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【校閲ダヨリ】 vol.25 動作主体に言及せずともコミュニケーションが取れる日本人(国語学基礎概説3)


   
   
みなさまおつかれさまです。

今回は、またちょっと言語事項の話をします。(どうやら、こういうテーマのほうが人気があるようです)
自動詞」「他動詞」という言葉についてなのですが、これは英語でも扱われる事項ですので、説明できる読者の方も多いかもしれませんね。

いちおう、私も軽く説明をしておきますが、先に例を挙げたほうがわかりやすいかと思います。こんな感じです。


自動詞:開(あ)く、入る、壊れる、閉まる、消える、育つ、伸びる
他動詞:開ける、入れる、壊す、閉める、消す、育てる、伸ばす

   
   
考えるより感じたほうが早いですね。意味を説明すると
   
   

自動詞:動作主体の動作・作用が他に及ばないで、それ自身の働きとして述べられる動詞
他動詞:その動詞の表す動作や作用が直接他にはたらきかけたり、他をつくり出したりする働きとして成り立つもの
(『デジタル大辞泉』より引用)

   
   
という小難しいものになってしまいます。
   
つまり、自動詞は「自動的に〜」、他動詞は「誰かが〜」というイメージです。
文法用語を持ち出すと、途端に思考が停止する方がいらっしゃいますが、どうか、まだ画面を切り替えないでください……。
   
   
これからお話することに、以上で説明した定義的なものはまったく必要ないのですが(それぞれ「こんな感じ」ということさえおわかりいただけていれば、最後までお読みいただけます)、「せっかくだから見分け方を教えてよ」という声を希望的に想定し、あらかじめそれにお応えしておきたいと思います。
   
これも、具体的に攻めていきましょう。
「開く」「開ける」を使って考えてみたいと思います。次の文を見てください。
   
   

・ドアが開く
・ドアを開ける

   
   
動詞の前の助詞に注目してください。
「開く」という自動詞の前は「」、「開ける」という他動詞の前は「」になっています。
   
   
……実はこれだけです。
他動詞の前は必ず「」になります。(自動詞の前は「に」などになる場合もありますが、「他動詞でない = 自動詞」ですので他動詞だけ見分けられれば十分ですよね)
   
   
さて、いよいよ本題ですが、実は日本人は「自動詞メインで文を考える」傾向があるようなんです。
   
   
「コーヒーを入れたよ」とは言わずに「コーヒーが入ったよ」と言いませんか?
私は、作業が完了したときによく「●●ページのゲラ(校正紙)上がったよ」と言いますが
「〜上げたよ」とは言いません。
また、先ほどまでついていた会議室の電灯がついていない場合は
「……あ、消えている」と言います。他動詞では「消されている」となりますね。
この場合においては、確実に「誰かが消した」可能性が高いわけですが、「消されている」という表現は個人的に用いづらいのです。
   
「お風呂掃除が終わったよ」という場合なども「終えたよ」という他動詞は私の発話の候補には上がりづらいかと考えます。
   

みなさんもちょっとだけ振り返っていただければ、自動詞を用いた表現が多いことに気づかれるのではないかと思います(この前提が揃わないと、今回のお便りは破綻します)。
   
   
……少し怖いですが、「自動詞が多い」ことが揃ったとして、進めさせていただきます。
   
   
なぜ、日本語では自動詞が多く使われる傾向があるのでしょうか。
   
小野隆啓(1996)では、日本語は「話題指向型言語」であるからだとされています。
   
また、小野(1996)では英語を例に挙げ「主語指向型言語」であるとし、両者の違いを以下のように述べています。
   
   

主語指向型言語である英語では、動作主に焦点を当てて、動作主が何かをするという表現をするのに対して、話題指向型言語である日本語では、動作主は表面に表さずに、あたかも『自然な成り行きでそうなった』というような表現を好むのである

   
   
……なるほど。これは、「主体の省略」の話にも重なるところがありますが、確かに日本語では「動作主体にかんしてとやかく言う場面が少ない」ように思います。
先ほどの「電灯が消えている」の例のように、「消されている」と言ってしまうとどこか恨めしいニュアンスというか、犯人探しをしているような印象が加わってしまうような気がして、私は好きになれないのです。
「コーヒーが入ったよ」と言うときは、「入れたよ」で付加される「やってあげた感」や、さしでがましい感じをなるべく排除したいので自動詞を選択しているのかもしれません。
   
   
「ふむふむ、そうしたら、自動詞を多用したり主体を省略しがちな日本語は、やはり特殊な言語なんですか?」
   
   
いや、一概にそうとは考えられないようです。
確かに、自動詞が多くなる傾向や主体を省略しがちな傾向は日本人の思考や文化的背景が影響しているので、言葉(日本語)が固有の文化のひとつと言えるとは思いますが、言語として特殊かという話になると、また別の観点が必要になってきます。
   
言語類型論(linguistic typology)」というものがそれですが、これは世界の諸言語に見られるバリエーションを研究する言語学のいち方法論です。
   
   
『日本語文法事典』で大堀壽夫は「日本語の特殊性」にかんして
    

言語類型論の成果に照らしてみると,明らかに「特殊」であると言える面は決して多くないことがわかる。

   
と述べています。
代名詞主語省略が起きる特徴にかんしても
   

世界の言語では多数派とは言えないが,稀なものではない。

   
としており、
   

「日本語の特殊性」とは、無意識のうちに英語などを基準として考える性癖から生まれたものであり,類型論的には英語の方が異例と言ってもよい面がいくつもある。

   
とまで言及しています。
   
   
ちなみに、言語類型論のいち項目である「語順」で世界の130言語を調査した結果(角田1991)では
   

・SOV型(日本語)→ 44%
・SVO型(英語)→ 39%

   
で、日本語は英語よりも多い文型の言語に属しています
   
   
   
後半はちょっとアカデミックな内容になってしまい申し訳ありません……。
ただ、「動作主体をつまびらかにしたがらない」傾向が日本語の「個性」であることは確かですし、我々が培ってきた精神文化でもあると私は考えます。
   
ふだん何気なくしている言葉遣いも、注目してみると面白いことがわかります。(私だけですかね……)
言語学、オススメですよ。
   
   
それでは、また次回。
    
   


参考文献
小野隆啓(1996)「対照言語学 第2章 日英対照」(佐治圭三・真田信治(監)『日本語教師養成講座テキスト 言語学』ヒューマンアカデミー)
角田太作(1991)『日本語と世界の言語』くろしお出版
原沢伊都夫(2012)『日本人のための日本語文法入門』講談社
日本語文法学会『日本語文法事典』大修館書店



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