多分、多分だが『彼 第三』はない。
仕方ないから『あの頃の自分の事』を読もう。
なるほど「ありのまま書いて見た」と書きながら「小説と呼ぶ種類のものではないかも知れない」「何と呼ぶべきかは自分も亦不案内」としてどうしても随筆と書かない。
ん? 何かおかしい。「立ちながら三人で、近々出さうとしてゐる同人雑誌『新思潮』の話をした。」とあるからこれは大正二年の十月の話の筈だ。第三次『新思潮』は大正三年二月から始まり十月で廃刊になる。その前の十月なら大正二年だ。
また「ジアン・クリストフ」を読んでいる。
そして「十一月もそろそろ末にならうとしてゐる或晩」、
いやいやいや。
谷崎の『お艶殺し』『お才と巳之助』は大正四年、『神童』は大正五年の作だ。つまり「近々出さうとしてゐる同人雑誌『新思潮』」とは第三次『新思潮』ではなく大正五年の第四次『新思潮』ということになる。つまり「近々出さうとしてゐる同人雑誌『新思潮』」は正確には「近々再び出さうとしてゐる同人雑誌『新思潮』」でなくてはおかしい。
つまり、
・「当時」とは高等学校二年から大学卒業までのながーい期間を指している
・『彼』の「僕」は読んでいない「ジヤンクリストフ」を「彼」に貸したのであって、「ジヤンクリストフ」を読み始めるのはその翌年以降
・芥川龍之介は認知症である
・『彼』の「彼」が死んだのは実は大正六年
・谷崎潤一郎と云うのは架空の存在
・芥川龍之介は「ジヤンクリストフ」を読んでいない
・小林十之助がどこかで数字を胡麻化している。
・『彼 第三』に種明かしがある
このいずれかが真実であろう。
一番可能性が高いのは、
・谷崎潤一郎と云うのは架空の存在
であろうか。
この人が一番疑わしいんだよなあ。
一白舎で二十銭の弁当と云うのも怪しい。一白舎はハイカラなのでカレーライスくらい食べないと。