小金沢智

​キュレーター。東北芸術工科大学専任講師。「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンル…

小金沢智

​キュレーター。東北芸術工科大学専任講師。「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションによって、表現の生まれる土地や時代を展覧会という場を通して視覚化することを試みている。 https://www.koganezawasatoshi.com/

マガジン

  • review(2022-)

    ・私のいる場所について(「門眞妙 まあたらしい庭」Gallery TURNAROUND、2022年) ・「福島」も「東北」も「震災」も超えて(「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」福島県立博物館、2023年) ・陸前高田で見た風景 ・言葉を描き、主語を手探る(大和由佳個展「everyone and one」ギャラリーHAM、2023年) ・歩いて、走って、その間に歌がある——前野健太さんのこと(「前野健太『ワイチャイ』発売記念ツアー・ファイナル〜札幌公演・時計台にて〜」) ・ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口) ・「絵のことは、絵に話しかければ」とあなたは言う(松岡亮 「誰かに愛されている空。 誰かを愛している空。」 SAI)

  • 私家版写真集『flows』(2022)

    ●私家版写真集『flows』 著:小金沢智 写真:吉江淳 アートディレクション・デザイン:平野篤史(AFFORDANCE) 発行日:2022年3月24日 印刷・製本:株式会社 八紘美術 制作・発行:小金沢智 限定50部・非売品 ●自主企画:『flows』を見る/読む 日時:2022年8月19日(金)午後1時~6時、20日(土)午後1時~5時 会場:iwao gallery(〒111-0051 東京都台東区蔵前2丁目 1−27 2F) 入場:無料・予約等不要 主催:小金沢智 協力:磯辺加代子(iwao gallery)、岡安賢一(岡安映像デザイン)、谷口昌良(空蓮房)、野口忠孝(ターデス株式会社)、前野健太、平野篤史(AFFORDANCE)、吉江淳(吉江淳写真事務所)

最近の記事

ビエンナーレがはじまる前に——自己治癒としてのcuration/curator、その未来

「curation」とはラテン語の「curate」(治す)から派生した言葉であり、したがって、「curator」とは、「世話をする人」なのだと言われる。 なるほど、と思うと同時に、そうだとすると、自分がしていることはこの語源からはほど遠い、という感じがする。「世話」「管理」「治す」。それは、どこか、curationする側と、される側(?)の不均衡な関係を感じさせるし、むしろcurationとは、curatorが自らの傷を癒すために行おうとする行為なのではないか、と私は思う。

    • ビエンナーレが終わっても

      2023年の夏頃から1年間ちょっと、総合キュレーターという役回りで準備していた「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2024」が、9月16日に終わった。一般公開は9月1日、内覧会・前夜祭の8月31日を含めれば17日間。東北芸術工科大学と蔵王温泉の2エリアを舞台にして、会場は屋内外にわたり、準備期間に対してあまりに会期は短く、いっぽう、運営のことを考えればとうていそれ以上はできないと思われる芸術祭だった。現場には学生サポーターたちが立ち、さまざまなサポートをしてくれ、彼ら・彼女

      • おいしいカレーの次の次の次の次

        カレーを食べてそのおいしさに感動した人は、また、カレーを食べたくなるだろう。同じお店に行くという場合もあれば、別のカレー屋に行くこともあるだろうし、あるいは、自分でカレーをつくってみようということにもなるかもしれない。 ともかく、ある物事への感動は、次の行動を派生させる可能性があり、その行動による感動の積み重ねが、その人固有の経験をつくり、その人固有の精神の全体を形作っていく。 そう、行動が人をつくる。では、その行動をうながすものが何かということを考えたとき、実はそれは自

        • ただ歩くことから——自分の全身を使って考える(2024年度「キュレーションのマテリアル:歩行・言葉・映像」)

          2020年3月に太田市美術館・図書館を退職してから、「キュレーター」という肩書きを自覚的に使うようになった。というのは、「学芸員」は、その有資格者であるかどうかというより、博物館(美術館を含む)に勤務しその業務にあたっている人間について言う場合が一般的だろうと思う。博物館等に所属せず展覧会を企画する人が自身を「インディペンデント・キュレーター」と名乗ることはあるが、「インディペンデント学芸員」や「独立型学芸員」という言い方はしているのは聞いたことがない。なんとなく、日本/日本

        ビエンナーレがはじまる前に——自己治癒としてのcuration/curator、その未来

        マガジン

        • review(2022-)
          7本
        • 私家版写真集『flows』(2022)
          6本

        記事

          「美術大学で、絵を描くことをはじめ美術を学ぶということは、どういうことだろうか?」ということを、学生から教えてもらった4年間の終わり

          この3月で山形に越してきてから4年が経ち、いよいよ、4月から5年目になる。大学に勤めての4年間とは、入職当初入学した1年生が4年生になって卒業していく、その時間にあたっていて、先日の卒業式でも、そのような話をした。 あの頃、僕たち(と、あえて「たち」と言わせてもらうけれども)は、大学1年目であったにも関わらず、パンデミックによって、直接会うことはかなわず、前期の授業はリモートで行われた。パソコンのモニタ越しで、zoomで初めて出会い、行われた僕たちの大学生活について、あの苦

          「美術大学で、絵を描くことをはじめ美術を学ぶということは、どういうことだろうか?」ということを、学生から教えてもらった4年間の終わり

          「いま」「自分が」「いる」——吉江淳さんについての、これからのためのノート

          吉江淳さんと知り合ってから、気づけば結構な時間が経っている。2017年だったかな。それから7年くらいが経って、今日は、ニコン主催による第25回三木淳賞を吉江さんが受賞され、その授賞式に参加させていただいていた。 出会いの最初は、写真家のタナベゲンゴさんから、『四号線』という作家たちの自費出版かつテイクフリーの写真誌をつくるので、(僕が勤めていた)太田市美術館・図書館のラックに置いてもらえないか、という連絡があったことが始まりだった。いま調べてみると、1号が2017年3月発行

          「いま」「自分が」「いる」——吉江淳さんについての、これからのためのノート

          本を読むことと、絵を描くこと——その「自由」について

          noteで文章を書こうとエディタを開いたら、「ご自由にお書きください」と表示されていて、おっ、と思った。「ご自由にお書きください」。これは、場所が変われば、「ご自由にお描きください」ということにもなりそうな気がするが、「ご自由に」ということが、なかなか難しい。「自由」に「書く」「描く」際の幅を、私(たち)はどれだけ知っているだろう? 昨日、職場の大学では、今年の4月に入学する新一年生に向けた「入学準備プログラム」「スクーリング」が実施された。入試としては早期の選考である「総

          本を読むことと、絵を描くこと——その「自由」について

          「つくる」ことをめぐる覚え書き(2024)——「そうすることしかできなかった」物事から生まれたものと、ともに生きることを選ぶこと

          明日、2024年2月7日(水)から12日(月)までの6日間、勤務先では「2023年度東北芸術工科大学 卒業/修了研究・制作展」が開催される。今日はその内覧会だった。 学生たちに対して顔には出さないけれども、とても、とても感慨深く、嬉しく思うことは、卒業制作を発表する学部の学生たちは、2020年4月入学のため、私とは言わば「同期」になるのだが、残念ながら、COVID-19の感染防止のため、ともに「入学式」を迎えることができなかったけれども、それから数年が経って、状況が変わり(

          「つくる」ことをめぐる覚え書き(2024)——「そうすることしかできなかった」物事から生まれたものと、ともに生きることを選ぶこと

          美術、音楽、文学が、私やあなたと生きている——私の「キュレーション」「キュレーター」について

          2024(令和6)年1月28日、日曜日、現在午後1時16分。珍しく、昨日・今日と土日を山形で過ごしていて、これはだいぶ久しぶりなのではないか…と思ってスケジュール帳を繰ってみると、2023(令和5)年10月7日・8日の土日以来のようだ。昨年は、毎週のように東京あるいは別所に出かけることが多く、気がつけば、休日を山形で過ごすことがほとんどなく、慌ただしいというか、慌ただしいというまでもなく、むしろそれが普通であるという日々を過ごしていた。 なにが「むしろそれが普通である」かと

          美術、音楽、文学が、私やあなたと生きている——私の「キュレーション」「キュレーター」について

          湯気にごまかされて

          12月30日・31日と、伊香保温泉に来ている。12月29日・30日は、栃木県那須塩原市の板室温泉・大黒屋。年末温泉ツアーだ。山形へ越してからというもの、温泉に行く頻度は増して、最低週に一度は行くようにしている。41歳になって、ますます、体がほぐれるあの時間を求めている。 日中というよりも朝に入るのが好きだから、山形の日帰り温泉が朝から営業していることに助けられているのだが、旅館は旅館で、夜通し営業していることのありがたさがある。今日も、目が覚めてしばらくした5時半ごろ、昨日

          湯気にごまかされて

          「絵のことは、絵に話しかければ」とあなたは言う(松岡亮 「誰かに愛されている空。 誰かを愛している空。」 SAI)

          松岡亮さんの個展「誰かに愛されている空。 誰かを愛している空。」が、MYASHITA PARK(渋谷)3階のアートギャラリーSAIで開催されている。2021年11月の個展「暇で育つ。」以来、SAIでは2年ぶりとなるこの展覧会では、ミシンを用いた刺繍作品を中心としながら、ギャラリー空間の(ほぼ)始まりと終わりにはアクリル絵具を素材とする絵画作品が展示された。15点の刺繍と、56点の絵画、合わせて71点。後者のうち、1点はSAIのひと部屋の連続する二面にロール紙を貼り、まさしくそ

          「絵のことは、絵に話しかければ」とあなたは言う(松岡亮 「誰かに愛されている空。 誰かを愛している空。」 SAI)

          「保証された価値」に対する態度について

          今後、なかなかこういう機会もないと思われることに、小田原のどかさんと山本浩貴さんの二人が編著者として企画された、『この国の芸術:「日本美術史」を脱帝国主義化する』(月曜社、2023年)への私へのインタビューがある。「小金沢智インタビュー〈近代〉を問い直すキュレーション——「日本画」の概念あるいは「地方」という視点から」というタイトルで、644ページから683ページにかけての約40ページ、掲載されているのだが、そこで私が話していることの根本には、「山下先生が、保証された価値をそ

          「保証された価値」に対する態度について

          再録:10年前の、そして、また10年後の私(たち)へ

          今から10年前の2013年3月16日、「櫂」(かい)というタイトルで開催された2012年度武蔵野美術大学大学院日本画コース修了制作展(佐藤美術館)に合わせて、シンポジウム「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」が行われた。今回の展覧会「寄港 - UW」にとって、 このシンポジウムは欠かせない出来事であるため、まず、このことから話をさせてもらいたいと思う。 さらに半年ほど遡る2012年7月24日、1通のメールを受信したことから私との関わりは始まっている。差出人は武蔵

          再録:10年前の、そして、また10年後の私(たち)へ

          4年目の声

          山形に住んで4年目になる。 職場の東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コースでは、昨日・今日と、卒業制作の研究会があり、コロナ禍の中入学した学生たちは4年生となった。彼らは1年前期のすべての授業がオンラインであった、ということは、つまり、私自身もその頃初めての専任教員の仕事をオンラインで行っていたわけだが、いまはその頃のことなど素知らぬ顔で、というか忘れかけてしまっていることにふと気づき、驚いた。あの頃の人とひとの断絶としか言えないものを、大学に同時に「入学」したいまの4年

          4年目の声

          「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」

          「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」という問いを、2013年3月16日、「櫂」(「かい」)というタイトルで開催された2012年度武蔵野美術大学大学院日本画コース修了制作展(佐藤美術館)のシンポジウム(トークイベント)で、私は口にした。 このシンポジウムは、展覧会に合わせて学生が主体となって実施を計画したもので、当時世田谷美術館非常勤学芸員だった私は、実施の数ヶ月前に声をかけていただき、最初はメールで、その後は大学のアトリエにもうかがわせていただくなどのやりとり

          「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」

          [2023/10/26更新・追記]ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口)

          ここ2年弱、「生きることと芸術は、絶対に結びついている」という確信があり、「だから芸術は大事である」と、一足飛びに結論づけてしまうのは、雑なので、もう少し補足してみると、「生きることと芸術は、絶対に結びついている。なぜなら、僕はそこ(芸術)から、ポジティブなエネルギーを日々もらっているからだ」ということになる。「芸術」という言葉を使ってしまったが、これは便宜的なもので、制度としてのそれではなく、もっと原初的な「つくること」と結びついたそれだ。制度以前の「つくること」、それは、

          [2023/10/26更新・追記]ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口)