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芥川龍之介の『彼』をどう読むか⑤ それだけの筈がない

 田山花袋の『蒲団』に関して、「それ以上のことをしただろう」という批評がある。『1Q84』において洗濯機からふかえりの下着を取り出した川奈天吾に関しても同じことが言えるだろう。そして「彼」にも。

「美代ちゃんは今学校の連中と小田原へ行っているんだがね、僕はこの間何気なしに美代ちゃんの日記を読んで見たんだ。……」
 僕はこの「何気なしに」に多少の冷笑を加えたかった。が、勿論何も言わずに彼の話の先を待っていた。
「すると電車の中で知り合になった大学生のことが書いてあるんだよ。」
「それで?」
「それで僕は美代ちゃんに忠告しようかと思っているんだがね。……」
 僕はとうとう口を辷らし、こんな批評を加えてしまった。
「それは矛盾しているじゃないか? 君は美代ちゃんを愛しても善い、美代ちゃんは他人を愛してはならん、――そんな理窟はありはしないよ。ただ君の気もちとしてならば、それはまた別問題だけれども。」

(芥川龍之介『彼』)

 飽くまでも「僕」は紳士である。この「何気なしに」に多少の冷笑を加えたかった、と敢て芥川は書いている。「僕」の冷笑は「何気なしに他人の日記を読みということはあるまい」というもので、むしろ本当に何気なしに日記を読んだ可能性をさりげなく排除するかのように、気を逸らせている。

 無論普通は何気なしに他人の日記を読みということはあるまい。しかしもしも本当に「彼」がそこで口を辷らし、「僕はこの間何気なしに美代ちゃんの日記を読んで見たんだ」と告白したのだとしたら、その時彼は美代ちゃんの部屋で何をしていたのだろうか。つまり日記はたまたまそこにあったから本当に何気なしに読んだのであり、「彼」の関心はもっと美代ちゃんに肉薄するものに向けられていたのではなかろうか。

 フェティシズムの対象物として日記の順位はそう高くはないだろう。もしも目の前に汚れた夜着があれば、「彼」はそちらを手にしたであろう。そしてそれだけで終わる筈はない。そんな可能性を「僕」は敢えて冷笑を加えないことで救ったのだ。もしもこの会話を美代ちゃんが聞いたら、やはりそのことを考えるだろう。(だからこの「彼」のモデルは誰それなどと得意げに特定してはいけないのだ。その特定には作品の解釈上はさして意味がなく、実在のモデルの私生活を汚すこともある。)

 また「彼」の言い分からして、そこにはいかにも不能者を思わせる身勝手な横恋慕があり、不要な嫉妬と独占欲が見える。一方美代ちゃんの大学生と電車で知り合いになるという当時としてはかなり奔放な性質も見えることから、これでは勝負にならんだろうということは明らかだ。

 私は其の女學生の憶面もない、づうづうしい態度と、尤もらしく知ら知らしい言葉つきにひどく呆れ返つた。馬鹿なのか眞面目なのか擦れ枯らしなのか分らぬけれど、いづれにしても妙齡の女が電車の中で見知らぬ男から話し掛けられて、顏も赧らめずにこんな會話を交はせるものではないのである

(谷崎潤一郎『獨探』)

 少し時代はずれるが、電車で男女が知り合いになるなどということは、昔はまず考えられないことなのである。不能者ほど身近で手に入りそうな、そして奔放な女を好むものだ。それはあなたの個人的な感想ですよね。はいそうです。

 僕は詮めに近い心を持ち、弥生町の寄宿舎へ帰って来た。窓硝子の破れた自習室には生憎誰も居合せなかった。僕は薄暗い電燈の下に独逸文法を復習した。しかしどうも失恋した彼に、――たとい失恋したにもせよ、とにかく叔父さんの娘のある彼に羨望を感じてならなかった。

(芥川龍之介『彼』)

 しかし「僕」の見立てもそう変わらない。たとえ「彼」が美代ちゃんんに忠告してもどうなるものではなく、最初から勝負にはならないのだ。叔父の家に来た時点で「彼」は首も膝も細い血尿の病人なのだ。そんな「彼」はまず不能者であろう。電車で大学生と知り合いになるような女でなくとも、不能者を選ぶ女はあるまい。その「彼」に羨望を感じるほど「僕」が恋愛に飢え、かつ目当てもないという小説を、芥川龍之介という美男子がわざわざ大正十五年に書いていることが妙におかしい。

 こんな男が書いている訳ではないのだ。

 こんな男でもない。

 これもちがう。

 これでもない。

 このハンサムが書いているのだ。これはおかしい。きっとこの時の「彼」は、こんな感じだろう。

 これでは女にはもてない。

 こんな感じでなくてはいけない。

 では不能者である「彼」を羨望する「僕」は有り余る青春のエネルギーをどうしていたのか。それは書かれない。

僕はもう一度一生懸命に沈み勝ちな話を引き戻した。
「この間あいだKが見舞いに来たってね。」
「ああ、日帰りでやって来たよ。生体解剖の話や何かして行ったっけ。」
不愉快なやつだね。」
「どうして?」
「どうしてってこともないけれども。……」

(芥川龍之介『彼』)

 医科のKが生体解剖の話をするのを不愉快と受け止める「僕」は、やがて死にゆく「彼」を解剖するように観察している。徹底的に観察者に留まる。それだけの筈はないのだが、それだけしか書かれない。

 そして「僕」の勝利者らしい心もちを指摘したKは、わざわざ死人に対して勝利者になって見せる。この正直さには美少年だった「彼」に対するささやかな賛辞が込められている。


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