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『演技と身体』Vol.33 無意識の話① 台詞や動作を無意識化する

無意識の話① 台詞や動作を無意識化する

無意識について語るのは非常に難しい。
無意識と一口に言っても、日常の習慣的動作から深層心理まで使われ方は様々だし、また科学的にも学問的にも十分解明されたとは言い難い、未開拓地なのである。にもかかわらず、それが人の行動や感情に大きな影響を与えていることだけは、多くの人が一致した見解を持っているのだから、無意識について考えないわけにもいかない。
演技者にとっても無意識は無視できない話題である。そもそも人が芸術を受け取れるのは無意識の働きによるところが大きいわけだし、芝居を見て共感したり感動したりするのも無意識下で起こっている何かを通してのことなのだ。
とにかく無意識について語ることは難しい。だが、無意識はすべての生命に備わっているという意味で誰もがその実践者なのである。いくらか見当はずれな論点もあるかもしれないが、思い切って語ってみようと思う。

日々の意識的動作は無意識的な動作でできている

まず、無意識とは、「意識の背後で働いている無自覚な心・脳の働きで、絶えず意識に影響を及ぼしているもの」としておこう。
日常的なものから話を始めよう。たとえば、“歩く”という行為に含まれる動作。これを無意識と呼ぶべきかは微妙なところだが、一般的な語用に従えば無意識の動作に数えて差し支えないだろう。というのも、歩くときの体の動きがどうなっているかなど考えないからだ。歩くときに足をどのように出すか、手の動きをどう合わせるかなどと意識していたら、とてもぎこちない動きになってしまうだろう。
厳密に言えば、“歩く”行為そのものは自覚的で意識的な動作だが、それは無意識の動作の総合であるという言い方ができる。
それは、食事を食べる動作、座ったり立ち上がったりする動き、呼吸から発声など、あらゆる動作についても言える。
私たちの生活はこうした多くの無意識の動作によって支えられているのだ。

無意識化とは反復を通した熟練

だが、私たちはそれらの動作を最初からできたわけではない。最初に歩いた時のことを覚えている人は少ないだろうから、自転車に乗れた時で考えてみよう。自転車に乗れるようになったばかりの時、自転車を漕ぐ自分の体がどのように動いているのか、バランスがどうなっているか強く意識していたはずだ。そして、だんだんと熟練していくに従って、それらは意識されなくなっていく。つまり無意識化する。
私たちは、ある動作に熟練することによって、それを無意識化することができるのだ。
面白い話がある。楽器の初心者と熟練者では、同じ楽器でも演奏している時に活性している脳の領域が異なるというのだ。初心者が楽器を演奏する時は右脳のある領域が活発に働くが、熟練するに従ってそれが左脳に移っていくというのだ。
脳の働きというのは基本的にはネットワークなのだが、何かに熟練するというのは、動作の反復の中でそのネットワークのパターンを形成し効率化してゆくということなのだ。効率化されたネットワークは縮減されて左脳のごく小さい領域の活性で済まされる。脳の活性領域が小さくて済むということと、動作が無意識化するということには何か関係があるかもしれない。ちなみに、こうした効率化を支える脳の機能をサリエンスと言う。サリエンスは、「きわめて重要な」という意味で、物事の優先順位を決定する脳の働きである。ギャンブル依存症などは、このサリエンスが失調をきたした状態である。

基本的な動きは無意識化しておく

さて、前置きが長くなったが、これが演技にどう関係あるだろうか。
演技における動きを便宜上二つに分けると、一つにはセリフやあらかじめト書きなどで決められており物語の進行上必要な動作というのがあり、もう一つには、その場の反応的な動作というのがあると言える。
このうち前者の動きは、できるだけ無意識化しておくことが望ましい。というのも、本番中に立ち止まる位置を意識したりセリフを思い出しながらやっていたら心の動きが大きく制限されてしまうからだ。
セリフや基本的な動作は本番までに、そのサリエンス・ネットワークを作り上げておくことが望ましい。
そのためには、シンプルだが、ひたすら反復をするしかない。あるいは、練習するときに無意識化すべき動作とセリフだけを分けてまず身体に染み込ませ、それから感情的な部分を乗せて練習をするという方法も有効かもしれない。
特にセリフは、早口言葉を覚えるみたいにその言葉の意味から離れて、何も考えずにセリフを言えるくらいが望ましい。その理由については次回以降のどこかで詳しく説明するつもりだが、簡単に述べておくと、無意識は文法から自由な領域で活動するものなので、文法を意識するような場面では表面化しにくいと思われるからである。

今回は意識的だったものを無意識化することについて述べてきたが、その反対についてはどうだろうか。次回、そのことについて語っていきたいと思う。

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