#3 親密な2人の関係を客観的な視点から見てみよう

夫婦やカップル、パートナーシップは
1対1の関係性であるが、
友人や家族との関係の延長線上にあるとはいえ、それ特有の点もたしかにある。

ここがいわゆる「付き合う意味」や「結婚する意味」になるのだろうし、
友人や家族とは「何かが」違うからこそ、
パートナーシップへの憧れが生まれるのだと思う。

【導入】冷静でフラットな今のうちに、パートナーシップについて考えておこう

関係性に名前をつける必要はないという意見もあり、私もそれに異論はない。

けれど、自分が結びたい関係が
「パートナーシップ」、
「カップル」、
「夫婦」であるとわかっている場合、
それが一般的にはどういう関係として表されるのかを知っておくことに損はないと思う。

そしてこのことは、渦中にいるとなかなか俯瞰的に見ることが難しい。
「恋は盲目」というだけあって、愛や情熱に支配され振り回され、一歩引いた視点から眺めるのが難しくなることが多い。
我に帰って冷静になった時に、気づくこともたくさんある。
その貴重な気づきを今ここに書き留め、
いつかの私の助けになるようなものになればいいなと、
そんな思いで書いている。

多種多様な関係のあり方を認める一方で、名前のついている親密関係(カップル、夫婦等)のその有り様を、この本と一緒に紐解いていこう。

冷静な今のうちに振り返っておけば、
来る時に取れる選択が変わってくるし、
失敗はたくさんすればよいとはいえ同じ失敗を繰り返さないという予防にもつながる。

親密な関係からは生まれるものはどんなものであろうと、何にも変え難い貴重なものだと、私は信じている。


◎親密といえど、2人は他人同士

夫婦やカップルというのは、赤の他人同士の選択による関係である。
選択をしない・保留するとなればそれは「名前のない関係」になるのかもしれないが、
目の前の相手と深い関係を持ちたいという互いの意思決定により成り立つ関係であるはず。自分の選択に基づいているのだ。

この意識がないと、他力本願で相手任せの関係になり、これではいずれ必ず破綻する。
双方の関係継続の意思に基づいて成り立っているからこそ、親密な関係は継続される。
その関係にオーナーシップをもつこと、
当事者意識を持つことが大切になる。

自分の意に反した関係性は、はなから結ばない方が己の身のためであろう。
しかしいま、関わりが成り立っている限りは、そこに自分の意思と責任が存在することを忘れてはならない。
愛してくれるかを考えるのではなく、ちゃんと愛せているかを互いが考えることが大切なのは、きっとこう言ったわけなのだろう。

☆だからこそアサーションが必要になる

そしてその意思を実現させるためには、それを表現する手段、つまりコミュニケーションの有り様が肝心になってくる

完璧なパートナーも、
完璧なパートナーシップも存在しない。
あるのは、「その瞬間」に2人によって生まれる、最高な時間と空間である。

時に失望する瞬間があったっていい。
時に疑問を持つ瞬間があったっていい。

大事なのは、そんな時に「関係を継続させたい」という確かな意思を持って、愛や情熱という得体の知れないものに脅かされるのではなく当事者意識を持って、自分の行動を選択することである。

そしてその時に最も有効なのが、建設的なコミュニケーションであり、私はそれを学び体得していきたいという思いで、これを書いている。
いつかの自分を救えるように。
いつかの自分を励ませるように。

◎どのような親密関係も異文化間結合

2人の人間がいる時、共有しているものがどれだけたくさんあっても、2人はどこまでも別人であり他者である。
互いの抱えている価値観や文化、歴史が違うからだ。
たとえ重なる部分があっても、完全に重なることはない。おそらく、完全に重なったら2人がいる意味は無くなってしまうのではないかと思う。
相補性理論があるように、「持っていないもの」が2人それぞれにあって、その「持っていないもの」を持っている人がいるからこそ、人は惹かれ合うのだと思う。欠損があって初めて、人は惹かれ合う。

(↓関連投稿)

自分にとっての当たり前が、当たり前でないことに気づかせてくれるなんて
最高じゃないだろうか?

(もちろんこの時、否定されることももちろんある。それも込みで最高としている。その「否定」に、ただ泣かされるのではなくどう向き合っていくかを考えるのが、このマガジン。)

◎「2人の関係」と「それぞれが持っている関係」

私なんかはよく「あなたが大切にしているものまで、大切にできる人でありたい」とよく言っている。
なので、友人関係を制限する気はさらさらなく、私も制限されたくないと強く思うタイプだ。

けれど、私は見過ごしていたのだが、その「2人の関係」の「外」に存在している関係が、自分に全く影響がないかと言うとそんなことはない。
2人の関係には問題がないのに、「外」の、「それぞれが持っている関係」がストレッサーになる。これは親密関係において、決して珍しいことではない。
なので、あなたがどれだけ彼のことを愛していて、彼の大切なものを一緒に大切にしたいと思っていても、
「オールで遊びにいく」ことに不満を抱いたり、「仕事を頑張っている」ことに不満を抱くのは至極真っ当な感情の流れなのだ。

あなたがストレスに感じているならば、それはあなたにとってストレスに違いないのだろう。自分にとって大切なものが、ストレスになることだってある。
(↑これを、当時の自分は認められなかった。こんなのおかしい、彼の大切にしているものまで大切にしたいのに、と。真っ先に自分の感じていることを捻じ曲げてしまった)(だから爆発した)

大切なのは、それをストレスに感じているとまずは自分が認めてあげること。
その上で、どうしてほしいか提案を考えてみること。
それを、うまく伝えられる技術を磨くことなのだ。

◎異なる文化背景の源泉は「家族」

パートナーシップの科学において有名なジョン・グレイ氏も著書で述べていたが、
私たちが普段人と関わり合う時、そのベースは家族との関係性が元になっていることが多い。

上でも話してきた通り、結びついた2人が抱えている文化背景はマクロにもミクロにも違いが存在している。そして、2人の文化背景のルーツはそれぞれの家族にある。

  • どのような子ども時代を過ごしてきて

  • 親とはどのような関係性で

  • それが現在どのように心の中に生き続けていて

  • その結果どのような価値観を身につけてきたのか

互いの家族について紐解くことが、2人の抱える葛藤の解決につながることになることを知っておくといい。

昔、誰かが言っていたのたが、
「その不安が目の前のその人によって生じているのか、
自分の過去(の経験やトラウマなど)から生じているのか、
ここを混同しないことが大切だ。」
と言っていた。

前者なら本人と話し合ったり、
距離感を改め直すことが必要になるが、
後者の場合、深い自己理解と、それに向き合えるだけの精神的な成熟が必要となるのだろう。
1人で向き合うのが難しければ、自分をよく理解してくれている友人や、カウンセラーなどの専門家の力を借りることも大切である。

自分の本当の気持ちと、まずは向きってあげよう。そしてそれを、アサーティブにパートナーと共有してみよう。

◎パートナーの魅力は不満でもあり、不満は魅力でもある

以前、長所は短所で、短所は長所なんだよという旨の投稿をした。

自分の長所と短所が地続きであるように、パートナーの魅力と不満も、実は地続きなのである。
これがわかっていると、不満の奥に隠れている彼の魅力に気づくことができ、少し寛容になれるかも知れない。完全に治してもらうことは、かえって彼の魅力を半減させる可能性もあるかもしれないのだ。

理性的な彼は、あなたと感情を共有できる瞬間が少ないかも知れない。
けれど、それは落ち着いた彼の魅力の裏返しでもある。
奥ゆかしい彼女は、時に何を求めているのかわからずイラッとするかも知れない。
けれどそれは、彼女の心遣いができる一面の裏返しでもあろう。

ときに話し合ってお互いが心地よくいられるよう調整することも大切だが、
自分を無碍にしない範囲内でパートナーに適応し、完璧を求めないことも大切だ。
この絶妙なバランスを保つためには、多少の努力がいる。
これが愛とは継続力であると言われる所以なのかも知れない。

自己犠牲的な側面がある人は、アサーティブ・トレーニングが有効になるだろうし、

他責思考な傾向がある人は、相手と少し距離をとり、俯瞰的に・冷静に見つめ直し受け入れようと適応していくことが必要になる。

【まとめ】案外こんなもん…?こんなもんが、難しい。

パートナーシップというと、ものすごく甘美な響きで特別なものと思いがちだが、
その構成員は人間。
結局は人間関係の延長上にある。

そして、延長上にあるのにこんなにも悩ましく難しいものであるように感じるのは、
最もちかしい存在であるからであり、
親密だからこそ生じる悩みがあるのだ。
2人の悩みは、2人がいるからこそ生まれる。たしかにそこに「私たち」がいるという証でもあり、だから特別なことなのだ。

情熱的に楽しむ期間もあって然りだが、
情熱には賞味期限がある。
情熱の力に頼りすぎず、メリハリをつけてやっていくのが、長く仲良くしていられる秘訣なのかもしれない。


次回⇩はちょっと番外編

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