見せ方に拘らない

【概要】
物事で大事なのって中身で、どう見えるかというのは副次的なものなのだと思う、きっと。
だから、人の目ばかり気にするのは、おもしろくないなと思う。
(物を売る、とかってなったらまた別だけど)
未成熟な自分は、見せ方に拘るのではなく、自身の中身を充実させることに焦点を当てたい、と思う。



あ、皆書いてたけど、直近のTABIPPO学生支部 道東合宿とは一ミリも関係ないです。
いつも通り思ったことを淡々と書きます。
ずっと思ってることだけど、ちょっと刺々しいかな?

自分が高校生の頃は、もっと自分が他人からどう見られるかを気にしていたように思う。
当時の写真を見たら別にそんな整ってる訳でもないけどなあとか思うけど笑

今はワックスを付けて髪を整えることをたまにしかしなくなってしまった。
だけど、高校生の頃は、田舎の高校生なりに、毎日ワックスをつけて髪を整えて登校していた記憶がある。
どうせ高校まで10kmチャリを漕ぐ間に爆風に吹かれて高校に着くころにはボサボサだったと思う笑

顔にニキビができればその日は少しだけ朝は憂鬱だったし、肌荒れしない人はいいなあなんて思ってた。


そんな感じで、高校生なりに今よりはどうみられるかを気にしてた。
ある時、母に何か言われるついでとかに「見た目ばっか気にしてうんたらかんたら・・・」みたいなことを言われた。

その時、なぜか当時の僕はハッとして、「見た目ばっか取り繕っても意味がない」「見た目頑張っても人間的に中身が空洞だったらしょうもないな」みたいなことを思った記憶がある。


そこから少し何か自分の中で感覚が変わって、人にどう見られるか以前に、自分の中身が伴っているかが大事だなと思うようになった。

だって、本当に魅力的な人って、取り繕わなくても外から見たらすごさがわかる
寧ろ、見せようとしている方が無理をしていて、中身がないように見える。
そして、そういう人が中身が伴っていないとわかった時が一番恥ずかしいし、しょうもない

中身が充実していれば、それに伴ってそれなりの雰囲気や見た目になるのだと思う。
だから、まずは中身、と考えるように。

そして、浪人を経て、大学に入った。

色々なコミュニティなどに所属したり、色々体験して色々な人を見た。
北大は一般に真面目な人が多いのだけれど、皆は入らないコミュニティに入ってみたりすると、変わった人に会いやすい。北大生でも学歴とは関係なく生きてる人も見てきたし、北大生じゃなくても自分とは違う世界や色々な軸で生きる人を見た。
多分周りの人より見てきた人間の種類は多いと思う。

その経験もあり、より、枠にとらわれず、自分の人間的な中身を充実させたいという傾向が強くなった。

ただ、同時に大学生になり、男女の遊びは増え、着飾り、見せ方に拘る人も体感的には増えたように感じる。

だからこそ、自分は見失わず、中身を充実させることに傾いていたいなと思う。
そういう自分を評価しない人がいたら、自分が足りていないか、その人がこっちに見合わないか。
自分も普段と違う恰好をすることはあるけれど、それは自分が楽しくてしたいからというのが主。


世の中、見せ方に拘る人が多い。noteだって、Twitterだってそう。
綺麗な言葉を並べて、いいように見せるのは簡単。
俺が○○してやる、僕はこうだ、みたいな。
できる人は、あまり大層に言葉多く並べない気もする。


その人の中身が伴っているかなんて、話したらわかる。
話さなくても、綺麗に並べようとする言葉を見れば、どの辺りまで見えているかなんとなくわかることもある。

自戒もこめて書いてみた。
僕が飾らず、思ったことを書いているのはこういう側面もある。
ただ他人の目を気にしなさ過ぎも、その人の魅力が見え辛くなって、考え物かもなあと。


久々書いた!英語も専門とかも院試の勉強とか色々やばいのに筆執っちゃった~。

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