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2022年9月の記事一覧
『彼岸過迄』を読む 24 コキュ隠居から見えてくるもの
以前こんな記事を書きました。
夏目漱石は案外金で女を買う話は書かない方だと。しかし当然お妾さんについては書いていて、お妾さんというものを否定しているわけではありません。お妾さんがいても別に構わないじゃないかというスタンスです。また情夫、情婦に関しては一層寛大、というよりむしろ情夫、情婦と夫婦を区別することがくだらないと言っているようにも見えます。
こんな縁遠い話をしている中で、ただ一つ
『彼岸過迄』を読む 23 松本恒三は貧乏
そういえば『明暗』の小林は朝鮮に行くのでしょうか?
このことは書かれていないので基本的には解りませんね。しかし書いてある部分から、妹の始末やらなんやらがあり、すんなり消えてしまうとも思えません。
それから『門』の安井はなんで日本に戻ってきたのでしょうか。
これも書かれていないので分かりません。
しかし満州やら朝鮮やら樺太やらが漱石作品に表れるのはまさに「時代性」であり、高等教育を
『彼岸過迄』を読む 22 森本は大連には行っていない。
いきなりですが、森本は本当に大連に行ったのでしょうか。つまり森本は自分の体験、ありのままを語っていたのでしょうか。
好奇心に駆かられた敬太郎は破るようにこの無名氏の書信を披いて見た。すると西洋罫紙の第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力めたが、肉が薄いのでどう
『彼岸過迄』を読む 21 田川敬太郎の父親は妻と子供を捨てたのか?
みなさんは夏目漱石の『彼岸過迄』を読んだことがありますか?
私はまだ読んでいる途中です途中です。まだまだ解らないことがあり、日々解り続けています。嘘ではありません。「読む」ということはそういうことなんです。
もう一度冒頭から読み返してみますと、漱石がいつもにもまして、ぎりぎりの表現を使っていることが解りました。ぎりぎりとは、「普通はこうは書かないんじゃないか」という書き方です。どうもわざ
『彼岸過迄』を読む 19 雷獣とそうしてズク
読むということ、丁寧に読むということはそんなに難しいことではありません。今のようなネット環境があってこそ可能な読み方というものもあります。これで読みの可能性がどんどん広がっていますね。しかしいくらネット環境があっても、誤読する人は誤読します。書いてあることを読まないで、書いていないことを勝手に付け足すからです。
自分は確かに『彼岸過迄』を読んだという人は、田川敬太郎の下宿の主人がどういう人な
『彼岸過迄』を読む 18 調子はずれの「へえー」
彼が耶馬渓を通ったついでに、羅漢寺へ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦れ違った。その女は臙脂を塗って白粉をつけて、婚礼に行く時の髪を結って、裾模様の振袖に厚い帯を締しめて、草履穿きのままたった一人すたすた羅漢寺の方へ上って行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締っているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎
もっとみる『彼岸過迄』を読む 17 本当にそう読める?
今回はちょっと軽めにやります。
そう読めますか?
まず田川敬太郎を主人公にしているのは正しいんですが、プライドの高いくずとあるのが気になります。
須永市蔵と間違えていませんかね。
途中で誰が誰だか分らなくなる人がたまにいるみたいですけど、大丈夫でしょうか。
須永市蔵はまあ、クズと言えばクズです。
田川敬太郎は体の丈夫な田舎者です。何とか仕事を見つけられたようです。まあ、ク
『彼岸過迄』を読む 16 二次元オタクとしての須永市蔵
今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨拶をしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活花の歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝れないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た
もっとみる『彼岸過迄』を読む 14 田川敬太郎は何故敬太郎なのか。
昨日、どうも田川敬太郎は怪しいというような話を書きました。田川敬太郎って、名前の割りには人から敬われるようなところが全然見当たりませんよね。それに本当に「そう気が付いてみると」という話になるのですが、田川敬太郎は怪しいという前提で考えると、ここもかなり怪しくなります。
この「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ」と嘯く感覚は解らないでもありません。そう何でもかんでも深刻ぶって
『彼岸過迄』を読む 13 田川敬太郎の不細工な妹はむごたらしく死んだのか? あるいは詩人再考
僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想い出す。叔父は素人学問ながらこんな方面に興味を有っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞
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