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4年目の声

山形に住んで4年目になる。

職場の東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コースでは、昨日・今日と、卒業制作の研究会があり、コロナ禍の中入学した学生たちは4年生となった。彼らは1年前期のすべての授業がオンラインであった、ということは、つまり、私自身もその頃初めての専任教員の仕事をオンラインで行っていたわけだが、いまはその頃のことなど素知らぬ顔で、というか忘れかけてしまっていることにふと気づき、驚いた。あの頃の人とひとの断絶としか言えないものを、大学に同時に「入学」したいまの4年生と私は少なからず共有していたはずで、それをいま、なかったことのように振る舞ってしまっている、忘れかけてしまっているということに、昨日、近所の居酒屋に行って不意に気づかされたのだ。

その近所の居酒屋は、住んでいるマンションと借りている駐車場のほぼ中間にあり、ここに住み始めてわりとすぐ、存在に気がつき、入ってみたい、と思ったものの、状況が状況であったために、機会を逃し続けていた。緊急事態宣言、蔓延防止、ステイホーム、という言葉も、もはやいつのことだったか、と思ってしまうが、実際に、何度か入店を試みて、しかし、お一人でされているお店ということもあったのか、いっぱいであったり、入店をお断りされることが続き、いつの間にか諦めてしまっていた。

だが、昨日、家路の途中、ふと思い立って、暖簾をくぐる。すると、カウンターにはご主人が座って何かを読んでいらっしゃって、入って大丈夫ですかとお聞きすると、どうぞ(カウンターの)まんなかに、とおっしゃる。あっけなく、4年目にして初の入店をはたして、まず瓶ビールをいただいた。

お店は、6〜7席のカウンターと、小上がりに4人席かなというテーブルがふたつあって、先客は今日はおらず、途中で、常連らしい方がひとり、いらっしゃった。ご主人は、適度に声をかけてくださって、どうやらお通しらしい、旬のものを使われた煮物やおひたしなどを出してくださる。初めてですよねと聞かれ、そうなんです、でも家は近所で、越してきて4年目になります、などと話し、終盤は常連の方との会話の流れで、職場についても少しお話しすると、ご主人のご自宅と私の職場が近くであることや、常連の方のお孫さんが卒業生であること、また、お店の常連の方に知っている先生がいることや、さらには大学設立前のお話などまでお聞きでき、おお、へぇ、そんなことが、などと、会話を楽しんだ。

楽しいのだが、実際、私に対して投げかけられる言葉はまだしも、カウンターのうちと外でされるご主人と常連の方との会話は、私には半分、いや三分の一くらいは、方言やなまりで、意味としてはわからないものだった。

ただ、お話の内容としてはわからないし、そもそもそれは私に向けられた会話ではないのだけれども、会話のやりとりの声、その音の心地よさを、耳を少し傾けながら思っていた。この土地の声、この土地の音、この土地のリズムとも言えるものが、この土地に生きてきた人たちの体から響いている、という「感じ」。この「感じ」が、たまらない。彼女たちは私より30歳から40歳ほどご年輩である。

そこで、ふと、私にとって、生きること、生活すること、働くことは、こうして、ひとの声を聞き、かなうならば会話をすることが、とても大切なのだなということを、改めて思ったのだった。会話の内容自体は、なんでもないようなことのようであるが、そこには、ひとの感情があらわれ、ひとの生活があらわれ、ひとへの思いやりがあらわれ、生きてきた人生が垣間見える。

高い柿を今日買ったからみんなで食べようと、わざわざ一度家に戻って柿を持ってきてくださった常連の方と、にこにこしながらその柿を切って取り分けてくださったご主人の、やりとりがなんともいえず素敵なもので、それは、山形に越してきてから早々に体感すべきものではなく、少し馴染んできた4年目の、しかも、あのころの断絶も経ているからこそ、私が感じ入った風景であり、声であったのかもしれない。

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