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「つくる」ことをめぐる覚え書き(2024)——「そうすることしかできなかった」物事から生まれたものと、ともに生きることを選ぶこと

明日、2024年2月7日(水)から12日(月)までの6日間、勤務先では「2023年度東北芸術工科大学 卒業/修了研究・制作展」が開催される。今日はその内覧会だった。

学生たちに対して顔には出さないけれども、とても、とても感慨深く、嬉しく思うことは、卒業制作を発表する学部の学生たちは、2020年4月入学のため、私とは言わば「同期」になるのだが、残念ながら、COVID-19の感染防止のため、ともに「入学式」を迎えることができなかったけれども、それから数年が経って、状況が変わり(まったく好転したと、言うことができるのか難しい部分もあるが)、こうして卒展を迎えることができたということ。2020年度の前期すべて、オンラインで行われた講義・演習での孤独は、入学したばかりであった学生たちはいかほどかと思うが、私も私で、専任の教員という仕事に就いたばかりで、しかし、学生たちと直接話すことができないことの悲しさがあった。

zoomで。メールで。電話で。

当時は状況としてそれらしか許されなかったが、けれども、そうではない。そうではなく、直接、話がしたかったあの頃があった。「あっという間だね」と、つい、口にしてしまうが、あの頃の息苦しさ、やるせなさ、どうにもならなさを思うと、そう、口にすることが憚られる。「あっという間」などではなく、悲しみ、苦しみ、そういう時間があったことを、忘れたことには、私はしたくない。あの頃は、悲しかったし、苦しかったし、辛かったし、早くこの状況が終わってくれと思ったものだった。そういう時間を、私は少なくとも生き、学生もまた、そうであったのかもしれないが、わかったふうなことは、私は言わないし、そんなことも、わかったふりして、言いたくない。

だが、昨日、つまり2月5日(月)の夕方、私とゼミの学生たち5名と卒業制作について話す、という時間をつくることができ、それは、教員(私)からの講評ということではなくて(それは、教員5名という形だが、既に12月中ばに終わっているので)、改めて学生たちから作品について話をしてもらい、講評の場では基本的には行われない学生同士の対話というものができないかという気持ちがあってのことだったのだが、その際、ある学生から、作品における主観と客観という話題が生まれて、ハッとする瞬間があった。

作品ということに限らないことなのかと思うが、何かをする、というとき、これは私がしていいことなのか、するべきことなのか、したいことなのか、本心としてはしたくないがしなくてはならないことなのか、ということを、人は、判断をしていると思う。本当はそんなことはしたくないのだが、何がしかの理由でするしかない、ということもあれば、他の人からしてみればそういうことはして欲しくないが、どうしても自分はそれをしなければならない、したいのだ、ということがある。主観と客観とは、つまり、「何かをする」にあたっての動機の根拠をどこに持つか、ということだと思う。

難しいことは、それは、グラデーションがあるということだ。私が、私が、という積極的な場合が、その行為としてうまくいくとはかぎらないし、他方で、消極的にならざるを得ない場合に、思いがけず、それこそ客観的には、おお、うまくいっているんじゃないの? ということがある。

そう、これは、「行為」とその「動機」とその「結果」についての問いであるが、私の経験上、それらは、なかなかうまい具合の三位一体をつくらない。なんでつくらないんだろうねぇ、と、つい独りごちてしまう。

ここまでが、とても長い前置きだが、学生たちの卒業制作を見ていて、そして、学生たちと話をしていて、そういうところがあるんじゃないか、と思う。「そういうところ」とは何かというと、「行為」「動機」「結果」が、直線として結びつかない。というか、そもそも、「行為」の前に「動機」があるのでは?と思われる人もいるかもしれないが、いきなり行為がある、ということがある。つまり、「動機」は、わからないのだ。わからないまま、やるしかないのだ。その「やるしかない」なかで、「あれ? でも、そもそも、この動機はなんだったんだろう?」と考えることがある(あった)。

そういう気持ちを、いまの私は持っている。2021年12月に父が亡くなって、私家版写真集『flows』(2022年)をつくってしまった、そういう時間がかつてあった。それをつくってしまうまでは、わからなかったし、なにかをつくるということは、まず、動機があるのではないかと思っていて、それは、学芸員/キュレーターとして、作家や作品の研究/展覧会をする際にも前提になっていたような気がするが、もしかしたら、それだけではないのかもしれない、ということだった。

動機以前に、行為として体が動いてしまう。

動機以前に、頭が動いてしまう。

これをしなければならない。そういうことがある、ということ。

「そういうことがあることを知らなかったのか?」と問われたら、知らなかったというか、体感として切実には感じたことがなかったことを恥じるしかないが、このことは、求めて知りようがないことではないのか、ということが、難しい。

「作品をつくる」ということだけではない。私の場合、「作品をつくる」は、「展覧会をつくる」に近く、そういうことについてのことなのだけれども、これは、それら「作品」にかぎらず、さまざまな場面で、実はある。

この風景が好きだ、ちょっと、またはしばらく、この場所からこの風景を見ていたいな、ということが私はあって、それは、動機は実はよくわからない。つまり、動機が行為に先立たない。動機が行為に先立たないということは、すなわち、自分という生きものの生理すなわち原理として、そういうことが必要なのではないか、ということなんじゃないか。説明は難しく、できなくはないかもしれないが、その説明は一から百まで懇切丁寧にできるものではない。

「つくること」も、そういうものとしてある、ということがある。むしろ、今日において「つくること」は、それこそが根としてあるのではないか、という気がする。つまり、「つくること」を学ぶことや、「つくること」のための道具や素材を揃えることは、100年前、500年前、1000年前と比較することができるなら(難しいけれども)、まるで違う状況があると思う。そういうことがしやすくなった。

たぶん、私(たち)の多くは、誰からも頼まれないで、「つくること」を、どこかで選んだ。意識的に、あるいは無意識的に。

人によっては、家業であるとか、または思いがけず才能と呼ばれるものが認められたとか、何かしらの理由で、「つくること」が、他者から希求されるものであったかもしれない。

でも、そうだとしても、それだけじゃやってられないよな? キュレーターもそうだよ。そして、それがないなら、なおさら、そうなんだよな。

「つくること」は、誰かから求められる、その前に、私の、俺の、僕の、行為として、「おこなわれてしまった」、がある。顧みれば、それが、実は、「嫌な動機」であったことも、あるかもしれない。あんなこと、なければよかったと、思う物事が私にはあって、不思議なことに、それが、けれども、「つくること」の動機になっていたりする。

そう、「あんなこと、なければよかったと、思う物事」が、何かをつくらせるということがある。それは、私にとって、俺にとって、僕にとって、そう、あなたにとって、なければよかったと思うと同時に、もしかしたら、必要なことだった。というか、誰がなんと言おうとも、絶対に、必要なことだったんだ。と、思ってもいいんじゃないのか。思って欲しい。思ってくれ。そこに、「つくること」の未来がある、と、俺は思う。

「そうすることしかできなかった」

という言葉が、昨日、学生たちとの会話のなかであった。振り返ってみれば、あなたも、あなたも、俺も、私も、僕も、私も、あたしも、そうだったじゃないか? というか、俺もそうだよ。俺も、そういうことがあった。そうすることしか、できなかったんだよな。マジで。

そして、それがずっと続いている。続く。側からみれば、よくも悪くも、かもしれなけれど、続いている。続くんだ。

「そうすることしかできなかった」ことが、いまをつくっている。

するべきこと? やりたいこと?

そういうことは、そうだね、言われてみれば、あるかもしれない。でもさ、実は、ずっと俺を形作っているのは、「そうすることしかできなかったこと」なんじゃないか?

それは、悲しみ、苦しみ、そういうものとどうしようもなくあって。ようやく、それらとどうしようもなく付き合っていくしかない、生きていくしかないということに気づくことができたのは、それも、学生たちとともに、俺としては勝手に過ごした、この4年間だった。



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