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『影』モータリゼーション直前の日本社会を見つめたミステリー

発表年/1962年
『影』は、大学卒業後、しばらく勤めていた自動車会社の宣伝部で見聞きした戦後社会の混乱を反映したもの、と、辻邦生さんは本作を収録した短編集『シャルトル幻想』の「あとがき」でおっしゃっています。
舞台はそうした自動車会社の車両を製造する一工場。日本のモータリゼーションが始まったのが東京オリンピックが開催された1964年だということを考えると、その直前、名神高速道路開通前にこの作品を発表したことは、当時としてはかなり勇気のいったことではなかったか、と、僕などはおもってしまいます。




1.純文学ながら怪奇譚であるミステリー、『影』

①ストーリー

『影』は、今で言うなら池井戸潤さんあたりが書きそうな社会問題をモチーフにした短編です。


自動車車両の製造・輸出会社の西垣重役は、国際競争に打ち勝つため戦後初の大規模輸出の価格を独断で大幅に値下げします。その皺寄せは当然下請け企業にゆくのですが、下請けとの折衝を任せられたのが西垣の部下の多田次長です。多田次長は下請け企業の経営者との会議に臨みますが、会議とは名ばかりで、値下げ分の損失を下請けに飲ませるのが多田の役割でした。

池井戸潤さんならここから話は勧善懲悪に向かうところだけれど、純文学として、こちらはそうは進みません。下請け企業の経営者一家は自殺し、そこからストーリーは多田次長の精神崩壊へと向かうことになるのです。しかしそこには、大戦中に多田が関わった、今回と似通った事件が深く根を下ろしていました。


②多田次長の、精神崩壊へと至る過程の凄み

狂言回し的に「私」が登場しますが、その役割はほとんど語りに終始しています。「私」を語りにしたのは、多田の身近にいる人間が多田について語ることで、事件の本質を明らかにしようとしたのかもしれません。いずれにせよ読み応えがあるのは、多田が自分と下請け企業の社長との違いに(恣意的に)思い至り、その考えを肯定しつつ、それに囚われながら自己崩壊してゆくその過程を描いた後半部分です。それまでは「私」が多田の異変に気づくことになります。
下請け企業の社長との会議で「私」が密かに感じた多田の異変は、次のように描かれています。

多田の灰色の疲れた顔には例の無関心が浮かんでいた。それは男の言葉も息づかいも、その眼ざしをも、まったく感じることのない人間のもつ、完全な無関心だった。私はその無関心な表情を不気味な気持ちでうかがっていた。しかしそのとき、多田は、すこししわがれた、うつろな声で、「それはできませんなあ」と一言つぶやくようにいった。

『影』 阿部出版/「シャルトル幻想」より

多田が「それはできませんなあ」と言ったのは、下請け企業の社長から「なんとかなりませんか」と懇願されたことに対してでした。

その会議からしばらくした頃、多田は夜中に自分のアパートを訪れたという、ひとりの男におびえるようになります。それが誰か思い出せないまま、その晩彼はアパートの自分の机の上に、ある「眼」を発見するのです。それは間違いなく見覚えのある「人の眼」なのですが、それが誰かも多田には思い出せません。多田が壊れてゆくのはこのあとです。多田は輸出車両の積出しの視察に運転手付きの車で港へと向かうのですが、車の移動に合わせるように徐々に疲弊し、崩壊してゆく、そのさまの描写はみごとです。それはこんなふうに始まります。

たしかに彼はそのようにして破局に向かっていた。彼にはまだ闇のなかに蠢くかげ・・は何一つ見えなかった。しかしそれは弱くゆらぐ精神の焔のまわりに、おぼろげに形をとりはじめていたのだ。それは破局の前兆だった。悲劇の予感ですらあった。そうだった、その日、すでに彼はある混濁のなかにいたにちがいない。彼は自分が自動車の客席に深く埋まりながらも、どこにゆくのか、何をするのか理解できなかった。

『影』 阿部出版/「シャルトル幻想」より

多田は机に浮かんだ「眼」が誰なのか必死に思い出そうとしながら、「今の自分自身」から乖離してゆくのでした。


③辻邦生作品にある怪奇的なもの

辻邦生さんの短編にはいくつか、怪談めいたものがあります。ご本人がそれをどこまでわかっておられたかはよくわかりません。というのも、北杜夫さんとの対談か何かのなかで、読者から「怪談めいたものがありますよ」と言われて、そんなものがありますか、と答えたとおっしゃっているからです。
本作でも、多田次長は自分の前に現れる男の影に怯え、机の上の「眼」に怯えて精神崩壊していく点で一種の怪奇譚であり、ある時点までその理由が明かされないミステリーとして楽しむことができます。しかし、主題はそこではないとおもわれます。


2.社会小説的主題ということ

この作品は、先にあげた『ある晩年』の数日後に書かれたものでした。

冒頭でお伝えしたように、ここには辻さん自身の勤務体験が反映しています。辻さんは自動車会社の宣伝部に在籍していたとおっしゃっていますから、例えばベルトコンベアーの前にいるよりは多くのものを見ておられたことでしょう。そうやって眺め得た当時の社会の姿が、小説という形で昇華されたものに違いありません。

私はいまも小説を<感動の装置>と見なしているが、それは、小説がいわゆる「読むもの」ではなく、「一体化するもの」という思いがあるからなのだ。

『シャルトル幻想』 阿部出版/「あとがき」より

つまり、本作における怪奇譚やミステリーというスタイルは、読者が本作と一体化するための装置であり、本作に限ったことではないけれど、重要なのは読者が本作から得られる<感動>にあるということです。

社会的なテーマは、ともすれば単なる爽快感かあるいは、全く逆の不快感を覚えるだけで終始してしまいがちです。それが間違っている、それだけでは足りないというつもりは全くありませんが、辻さんは、この作品に純文学としての感動を与えるために、もう一段深い部分での事件を加味しました。それが戦争がもたらした悲劇なのですが、その部分があることで、本作は単なる「読みもの」ではなく、一層の感動を得られる作品になったのだと、僕はそうおもいます。

しかし、ご本人はこの作品について、決して書きたかったように書けたとは思っていらっしゃらなかったようです。「あとがき」でこのように語っておられます。

しかし『影』を書き終えてみて、この種の社会小説的主題がいかに広い視野と技法的な確かさを必要とするかを痛感したので、私はそうした土台が築かれるまで、この主題を保留しようと考えた。それは今もつづいているが、もうそろそろその宿題をやるべきときがきているようにも思える。

『シャルトル幻想』 阿部出版/「あとがき」より

この「あとがき」が書かれたのは1990年の夏です。僕が1990年以降の作品に当たるのはまだ先のことですが、果たしてその宿題をやられたのかどうか、さて、いかがだったでしょうか・・・




【今回のことば】

私たちの過去のなかで、この記憶という、か弱い光に照らされているものはごく限られているのであり、その大部分は私たちのなかに貯えられているものの、それは広い闇の部分に押しやられているので、うごめくかげ・・となって、ごく稀にしか光のなかに⎯⎯記憶のなかに、よみがえってこないのである。なぜなら「今」という瞬間は、私たちにとってまず現実の<生>を処理し組みたててゆくためにあるのであり、私たちの精神は、記憶も含めて、この「今」に何もかも捧げ、この、<生>に必要なものを光で照らすかわりに、その反対のもの、不要なものは、闇のなかにしっかりと閉じこめ、あるいは闇に沈むままにまかせておくのが、普通だからである。

『影』 阿部出版/「シャルトル幻想」より




『影』
・辻邦生作品全六巻〈1〉(河出書房新社) 1972年

・見知らぬ町にて(新潮文庫) 1977年

・シャルトル幻想(阿部出版) 1990年

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