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芥川龍之介の『彼』をどう読むか④ 或る「革命家」の死の話
生きていればこんな日もある。そんな日々を何年も続けている。今日もそんな日だった。それでも私は自分に出来る最大限のことをやるだけだ。
これまで『彼』という小説に関して三つの記事を書いた。なるほどそうかと思った人、
そんな人はまったくどうかしている。『彼』はそんな話ではない。『彼』は革命家になれなかった若者の「挫折」の話だ。
彼は中学を卒業してから、一高の試験を受けることにした。が、生憎落第した。彼があの印刷屋の二階に間借りをはじめたのはそれからである。同時にまたマルクスやエンゲルスの本に熱中しはじめたのもそれからである。僕は勿論社会科学に何なんの知識も持っていなかった。が、資本だの搾取だのと云う言葉にある尊敬――と云うよりもある恐怖を感じていた。彼はその恐怖を利用し、度たび僕を論難した。ヴェルレエン、ラムボオ、ヴオドレエル、――それ等の詩人は当時の僕には偶像以上の偶像だった。が、彼にはハッシッシュや鴉片の製造者にほかならなかった。
高校生でマルクスやエンゲルスにかぶれ、ロシア革命を目の当たりにして、それが仏蘭西革命のように見えて、やがて日本も変わらなくてはならない、いや変わるのではないかという空気に導かれ革命を目指す若者がいた。そんな若者は1970年代半ばまでごくありふれた、いわゆるステレオタイプの若者であった。名前のない「彼」、「X」としての彼はそうしたサムオブゼムでもあるかのようである。
彼らの多くは純粋な理想と正義感だけではなく、青春の屈折を入り口にして革命と言い出してきたように私には思える。そして芥川もそうしたパターンを意地悪く指摘してはいまいか。
落第、間借り(つまり母の死と父の再婚?)といった事情を経て「彼」がマルクスやエンゲルスにかぶれて行く流れを芥川は淡々と「僕」に描写させている。余計な説明がない代わりにむしろ理詰めな感じさえする。そして「彼」を観察する「僕」の体温は何故か低く感じられる。
彼は翌年の七月には岡山の六高へ入学した。それからかれこれ半年ばかりは最も彼には幸福だったのであろう。彼は絶えず手紙を書いては彼の近状を報告してよこした。(その手紙はいつも彼の読んだ社会科学の本の名を列記していた。)
岡山くんだりまで都落ちしなくてはならなかった「彼」の半年を「僕」は「最も彼には幸福だったのであろう」と云ってみる。全てが終わった後に書かれているというこの小説の形式から考えると、ここには「彼の人生のうちで」という言葉が省略されていると見ていいだろう。そう思ってみるとノンポリで詩人の「僕」がマルクスやエンゲルスにかぶれた「彼」を見るまなざしは生温かい。つまり「彼の人生のうちで」という言葉を省略するように、何か一つ言葉が呑み込まれている感じがするのだ。
彼は六高へはいった後、一年とたたぬうちに病人となり、叔父さんの家へ帰るようになった。病名は確かに腎臓結核だった。僕は時々ビスケットなどを持ち、彼のいる書生部屋へ見舞いに行った。彼はいつも床の上に細い膝を抱だいたまま、存外快濶に話したりした。しかし僕は部屋の隅に置いた便器を眺めずにはいられなかった。それは大抵硝子の中にぎらぎらする血尿を透かしたものだった。
「こう云う体じゃもう駄目だよ。とうてい牢獄生活も出来そうもないしね。」
彼はこう言って苦笑するのだった。
「バクニインなどは写真で見ても、逞しい体をしているからなあ。」
ここで「僕」は何も言わない。慰めの言葉はない。しかし皮肉屋の芥川は続けてこう書かざるを得なかった。
しかし彼を慰めるものはまだ全然ない訣ではなかった。
ここで屈折の逃げ道としてマルクスやエンゲルスにかぶれた「彼」の慰め、革命家の夢はついえた。そのことを、つまり「彼」の社会科学が「彼を慰めるもの」でしかなく、それが恋愛にも交換可能なものであることを、芥川は冷徹に指摘した。革命は体が丈夫でさえあれば野球にも、あるいはサッカーにも交換可能な青春のエネルギーに過ぎないものであることを「彼」自身がメンスツラチオンと云うことだね、という形で表現してしまっている。
この話には続きはあるが、ここで革命家になれなかった若者の「挫折」の話としては終わっている。
いや、「挫折」の慰めを革命家へのあこがれで誤魔化した若者の話は終わっている。大正十五年十一月に、そこまでステレオタイプの革命家の本質を見通していた作家がいたことに私は驚く。
しかしそんな芥川龍之介の作品がこれまで誰にも読まれてないことに私はさらに驚く。
読んだつもりのみっともなさに鈍感であることを胡麻化し続ける人には、この「挫折」の慰めを革命家へのあこがれで誤魔化した若者の話は少し痛いのではなかろうか。
活字中毒を自称する前に丁寧に読むことを学ぶべきだろう。こんなことから。
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