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芥川龍之介の『彼』をどう読むか③ これは「彼」の話ではない

・「トランプの運だめし」をしていた「彼」が案外早く運の尽きる話
・早すぎる死の話
・トランプで運試しをしていた「彼」が宮崎かどこかで歌留多にたたられる話

・解かなくていいパズルの話

 昨日とおととい、そんな風に書いて来た。まだ骨組みを見て来ただけで、中身の話はこれからだ。
 それにしても『彼』は奇妙な意匠で書かれた話なのだ。

「Xは女を知っていたかしら?」
「さあ、どうだか……」
 Kは僕を疑うようにじっと僕の顔を眺めていた。

(芥川龍之介『彼』)

 冒頭で「彼」の名前を伏せることに決めたので、ここではわざわざ「X」と置き換えられている。Kが余所余所しい頭文字だとしたら、「X」は頭文字ですらない。「言わずとも好い」というよりは、まるで隠匿である。

 しかしそれは実在の人物がモデルであり、それが特定されないように配慮しているように見せかけている細工というわけでもないことは、「彼」の従妹が「美代ちゃん」と呼ばれることから明らかだ。つまり、何がしたいのか解らない。

 いや、そんな形式の話ではなく、中身を見て行こう。

 Kは僕を疑うようにじっと僕の顔を眺めていたとはどういうことなのか。

 それは、

 しかし彼を慰めるものはまだ全然ない訣ではなかった。それは叔父さんの娘に対する、極めて純粋な恋愛だった。彼は彼の恋愛を僕にも一度も話したことはなかった。が、ある日の午後、――ある花曇りに曇った午後、僕は突然彼の口から彼の恋愛を打ち明けられた。突然?――いや、必ずしも突然ではなかった。僕はあらゆる青年のように彼の従妹を見かけた時から何か彼の恋愛に期待を持っていたのだった。

(芥川龍之介『彼』)

 この小説の話者である「僕」、つまり芥川龍之介ではないと決めつけることに必ずしも意味のない程度の工夫のなさそうな「僕」が彼の恋愛に期待を持っていたからだ。ここで「あらゆる青年のように」と言われていることには理由がないではない。おそらく「彼」は恋愛に期待を持たれるタイプなのだ。

 そのことはこのように念押しされている。

 僕はKと会う度に必ず彼の噂をした。Kも、――Kは彼に友情よりもほとんど科学的興味に近いある興味を感じていた。
「あいつはどう考えても、永遠に子供でいるやつだね。しかしああ云う美少年の癖に少しもホモ・エロティッシュな気を起させないだろう。あれは一体どう云う訣かしら?」
 Kは寄宿舎の硝子窓を後に真面目にこんなことを尋ねたりした、敷島の煙を一つずつ器用に輪にしては吐き出しながら。

(芥川龍之介『彼』)

 科学的興味に近いある興味、ホモ・エロティッシュな気を起させない美少年、そう言われてみても正直私にはピンとくるものがない。友人をそういう目で見たことは無いし、そもそも他人の恋愛を心配したことがない。そういう関係性と云うものがよく分からないし、医科の生徒であるKの言い分が何かピント外れにさえ思える。

 童顔の美少年がただ異性愛にしか興味がないだけであり、ホモッ気がまるでないだけでは何がいけないのかと思う。あるいは「彼」は「洲崎」には興味がないという態度を見せる。

「そんな議論にむきになっているよりも僕と一しょに洲崎へでも来いよ。」
 Kは僕等を見比べながら、にやにや笑ってこう言ったりした。僕は勿論内心では洲崎へでも何でも行きたかった。けれども彼は超然と(それは実際「超然」と云うほかには形容の出来ない態度だった。)ゴルデン・バットを銜えたまま、Kの言葉に取り合わなかった。

(芥川龍之介『彼』)

 ここで「洲崎」とは遊郭のことである。敷島を吸うKに対して、ゴルデン・バットを吸う「彼」にとって「洲崎」になど興味がないという態度を取るのは、

・金がないことを見透かされたくない
・童貞であり、なおかつ恋人もいないことを見透かされたくない

 ……というあらゆる青年にとってありふれた見栄と意地があるに過ぎないように思う。しかしそう単純な話を芥川が書く訳はない。むしろここには友人の恋愛に大変興味を持ち、従妹と同居していることを羨ましがり、尚且つ「洲崎」にも行ってみたい若い「僕」がいることを見なくてはなるまい。

 芥川龍之介は「彼」について書きながら、やはり「僕」の異性への興味も書いている。それがまるで若い頃の自分自身の実話と取られかねないことを承知で、いやむしろ「彼」と書き「X」と書くことで、実在の人物がモデルであり、それが特定されないように配慮しているように見せかけていると勘違いしてみれば、これはまさに「僕」がこの時、

・童貞であり、なおかつ恋人もいないこと

 ……を告白しているかのようにさえ見えてくる。「僕は勿論内心では洲崎へでも何でも行きたかった」とは「洲崎」には行っていないということだ。

 僕は詮めに近い心を持ち、弥生町の寄宿舎へ帰って来た。窓硝子の破れた自習室には生憎あいにく誰も居合せなかった。僕は薄暗い電燈の下に独逸文法を復習した。しかしどうも失恋した彼に、――たとい失恋したにもせよ、とにかく叔父さんの娘のある彼に羨望を感じてならなかった

(芥川龍之介『彼』)

 これはやはり「僕」にはそういう相手がいないことの告白に見える。さらに、

「まあ、それはどうでも好いい。……しかしXが死んで見ると、何か君は勝利者らしい心もちも起って来はしないか?」
 僕はちょっと逡巡した。するとKは打ち切るように彼自身の問に返事をした。
「少くとも僕はそんな気がするね。」
 僕はそれ以来Kに会うことに多少の不安を感ずるようになった。

(芥川龍之介『彼』)

 ここでは「Xが死んで見ると、何か君は勝利者らしい心もちも起って来はしないか?」と訊かれた「僕」に逡巡させて見せる。ここで問われていることは女性経験に関する話なので、逡巡する「僕」は、

・童貞であり、なおかつ恋人もいないこと

 ことを胡麻化そうかどうかと迷っているように見える。そして「少くとも僕はそんな気がするね。」と言い切った「K」は「洲崎」で遊び、素人童貞のように見える。「それ以来Kに会うことに多少の不安を感ずるようになった」のは、

・童貞であり、なおかつ恋人もいないこと

 ……が露見する不安があるということのように思えてくる。

 つまり『彼』は「彼」の話ではなく、早しくして死んだ「彼」をだしにして、「僕」が童貞であり、なおかつ恋人もいないことを告白する話なのだ。

 

 今日の所は。


[余談]

 どうやらキンドルで立て続けに私の本を読んでいた人は昨日あたりで死んでしまったみたいだ。

 残念なことだ。

 今日死んだ人は、明日私が書く記事を読むことが出来ない。

 そんな当たり前のことに気が付く人はいない。

 したがって芥川龍之介の読者は永遠に現れないのだ。


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