人に自分の思うイメージを押し付けない

【概要】
人は信じたいものを信じる。
人に対してもそう。
その人に対して周りや自分が持っているイメージや人物像を押し付けてしまいがちだ。
けれど、それを避けて、その人が見せる姿を尊重できる様でありたい。


人は信じたいものを信じる。
人に対してもそう。
その人に対して周りが持っているイメージや人物像を押し付けてしまいがちだ。

人に対して印象やイメージを抱くのと近く感じるかもしれないけど、それとは別。
その抱いた印象やイメージを自分の中に留めるだけでなく、相手に対して「あなたは○○だよね」と押し付けてしまうか否か。

自分が勝手に作り上げたイメージを押し付けることは、相手の個性を殺すようなものだと思う。
特に集団において。

仮に、周りがAさんに対して「Aは元気印、盛り上げ役だよね」とか、「Aっていつも能天気だよね」とか、「Aは真面目そう」とか言ったりする。

相手に合わせるのが上手な人だと、集団内において、自分の本来の性格を出すより、集団内で求められる性格や役割で振舞おうと、担おうとする。
(勿論、個人差はあるし、そこの調節が上手くできている人もいると思う)

自分も、時によるが、集団の中では、本来の自分を置いておいて、集団内で必要だと自分が判断したり、求められる役割やキャラクターに徹することがある。
寧ろ、本当に思っていることを口に出すことが減ってきた。

ただ、一般に、元気印とか、能天気とか言われた人は、集団の中でそう振舞わないとという潜在意識が生まれることもあると思う。
本当は悩みがあったり、割り切れない所があったとしても。

そうなった時、その人は本音を、本心を誰に晒すことができるのだろうかと思う。
自分の本心と乖離したキャラクターを演じ続けるのは難しい。
苦しくなると特に。
そうなった時に、助けたいと思った時に、イメージの押し付けが障害になることもあるかもしれない。

意外と○○だった、とマイナスな評価を後で受けたりすることもある。
「それはあなたがAさんに対して△△というイメージを重ねて、勝手に期待してただけ」で、実際のAさんとの乖離が存在する可能性があると。
それは勝手に期待してイメージを押し付けている人の傲慢なのかもしれない。

とにかく、そういうところから、人に押し付けがあったりしたら怖いな、と思う。

だから、できるだけありのままのその人を尊重できるようでありたいなって思う。
何か新しい一面を見たら、「ああ、この人はこういうとこもあるんだなあ」って軽い気持ちで受け止めるくらいの。


大学生活の中で、色々な集団に所属して、色々な人の振舞い方を見ていて思う。
もっと人を上手く観れる人でありたい。
自戒も込めて。

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