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夏目漱石論2.0

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#阿刀田高

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑤ 神の論理?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑤ 神の論理?

 夏目漱石の『行人』のあらすじをきちんと理解している人を私は知らない。多くの人が「塵労」にフォーカスして、一郎を主人公にしてしまう。物語の中で一郎は二郎に観察される対象でしかなく、主人公は飽くまで二郎である。これは『坊っちゃん』の主人公が「おれ」で『それから』の主人公が代助であるくらい確かなことだと私は考えているが、『彼岸過迄』の主人公が田川敬太郎だというところから、読者を混乱させているようだ。確

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑦ 「小説の技法において巧みな人ではなかった」だと?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑦ 「小説の技法において巧みな人ではなかった」だと?

 これは評価ではなく個人の感想なので云々しない。しかし無理にそう読まなくてもいいんじゃないかという与太話を一つ。

 極めてざっくりまとめると『道草』は健三があちこちから金の無心をされる話だ。この一つ前の『こころ』との関係で言うと、働かなくても暮らしていけて、話者の帰省費用でもすっと出してくれる先生を見て、漱石に金の無心にくる弟子たちが沢山いた筈だ。時期は色々あるが、実際何人もの弟子が漱石から借金

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑥ 『こころ』は読みやすい話ではない。

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高⑥ 『こころ』は読みやすい話ではない。

 こう書いている時点で阿刀田高は「自分には夏目漱石作品を理解する能力がありません」と宣言しているようなものだ。『こころ』を文字として読むことはそう困難ではない。実際、漱石全集では細かく注釈が振られているので三島由紀夫作品や谷崎潤一郎作品を読むよりむしろ「楽」と感じるかもしれない。しかし実に多くのプロが夏目漱石作品を読み落とし、読み間違いをしているというのは、どうにも誤魔化しようのないゆるぎない事実

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高④ この世界の実存的トラブル?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高④ この世界の実存的トラブル?

 読書感想文は好きに書けばいいと思います。しかし少なくとも評価するためにはある程度調べてから書くべきだと思います。懐手で考えて解らなければ、気になる部分を掘っていく必要があるのではないでしょうか。そもそも自分の理解を超えているものを何故評価しようとするのか私には解りませんが、最低でもそのくらいの礼儀はあっていいでしょう。

 阿刀田高は『門』について、「暗いんだよな、何を汲み取ったらよいのだろうか

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?

 読み落としは読み誤りとは違うのではないか、気が付いていないことがあるだけで、読み誤りとは言えないのではないか、

 この記事を読んでそんなことを思う人がいるかもしれない。しかし私が言っているのは、最低限ここまでは読めていないといけないという最低ラインに達っしていないのに解った風に書いてしまうのはどうなのかということだ。清を「ねえや」にしてしまうのは誤読だ。汚染データだ。漱石が意図して『三四郎』で

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読み誤る漱石論者たち阿刀田高② 三四郎の髪の長さはどれくらい?

読み誤る漱石論者たち阿刀田高② 三四郎の髪の長さはどれくらい?

 夏目漱石作品の中でも『坊っちゃん』『三四郎』『それから』は謎だらけの作品だ。一度さらっと読んで解るものではない。

 この書きようからすると阿刀田高は他人の解釈は参考にしていないようだ。だからこそ『虞美人草』の藤尾の死に関しては惑わされずに済んだのかもしれないが、ここではやはり書いていないことを付け足してしまっている。まず三四郎の里は北九州寄りの福岡で、熊本からはかなり距離がある。「国を立つまぎ

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読み誤る漱石論者たち 阿刀田高① 『坊っちゃん』はそう単純な話ではない。

読み誤る漱石論者たち 阿刀田高① 『坊っちゃん』はそう単純な話ではない。

 それにしてもどうしてこうも沢山の人が漱石について語ろうとするのだろうか。そしてことごとく漱石作品を読み誤るのは何故なのだろうか。そんな近代文学2.0の根本的な問題を改めて考えさせてくれるのが阿刀田高の『漱石を知っていますか』(新潮社、2017年)だ。

 谷崎潤一郎作品に関しても阿刀田高の読みは迂闊であり、凡庸で型通り、しかも話を作るために読み誤っていた。丁寧にストーリーを追いながら、何の疑問を

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