自己分析に思うこと

就活の段になると途端に大学生が口にするようになる「自己分析」という言葉。
(自分ができていないことも沢山あって、自戒ぎみの回想)

大学一年の頃から、3・4年生になった途端、それまでそんな素振りのなかった大学生が一斉にそれを口にする様をみるのがとても苦手だった。

自己分析ってきっと一生していくものなんだろうし、大学生に関して言えば、大学受験をする高校生の段階でもう少し考えるべきだろうというのが今の考え。
(僕は遅くて、方向性が見つかったのが浪人生の段階になってしまったた)

考えた結果、やっぱり情報が足りずわからなかったというのなら仕方のないし、その進路選択の幅がある進学先等を選ぶのがいいのだろうと思う。
(自分がこのパターン)

わからないからこそ、時間にゆとりのある大学入学後に色々見て選ぶのが良いと思う。
それでも選べないってことは多々あると思うから、転職もあるんだろうし。実際、僕もまた就職したら変わるのかもしれない。

僕は何がしたいか(どちらかというとどの仕事ならできるだけ嫌じゃないか、少しは楽しめそうか)を高校生の頃にだいぶ悩んた。
数年なんだろうと思い続けて、言語化に悩み続けて、一番イメージにしっくりきたのが、小さいころに、自由気ままにレゴでスターウォーズのXウイングとかを作ってた記憶。

①実体のあるものを扱いたい=仕事をするならやりがいなどの実感を直接的に得られる
②自分が考えてものを作る側でいたい(できればレゴみたいに自分の想像のままに) 今は実体のある構造物を対象とした仕事を想定しているけれど、別に抽象的なサービスを作るというものでもいいのだと思う
感覚的にこれに近いことなら自分に向いてそうと思って、そのイメージに近いものを探した。

そういうことをせずに、3・4年になって急に短期間で自己分析しようとしてもなかなか難しい部分があると思う。

やっぱり就職っていうのを直視したいから先延ばしにするんだろうか。
逆に自分は嫌すぎて少しでもマシな道をという思考だった。

ただ、どちらも就職から目を背けたいという所に端を発しているから、少し違えば自分もそっち側だったのかもしれない。

自己分析を急に口にする人々が苦手なのは、同族嫌悪に近かったりするのだろうか。んーちょっと違う。
なんかトキトキ・チクチクしてるからスッキリさせて終わらせたい感覚。

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