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美術、音楽、文学が、私やあなたと生きている——私の「キュレーション」「キュレーター」について

2024(令和6)年1月28日、日曜日、現在午後1時16分。珍しく、昨日・今日と土日を山形で過ごしていて、これはだいぶ久しぶりなのではないか…と思ってスケジュール帳を繰ってみると、2023(令和5)年10月7日・8日の土日以来のようだ。昨年は、毎週のように東京あるいは別所に出かけることが多く、気がつけば、休日を山形で過ごすことがほとんどなく、慌ただしいというか、慌ただしいというまでもなく、むしろそれが普通であるという日々を過ごしていた。

なにが「むしろそれが普通である」かというと、「キュレーター」という肩書き、「キュレーション」という職能において、(もっとも、これらは自身でそう名乗っているわけだけれども)、日常的に「展覧会を見る」「作品を見る」「作家と話す」ことは必須であり、それらのこと抜きには仕事が成り立たない、ということが私としてはあり、だいたい、土日は山形からその外に出かけていって、そのようなことをしているということが、常だった。

そうしないことには、自身がキュレーターであるとか、または専門がキュレーションであるとか、到底言えないのではないか? これは、私の現在の状況が、ミュージアムに勤めているわけではなく、(東京という、少なくとも日本では「中心」と考えられている場所に対しては「地方」の)山形県山形市に設置されている美術大学(東北芸術工科大学)の日本画コース教員でありながら、日本画の技術を教授するという役割ではなく(それはできない)、美術史や展覧会の企画制作を学生たちにレクチャーする立場であることとも関わっていて、学生に対して私という教員は、自身の知識・経験・感覚を、常に更新していなければならないということだ。

「知識」「経験」「感覚」——これは、ある意味では、とてもやっかいで、これまでの/それらが自身の精神を形作り、仮にそれらが対外的にも認められることがあったにせよ、それらは、必ずしも永久に変わらないものではない、ということを前提としなければならない。

私の知っていること、私の経験、私の感じ方は、私自身にとっては大事であるのだが、古びる。いや、古びないことももちろんあるが、そうではないもの(古びる)もあるのだということを抜きにして、二十歳以上年齢の離れた学生たちと話すことなど、どうしてできるだろうか? 恥ずかしくて、そんなことは私にはできない。

と思いながら、学生たちと話をしていると、そもそも私が考える前提が違っているのではないか、ということがしばしばある。ここでの「学生たち」も、もちろん一様ではまったくないのだが、その「学生たち」がなにを考えているのか、なにに興味があるのか、ということを、私自身はあまりにわかっていない、ということが、しばしばある。

一例を挙げると、現在4年生のゼミ生たちと話をしていたときに、詩や短歌に関心のある学生が多い、ということを聞き、はっとしたのだ。繰り返しになるが、私自身は、日本画コースの教員であり、受け持っているのは日本画を学ぶ学生であるのだが、話をしてみると、詩や短歌の本を、ゼミ内ということに限らず、学年内で貸し借りしているのだという。すなわち、学生たちの関心は、(私が専門としている)「日本画」「美術」だけではない。

そのとき、瞬間、驚きながらも、それが自然だよな、と思い直した。これは、対象が詩である、短歌である、ということが、「自然だよな」ということではなくて、いま、自身が大学で学んでいること(日本画、美術)とはまた別に、興味・関心のあることがあるということの、「自然だよな」だ。だから、それは必ずしも、詩である、短歌である、ということが重要なわけではない。それはそれで、私の関心として個人的に考えてみたいことであるのだが(なぜなら、私自身が詩や短歌に関心があるので)、そういうことではなくて、「私」(あなた)が生きていくにあたって、大切なものがあるということだ。いくつもの、そういうものがあるということだ。

先日、とある友人と話をしていて、私は、(多くの)美術館や美術展が美術しか対象にしないことが不満である、ということを口走ってしまった。その友人はシンガーソングライターだ。

一見、どれだけラディカルに見える美術館やギャラリーの企画であったとしても、美術家しかそこにいないことに対する不自然さ。それは、他の領域に対する無理解や無関心に、繋がってしまっているようにも思える。もっとも、研究員/学芸員の専門性、あくまでそこが美術館=Art Museumであること(すなわち、設置の意図・意義)を考えれば、致し方がないことであるのかもしれないが。しかし。

ミュージアムは、人がこれまでどのように生きてきて、これからどう生きていくか、ということを考える生涯教育の場ですから。

専門性を生かし、将来につながる学芸員資格取得の学び /宮本 晶朗(文化財保存修復学科准教授)× 小金沢 智(美術科 日本画コース専任講師)

これは、私が、彫刻をはじめとする文化財保存修復の専門家である宮本晶朗さんと、職場のWEBマガジンの記事で「学芸員」という職種について対談した際の発言であるのだが、私自身は、ミュージアムにおいて働いている専門職員の専門性を重視しつつ、ミュージアムという場、さらには美術という現場が、その専門性を超えて、「人がこれまでどのように生きてきて、これからどう生きていくか、ということを考える」場であるべきではないか、そうできたら素晴らしいのではないか、と思っている。

つまり、主語の「ミュージアムは、」に限らず、私は、主語を「美術は、」と変えて、「美術は、」「人がこれまでどのように生きてきて、これからどう生きていくか」ということを考える場であり、媒体=メディウムである。理想論であると言われればそれまでだが、理想を語ってこそではないか、と思う自分がいる。

だって(と、子どもじみた接続詞を使ってしまうが)、「私」は、美術だけによって生きているわけではないじゃないか? 大事なものは他にもある。音楽も、文学も、デザインも、映画や映像も。あるいは、科学も、数学も、政治も、経済も。または、家族、友人、恋人をはじめとする、大切な人たち。もっと言えば、自然、動物。そして、この世界。それらと、「私」は生きてきたのではないか? これからも、生きていくのではないか? ひとりではなく。そう、どうしようもなく、私(たち)は、ひとりではない。ひとりでは生きられない。

私は、それらが私の中や外を生きている——というところから、美術におけるキュレーションと呼ばれる行為、キュレーターという職能を考えていきたいと思っている。そう、キュレーション/キュレーターとは、私の実存と、そして、あなたの実存と、関係している。否が応でも、関係せざるをえない。そういうものとして、考えていきたいと思うのだ。

私の考えるこれらのことは、もしかしたら、「キュレーション」「キュレーター」と、一般的には呼ばれないものかもしれない。あるいは、「専門性」こそを重視する考え方にあっては、中途半端な、あるいは古臭いことを言ってるのかもしれない。

けれども、私は、私にとって大切だと思う、人、物事、表現、行為、言葉——それらは、現在、生命として存在しているものにかぎらない——と、ともに生き、そこに「立つ」ことでしか、どこにも動くことができないようだ。

「あなた」と。ときには、軽々しく、「俺たち」のような関係にもなって。

「ねえ、俺たち二人でチームを組まないか? きっと何もかも上手くいくぜ。」 「手始めに何をする?」 「ビールを飲もう。」

村上春樹『風の歌を聴け』1979年

*ヘッダー=2021年2月11日午後2時、太田市美術館・図書館開館3周年記念展「HOME/TOWN」での写真家・吉江淳氏と小金沢智の対談「ホームタウンをめぐって」直前の午前中、吉江氏とともに行った利根川への取材における風景。撮影:小金沢智。


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