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芥川文学の本質① 貸本屋文学としての芥川龍之介

 

 えっちらおっちら「やり直しの近代文学」を書いてきて気が付いたことがある。ここにきて急に、芥川は非常に頑固で漱石文学の継承を拒んだ、というところまでは確からしく思えてきた。そこには深い研究もなければ批判もない。
 夏目漱石が英文学というものにどっぷりと首までつかり、還元的感化とまで言い切れるものを掴んだのに対して、芥川はあくまで友人の扇動で小説を書きだしたのであり、その基礎となるものは漱石文学ではなくあくまでも貸本なのだ。


 そう書いてみて、我ながらまるで開き直った皮肉か冗談でも書いているように感じないではないが、これは確かに芥川自身が告白していることで、揚げ足取りでもなく、隠されていたことでも何もない。三島由紀夫が古今集や『大鏡』が好きだった、というのと同じ意味で芥川は貸本が好きだったのだ。そう捉えなおしてみて初めて、ああ、『羅生門』とようやく腑に落ちるのではあるまいか。

 確かに『羅生門』には「作家の私生活を描かない」という新しさがあった。また芥川は恋愛小説らしきものをほとんど書いてこなかった。勿論『羅生門』には恋愛的要素が一かけらもない。下人は無職だが、ただ生活が出来ぬほどに貧しい者たち、社会の最下層にある者たちを描いたという点ではプロレタリアート文学の先駆けと云ってよいかもしれない。遠景からの寄り、視点の切り替えなど巧みな描写を駆使して、無駄な掛詞のない近代的な文体で綴られながら、なおどこかで「何故こんな昔の話を書いているんだろう」という引っ掛かりを与える作品である『羅生門』は、貸本の講談本を土壌にして生えてきたものなのだと割り切ると、ああ、なんだ、という感じがしてこないものだろうか。

 僕の岩見重太郎を知つたのは本所御竹倉の貸本屋である。いや、岩見重太郎ばかりではない。羽賀井一心斎を知つたのも、妲妃のお百を知つたのも、国定忠次を知つたのも、祐天上人を知つたのも、八百屋お七を知つたのも、髪結新三を知つたのも、原田甲斐を知つたのも、佐野次郎左衛門を知つたのも、――閭巷無名の天才の造つた伝説的人物を知つたのは悉くこの貸本屋である。僕はかう云ふ間にも、夏の西日のさしこんだ、狭苦しい店を忘れることは出来ぬ。軒先には硝子の風鈴が一つ、だらりと短尺をぶら下げてゐる。それから壁には何百とも知れぬ講談の速記本がつまつてゐる。最後に古い葭戸よしどのかげには梅干を貼つた婆さんが一人、内職の花簪を拵へてゐる。――ああ、僕はあの貸本屋に何と云ふ懐かしさを感じるのであらう。僕に文芸を教へたものは大学でもなければ図書館でもない。正にあの蕭条たる貸本屋である。僕は其処に並んでゐた本から、恐らくは一生受用しても尽きることを知らぬ教訓を学んだ。超人と称するアナアキストの尊厳を学んだのもその一つである。成程超人と言ふ言葉はニイチエの本を読んだ後、やつと僕の語彙になつたかも知れない。しかし超人そのものは――大いなる岩見重太郎よ、伝家の宝刀を腰にしたまま、天下を睨んでゐる君の姿は夙つとに僕の幼な心に、敢然と山から下つて来たツアラトストラの大業を教へてくれたのである。あの貸本屋はとうの昔に影も形も失つたであらう。が、岩見重太郎は今日もなほ僕の中に溌溂と命を保つてゐる。いつも人生の十字街頭に悠々と扇を使ひながら。

(芥川龍之介『僻見』)

 なるほどと思う。私が「隠されたもの」や「間違い」にうるさいのは、江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズに起源があるのかも知れない。おそらくその程度のものから始まり、言葉の基礎ができ、ものの考え方や世の中の仕組みというものを学び始めるのだ。当然そこに一つの世界観の雛型のようなものが出来上がる。講談の速記本には、巧みに言葉を飾り大げさに物語を捏ね上げる独特の口調というものが詰まっていたはずだ。だから『羅生門』の芝居は大きいのだ。
 

 尤も貧しい信輔は到底彼の読むだけの本を自由に買ふことは出来なかつた。彼のかう言ふ困難をどうにかかうにか脱したのは第一に図書館のおかげだつた。第二に貸本屋のおかげだつた。第三に吝嗇の譏さへ招いだ彼の節倹のおかげだつた。彼ははつきりと覚えてゐる――大溝に面した貸本屋を、人の好い貸本屋の婆さんを、婆さんの内職にする花簪を。婆さんはやつと小学へ入つた「坊ちやん」の無邪気を信じてゐた。その「坊ちやん」はいつの間にか本を探がす風を装ひながら、偸み読みをすることを発明してゐた。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生
―或精神的風景画―』)

 だから芥川は速読なのだ。私も立ち読みでこの本を書いた。

 座り読みしてしまうとつい校正してしまう。

 芥川文学の基礎は講談の速記本の立ち読みにあったのだ。だから立ち読みをしない人にはこんなことや、

 こんなことが解らないのだ。

 あるいは芥川作品がほとんど理解されていないのは、立ち読みの集中力で書いているからではなかろうか。そうしてこうした語彙や雑学的な情報も、講談の速記本由来なのかもしれない。

 そしてなんといっても心地よい芥川の文体は、まず最初に講談師の語りがあり、それが文字起こしされたことによる速記本という存在を考えるとなるほどと思えてくる。
 漱石のベースが英文学+落語+写生文、であるとしたら芥川のベースは講談の速記本+斎藤茂吉+北原白秋であり、芥川龍之介の正体はまさに浅香三四郎だったのだ。

 浅香三四郎ならば『素戔嗚尊』を書いてもおかしくはない。

 芥川龍之介が書いたと思うからいけない。浅香三四郎が書いたと思えばなんということもない。講談の速記本に哲学も思想もないものだ。いや、講談なりの哲学も思想もある。
 しかし講談の速記本を書いて自殺する馬鹿がいるとは驚きだ。

 本当に私は今驚いている。

 講談の速記本を書いて自殺する馬鹿がいるか?


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