2023年3月の記事一覧
芥川龍之介の『彼 第三』をどう読むか⑥ 「僕 第二」の目覚め
もしも『彼』において「僕」が一高に落ち六高に行った病人であり、独逸語が得意な「彼」にフランス語の『ジャン・クリストフ』の第一巻を貸したとしたのなら、そんな意地の悪いことをわざわざしたとするなら、
なんとなく『彼 第二』で描かれる「彼」もその良いところを褒めるのではなく、むしろ駄目なところを強調するように描かれているような気がしてこないものだろうか。そして少しは後悔が見えてこないものだろうか。
芥川龍之介の『彼 第三』をどう読むか⑤ そんな人はいない
それにしても私はうっかりものだ。しっかりしていない。がっかりだ。何故がっかりかというと、豊島与志雄 訳『ジャン・クリストフ』が1920年刊行、後藤末雄訳も1918年、つまり大正七年刊行であることに気が付かないでいたのだ。『ジャン・クリストフ』は1904年から1912年、つまり大正元年にかけて書き継がれる大作で、
この明治末期の「ジァン・クリストフ」は出た早々のフランス語の第一巻なのだ。つまり
芥川龍之介の『彼 第三』をどう読むか④ 遺作にならなかった
どうもどこかにあるような気がする『彼 第三』が見つからないので、仕方なく『彼 第二』を読むことにする。
エンリコ・カルーソーは、バリトンではなくテノール歌手だ。
いや、そんなことはどうでもいい。何故このタイミングで芥川龍之介は、いや「僕」は、何者にもなれなかった亡友の追憶のような話を書こうとしていたのだろうか。
白い小犬が死んでいる。芥川龍之介の中で白い小犬と云えばまずは『白』、そし
芥川龍之介の『彼 第三』をどう読むか③ やはり『彼 第三』はあるのか?
多分、多分だが『彼 第三』はない。
仕方ないから『あの頃の自分の事』を読もう。
なるほど「ありのまま書いて見た」と書きながら「小説と呼ぶ種類のものではないかも知れない」「何と呼ぶべきかは自分も亦不案内」としてどうしても随筆と書かない。
ん? 何かおかしい。「立ちながら三人で、近々出さうとしてゐる同人雑誌『新思潮』の話をした。」とあるからこれは大正二年の十月の話の筈だ。第三次『新思潮』
芥川龍之介の『彼 第三』をどう読むか② 「僕」は芥川ではない?
いや、だからどう読むも何も『彼 第三』という作品は見つからない。
しかたがないから、『愛読書の印象』でも読もう。
なるほど、高等学校を卒業する前後に「ジヤンクリストフ」を読んだのか……。
え? おかしい。おかしい。
たしか「ジァン・クリストフの第一巻」は『彼』で燃えたはずだ。「彼は六高へはいった後、一年とたたぬうち」「かれこれ半年の後」「翌年の旧正月」という経過をたどると、「僕」
芥川龍之介の『彼 第三』をどう読むか① 大島敏夫はどうなった?
『彼 第三』という作品を読もうと思ったが、そんな作品は見当たらない。
仕方ないから『学校友だち』でも読もう。
これはどうやら小説ではない。
なるほど医者か。
なるほど腎臓結核で死んだか。気の毒だ。
ん?
おかしい。何かおかしい。
この強烈な恋文とこの書きようの間には差があり過ぎる。つまりこれは虚構とまではいわないが、どこか取り澄ました何かである。
つまりこうし
芥川龍之介の『彼 第二』をどう読むか① best friendのすることではない
この作品もまた「実在の人物に関するエッセイ」とは読まない方がいいだろう。そしてまたその名が明確に告げられないことから、モデルが実在することもあまり気にする必要はないだろう。「彼」が誰であれ、この作品の中にしか「彼」はいない。それに『彼』にしても『彼 第二』にしても、既にこの世にはない旧友の思い出を懐かしがるような話ではないことは既に見て来た通りだ。
しかし『彼』にしても『彼 第二』にしても「
芥川龍之介の『彼』をどう読むか⑤ それだけの筈がない
田山花袋の『蒲団』に関して、「それ以上のことをしただろう」という批評がある。『1Q84』において洗濯機からふかえりの下着を取り出した川奈天吾に関しても同じことが言えるだろう。そして「彼」にも。
飽くまでも「僕」は紳士である。この「何気なしに」に多少の冷笑を加えたかった、と敢て芥川は書いている。「僕」の冷笑は「何気なしに他人の日記を読みということはあるまい」というもので、むしろ本当に何気なしに
芥川龍之介の『彼』をどう読むか④ 或る「革命家」の死の話
生きていればこんな日もある。そんな日々を何年も続けている。今日もそんな日だった。それでも私は自分に出来る最大限のことをやるだけだ。
これまで『彼』という小説に関して三つの記事を書いた。なるほどそうかと思った人、
そんな人はまったくどうかしている。『彼』はそんな話ではない。『彼』は革命家になれなかった若者の「挫折」の話だ。
高校生でマルクスやエンゲルスにかぶれ、ロシア革命を目の当たりに
芥川龍之介の『彼』をどう読むか③ これは「彼」の話ではない
・「トランプの運だめし」をしていた「彼」が案外早く運の尽きる話
・早すぎる死の話
・トランプで運試しをしていた「彼」が宮崎かどこかで歌留多にたたられる話
・解かなくていいパズルの話
昨日とおととい、そんな風に書いて来た。まだ骨組みを見て来ただけで、中身の話はこれからだ。
それにしても『彼』は奇妙な意匠で書かれた話なのだ。
冒頭で「彼」の名前を伏せることに決めたので、ここではわざわざ「X
芥川龍之介の『彼』をどう読むか② そんなパズルは解かない方がいい
昔は授乳は恥ずかしいものではなく、電車の中でも行われた。いやそんなことはどうでもいいのだが、私はここに何かちぐはぐなものを感じる。
・まだ一高の生徒だった僕は
第一章にはこう書かれている。なのに第二章では、
・僕と同じ本所の第三中学校へ通っていた
と時代がさらに過去に戻る。そして「妹」に会いに行く。旧制中学の学生の年齢は落第がなければ十二歳から十七歳だ。その妹に赤ん坊がいる?
最
芥川龍之介の『彼』をどう読むか① ソルラルのある景色
※これはそう長い話ではない。ニ三分で読み終わる。ここから後はまず『彼』を読んだ後で読んでもらいたい。そうしないと何かとんでもなく残酷で耐えられないような血みどろの不幸なことが起こる。必ず。
芥川龍之介のタイトルの付け方には大抵少々色気がない。逆に言えば控えめで外連味がない。だから『奇怪な再会』などという題名には警戒してしまうのだ。いや、もう『奇怪な再会』の話は止めよう。今回は『彼』の話だ。こ
芥川龍之介の『本の事』をどう読むか① 『ヤクルト・スワローズ詩集』は存在するか?
こんな書き出しだからといって油断してはならない。人の悪い芥川がありのままのエッセイを書く訳ではないことは、例えば『本所両国』などに関しても「出生地に関して嘘が書かれている」と指摘される通り明らかだ。それが単なる「嘘」かどうかは別として、いや客観的な事実と食い違うことは確かなことだとして、真面目に近代文学2.0に進むのならば、そもそも芥川には「ありのままのエッセイ」などというものが可能だったのかど
もっとみる芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか23 本所との再会
お蓮を日本人に戻して「私」や「滝」の国籍を危うくして、結局辿り着いたところは「いかようにも読める」と云った程度の地平なのではないかという感じもして来る。
とりあえず、
この問題には、
ここで緩い答えが一つ見つかったような感じはある。「恵蓮」が誘拐された日本人なら「孟蕙蓮」が日本人でもおかしくはない。牧野が犬にまで嫉妬して殺し、「金さん」も「暗打ち」にしたらしいことも見えて来た。
明