいじゃん頼みなよといった。私はお腹いっぱいだからと嘘をついて1枚も肉に手を付けなかった。

この鮮明な焼肉は今の価値観に精通する記憶なんだろうなと思う。
小学生の私にお金はなく、母をどうしようも助けてあげられない。弟には悪気はなく無邪気に食べたいものを食べたいと言っているだけで悪くはない。財布の事情を握っているのは母だけだ。もちろん、当時母にどれくらい生活に余裕があったのかなかったのかも知らないが、子どもなりに人の金銭事情を気にしながら、食べるものはあまりおいしいと感じられないもんだなと思った。子ども心に感じたその時のやるせなさ、情けなさ、わびしさ、無力さみたいなものと、その時の”食べることへの我慢”が極端だが、飢えを想起させ、一種の恐怖のように思えていたたまれなかった。

またある時、祖父母との食事の話だ。
いつもなら何でも好きなものたべたべ~というはずの祖父が、酒を飲むと虫の居所が悪くなるクセもあってか、「デザートにメロン食べていい?」と言うと「メロン?贅沢な!そんなもん食わんでええ!」と怒鳴られたことがあった。600円ほどのカットメロン。お金がないわけでもなく、外食にはどこへでもタクシーで出かけ、普段の食事も近所のスーパーより高島屋へ買い出しにいくような祖父母だ。そんなことを言うはずもないと思っていたので、その一言はかなりの衝撃だった。

食から得た豊かさの示準

私はこの2つの食事にまつわる記憶から、豊かさの示準を得た。自分が仕事をするようになって、結婚し、子どもを持とうとする今、この食に紐づく価値観は今後の人生を形成する上でも、大きな土台となるだろう。

働かざる者食うべからず、とはよく言ったものだ。自分で稼いだ金で食べるメシ以上にうまい物はない。稼げば稼ぐほどそれ相応に贅沢ができる。私の思う豊かさや豊かな生活の示準は”我慢をしないこと”だ。

食べたいと思ったときに食べたいものが自分のお金で食べられること

身分不相応な食事がしたいだとか、毎日贅沢なものや、高いものが食べたいわけではない。一切の遠慮や心配もなく、自分の稼ぎで食べられるものを食べたいときに食べたい、できればちょっといい飯を我慢せずに食べたい。

人にお願いして、やらせてもらう、買ってもらう、食べさせてもらうのは、どんなに家族や配偶者が裕福であっても、心が満たされるような本当の意味での豊かさを得ることは難しいと思う。他人の資本ありきでしか成り立たないような食事は、明日なくなっても仕方がないからだ。

だから私は、結婚しようが、子どもが生まれようが、他人の懐を気にしながら食べるごはんは味気ないと思う。ワーママが偉いとか、専業主婦がだめだとかそういう論点では決してないけれど、この食から紐解かれる価値観は一生ついて回るんだろうなと今は思う。今の夫と結婚を決めたのも、食にまつわる価値観が一致していたからだと言えるし、あれだけ結婚しない、子どももいらないと言っていた私が家庭を持つことを決めたのも、そういえば食が根源だった。またその話も書いてみたい。



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