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芥川龍之介『羅生門』の嘘



 『羅生門』の結びは当初「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。」だったそうです。「下人の行方は、誰も知らない。」とう結びとは全く意味が違ってきます。あの天才・芥川がわざわざ改変していることから、ここに重要な意味が込められていることは間違いないでしょう。つまり「下人が強盗にならないという選択肢もあるのではないか」「強盗になったと明記しない方が良いのではないか」と考えたという事なのでしょう。

 『藪の中』を巡っては探偵小説のように読む向きもあり、漱石も興味を持った「多世界」の話として読む向きもありますが、『羅生門』に関しては平べったい解釈が固まってしまっているように思います。下人が老婆の服を奪ったことから、老婆の話によって下人に与えられた勇気とは盗人になる勇気であり、よって饑死をするという選択肢は消えたのだ…というのが一般的な解釈であり、そのことが「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。」という初出の結びによって裏付けられているというのが標準的な読みと言えるでしょうか。

 しかしならば何故芥川が結びを書き直したのか。このことは例えば『杜子春』を読んでみると案外、こんなことではないかなと思えてきます。これも殆ど言われることがないのですが『杜子春』も『羅生門』の下人と大差ない食い詰め者です。

 或る春の日暮です。
 唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
 若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費つかい尽して、その日の暮しにも困る位、憐れな身分になっているのです。(芥川龍之介『杜子春』)

 作家が同じ設定の小説を書く場合、前作を意識するのはごく当然のことだと思います。自分ならば、必ずそうします。意識しないわけにはいかないでしょう。この『杜子春』の結末、半死の馬の首を抱いておっ母さんと叫び、仙人にはなれず、人間として生きていこうとするいかにも「道徳的」な結末は、冒頭にはなかった筈のものです。芥川は杜子春を殺すも生かすも自在だったのです。しかし『金閣寺』で三島由紀夫は溝口を殺せませんでした。どうするか迷いながら殺せなかったことを小林秀雄との対談で明かしています。夏目漱石は結果として『虞美人草』の藤尾を殺しましたが、殺さないことも考えていました。芥川は『杜子春』を書きながら、どう着地させるか考えていた筈です。そうでなければこの程度の量はざっと一日で書き終わるでしょう。芥川の遅筆は考えながら書いていたことの証拠です。

 なんなら芥川は『羅生門』を書き終わった後も『羅生門』について考えていた訳です。ですから結びを書き直したわけです。しかし最後には完全な嘘を選びました。「下人の行方は、誰も知らない。」ということは、『羅生門』という小説自体が書かれえないものになってしまうのです。

 まず「下人の行方ゆくえは、誰も知らない。」は悪魔の証明を含む、語りえない言説であることは解かると思います。全ての人が知らないことは到底証明できません。またそう言われてこそ、この逸話が下人の告白によってしか語りえない物語でもあったことに気づかされる筈です。「こんな話を下人から聞いた」という者の存在がなければ『羅生門』の世界そのものがどこかに消えてしまうのです。

 このないところの妄想のようなもの、けして現れる筈のない現実のような現実でないような、妄想とも何とも片付けられないものを芥川はくり返し書いてきました。例えばそれは『馬の脚』です。

 運命はある真昼の午後、この平々凡々たる家庭生活の単調を一撃のもとにうち砕いた。三菱会社員忍野半三郎は脳溢血のために頓死したのである。
 半三郎はやはりその午後にも東単牌楼の社の机にせっせと書類を調べていた。机を向かい合わせた同僚にも格別異状などは見えなかったそうである。が、一段落ついたと見え、巻煙草を口へ啣くわえたまま、マッチをすろうとする拍子に突然俯伏になって死んでしまった。いかにもあっけない死にかたである。しかし世間は幸いにも死にかたには余り批評をしない。批評をするのは生きかただけである。半三郎もそのために格別非難を招かずにすんだ。いや、非難どころではない。上役や同僚は未亡人常子にいずれも深い同情を表した。
 同仁病院長山井博士の診断に従えば、半三郎の死因は脳溢血である。が、半三郎自身は不幸にも脳溢血とは思っていない。第一死んだとも思っていない。ただいつか見たことのない事務室へ来たのに驚いている。(芥川龍之介『馬の脚』)

 こうして半三郎は「そうではない世界」で腐った足の代わりに馬の脚を接がれます。三菱会社員忍野半三郎の死が現実であれば、馬の脚を接がれるのは非現実であるべきです。しかし芥川の小説は「べき」の通りにはなりません。「しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。」という曖昧な下人の態度がありますが、『馬の脚』は「べき」を明確に拒んで、非現実と現実の相剋にはまだ完全には至りません。この『馬の脚』ですが、確かに解りやすい平凡な脳溢血による死に別様の解釈を与えています。食い詰めた下人が死体から髪の毛を抜く老婆を見て盗賊になる決心をした…その解りやすい物語に躊躇したからこそ、「作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない」と書き、「しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。」と書いたのではないでしょうか。

 世間は幸いにも死にかたには余り批評をしません。批評をするのは生きかただけです。下人は果たして盗賊に堕ちたのでしょうか。そうではない別の世界にジャンプすることはなかったでしょうか。

 『杜子春』に話を戻すと、この余りに「道徳的」な結末は、『羅生門』と比べると如何にも牧歌的でさえあります。高校生に読ませる小説としては寧ろ『杜子春』の方が無難に思えます。しかし『羅生門』が不道徳的的な感じがしないのは何故でしょうか。

 下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。(芥川龍之介『羅生門』)

 下人にとって死人の髪の毛を抜くことは合理的かどうかは別として既に許されざる悪なのです。ここでは下人には正義の意識があります。ところがこの正義の心が反対に向かったと解されるのです。

 下人は、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。(芥川龍之介『羅生門』)

 確かにここには「老婆の話を聞いて盗人になる勇気が生まれた」と書かれているように思えます。では老婆の話はどんなものだったでしょうか。私には標準的な『羅生門』の解釈においては、その点が曖昧にされていたのではないかと思えるのです。

「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往いんだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」(芥川龍之介『羅生門』)

 わざわざ下人が老婆の服を剥ぎ取るのは理窟を投げ返すだけでなく、明確に対象を選んだと言えるでしょう。下人は死人らの罪を知りません。だから死人から衣服を剥ぎ取るのではなく老婆から着物を剥ぎ取ったのではないでしょうか。悪人から物を奪うことは善とは言えないかもしれません。しかし善人から物を奪うことに比べればいくらかましかも知れません。下人は悪人から物を奪う盗賊以下には落ちないでしょう。無論悪人に対してなら悪いことをしてもいいという屁理屈が芥川自身を満足させるものではないことは確かで、それゆえに「下人の行方は、誰も知らない。」という結びが選ばれたのでしょう。






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