芥川龍之介の『羅生門』のウイキあら捜し
今、高校生に『羅生門』の続きを書かせるという課題があるという話を知って唖然としています。『こころ』のKの代わりに遺書を書かせるとか、本当に高校の国語教師は楽をしていないですか?
https://togetter.com/li/1895778
そもそも『羅生門』は「下人の行方ゆくえは、誰も知らない」で閉じられる「書かれえない話」なので、その続きを書かせようという発想自体がナンセンスだと思うのですが、そのナンセンスさの裏には教師自身の『羅生門』読解の浅さが隠れてはいないでしょうか。そもそもどうやって二階に死体を運んだのか説明できる人はいますか。
さて、今回もウイキペディアで『羅生門』のあらすじを見て行こう。
①「数日前」→「四五日前に暇を出された」
②「生活の糧を得る術も無い」→書かれていないこと。
③「盗賊」→「盗人」
④「身寄りの無い遺体」→「幾つかの死骸」
⑤「松明」→「火をともした松の木片」
⑥「若い女」→「多分女の死骸であろう」※「羅城門登上層見死人盗人語 第十八では「若き女の死て臥たる有り」
⑦「売り歩いていた」→「太刀帯の陣へ売りに往んだ」
⑧「正義の心」→書かれていない。
⑨「組み伏せて」→書かれていない。
⑩「漆黒の闇の中へ消えていった」→「またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた」
細かいところはある意味どうでもいいんですが、書かれていないことは書かない方がいいでしょう。で、一番言いたいのは、芥川のカメラワークで、最後はカメラは楼に残されているんですね。
この遠景(引きの画)から面皰へのクローズアップと云う立体的な描写が理解できてこそのまとめなら、「漆黒の闇の中へ消えていった」はないでしょう。「外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである」をうまくまとめたつもりかもしれませんが、この書き方だとカメラは下人を追っていますよね。あらすじとは作品全体をさらに遠景から眺めなおす作業だとしてカメラワークを無視するなら、「するとそこに人の気配を感じた」「その中に灯りが灯っている」などの表現が冗長な感じがいたします。
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