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嫌いな人が存在する理由

今日は、
嫌いな人について。
 
嫌な人と一緒にいたいか?
と聞かれると、
そりゃあ、誰でも、
「一緒にいたくない。」
「え?一緒にいたくないから嫌な人なんでしょ?」
という感じの答えが返ってくると思う。
 
そもそも論。
一緒にいたかったら、嫌な人は存在できませんからね。
 
一緒にいたくない人=嫌な人
なわけです。
って、当たり前か(^▽^;)
 
では、その嫌な人との時間をどのように過ごすのか?
どのように過ごしたら、自分の得になるのか?
そういう話です。

先日、ある人のnoteで、
おお~(*'▽')
って、共感したのですが。

その文章の中に、
『人嫌い』ではなく、むしろ『人好き』だから、そこに意識が向くのです。

と、ありました。

なるほど〜( ゚Д゚)

ですよね。


この人のここが嫌い。
と思うという事は、
誰かのここが好きという事。
誰かのここが好きという感情が、
この人のここが嫌いという感情を作っている。
好きという感情がなければ、嫌いは出来上がらない。
好きも、嫌いも、単なる比較であって。
お互いに、意味を与えあっています。
 
人好きだから、人が嫌いになる。
人好き具合を、レベルで表したとします。
人好きレベル1~100まであったとして。
人好きレベル、30の人は、30の人とうまくやっていける。
お互いにフィフティフィフティ。
人好きレベル、80の人も、80の人とうまくやっていける。
 
もし、人好きレベル80の人が、30の人と関係を持つとしたら。
多分、80の人は、30の人に物足りなさを感じるだろうし。
30の人は、80の人に、過剰さを感じるだろうと思う。
 
この人の、ここが嫌いというのは。
その、人好きレベルの違いという事だけなのかなと思う。
 
ただ、人は、好かれることが好きだから。
人好きレベルの高い人と一緒にいたいと思う。
誰かに何かを与えられる人と一緒にいたいと思う。
 
お互いに与え合える関係というのは、
同じくらいの人好きレベルの人。
お互いに居心地が良いと思えるのは、
人好きレベルが同じくらいの人。
 
今、あなたが感じている、
嫌いという感情は。
その人との間に、人好きレベルの差を感じているだけです。

 
自分が80だとして、
相手が30の人だったら、30だけ使えばいい。
30の人に、80を使おうと思うから、嫌いになる。
 
一人として、この世界に、同じ人はいないのだから、
その違いを、ありのまま受け入れて、
自分でレベルを調節してもいいんじゃないかなって思う。
 
嫌いな人と、一緒にいるのは辛いですよね。
でも、この世の中は、大なり小なり、違いで出来ていますから。
生活するには、その違いを受け入れることが必要。
自分が、余計な人好きレベルを使わなければ、
嫌いと思った人でも、うまく付き合っていくことが出来るはず。
 
違いを受け入れること。
それは、この世界を受け入れること。
受け入れたら、目の前に広がる世界は、きっと輝いて見えるはず。
眼鏡を、嫌いで曇らせてしまうのはもったいないから。
受け入れて、世界を輝かせてみてはいかがかなって。
思う訳です。
 
嫌いな人が目の前にいるとして。
その嫌いな人を作り上げているのは、自分。
人好きレベルを、自分で調節して、その人と付き合うようにしたら。
嫌いな人は存在しない・・・。
かもしれない・・・(^◇^;)
 
まあ、目の前の出来事、物、人、等々
全てに意味を与えているのは、自分自身ですから。
どんな意味を与えるかは自分自身でなんとかできてしまう。
ということです。

ただ、人好きレベルが高い人と一緒にいると、
幸せを感じやすかったりしますから。
周りの人を幸せにしたかったら、自分の人好きレベルを上げる事。
 
嫌な人がいるということは、
実は、
人のことがとても好きなのかもしれないよ。
という話でした。

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