#映像演技
『演技と身体』Vol.52 反応と応答
反応と応答反応の鮮度
最近、ふと考えたことを忘れないうちに書き留めておこうと思い書くものである。
演技の中で上手く反応することが大事なのは言うまでもない。よく反応するためには、相手をよく聴くこと、相手に十分な注意を払うこと。当然このようなことが思い浮かぶのだが、何かそれだけでは十分ではないような気もする。
というのも、相手に注意を払っている時、初めから自分が何に反応をするかを決め込んでしまってい
『演技と身体』Vol.51 サブテキストの活用とクオリア
サブテキストの活用とクオリア『世界は時間でできている: ベルクソン時間哲学入門』(著:平井靖史)を読んでいるのだが、すこぶる面白い。まだ読み途中なのだが、演技に敷衍できそうな重要な示唆があったので、思いついたままに書こうと思った次第である。
サブテキストの有効性と弊害
〈役の設定〉について僕は従来から、脚本に書かれていない設定は不要であるという立場を取ってきた。物語とは明らかに人生や生活の抜粋
『演技と身体』Vol.50 内臓一元論③ 内臓と身体意識
内臓一元論③内臓と身体意識前々回の記事では内臓感覚と感情の結びつきを確認した上で内臓が無意識の領域に属することを説明した。
また前回の記事では、内臓感覚を活性化させるための身体の使い方などについてお話した。
今回はより積極的な内臓への働きかけを考える。
内臓反応をいかに方向づけするか
内臓感覚が無意識の感覚なのだとすると、そこを意識的に動かすことは難しいし、狙った感情に簡単になれちゃうのもちょ
『演技と身体』Vol.49 内臓一元論② 内臓でみんなうまくいく
内臓一元論② 内臓でみんなうまくいく前回の記事では改めて感情表現における内臓感覚の重要性を確認した上で、無意識や呼吸と内臓の関係を考察した。
今回はもう少し具体的に内臓感覚を研ぎ澄ます方法をまとめてみよう。
内臓中心に姿勢を考える
内臓の感受性が感情の豊かさと深く関連するならば、望ましい状態は物理的に余計な負荷や制限が内臓にかかっていないような状態である。一言にしてしまえば、姿勢正しく力みのな
『演技と身体』Vol.48 内臓一元論① 内臓・無意識・共感・呼吸
内臓一元論① 内臓・無意識・共感・呼吸この連載は今年の1月から始めて毎週欠かさずに更新してきた。
続けることが一つの目的ではあったものの、案外書く内容に困ることもなく続けてくることができた。しかし、もう1年やれるかと聞かれたら「めんどくさい!」という言葉が反射的に出てくる。それくらい面倒なのだ(まあ、好きでやってるんだけどね)。
まだ世阿弥の芸論など紹介しきれていないものもあるので、不定期に更新は
『演技と身体』Vol.47 身体意識のサイズと粒度
身体意識のサイズと粒度断片的な身体意識と統合された身体意識
普段私たちが生活の中で自分の身体を意識する時間は案外少ないかもしれない。身体が平常運転をしているうちは特に身体を意識する必要はないからだ。しかし、全く意識していないとも言い切れないように思う。
例えば今ここに書く言葉を頭で整理していざタイプしようと右手を上げたほんの一瞬、意識は右手にあったように思う。0.5秒にも満たない短い時間であった
『演技と身体』Vol.35 無意識の話③ 心と無意識
無意識の話③ 心と無意識前回までは、無意識を動作との関連の中で考えたが今回からは、心の働きにおける無意識について考えていきたい。
(なお、今回の記事を書くにあたって主に参照しているのは中沢新一『レンマ学』である。)
なぜ無意識なのか
まず、役者として無意識の問題と向き合うべき理由について述べておこう。
一つには、無意識は心の働きの大部分を占めるものであり、感情を表現するに当たって決して無視でき
『演技と身体』Vol.34 無意識の話② 無意識を意識化する
無意識の話② 無意識を意識化する前回は、意識的だったものを無意識化することについて述べてきたが、今回はその反対についても考えてみたい。
無意識はエラーによって意識化される
歩く行為が無意識の動作の総合であることは前回述べた通りだ。では逆に歩くという行為における一つひとつの無意識の動作が意識されるのはどのような時だろう。それは歩くことに困難が生じた時だ。たとえば足を骨折した時、松葉杖という新たな
『演技と身体』Vol.33 無意識の話① 台詞や動作を無意識化する
無意識の話① 台詞や動作を無意識化する無意識について語るのは非常に難しい。
無意識と一口に言っても、日常の習慣的動作から深層心理まで使われ方は様々だし、また科学的にも学問的にも十分解明されたとは言い難い、未開拓地なのである。にもかかわらず、それが人の行動や感情に大きな影響を与えていることだけは、多くの人が一致した見解を持っているのだから、無意識について考えないわけにもいかない。
演技者にとっても無
『演技と身体』Vol.32 間と呼吸
間と呼吸ま。
こうしてひらがなで書いたのを見つめているとすぐにゲシュタルト崩壊しそうだ。
間。
間はとにかく捉えどころがなく、よって正解もない。
正解がないのに、面白い間と退屈な間があるのは確かである。
それはその場その時によって適切な間が変化するからだろう。間には決まり切った正解がないが、その時々で適切な間がある。
呼吸。
書店に赴けば呼吸についての本が何冊も売られている。いろんな人がいろ
『演技と身体』Vol.31 自律神経の話②
自律神経の話②前回に引き続いて自律神経の話をしたいと思う。
前回はポリヴェーガル理論を紹介し、自律神経のモードを〈交流モード〉〈闘争/逃走モード〉〈自閉モード〉の三つに分けた。
今回はそれらをいかにして使い分けることができるかを検討してみたい。
自律神経は不随意
まず言っておくと、自律神経は自律的に働くものなので筋肉のように直接的に操作することはできない。
そこで間接的な働きかけが必要になるの
『演技と身体』Vol.30 自律神経の話①
自律神経の話①現場は普通じゃない
芝居をする時というのは、カメラがあったり、観客やスタッフがいたり、強い照明やマイクを向けられていたりする。つまり、普通じゃない。
そんな普通じゃない状況の中で例えば“自然な演技”を心がけようとしてもそれは“自然風”でしかなく、表面的には成立しているように見えても、意図していないニュアンスや緊張が乗ってしまっていることが多い。
よくあるのは、呼吸が浅くなっているた
『演技と身体』Vol.29 問答条々
問答条々今回は、『風姿花伝』の「第三問答条々」の真似をして、これまでにワークショップの参加者から頂いた質問に答える形式で書いていきたいと思う。
イメージとのギャップ
答。この問題には色んな側面があるので、一概には言えないが、考えられる解決策をいくつか挙げてみたいと思う。
一つには、「ボディ・スキーマ」を開発していくことだ。「ボディ・スキーマ」については第6回の記事で詳しく書いたが、改めて説明し
『演技と身体』Vol.27 世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編
世阿弥『風姿花伝』を読み解く② 実用編前回の記事では、世阿弥『風姿花伝』の中から芸道者の心構えについて述べられた記述をピックアップして解説したが、今回はより実用的な部分にフォーカスしたいと思う。
強き・幽玄、弱気・荒きを知ること
演技には〈強い演技〉・〈優美な演技〉、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》があるという。〈強い演技〉・〈優美な演技〉は良い演技で、《弱々しい演技》・《荒っぽい演技》は戒