[2023/10/26更新・追記]ポジティブなエネルギー(室井悠輔《車輪の下》「中之条ビエンナーレ2023」野反ライン山口)
ここ2年弱、「生きることと芸術は、絶対に結びついている」という確信があり、「だから芸術は大事である」と、一足飛びに結論づけてしまうのは、雑なので、もう少し補足してみると、「生きることと芸術は、絶対に結びついている。なぜなら、僕はそこ(芸術)から、ポジティブなエネルギーを日々もらっているからだ」ということになる。「芸術」という言葉を使ってしまったが、これは便宜的なもので、制度としてのそれではなく、もっと原初的な「つくること」と結びついたそれだ。制度以前の「つくること」、それは、僕にとっては、「食べること」「寝ること」「誰かを大切にすること(例えば、友情や愛情や恋情などの関係性を結ぶこと)」などの、人間というよりはもしかしたら動物としての人間の根源的な欲求・欲望と近しいものではないかと思うもので、つまり、それをすることによって、人は人として生きている、のではないかと思う。この文章もそういうものだ。誰かに頼まれて書いたものではなく、自分のために書いていて、それが、自分が今日そして明日を生きることと、つながっているのだという確信がある。
「ここ2年弱」というのは、父が2021年12月に亡くなってからの月日であり、それを機につくった『flows』という私家版写真集、そして「『flows』を見る/読む」(iwao gallery、2022年8月19日・20日)という自主企画イベントが大きな出来事としてあり、それから、自分の中での意識が、ガラッと変わってしまった。というと大袈裟なようだが大袈裟ではなく、これら一連の出来事は、私の中で、とても、とても大きな転機だった。ということに、今日、前野健太さんと話していて、改めて実感するところというか、発見があった(前野さんは、昨日9月30日、山形県朝日町で開催された「寺フェス」のために来られていた。素晴らしいイベントであり、ライブだった)。
「ポジティブなエネルギー」とは、作品自体が必ずしもポジティブな何かを体現しているということではなく、「つくること」には、それ自体が持つ、何かを前に進めようとするエネルギーがあるということだ。
さて、群馬県中之条町で10月9日(月・祝)まで開催中の「中之条ビエンナーレ2023」に、今回も足を運んだ。2007年を初回として、以降2年おきに、現在もディレクターを務める山重徹夫さんが始めた中之条ビエンナーレは、その頃勤めていたギャラリーで発表されていた大和由佳さんが出品していたことや、私自身が群馬県出身ということも手伝って、2011年以降、なんだかんだ、毎回訪れている。2013年の回は、イマジンという、市川裕司さんを中心に活動していた日本画をベースとするグループで参加もしており(中之条ビエンナーレが、他の芸術祭と一線を画す・唯一無二のものとしている点として、アーティストが「公募」であるということが挙げられる)、そのときは、私が全体の企画をしたのだった。
とはいえ、私はあまりよい観客とはいえず、毎回足を運んでいるものの、日帰りだったり、1泊だったりして、広域に及んでいる中之条ビエンナーレの全作品を見る、ということはなかなか適っていない。そう、中之条ビエンナーレは、とにかく広く、そして作品も多く(今回は125作品だという)、作品以外にも、自然、温泉、食事などの楽しいところがたくさんあることに、巡っていると気づかされるので(それはとても大事なことである)、日帰りや一泊くらいでは、なかなか全貌を掴めない。
それでも、一人でも、友人とでも、恋人や家族とでも、回ることはきっと楽しいことで、私は、毎回足を運んでいるし、なんなら、次回応募して、参加したいな、ということを思ったりもしている。
それは、中之条ビエンナーレが、全体として、参加者としては「つくること」、来場者としてはそれらを「見ること」「体験すること」の、ポジティブなエネルギーを発していることによるのだろう。「つくること」は、楽しいことばかりではなく、むしろ、苦しいことも多々あるし、「見ること」「体験すること」も、全125作品とイベントを見るということは、すさまじい力が必要なのであるが、中之条ビエンナーレの全体には、まぁそれでもやっていこうぜ!、という感じを私は受ける。
例えば、中之条ビエンナーレ2013での出会いを機に、太田市美術館・図書館(群馬県)での仕事以降、退職してからもとてもお世話になっているビデオグラファーの岡安賢一さんは、今回、全125作品と全てのイベントを4Kで撮影・アーカイブするという、狂気としか思えないことを担当されており、むちゃくちゃなのだが、なんだかとても楽しそうで、彼が撮影・編集し、アーティストのみきたまきさん(DamaDamTal)が演出を担った今回のオープニング映像は、ただただ素晴らしいもので、私は、こういう人たちが生きている時代に、ともに、美術・芸術という分野で仕事ができることを、とても嬉しく、ありがたく思っている。
このnoteを読んでくれている皆さん、45分のこの映像を、ぜひ見てください。この映像は、中之条ビエンナーレ初日の9月9日(土)の午後5時30分に公開され、同時刻、中之条ビエンナーレの現場(つむじ広場)では、別途、オープニングイベント 「コスモグラフィア」が開催されていた。そのイベントを生中継すればいいではないか、と思う人もいるかもしれないが(私は、一瞬そう思ったが)、敢えてそうはしなかった、演出のみきたまきさんの考えが素晴らしいとも思うし、それに乗った、山重さんはじめ皆さんの決断が素晴らしい。ライブと配信で、それぞれ違うことをしながら、でもそれは、そうすることによって、中之条ビエンナーレという芸術祭のいくつもの側面・可能性を、複数の現象として捉えることになったのではないかと思う。私はこれを、東京・神保町の公園で、仕事前にライブで見た。現地には行けないが、生で見たいと思ったのだ。
さて、前置きがとても長くなったが、室井悠輔さんの《車輪の下》と題された作品(展示)を、「中之条ビエンナーレ2023」の会場「野反ライン山口」で見た。室井さんとは面識がなく、作品を拝見したのも今回が初めてなのだが、今回初めて中之条ビエンナーレ全域を見ることができ(スタンプラリーをコンプリート!)、その上で、室井さんの作品が非常に印象に残っていることと、室井さんのこのようなツイートを見て、私自身、自分なりに振り返ってみたいな、と思い、この文章を書いている。
室井さんのこの展示会場(野反ライン山口)は、中之条ビエンナーレとしては「六合エリア」に位置づけられている。中之条ビエンナーレは広域だ、と書いたが、大きく「中之条市街地エリア」「伊参エリア」「四万エリア」「沢渡暮坂エリア」「六合エリア」の5つのエリアに分かれており、「六合エリア」は、「中之条市街地エリア」から最も遠い。ちなみに、私が参加した「中之条ビエンナーレ2013」の会場は、この「六合エリア」から近い「沢渡暮坂エリア」の民宿(十二みます)で、今回その横を車で通ったら、会場が文字通りの意味でなくなっており、混乱しつつ、その後ググったり、山重さんや岡安さんに尋ねたところ、いまやとても人気のオートキャンプ場になっているという。展示をした会場がなくなる、という体験を、キュレーターとして初めてした。こういうことがあるのだな。
こういう場所でした。10年前、展示を見てくださり、ブログを書いてくださったchikabeさん、ありがとうございます。
このことは、室井さんの展示を見た後に気づいたことなのだが、室井さんの展示が、廃業した飲食店(ジビエを出すお店だったという)を会場としていたことから、私も展示をした場所が廃業した民宿だったために、変な言い方だが、考えさせられることというか、思うことが、ずいぶんあった。「鑑賞」という行為は、ある作品を起点として、見る人間個別の(その作品の事後も含めた)記憶・体験と重なり合い、触発し合いながら起こるということを、今回実感したのである。
例えば、私の場合であれば、「ここ(野反ライン山口)もまた、いずれ別の場所になる」ということだ。そして、このことは、これからの数千年、数百年、数十年後、という「結構先の未来」に限らず、数ヶ月、数日、数時間、数分後の「そこそこ近い未来」であっても、「起こりえる未来」なのだ。目の前のものは、数秒、数十秒、数分、そのさきに、なくなってしまうかもしれない。また別のものになってしまうかもしれない。
その想像力と、具体的な行為の積み重ねの「未来」。けれども、未来に対して、それが数秒先の未来の積み重ねなのだということに、なかなか気づかないというか、(私の場合は)怠惰によって、そういうものを、先送りにしてしまうところがある。そんなことはないのに。その「今」が、「これからの何か」をつくっていくのに。
野反ライン山口は、植物の生い茂った外側から、屋内に入って、振り向くと、こういう張り紙が貼ってある。
そう、ここは、2018(平成30)年、本来の目的(食堂)としての役割が終えられた。それ以降、今回まで、中之条ビエンナーレの会場として使われたこともない。廃業から5年を経て、おそらく、中之条ビエンナーレ運営とのやりとりを経て、今回、展示会場として使われることになったのだろう。私は、10年前参加した頃の体験を思い出しつつ(民宿と飲食店という用途の違いこそあれ、物理的そして精神的な距離的な近しさを感じた)、ここを訪れた。
中之条ビエンナーレは、各作品に、各作家自筆のコメントも含めたテキストが設置されてており、これが鑑賞の一助となっている。室井さんのテキストには、こうある。
この文章を、私は野反ライン山口という会場に入る前に読み、その段階で、この文中にある「敷地内にある立派な鳥獣供養塔」は、目についていなかった。実際には、このような立派な供養塔が、会場の手前に立っているのだが、私は、いわゆる「展示会場」へと目を向けながら、手前や周囲の環境へとそれほど目を配らせず、「作品」へと邁進していたわけだ。恥ずかしい。
繰り返すが、会場に入って、振り返ると、先ほどの張り紙があって、この場所が、2018年2月、ある一つの役割(食堂)としては終わってしまっていることに気づかされる。つまり、この展示は、そのことを前提に行われているということ。その上で、作家によって、何がそこで行われようとしているのか、ということを、来場者は見る/体験するのである。
私の場合は、入ってすぐは、この作品・展示がどういうことを意図しているのか、わからなかった。というのは、中之条ビエンナーレに限らず、こうした「本来の役割・意図を喪失した場所での展示」は、現代美術の展覧会として、特に芸術祭やアートプロジェクトで存在し、それらは、とかく、「その場所の記憶・歴史」との関係を結ぶことを試みようとする。私自身も、展覧会をつくる際にそのような意識をしたことがあるし、今もある。
ただ、その「関係の結び方」は簡単なことではなく、ときにそれは、「相手」(その記憶・歴史)が不在であるがゆえの、「一方的な解釈」になってしまう。そして、「一方的な解釈」であるからこそ生まれるものもあるが、それはどこか、居心地の悪さを生じさせもする。「居心地が悪い」ということは、もう少し言葉を使うと、「その相手に対する誠実さが不十分である可能性をはらむ」ということだ。私は、あらゆる「解釈」とは、「相手への尊重」の上に成り立っていると思う。そしてその「相手への尊重」とは、「解釈」をしようとする「自己」の責任感とも関わっている。他の誰でもない、「自分の言葉」を使っているかどうか、ということだ。
「ここで昔の記憶を掬い上げるようなことをしても、この建物を語れる権利が得られるとは限らない」という室井さんの言葉における「権利」とは、そういう「自分の言葉」を使っているかどうかの「責任」に関することなのかな、と思う。美術の言葉を使うなら、「この建物」とはつまり、制作・作品における「モチーフ」「テーマ」「コンセプト」と関わるものだ。すなわち、「なぜ」「それ(ら)を対象として」「つくるのか」。この問いは、室井さんにかぎらず、中之条ビエンナーレにかぎらず、何かをつくるということにおいて、今日(2023年/令和5年)、作家やキュレーターが、問われる/問われてしまうものだ。このような問いとして。
「あなたは、それを対象として何かをつくる権利があるのか?」
思うに、室井さんの展示では、「弔い」のようなことが行われていた。役割を終えたという食堂の、ともに役割を終えることになったさまざまなものに対して、亡くなった人がそうされるように、白い布がかけられている。細かなものだけではなく、それは周囲の状況や、カーテンもそのような役割を持っているのだろうかと思わせるように、白い布に覆われている。そういう場所が、まずある。
続く部屋には、オブジェ然として、これも、おそらくその場所にあったのではないか、というものが、明らかな意図をもって「展示」されている。ビエンナーレなのであるから、作家の意図があるのは当たり前で、だがこの部屋のあたりから、その「意図」が、作家の「自分の言葉」によるものとして十全と貫かれている、ということが、だんだんとわかってくる(展示が、そう思わせる)。
それは、この会場に貼り付けられていた、おそらく室井さんの手(書き)による、私としてはこのタイミングで初めて気づいた文章による。
幅1センチメートルにも満たないだろう紙に手書きで書かれたこうした文章が、この展示ではそこここにある、ということに、段々と気づいていく。おそらく(おそらく、ばかりだが)、私はそのすべてを把握できておらず、そのままこの文章を書いているのだが、室井さんの展示は、この文章も、とても大事なものだということが、いま、撮った写真を見返しながらもわかる。
かつて営業していた頃の写真? カラオケのレーザーディスク? 動物の死骸の写真? その場にあった(のかもしれない)、さまざまな道具やオブジェ(と呼びうるもの)。そこには、謎の「車輪」もあって、近くは、ピカピカ光っている。
「保護」そして「駆除」は、「特定外来生物」にかぎらず、それこそ「人間」同士の場でも行われていることでもある。
室井さんの作品は、一見、そのことを、野反ライン山口という場所に仮託して言おうとしているようでもあるが、そうではなくて、実際に、「保護と駆除。特定外来生物は殺生が正当化される?」という問いが、人間も含んだ生物全体に対して問われているのだと思う。メタファーでなく、これはリアリズムなのだ。「殺生」——すなわち「(あらゆる生きものの)生死」にとっての、切実なそれなのではないか。
そう考えたとき、ガイドブックそして会場の前に掲げられていたテキスト(それは、会場内でも手書きで書かれている)の、「軽くなさ」に思い至る。「美」とはなにか?ということ。そして、その「美」を、「人間」の尺度とは別に考えることが可能か?ということ(話が巻き戻るが、今日、前野健太さんと、人間以外の動物や自然に対する「歌」という存在を、これからの時代では考えることができるのではないか、などの対話が、私個人の出来事としてあった)。
「退廃」とは、言ってしまえば、人間側の理屈のように思う。動物をはじめとする自然にとっては、それはそれぞれで、別の尺度があるだろう。そして、人間とそれらとのコミュニケーションは残念ながら難しいけれど、それがあるということをわかっている、ということが大事なのではないかと思うし、室井さんは、今回の展示にあたって、環境に対して、こうした申し出をされたのではないか、と思う。
「展示をする」ということをベースに考えたとき、私はキュレーターとしての経験・(ひとつの)役割上、「その場を整える」ということを考えてしまう。作家が、作品の展示をしやすいように、ということなのだが、そのことが、絶対的に正しいというわけではない。というか、そういう考えは、きわめて、人間を中心とした世界観である。
私は生物学上の「人間」で、人間を中心としてまず考えてしまうのだが、であるからこそ、人間中心ではない世界ということに、最近関心が出てきている。それは、「草刈り」を「しない」からこそ生まれる世界のことで、しかし、とはいえ「人間」としての私は、その上で、何かを考える。その「何か」、その「何か」を巡っての逡巡が、室井さんの今回の作品・展示のように思い、この、答えのなさに、私は感銘を受けた。
会場には、こうしたいくつもの「問い」があり、そのいくつもの「問い」の塊のような、「逡巡」の痕跡がある。それらは、「作品」「展示」として整えられながら、その場所との関係性をなまなましく保っているように思える。しかしそれは、見ている人間(私)の錯覚かもしれない/錯覚だろう。かつての(2018年2月以前の)野反ライン山口は、もうここにはないのだし、私はその場所をそもそも知らないのだから。
「そのことを前提の上で、何を考えることができるのか?」と考える。
いわゆる「当事者」のレベルはさまざまであって、芸術祭という現場であれば、「なぜその芸術祭に参加するのか?」「あなたの参加の必然性は何か?」「あったとして、その会場を選ぶ/そこで展示する必然性は?」「なぜその作品なのか?」など複数のことを問われる場合があり、それは、ディレクターやキュレーターがいる場合には、彼らがその説明責任の主体であると思うのだが、往々にして、作家がその矢面に立たされる場合はある。
ということも踏まえた上で、結局は、「そのことを前提の上で、何を考えることができるのか?」という問いが、開かれているのだと思う。「あらゆることについて、考え尽くす」ということ自体、不可能だと思い、万が一、それが可能であるとしても、その「考え尽くす」レベルも、人による。だから、そういった発言や行為は、責任放棄のように見える場合があり、つまり、そんなことを言ってしまっては、何もできない。
10月1日夕方から数時間この文章を書き続け、途中、誤記多数のまま公開してしまい、そろそろ、何を言いたいのかわからなくなってきてしまったし、私の「わからなさ」を、室井さんの展示に同期させることはできない(ご迷惑だ)。
第一、そうするべきではないが(すなわち、展示という行為は、「わからなさ」の上で、作家も鑑賞者も、何かを判断し続けることであると私は思うから)、こうした、それこそ逡巡をここでは書いておきたい。「これは、イコール、こうである」という、さも正そうな判断とは、遠く、遠く、距離を隔てて。
私にとっては、このような逡巡もまた、「ポジティブなエネルギー」になっている。
室井悠輔《車輪の下》(「中之条ビエンナーレ2023」)
会期:2023年 9月9日(土)〜10月9日(月・祝)
休館日:無休
会場:野反ライン山口
〒377-1704 群馬県吾妻郡中之条町小雨82−2
[2023年10月26日更新・追記]
YouTubeの中之条ビエンナーレ公式チャンネルに、『室井 悠輔 《車輪の下》 Yusuke Muroi "Beneath the Wheel"』が公開されました。撮影・編集は岡安賢一さん。撮影者が作品を自らの目で見、体験した上で、その視点をしっかり入れるという意思をもって編集された映像で、映像自体は何も言葉を発していないものの、とても雄弁だと思いました。