僕が尊敬している先輩
【概要】
僕が尊敬している先輩の一人は皆に対して分け隔てなく接するし、誰かを強く責めたりはしないで尊重する。信じているように見えた。
その先輩は「どんな人でも必ずその行動の裏には考えがあると思う」と言っていた。
この言葉が「相手に対して決めつけたりせずに、相手の考えや振る舞いを尊重する」という意志を含意していることに僕はひどく感銘を受けた。
寮に尊敬する先輩は何人もいるんだけど、衝撃を受けたある先輩の話。
上手く文章で表現できているとは思えないけれど。
細かい文脈や当時の状況は少しずつ忘れてしまっているけれど、これ以上の風化を防ぐためにも書いてみる。
僕は大学2年に自治寮の執行委員会(以下〇執(マルシツ)と略)をやっていた。
言うなれば地方自治体の市役所的な。
予算を持ち、全て学生の権限で決定・運営する寮の中枢。
そういう組織だから、法案みたいなのを代議員会に通す必要があったり、大学と遣り取りしたりで、決定することや話し合うことがめちゃくちゃあった。
どれくらいかというと任期の半年間、22時から毎日数時間の会議があった(長いと22時~翌日3時)。
基本、執行委員は全員毎晩出席。休みは月1あるかないかくらい?
それに加え、執行委員は同じ居住ブロックに住むことにしていたから、生活と仕事が密着している空間だった。
そういうお仕事要素の強い中、半年間ずっと生活も一緒となると、仲良くもなるけど、色々な面が見えてくる。
仕事をよく取ってくれる人、寝室に籠ったりしてあまり仕事をやってくれない人、仕事をあまり取らずふらっと消えてしまう人・・・。
そして、○○はこういう思考傾向があって、△△はあまり本質的でない意見が多い、□□はこういう性格だ、とか。
そういうのが少しずつ見えてくると、人間どうしてもレッテルを貼りたくなってきたり、上手く相手を尊重できなくなる人もいる。
例えば、「どうせ彼は○○行ってて△△やってないんだ」みたいな。
そうなると、人によっては相手を尊重することが難しくなる。
別に〇執の皆がそういう感じで殺伐としていたわけではないけれど、そういう色を段々と感じやすくなる、というイメージ(伝われ~苦笑)。
ただ中に、そういうのが全くなくて、皆に分け隔てなく、区別することもなく接する上の年目(先輩)がいた。
話し合いでも、皆の意見をよく聴いて拾い上げる。
日常会話でもきちんと相手の言葉を待つ。
必要な時に叱ってはくれるけど、誰かを強く責めたりは決してしない。
勿論、裏表なんてない。
僕は慣れてくると、「どうせ○○なんだろうな」と決めつけてしまうような節がある。(こういう人は少なくないかもしれないけれど)
けれども、その先輩には相手を決めつけるような傾向は全く見られず、相手の言葉を待ち、それを信じているように見えた。
今の状況であったり、これまでの事例や振る舞いを見ていると、「僕ならそんなに相手を信じられるかな?」って思う局面も正直あった。
でも、その先輩は信じているように見えた。
どうしてか尋ねてみると、その先輩は「どんな人でも必ずその行動の裏には考えがあると思う」と言っていた。
この言葉は「相手に対して決めつけたりせずに、相手の考えや振る舞いを尊重する」というところを含意している(と僕は解釈している)。
上手く言葉に表せないが、これを聞いた時に、率直に「すごい。真似できないな。」と衝撃を受けた記憶がある。
仕事をしていると時に他人を信じて尊重する難しさを感じるから。
相手が誰であろうと、相手の行動には何でも考えがあって、それを尊重するという。(正当でない場合は除くけど)
僕もそんな風に他人を尊重できる人間になりたいなと思った。だから、その先輩は僕の尊敬する先輩です。
ちなみに一つ上の年目のMさんです。
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