小金沢智

キュレーター、東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。「現在」の表現をベー…

小金沢智

キュレーター、東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師。「現在」の表現をベースに据えながら、ジャンルや歴史を横断するキュレーションを得意とする。 https://www.koganezawasatoshi.com/

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  • 私家版写真集『flows』(2022)

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「保証された価値」に対する態度について

今後、なかなかこういう機会もないと思われることに、小田原のどかさんと山本浩貴さんの二人が編著者として企画された、『この国の芸術:「日本美術史」を脱帝国主義化する』(月曜社、2023年)への私へのインタビューがある。「小金沢智インタビュー〈近代〉を問い直すキュレーション——「日本画」の概念あるいは「地方」という視点から」というタイトルで、644ページから683ページにかけての約40ページ、掲載されているのだが、そこで私が話していることの根本には、「山下先生が、保証された価値をそ

    • 再録:10年前の、そして、また10年後の私(たち)へ

      今から10年前の2013年3月16日、「櫂」(かい)というタイトルで開催された2012年度武蔵野美術大学大学院日本画コース修了制作展(佐藤美術館)に合わせて、シンポジウム「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」が行われた。今回の展覧会「寄港 - UW」にとって、 このシンポジウムは欠かせない出来事であるため、まず、このことから話をさせてもらいたいと思う。 さらに半年ほど遡る2012年7月24日、1通のメールを受信したことから私との関わりは始まっている。差出人は武蔵

      • 4年目の声

        山形に住んで4年目になる。 職場の東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コースでは、昨日・今日と、卒業制作の研究会があり、コロナ禍の中入学した学生たちは4年生となった。彼らは1年前期のすべての授業がオンラインであった、ということは、つまり、私自身もその頃初めての専任教員の仕事をオンラインで行っていたわけだが、いまはその頃のことなど素知らぬ顔で、というか忘れかけてしまっていることにふと気づき、驚いた。あの頃の人とひとの断絶としか言えないものを、大学に同時に「入学」したいまの4年

        • 「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」

          「2023年、私たちはオールを漕ぎ続けているか?」という問いを、2013年3月16日、「櫂」(「かい」)というタイトルで開催された2012年度武蔵野美術大学大学院日本画コース修了制作展(佐藤美術館)のシンポジウム(トークイベント)で、私は口にした。 このシンポジウムは、展覧会に合わせて学生が主体となって実施を計画したもので、当時世田谷美術館非常勤学芸員だった私は、実施の数ヶ月前に声をかけていただき、最初はメールで、その後は大学のアトリエにもうかがわせていただくなどのやりとり

        「保証された価値」に対する態度について

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          [2023/10/26更新・追記]ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口)

          ここ2年弱、「生きることと芸術は、絶対に結びついている」という確信があり、「だから芸術は大事である」と、一足飛びに結論づけてしまうのは、雑なので、もう少し補足してみると、「生きることと芸術は、絶対に結びついている。なぜなら、僕はそこ(芸術)から、ポジティブなエネルギーを日々もらっているからだ」ということになる。「芸術」という言葉を使ってしまったが、これは便宜的なもので、制度としてのそれではなく、もっと原初的な「つくること」と結びついたそれだ。制度以前の「つくること」、それは、

          [2023/10/26更新・追記]ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口)

          「つくること」と「見せること」の逡巡

          明日9月3日(日)まで、やまがたクリエイティブシティセンターQ1のTHE LOCAL TUAD ART GALLERYで、小金沢ゼミ展として「井戸と窓」という展覧会を開催している。これは、私が東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コースの教員として勤めて4年目、ゼミとしては3期目の学生を迎えることになって、はじめて行っているものだ。 動機として、日本画コースという「日本画」を学生たちに教授するコースにいながら、私自身は、「日本画を描く」専門教育は受けておらず、近代以降の日本美

          「つくること」と「見せること」の逡巡

          35リットルのリュック

          荷物がパンパンに詰まった大きなリュックを背負い、登山靴を履いて、新幹線で山形から東京へ向かっている。今晩、貸切のマイクロバスで富士山(富士スバルライン五号目)へ行くためだ。 僕は山形に住んで今年で4年目になるものの、登山が趣味、ということはまったくない。埼玉から引っ越してくる前は、「山形に住み始めたら登山が趣味になるかもしれない」「趣味までいかなくても、たまには登ったりするかもしれない」などと思っていたけれど、結局、休日は東京はじめ各地の美術館やギャラリーへ展覧会を見に行く

          35リットルのリュック

          歩いて、走って、その間に歌がある——前野健太さんのこと(「前野健太『ワイチャイ』発売記念ツアー・ファイナル〜札幌公演・時計台にて〜」)

          「その間に歌がある」という言葉が、前野健太さんのライブ(「『ワイチャイ』発売記念ツアー・ファイナル〜札幌公演・時計台にて〜」、札幌市時計台、2023年7月9日)の途中、ふっと浮かんで、そのまま、前野さんにも話してしまったのだったが、その後、北海道から山形に帰ってきて、1日が経った今日の朝、風呂に浸かりながら、「歩いて、走って、」という言葉が、「その間に歌がある」に先立つようにして現れた。このことについて書いてみようと思う。 「ライブの途中」とは、19時開演のライブの後半、2

          歩いて、走って、その間に歌がある——前野健太さんのこと(「前野健太『ワイチャイ』発売記念ツアー・ファイナル〜札幌公演・時計台にて〜」)

          私は思い出すことができない

          「幼少期」と言っていい頃、母と家の中にいて、そこは畳敷の部屋で、たぶん、母は家事をしていたのだと思うが、私は寝っ転がりながら、その場にはいない父の仕事のことを尋ねる、そんな瞬間があったことを、古い記憶として思い出すことがある。私の父は警察官で、その家は警察の官舎である。昼間で、父は仕事に出ていたはずで、そこにはいない。それがどこの官舎だったのかは確実なことは言えないが、たぶん、館林に住んでいた頃のことだったのかなと思う。小学校2年生まで住んでいたその場所。しかし、記憶上のイメ

          私は思い出すことができない

          いまの自分にとってのちょうどよいスケール

          展覧会や作品のスケール(scale)がどうだ、ああだ、という話をすることがある。「物差し」と訳される言葉であるから、大きければいいということではなく、問題・課題に対する適切なそれ、というものがある。一匹の蟻を測るのに10メートルのメジャーはむしろ必要とされない。 ここ何ヶ月か、JA(農協)や道の駅で買い物をすることが増えた。主に野菜を買うのだが(そして常備菜をつくる)、その理由は、「もっとも近所のスーパーがちょっと高めであり、比較するとずいぶん安い」ということがまずあるもの

          いまの自分にとってのちょうどよいスケール

          再録:土田翔個展「HOME-BASE」に寄せて

          作家の土田翔さんの個展「HOME-BASE」に際して、フライヤーへの寄稿と、トークイベントをご一緒することになりました。福島県生まれの土田さんにとって、郷里での初めての個展です。詳細は以下の通りです。ぜひご来場ください。 「HOME-BASE」に寄せて 土田翔くんとは数年来の付き合いになるが、どこまでも掴めないという感覚をずっと抱いている。彼が制作で標榜している「直写」とは、山形県出身の日本画家・小松均(1902-1989)が提唱したもので、曰く「鉄砲うちが小鳥に照準を合

          再録:土田翔個展「HOME-BASE」に寄せて

          「つくる」ことをめぐる覚え書き(2023)

          山形に越してきて4年目の春。昨日はしっかりとした雨がひさしぶりに1日続き、今日も肌寒いが、植物が芽吹き、雪化粧を落としつつある山々が青々としげる春がはじまる。 さて、私は4年目のいま改めて、大学で教員として働くとはどういうことか、ということを考えている。それまで学芸員として勤務してきた美術館では、展覧会や調査研究、教育普及活動をはじめとする業務を実施するにあたって、その仕事の柱は、「美術館としての基本理念」だった。たとえば、開館準備室を含めて約5年間勤務した太田市美術館・図

          「つくる」ことをめぐる覚え書き(2023)

          言葉を描き、主語を手探る(大和由佳個展「everyone and one」ギャラリーHAM、2023年)

          その日は3月中旬にしては気温が高く、薄手のコートを羽織るだけでも歩いていると汗ばむ陽気で、ギャラリーに着くと通常は閉めているという入口のドアが常時開け放たれていて、美しい光がその内に差しこんでいた。風もときたま入る。こうして振り返っていると、開催されていた大和由佳さんの個展「everyone and one」(ギャラリーHAM、2023年2月25日〜3月25日)は、そういう日の、ひらかれた環境で見ることがふさわしかったように感じられる。 コンクリート製の床面と、木製の壁面が

          言葉を描き、主語を手探る(大和由佳個展「everyone and one」ギャラリーHAM、2023年)

          陸前高田で見た風景

          2023年3月11日、初めて、岩手県陸前高田市を訪れた。メモリアルなこの日、津波で甚大な被害を受けたこの土地を訪れたのは理由がある。翌日3月12日、福島県立博物館で開催中の展覧会「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」のイベントとして、出品者である写真家・畠山直哉さんによるトークイベントがあること。展覧会に感銘を受け、トークを申し込んだのだが、お話を聞く前に、「写真」を通してではなく、自分の目でその場所を訪れたいと思ったのだった。「写真展 福島、東北 写真家たちが

          陸前高田で見た風景

          「福島」も「東北」も「震災」も超えて(「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」福島県立博物館、2023年)

          現在、福島県立博物館で「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」(以下、「写真展 福島、東北」と略す)を開催している。昨年、東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」を企画・担当した際、「風景」という言葉を象徴的に使ったが、「写真展 福島、東北」のタイトルで用いられている「風土」、「震災」も、私が展覧会を作っていくにあたって大切な要素だった(「風土」は、私が太田市美術館・図書館で「HOME/TOWN」展を企画して以来、ずっと離れない言葉でもある)。

          「福島」も「東北」も「震災」も超えて(「写真展 福島、東北 写真家たちが捉えた風土/震災」福島県立博物館、2023年)

          [2022年]主な仕事まとめ

          三が日も過ぎ、遅ればせながら、2022年の主な仕事をまとめた。 こう書き記してみると、数は決して多くないが、なかなか大変な一年だった。「都美セレクション グループ展 2022 たえて日本画のなかりせば:東京都美術館篇」(6-7月)、「『flows』を見る/読む」(8月)、東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」(9月)と、キュレーションと自主企画が連続し、その準備や最中の期間にも、『たえて日本画のなかりせば:上野恩賜公園篇』(6月)と『東北画は可能か?』

          [2022年]主な仕事まとめ