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恋人は変わってる人がいい 映画「まともじゃないのは君も一緒」

tvkで放送されたのを録画していて今さっき見たら、面白すぎてぐいぐい引き込まれた。

予告編


以下、ネタバレあり。

もともと年齢差のある男女のバディものが好きで、最後はくっつくので理想の展開だが、脚本(高田亮)の言葉が作り込まれていて、いろんな男女の俳優でこの脚本を演じてほしいと思ったくらい。

そうはいっても、清原伽耶と成田凌にまったく不満はなく、当て書きと思うほどのびのび役を演じている(小泉孝太郎の胡散臭さも父親譲り?で最高だ)。

生意気な高校3年生の香住(清原伽耶)がとても魅力的。
へなへなした頼りない予備校講師・大野(成田凌)もいい。

この映画、「普通とは?」を巡る問いと答えにもなっている。

大野は発達障害と言ってもおかしくない人物だが、そういうカテゴリーに当てはめることなく、「変わった人」「普通になりたいのになれない人」と描いているのがいい。

「普通」という概念を我々は口にしすぎる。

それが自分の狭い尺度でしかないという自覚を持てないままに。

「普通」を連発する人ほど、狭い世界で生きていることになる。

自分の価値観に合わないものを受け入れられない。面白がれない。

「普通」指南をする香住が全然「普通」ではないことが観客にはわかるが、それに気づいてない彼女が愛おしい。

大野より先に彼を好きになってしまい、煩悶する彼女もかわいらしい。

おそらく香住が大野を好きになってしまった(恋心を意識した)のは「僕には君が必要なんだ!」と言われたとき。

それは恋の告白ではなく、「作戦の参謀として必要」という意味だったが、それでもその切実さは香住の心を動揺させるのに十分だった。

このときの清原伽耶の顔の演技が素晴らしい。

大野が美奈子(泉里香)といい感じに発展して、嫉妬に燃え狂う香住。

そうだよね、それが「普通」の感情だよ、と彼女の肩を叩いてやりたくなる。

とにかくセリフの量が膨大で、ぶつかりながらお互いを理解して惹かれ合う流れはロブ・ライナー監督の「恋人たちの予感」に重なるが、私はこういう恋愛映画が好きなのだ。

ノンバーバルコミュニケーションももちろん大事だけれど、言葉で相手を理解し、認識し、関係を深めていく話が好き。

最近のドラマやアニメでは展開を急ぐせいで第一話でいきなり初対面の相手がキスしたり付き合ったりして付いていけない。
「え? 相手のどこが好きなの?」と感じてしまう。

「永遠の昨日」というドラマでは、いきなり気になる同級生(ろくに話したこともない)にこれから毎日お昼を一緒に食べたいと言い出す。

この距離の詰め方は私には異様に感じるが、最近の恋愛ものは「くっついてからのイチャイチャやすれ違い」を描くのがメインだから、くっつくまでの展開は時短処理なのである。

「なぜ相手に惹かれたのか?」はとても大切なモチーフだと思うのに、すごく雑に扱われている。

「まともじゃないのは君も一緒」においては、香住と大野が膨大な量の言葉を交わす過程でお互いのズレや思考が観客に確認でき、そのズレがだんだん心地よい共鳴になるのも見てとれる。
「なぜ好きになったんだ?」という疑問が湧くことはない。

とても素敵な恋愛映画。

二人の関係は凸凹で、だからこそこの相手じゃないといけないと思わせる。

年が離れてても言いたいことを言い合える関係っていいね。

やはり恋人になる人はちょっぴり変わった人がいいのかもしれない。

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