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恵迪寮 海外か宇宙工学か人の繋がりが楽しい仕事をするのがぼんやりとした目標 思考を整理…

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恵迪寮 海外か宇宙工学か人の繋がりが楽しい仕事をするのがぼんやりとした目標 思考を整理して言語化する場所としてnoteを書いてます 着飾らないように、できるだけ本音や素に近いように書いてます

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  • 大切にしたい考え

    自分の中で大切にしたい考えを文字に起こしてみてます。

  • 雑記

最近の記事

弱さはきっといつか強さに

3月、友人と話していて、「弱さを見せない人」というものが会話に上った。 世の中には弱みをできるだけ見せず、できるだけ精神的に強い、完璧な人間を演じようとするような人もいるような印象を受ける。 ただ、弱みを人に見せない人が果たして精神的に強いのだろうか? 僕は違うんじゃないかな、と思う。 逆に、弱みを人に見せられる人の方が強いんじゃないかなと思う。 そして、弱さはきっといつか強さになる、なんて思う。 そう思う理由は2点。 ①弱みを人に見せられる人の方が、人に弱みを晒しても

    • 見せ方に拘らない

      【概要】 物事で大事なのって中身で、どう見えるかというのは副次的なものなのだと思う、きっと。 だから、人の目ばかり気にするのは、おもしろくないなと思う。 (物を売る、とかってなったらまた別だけど) 未成熟な自分は、見せ方に拘るのではなく、自身の中身を充実させることに焦点を当てたい、と思う。 あ、皆書いてたけど、直近のTABIPPO学生支部 道東合宿とは一ミリも関係ないです。 いつも通り思ったことを淡々と書きます。 ずっと思ってることだけど、ちょっと刺々しいかな? 自分が高

      • 人に自分の思うイメージを押し付けない

        【概要】 人は信じたいものを信じる。 人に対してもそう。 その人に対して周りや自分が持っているイメージや人物像を押し付けてしまいがちだ。 けれど、それを避けて、その人が見せる姿を尊重できる様でありたい。 人は信じたいものを信じる。 人に対してもそう。 その人に対して周りが持っているイメージや人物像を押し付けてしまいがちだ。 人に対して印象やイメージを抱くのと近く感じるかもしれないけど、それとは別。 その抱いた印象やイメージを自分の中に留めるだけでなく、相手に対して「あなた

        • 自治会総論骨子 ぼくver

          今回は、寮自治の話。 自治会を結成する理由を導く「自治会総論」に関しては、近年は以下の3パターンの導き方があると思う。 ①欲求の調整の必要性 ②文化的な側面から考える自治の魅力 ③自治の教育的意義 欲求調整も、文化も、教育的意義も、どれも確かに存在し、その価値は僕も認める。 ただ、自治会結成の理由足り得るかといえば、否、と考える。 ここ数期、選択されている ①欲求の調整の必要性 から導く方法も、以下の2点、問題点があると僕は考えている。 ①正直な所、「自治したいから自治

        弱さはきっといつか強さに

        マガジン

        • 大切にしたい考え
          4本
        • 雑記
          4本

        記事

          報われない努力って何になるの?

          【概要】 努力って報われないこともあると思う、正直。 そんな報われない努力は無駄だったのか?何のための努力だったんだろうって高校3年生の時考えてた。 でも報われない努力は、きっと誰か周りの人が見てる。そして、その努力でしか得られない信頼と応援がきっとあると思う。 だから、結果には繋がらなくても、何らかの形で残るよって思うし、ある種努力は信頼を勝ち取るためのものでもあるのかもしれない。 以下、本文。 努力って報われないこともあると思う、正直。 同じ努力をしても、全員平等

          報われない努力って何になるの?

          やらない後悔を尊重する

          【概要】 「やらない」「やらない後悔」というのも悪いものでないと思う。 特に、若者に対して世の中挑戦が持て囃されるけれど。 学生は基本その身分を生かして挑戦することが是だと思うけれど、時に「後悔がありながらも何かを切って何かに集中する」という選択肢を取れることも必要になると思う。戦略的撤退的な。 だから、やりたかったけど泣く泣く諦めて少し後悔が残るような選択や決断をしても、その行動を尊重できる様でありたいなって。 以下、本文。 世の中には「やらない後悔よりやって後悔」とい

          やらない後悔を尊重する

          僕が尊敬している先輩

          【概要】 僕が尊敬している先輩の一人は皆に対して分け隔てなく接するし、誰かを強く責めたりはしないで尊重する。信じているように見えた。 その先輩は「どんな人でも必ずその行動の裏には考えがあると思う」と言っていた。 この言葉が「相手に対して決めつけたりせずに、相手の考えや振る舞いを尊重する」という意志を含意していることに僕はひどく感銘を受けた。 寮に尊敬する先輩は何人もいるんだけど、衝撃を受けたある先輩の話。 上手く文章で表現できているとは思えないけれど。 細かい文脈や当時の

          僕が尊敬している先輩

          人と話し合うこと・伝えることの難しさ

          【概要】 人と話すこと、人に何か伝えることは本当に難しい。 単純に会話をする、ということではなく、相手と意見をきちんと交わすということ。    その難しさを理解しているからこそ、人と上手く話せるように頑張りたい。 今僕の活動の主軸はTABIPPO学生支部になっているけれど、その前は学生自治寮だった。 大学の寮なのだけれど、敷地内に大学職員は一人もいなくて、基本的に全て学生のみで運営している。 いうなれば、地方自治体、かな? 内部には直接民主制・話し合いを基盤とした政治制度

          人と話し合うこと・伝えることの難しさ

          取り敢えずガチでやってみよう

          正直な気持ちを書いた。 中には、ぬるい、なんて思う人もいるかもしれないけれど、僕は本音晒した上で本気でやれた方が、裏表がなくていいなと思うから書いてみる。 つい先日、TABIPPO学生支部の合宿が山梨は河口湖で行われ、僕もそれに参加してきた。 TABIPPO学生支部では、世界一周コンテストというものをやっている。そのコンテストをより良いものにするために、皆のモチベーションを上げるという意味合いを持たせた合宿だった。 だから、合宿ではコンテスト運営の軸となる人達によるプレ

          取り敢えずガチでやってみよう

          虚飾や偽りは結局ボロが出る

          【概要】 僕を含め人は見栄を張りたがるが、それってあまり大した価値はないし、結局ボロが出る。 虚飾は虚栄心を満たすだけで、自分の中身を充実させることはできない。 多くの人は見栄を張りたがる。僕だってそう。 勿論、そうでない人もいるけれど。 かつての自分は今より見栄を張りたがる傾向が強かったと思う。(別に現在もその傾向が無くなっている訳ではない。 (Instagramは何かの気持ちを人と共有したい・自分の思い出まとめを残したいと思って投稿している節があるけれど、飾ろうという

          虚飾や偽りは結局ボロが出る

          余裕のある生活が最近の目標

          【概要】 最近の目標は余裕のある生活を送ることだ。 これまでは目一杯に予定を詰め込んできた。 けれど、学業にしろ、何かの団体の活動にしろ、いくつも並行してやることが難しくなってきた。これまで通りだと自分のキャパシティでは回らなくなってきた。 最近の目標は、時間的にも、精神的にも、身体的にも、余裕のある生活を送ることだ。 セミリタイアした大人みたいに、ゆったりした日々を送りたい、という訳ではない。 ものに取り組む時に、余裕をもって、時間やエネルギーをちゃんとかけて向き合いた

          余裕のある生活が最近の目標

          ダメ元でいこ!!

          完璧主義の性格やADHD気味な性質が相まって、自分で自分を追い込んでしまうような癖が僕にある。けれど、この先働いていくことも考えるとこのままで人生送っていくことは難しいなと思った。 具体例の一つはここに書いた ↓ だから取り敢えず「ダメ元でいこ!!」を個人的なスローガンとして掲げて物事に取り組んでいこうかなと思う。 実際、そこまで割り切れる訳ではないかもしれないけれど、少しは気持ちが楽になって、追い込まれて現実逃避するってことが減るのかなと思って。 現実逃避したくなって

          ダメ元でいこ!!

          治したい癖

          僕には一個致命的な悪癖がある。 普通こんなことnoteに書かないのかもしれない。 けれど、飽くまで僕はここを自分の考えを整理しながら吐き出す場所として使っている。だから、ここに書き殴って見つめ直してこの悪癖の解決の一端を見付けられたらな、という思いで書いてみる。 僕も軽いADHDの性質がありそうでそれも関係しているだろうなと思うけれど、今回は飽くまで癖の方に焦点を当てる。 状況:それなりに努力を積み重ねないと達成できない目標がある時 特に勉強。学校の定期テストが特に顕著で

          治したい癖

          横文字、カタカナ語を使うことによってぼやける意味

          【概要】 横文字・カタカナ語は日本人の僕らに馴染みが薄いものも少なくない。 それ故、横文字・カタカナ語を使うことで意味がぼやけ、相手に意図した意味で伝わり辛くなるのではないかという仮説。 話し合いにおいては、極力相手と認識の齟齬がないようにすることが重要だ。 だから、その観点から言えば、横文字・カタカナ語は話し合いに最適ではなく、日本語で事足りる表現であれば、日本語を使うのがより良いのではないか、という個人的な考察。 横文字・カタカナ語は元来僕ら日本人に馴染みのあるものでは

          横文字、カタカナ語を使うことによってぼやける意味

          知っているものを増やして暮らしを豊かにしたい

          知っているものを増やしたい。 今秋になって特にそう思うようになった。 昨シーズンの冬にヨーロッパ古着(界隈ではユーロヴィンテージというらしい)にハマった。それから四季が巡り、また冬になろうとしている。 暑い夏はできるだけ汗をかきたくないから出来る限り身軽な服が良い。だから、必然的に夏に着られる服の選択肢は他の季節に比べて限られる。 そんな夏の終わりが見え始め、秋が見え隠れするようになった最近、服を選ぶ楽しみが戻ってきたなと思う。 ユーロヴィンテージにハマる前はもうちょ

          知っているものを増やして暮らしを豊かにしたい

          経験はお金で買えるか

          【概要】 「経験はお金で買える/買えない論争」に際し、「経験をお金で買える」というのは、表現が厳密でないと思う。 「お金で経験を得る機会を買える」というのがより適切そう。 経験の差に関しては、経験を得る機会が、本人の努力によるのか、お金で買えるのか(環境に恵まれているか)、運なのか、という所に大体集約できそう。 以下本文。 Twitterで最近「経験はお金で買える/買えない論争」が発生していた。どちらの立場でも良いのだが、僕は「経験はお金で買える/買えない」という表現が

          経験はお金で買えるか