21.趣味の話⑪ 読書(9)
はじめに
はい、こぼば野史です。
お久しぶりになってしまった。
前回の投稿からおおよそ2週間も経てしまったようである。
予測変換にて「こぼば野史」という言葉が出てこず、割と焦った数秒前である。
まあ、色々あったがここで言い訳まがいの理由を述べるのはもう辞めておこう。聞き飽きただろうから。
タイトルにもある通り、2週間強かかって、また1冊の図書を読み終えた。
なので、今回はそのお話である。
因みに前回の読書の話は下記からご覧あれ。
1.今回紹介する図書
読み終えた図書は、ゲーテ著、高橋義孝訳『若きウェルテルの悩み』(新潮社、1951年)である。
例によって、所持している証拠として写真を撮りたいが、パソコンで書いている故、少し手間なので割愛する。下記の投稿を読めば一応の証拠があるはずだ。
2.ゲーテとは
この人物については、聞いたことがある人も少なくないだろう。ドイツの文豪である。
新潮社の『若きウェルテルの悩み』のページには、以下のような著者紹介が載る。
ゲーテ
Johann Wolfgang von Goethe
(1749-1832)ドイツ、フランクフルトに生れる。ライプツィヒ大学で法律を学び、弁護士を開業。1774年、ドイツ帝国最高法院で実務を見習った時の恋愛を材にとった『若きウェルテルの悩み』を発表し一躍その文名をとどろかせた。その後も精力的に詩集、戯曲、小説を発表。招聘されたワイマル公国では大公に信を得て大臣から内務長官、そして、宮廷劇場総監督として活躍した。今なお世界中の芸術家、思想家に影響を与え続ける不朽の名作『ファウスト』を1831年、着想から実に60年の歳月を費やして完成させた。翌1832年永眠。享年82。
また、こぼば野史の投稿ではお馴染みの全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』(山川出版社、2014年)では、
ゲーテ Goethe ドイツの詩人・作家。疾風怒濤の旗手となる一方、ヴァイマル公国の宰相としても活躍した。1786年からのイタリア旅行後、文学活動に専念し、友人のシラーとともにドイツ古典主義文学を大成した。疾風怒濤期の代表作としては、『若きウェルテルの悩み』(1774年刊)。
と載せる。
ここで気になった方もいるだろう。上記の引用にある「疾風怒濤」の言葉。これは何だろうか。
同じく全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』(前掲)から引用すると、
疾風怒濤(シュトゥルム=ウント=ドランク) Sturm und Drang 1770年代のドイツで生まれた文学運動。人間性の自由な発展や感情の解放を主張して、ロマン主義の先駆をなした。
となる。ゲーテ(『若きウェルテルの悩み』)がおおよそ発端となって始まった文学運動である。
この「人間性の自由な発展と感情の解放」は『若きウェルテルの悩み』にて存分に体感できる。
文学運動はもう1つ、魯迅の投稿でも白話小説の話をした気がする。その投稿は以下。
3.『若きウェルテルの悩み』とは
先ずは、この図書はどういうものか、から。表紙カバー裏に載る要約を引用しよう。
ゲーテ自身の絶望的な恋と友人の自殺という体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている。許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する……。多くの人々が通過する青春の危機を心理的に深く追求し、人間の生き方そのものを描いた点で時代の制約をこえる普遍性をもつ古典的名作。
新潮社のホームページに要約の題は、
あなたは恋のために死ねる? 刊行後200年以上、世界の若者を魅了し続けた永遠の青春小説。
と附す。何ともお洒落な題である。
4.感想
外国文学、それもドイツの古典文学を読むのは、よほどの物好きか、大学などの高等教育機関でこの分野の研究をしているかのどちらかだと思うので、私が感じた幾つかを(ネタバレを気にせずに)書いてしまおうと思う。
この2週間強で断片的に読んだので、序盤は忘れている節が大きい。
第1部、第2部、編者より読者へ、という3つに分かれ(実際は末尾に訳者の解説と訳者作成の年譜を附す)ており、特に第1部は、書簡体小説というものに慣れていない上に、内容的に雑多な書簡が並び、あまり意味が分からなかった。
しかし、ロッテに出会う場面から、一気に読む姿勢が変わった気がする。
青春を刻々と描き出した、恐れるくらい叙情豊かな筆記だった。情景描写も的確に読み取れた(読み取れた、というと些か現代文の勉強のようだがそれは目を瞑ってくれ)と思いたい。
ロッテ、アルベルト(ロッテの許婚者)、そしてウェルテルの三角関係、この3人には同情せずにはいられなかったかな。誰の気持ちも推して理解できるようであり、理解できないようなものであった。
また、個人的に魅力を感じたのは、外国文学、特にヨーロッパ文学の(おそらく)最大の特徴であろう、キリスト教的表現、古典的表現の豊富さである。おおよそ全て引用であったり、比喩表現として使われている。
ウェルテルが自殺を図る直前の場面では、ウェルテルは従僕にパンとぶどう酒を持って来させる。これではまるでレオナルド=ダ=ヴィンチがシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の晩餐」のイエスではないか。
(西洋絵画美術館「最後の晩餐」より引用。テーブル上にあるのはパンと葡萄酒と思われる。イエスが「明日、私は死ぬ。このパンを私の肉体と、この葡萄酒を私の血液と思って食べるがよい」というようなセリフを周りの12人の使徒(12使徒)に言ったというのは有名。)
第2部以降は上記の理由から自ずと読み進められたが、ウェルテル自身のロッテへの思いが溢れる書簡が多く並び、行き先が不安になりながら読んでいた。「行き過ぎる愛は摩滅する」――このような言葉をどこかで聞いたことがあったので、ウェルテルが精神的にロッテに傾倒しすぎているのを刻々と感じ取れた。
そしてそれを理解し、ある時は優しく手を指し伸ばし、ある時は適切に突き放す、ロッテの生き方の淑女ぶりたるや。
まあ、許婚者アルベルトがいる手前というのもあったらしいが。そして、ウェルテルが自殺を図る書簡を読み、ロッテ自身がアルベルトとの関係性――決して険悪な訳ではない――の閑話として実はウェルテルを欲していたと(無意識に)感じて涙する場面も、心の内で、これが恋愛の至極なのか、と思っていた。
終わりに
久しぶりにnoteを更新したが、やはり自分が感じ入ったものを文章に書き起こすという作業は楽しい。
「次回は何を書こうか」「noteに投稿するからにはしっかり感想などを覚えておかねば」という気持ちになれる。
このところ、新書を読めていない(大学4年生のこの時期ということもあり、新書のさらに高次元とも定義できる学術論文は読んでいる)。
兎角、近いうちにまた投稿できればと思う。「趣味の話」も異なるものを紹介してみたいと考えている。
まあ、今回はこのくらいで。
頓首頓首。
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