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夏目漱石論2.0

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#村上春樹

「ふーん」の近代文学⑩ 無理がある?

「ふーん」の近代文学⑩ 無理がある?

 それでも流石に三島由紀夫は近代文学じゃないんじゃないかとまだ考えている人がいる? いない?

 三島由紀夫本人としても鴎外だけは認めているけれども漱石なんかは軽く見ていて、芥川や太宰、それから島崎藤村なんかも馬鹿にしている。そして王朝物語に連なる意識があるから、やはり近代文学ではない?

 はい。近代文学です。

 近代ゴリラですもの。

[余談]

 こうして夏目漱石と三島由紀夫と村上春樹はつ

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筋について

筋について

 この間帝国座の二宮君が来て、あなたの明治座の所感と云うものを読んだが、我々の神経は痲痺しているせいだか何だかあなたの口にするような非難はとうてい持ち出す余地がない、芝居になれたものの眼から見ると、筋なぞはどんなに無理だって、妙だって、まるで忘れて見ていますと云いました。なるほどそれが僕の素人であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説

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創作世界の発見

創作世界の発見

訂正を肯んじえない読み誤り

大正五年に書かれた夏目漱石の『明暗』では、主人公・津田由雄の元恋人らしき女・清子が昔飛行機に乗ったことになっている。

日本で民間の飛行機利用が始まるのは第二次世界大戦後のことであり、これは私が確認できる史実とはあからさまに矛盾する。大正五年以前に清子が飛行機に乗るなど、けしてありえないことなのだ。

当時の飛行機は旅客機ではなく曲芸飛行機であり、おそらくまだ将来的に

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批評の文体③

批評の文体③

 私は「近代文学2.0」としていささか真面ではない作家たちの作品についてこれまであれこれ書いてきました。真面ではないという形容は、作家と作品の両方にかかります。また「近代文学2.0」という区分けそのものが真面ではないと考えています。
 この真面ではないという感覚を具体的に説明すると、例えば村上春樹さんについて考えてもらえばいいと思います。早稲田大学を卒業して、作家になり……とその経歴や実績を私が説

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「お話」とは何か   軸があるかないかだよ からあげくんが妖精だったなんて!

「お話」とは何か   軸があるかないかだよ からあげくんが妖精だったなんて!

 前回、私は谷崎の『泰淮の夜』について「お話」になっていると書いた。『蘇州紀行』は紀行文だが、『泰淮の夜』は「お話」だと。

 実はこのあたりのシンプルな筈の事が案外伝わっていないのではないかと思い、少し補足説明しておきたい。紀行文はどこそこを観光した、何々を食べたの羅列でよい。筋ができてしまうとお話になる。『泰淮の夜』は支那料理を二ドルでたらふく食べ、三ドルで芸者が歌を歌うと聞かされる。では女は

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靴宇の社会人 先天性社会人なんているの? そもそも何でそんなに喧嘩腰なの?

靴宇の社会人 先天性社会人なんているの? そもそも何でそんなに喧嘩腰なの?

 谷崎の「胡蝶羹」の意味が解らず、ずっと考えている。蝶が羽を広げた形から、ふかひれの姿煮のようなものかと考えてみたが、ふかひれは既に出ているのでどうも違うような気がする。しかし「胡蝶」に蝶以外の意味が見いだせない。胡が西胡、ペルシャだとして、ペルシャの羹のイメージが捉えられない。ゼリー、ジュレ…。しかしまさか蝶は食べないだろうが、蝙蝠を蝶とは呼ばないだろうし…。萩の月を開いたようなものか…。と考え

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夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑩ Kは正直か?

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑩ Kは正直か?

感覚ではなくロジックで読む これまで夏目漱石の『こころ』について言われている駄目な解釈をまとめてみます。

・愛と友情の物語と小さく括ること→作品全体を捉えていない
・先生をエゴイストと見ること→「私」による全肯定、冒頭のすがすがしさを捉えていない
・明治の精神を明治十年代が持っていた多様な可能性と見做す事→明治の精神は明治天皇には始まり、明治天皇で終わる
・先生の死後、静も後追い自殺をしたとみる

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