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米国初の女性天文学者マリア・ミッチェル

マリア・ミッチェル。日本では知っている方は少ないかもしれません。
最近、この方を称える児童書が発刊されたことで、記事になっています。

ようは、
現代になって廃れつつあるラテン語学習が、Youtuberなどで再注目され、その教育に熱心だったミッチェルに改めて脚光があたっている、
という話です。

まずは、ミッチェルの人生について簡単に触れておきます。

大体19世紀中盤ごろに活躍した方で、実は世界で初めて1847年に彗星を発見した人でもあります。(あとはフェミニストとしても有名)

元々父親は教師が本業でしたがアマチュアとして天文観測にも凝っていて、その手伝いから関心を深めました。

実は、人類史上初の彗星発見も、同じように父親との共同作業で行われました。

ミッチェルは定常的に観測をしていたため、彗星が未知のものであることにすぐに気づき、その翌年の1848年1月に(丁度30歳のころ)、父親の名前で天文学の専門雑誌に掲載しました。

ところが、そのわずか2日後に、イエズス会の司祭である Francesco de Vicoが全く同じ彗星を見つけてヨーロッパ当局(実は当時初の彗星発見に対してコンテスト的なイベントも)に報告したことで、一時期はその名誉は与えられず、後世になってその記録から正式に認定されました。

その彗星は、学術的には「C/1847 T1」と呼ばれますが、功績を称えて「ミス・ミッチェル彗星」とも呼ばれます。

そして後世になってその業績が知られて置き換えられた、という経緯です。

名が知られてからは、大学からの教授職に招聘され(ここでも父親と一緒に移り住みます)当時最大級の望遠鏡で観測が可能になります。
当時1865年は、日本では江戸が終わろうとしているころで。米国においても知る限り女性の教授推挙はレアだったのではないかと思います。

本業になるとミッチェルの関心は太陽系の惑星観測を中心にひろがっていきます。太陽の黒点を本格的に定点観測したのも彼女が初めてといわれています。
ただ、アマチュア時代からの共通点もあり、惑星の位置を計測することで、航海に携わる方々に正確な位置情報提供を支援することも続けていました。

そして、自身の研究だけでなく、冒頭記事のとおり教育についても情熱を注いでいました。
本人は学校教育をほとんど受けておらず、従来の型にはまらないユニークな授業は話題だったようです。
小人数で行い、出席も成績もつけず、とにかく実践と道具としての数学を重視していました。

最後に、ミッチェルの精神は今でも引き継がれ、教え子たちが科学の情熱を支援するマリア・ミッチェル協会を立ち上げて、今でもその活動を続けています。

そしてもう1つ忘れてはならないのは、女性が科学と数学の分野で活躍できるためにも尽力しました。

アルテミス計画で初めて非白人男性、特に女性が月に降り立つことが目前に迫った今の時代だからこそ、マリア・ミッチェルの功績は改めて注目されてもよいかなと思います。

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