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芥川龍之介論2.0

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#羅生門

芥川文学の本質① 貸本屋文学としての芥川龍之介

芥川文学の本質① 貸本屋文学としての芥川龍之介

 

 えっちらおっちら「やり直しの近代文学」を書いてきて気が付いたことがある。ここにきて急に、芥川は非常に頑固で漱石文学の継承を拒んだ、というところまでは確からしく思えてきた。そこには深い研究もなければ批判もない。
 夏目漱石が英文学というものにどっぷりと首までつかり、還元的感化とまで言い切れるものを掴んだのに対して、芥川はあくまで友人の扇動で小説を書きだしたのであり、その基礎となるものは漱石文

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芥川龍之介の『羅生門』のウイキあら捜し

芥川龍之介の『羅生門』のウイキあら捜し

 今、高校生に『羅生門』の続きを書かせるという課題があるという話を知って唖然としています。『こころ』のKの代わりに遺書を書かせるとか、本当に高校の国語教師は楽をしていないですか?

https://togetter.com/li/1895778

 そもそも『羅生門』は「下人の行方ゆくえは、誰も知らない」で閉じられる「書かれえない話」なので、その続きを書かせようという発想自体がナンセンスだと思うの

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『羅生門』の謎

『羅生門』の謎

 芥川龍之介の『羅生門』にはいくつか解らないことがある。思いつくままに箇条書きにしてみると、

①猿のような老婆はいつから楼(二階)にいたのか?

②老婆は火をどこから持ってきたのか?

③何故わざわざ二階に死体が運ばれたのか?

④これまで下人は聖柄の太刀を何に使っていたのか?

⑤死人の毛で作った鬘に需要があるほど当時は女性に禿が多かったのか?

⑥餓死する前に人を食うことを考えないのか?

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芥川龍之介から見た田山花袋、谷崎潤一郎 平面描写と比類ない語の織物師

芥川龍之介から見た田山花袋、谷崎潤一郎 平面描写と比類ない語の織物師

 他人の作品を批評する中で、おのずと自身の文学論が零れるということがある。夏目漱石のように『文学論』や『文芸における哲学的基礎』によって方法論や考え方が示されていないことから、書かれている作品そのもの、あるいはこういう雑記のようなものを拾い集めていかなければ芥川龍之介の文学論は見えてこない。

 芥川にとって田山花袋の作品や人物はこう見えていた訳である。今は人物には触れまい。この単なる悪口のような

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現代文解釈の基礎『羅生門』と『こころ』

現代文解釈の基礎『羅生門』と『こころ』

 『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』(ちくま学芸文庫)という本が復刻され本屋に並べられていました。これは残念ながらまるで日本語曲解の基礎とでも呼ぶべき迷著でした。こんなものは復刻しなくてもいいでしょう。私はこれまで駄目な解釈が①書いてあることを読まない②書かれていないことを付け足す、という二つの誤りによって生じることを繰り返し説明してきました。この『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』もそのパターンに

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『羅生門』の明日へ

『羅生門』の明日へ

 『羅生門』では、下人を京都に放った芥川が、『或阿呆の一生』で廃人として閉じていることをどう受け止めればいいのだろうか。実際には晩年の芥川は精力的に編集に関わってはいたのだが、本人としては気力の衰えを否めなかったのだろうか。

 私には漱石が『鼻』を評価した意味は明確ではない。しかし『芋粥』にはいまだに隙あらば繰り返し借用する作法がある。言わばお気に入りの作法である。それはこの狐の使い方である。

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芥川龍之介『羅生門』のよこしま

芥川龍之介『羅生門』のよこしま

 『杜子春』のあまりにも「道徳的」な結びに対して、『羅生門』の結びはあまりにも救いがない。悪人が一人増えただけと見れば確かにそういう話になってしまう。しかし最初から最後までまるで救いがなく、ただ芥川の芸術至上主義が垣間見えたかと思える『地獄変』にも、どこか何かを「正そう」という正義感のようなもの、何かを徹底して拒絶する頑なな意志が見える。

 やや繰り返しにもなるが『杜子春』では、

「いくら仙人

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芥川龍之介『羅生門』の嘘

芥川龍之介『羅生門』の嘘

 『羅生門』の結びは当初「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。」だったそうです。「下人の行方は、誰も知らない。」とう結びとは全く意味が違ってきます。あの天才・芥川がわざわざ改変していることから、ここに重要な意味が込められていることは間違いないでしょう。つまり「下人が強盗にならないという選択肢もあるのではないか」「強盗になったと明記しない方が良いのではないか」と考えたとい

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芥川龍之介の「さすが」

芥川龍之介の「さすが」

 インターネツトの世界は便利なようで、なかなか正しい情報に辿り着くことを難しくさせている側面もある。例えば深沢七郎の『風流夢譚』で皇太子妃(現在の上皇后)を殺めるマサキリについて調べようとするとほぼ『風流夢譚』に辿り着く。岩波の広辞苑の第三版でマサキリに近いものを探すと、「小手斧」(こじょんの)という言葉が見付かる。しかし使用例に乏しく、私はまだ自分の小説以外で「小手斧」(こじょんの)という言葉を

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鬼は切っても良いのか?

鬼は切っても良いのか?

 鬼滅の刃では鬼は問答無用で斬られる。鬼は人を襲い食うからだ。室町時代の謡曲『羅生門』には鬼が現れる。侍が鬼を斬る。芥川龍之介の『羅生門』には鬼は現れない。

 死骸から鬘用の髪の毛を集める老婆と、その老場の衣服を剥ぎ取る下人が現れるだけである。それだけで芥川龍之介は「人間の鬼」を描いたと言えよう。

 人の世に確かに鬼はいる。

 芥川龍之介の『羅生門』では貧しさが人を鬼にしている。今、人は容易

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