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おいしいカレーの次の次の次の次
カレーを食べてそのおいしさに感動した人は、また、カレーを食べたくなるだろう。同じお店に行くという場合もあれば、別のカレー屋に行くこともあるだろうし、あるいは、自分でカレーをつくってみようということにもなるかもしれない。
ともかく、ある物事への感動は、次の行動を派生させる可能性があり、その行動による感動の積み重ねが、その人固有の経験をつくり、その人固有の精神の全体を形作っていく。
そう、行動が人
ただ歩くことから——自分の全身を使って考える(2024年度「キュレーションのマテリアル:歩行・言葉・映像」)
2020年3月に太田市美術館・図書館を退職してから、「キュレーター」という肩書きを自覚的に使うようになった。というのは、「学芸員」は、その有資格者であるかどうかというより、博物館(美術館を含む)に勤務しその業務にあたっている人間について言う場合が一般的だろうと思う。博物館等に所属せず展覧会を企画する人が自身を「インディペンデント・キュレーター」と名乗ることはあるが、「インディペンデント学芸員」や「
もっとみる「美術大学で、絵を描くことをはじめ美術を学ぶということは、どういうことだろうか?」ということを、学生から教えてもらった4年間の終わり
この3月で山形に越してきてから4年が経ち、いよいよ、4月から5年目になる。大学に勤めての4年間とは、入職当初入学した1年生が4年生になって卒業していく、その時間にあたっていて、先日の卒業式でも、そのような話をした。
あの頃、僕たち(と、あえて「たち」と言わせてもらうけれども)は、大学1年目であったにも関わらず、パンデミックによって、直接会うことはかなわず、前期の授業はリモートで行われた。パソコン
「いま」「自分が」「いる」——吉江淳さんについての、これからのためのノート
吉江淳さんと知り合ってから、気づけば結構な時間が経っている。2017年だったかな。それから7年くらいが経って、今日は、ニコン主催による第25回三木淳賞を吉江さんが受賞され、その授賞式に参加させていただいていた。
出会いの最初は、写真家のタナベゲンゴさんから、『四号線』という作家たちの自費出版かつテイクフリーの写真誌をつくるので、(僕が勤めていた)太田市美術館・図書館のラックに置いてもらえないか、
本を読むことと、絵を描くこと——その「自由」について
noteで文章を書こうとエディタを開いたら、「ご自由にお書きください」と表示されていて、おっ、と思った。「ご自由にお書きください」。これは、場所が変われば、「ご自由にお描きください」ということにもなりそうな気がするが、「ご自由に」ということが、なかなか難しい。「自由」に「書く」「描く」際の幅を、私(たち)はどれだけ知っているだろう?
昨日、職場の大学では、今年の4月に入学する新一年生に向けた「入
「つくる」ことをめぐる覚え書き(2024)——「そうすることしかできなかった」物事から生まれたものと、ともに生きることを選ぶこと
明日、2024年2月7日(水)から12日(月)までの6日間、勤務先では「2023年度東北芸術工科大学 卒業/修了研究・制作展」が開催される。今日はその内覧会だった。
学生たちに対して顔には出さないけれども、とても、とても感慨深く、嬉しく思うことは、卒業制作を発表する学部の学生たちは、2020年4月入学のため、私とは言わば「同期」になるのだが、残念ながら、COVID-19の感染防止のため、ともに「
美術、音楽、文学が、私やあなたと生きている——私の「キュレーション」「キュレーター」について
2024(令和6)年1月28日、日曜日、現在午後1時16分。珍しく、昨日・今日と土日を山形で過ごしていて、これはだいぶ久しぶりなのではないか…と思ってスケジュール帳を繰ってみると、2023(令和5)年10月7日・8日の土日以来のようだ。昨年は、毎週のように東京あるいは別所に出かけることが多く、気がつけば、休日を山形で過ごすことがほとんどなく、慌ただしいというか、慌ただしいというまでもなく、むしろそ
もっとみる「絵のことは、絵に話しかければ」とあなたは言う(松岡亮 「誰かに愛されている空。 誰かを愛している空。」 SAI)
松岡亮さんの個展「誰かに愛されている空。 誰かを愛している空。」が、MYASHITA PARK(渋谷)3階のアートギャラリーSAIで開催されている。2021年11月の個展「暇で育つ。」以来、SAIでは2年ぶりとなるこの展覧会では、ミシンを用いた刺繍作品を中心としながら、ギャラリー空間の(ほぼ)始まりと終わりにはアクリル絵具を素材とする絵画作品が展示された。15点の刺繍と、56点の絵画、合わせて71
もっとみる「保証された価値」に対する態度について
今後、なかなかこういう機会もないと思われることに、小田原のどかさんと山本浩貴さんの二人が編著者として企画された、『この国の芸術:「日本美術史」を脱帝国主義化する』(月曜社、2023年)への私へのインタビューがある。「小金沢智インタビュー〈近代〉を問い直すキュレーション——「日本画」の概念あるいは「地方」という視点から」というタイトルで、644ページから683ページにかけての約40ページ、掲載されて
もっとみる再録:10年前の、そして、また10年後の私(たち)へ
今から10年前の2013年3月16日、「櫂」(かい)というタイトルで開催された2012年度武蔵野美術大学大学院日本画コース修了制作展(佐藤美術館)に合わせて、シンポジウム「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」が行われた。今回の展覧会「寄港 - UW」にとって、 このシンポジウムは欠かせない出来事であるため、まず、このことから話をさせてもらいたいと思う。
さらに半年ほど遡る2012年7
「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」
「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」という問いを、2013年3月16日、「櫂」(「かい」)というタイトルで開催された2012年度武蔵野美術大学大学院日本画コース修了制作展(佐藤美術館)のシンポジウム(トークイベント)で、私は口にした。
このシンポジウムは、展覧会に合わせて学生が主体となって実施を計画したもので、当時世田谷美術館非常勤学芸員だった私は、実施の数ヶ月前に声をかけていただ
[2023/10/26更新・追記]ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口)
ここ2年弱、「生きることと芸術は、絶対に結びついている」という確信があり、「だから芸術は大事である」と、一足飛びに結論づけてしまうのは、雑なので、もう少し補足してみると、「生きることと芸術は、絶対に結びついている。なぜなら、僕はそこ(芸術)から、ポジティブなエネルギーを日々もらっているからだ」ということになる。「芸術」という言葉を使ってしまったが、これは便宜的なもので、制度としてのそれではなく、も
もっとみる「つくること」と「見せること」の逡巡
明日9月3日(日)まで、やまがたクリエイティブシティセンターQ1のTHE LOCAL TUAD ART GALLERYで、小金沢ゼミ展として「井戸と窓」という展覧会を開催している。これは、私が東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コースの教員として勤めて4年目、ゼミとしては3期目の学生を迎えることになって、はじめて行っているものだ。
動機として、日本画コースという「日本画」を学生たちに教授するコー
35リットルのリュック
荷物がパンパンに詰まった大きなリュックを背負い、登山靴を履いて、新幹線で山形から東京へ向かっている。今晩、貸切のマイクロバスで富士山(富士スバルライン五号目)へ行くためだ。
僕は山形に住んで今年で4年目になるものの、登山が趣味、ということはまったくない。埼玉から引っ越してくる前は、「山形に住み始めたら登山が趣味になるかもしれない」「趣味までいかなくても、たまには登ったりするかもしれない」などと思