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芥川龍之介の『羅生門』のウイキあら捜し

 今、高校生に『羅生門』の続きを書かせるという課題があるという話を知って唖然としています。『こころ』のKの代わりに遺書を書かせるとか、本当に高校の国語教師は楽をしていないですか?

https://togetter.com/li/1895778

 そもそも『羅生門』は「下人の行方ゆくえは、誰も知らない」で閉じられる「書かれえない話」なので、その続きを書かせようという発想自体がナンセンスだと思うのですが、そのナンセンスさの裏には教師自身の『羅生門』読解の浅さが隠れてはいないでしょうか。そもそもどうやって二階に死体を運んだのか説明できる人はいますか。

 さて、今回もウイキペディアで『羅生門』のあらすじを見て行こう。

背景は平安時代。飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。ある暮れ方、荒廃した羅生門の下で若い下人が途方に暮れていた。下人は数日前、仕えていた主人から解雇された。生活の糧を得る術も無い彼は、いっそこのまま盗賊になろうかと思いつめるが、どうしても「勇気」が出ない。下人は羅生門の2階が寝床にならないかと考え、上へ昇ってみた。
するとそこに人の気配を感じた。楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられていたが、その中に灯りが灯っている。老婆が松明を灯しながら、若い女の遺体から髪を引き抜いているのである。老婆の行為に激しい怒りを燃やした下人は刀を抜き、老婆に襲いかかった。老婆は、抜いた髪で鬘を作って売ろうとしていた、と自身の行いを説明する。さらに彼女はこう続ける。「抜いた髪で鬘を作ることは、悪いことだろう。だが、それは自分が生きるための仕方の無い行いだ。ここにいる死人も、生前は同じようなことをしていたのだ。今自分が髪を抜いたこの女も、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた。それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろう。」と。
髪を抜く老婆に正義の心から怒りを燃やしていた下人だったが、老婆の言葉を聞いて勇気が生まれる。そして老婆を組み伏せて着物をはぎ取るや「己(おれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていった。下人の行方は、誰も知らない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E7%94%9F%E9%96%80_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

①「数日前」→「四五日前に暇を出された」
②「生活の糧を得る術も無い」→書かれていないこと。
③「盗賊」→「盗人」
④「身寄りの無い遺体」→「幾つかの死骸」
⑤「松明」→「火をともした松の木片」
⑥「若い女」→「多分女の死骸であろう」※「羅城門登上層見死人盗人語 第十八では「若き女の死て臥たる有り」
⑦「売り歩いていた」→「太刀帯の陣へ売りに往んだ」
⑧「正義の心」→書かれていない。
⑨「組み伏せて」→書かれていない。
⑩「漆黒の闇の中へ消えていった」→「またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた」

 細かいところはある意味どうでもいいんですが、書かれていないことは書かない方がいいでしょう。で、一番言いたいのは、芥川のカメラワークで、最後はカメラは楼に残されているんですね。

 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中 段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子を窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。(芥川龍之介『羅生門』)

 この遠景(引きの画)から面皰へのクローズアップと云う立体的な描写が理解できてこそのまとめなら、「漆黒の闇の中へ消えていった」はないでしょう。「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである」をうまくまとめたつもりかもしれませんが、この書き方だとカメラは下人を追っていますよね。あらすじとは作品全体をさらに遠景から眺めなおす作業だとしてカメラワークを無視するなら、「するとそこに人の気配を感じた」「その中に灯りが灯っている」などの表現が冗長な感じがいたします。
 







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