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『彼岸過迄』を読む 14 田川敬太郎は何故敬太郎なのか。

 昨日、どうも田川敬太郎は怪しいというような話を書きました。田川敬太郎って、名前の割りには人から敬われるようなところが全然見当たりませんよね。それに本当に「そう気が付いてみると」という話になるのですが、田川敬太郎は怪しいという前提で考えると、ここもかなり怪しくなります。

 だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎とした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山神の祟りには実際恐れを作していたんですからね」と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭いが、箒星の尻尾のようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ」と嘯く感覚は解らないでもありません。そう何でもかんでも深刻ぶって考える必要はないと思うのです。生まれてきた以上、みんないつか死ぬのですから、他人がどんなことになろうが関係ないと言えば関係ない、一つの死が立派だとか美しいだとか言っていてもしょうがないという感覚は異常なものではありません。しかしここで田川敬太郎までがおかしさを記憶していて、一切気の毒がらないことには少し引っかかる。他人の子供の死などはどうでもいいといえばどうでもいい。自分には損も得もない。ただ田川敬太郎が「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かった」という森本の話を、まるで蛸狩の話かなにかのように面白い話として聞いてしまっていることにはちょっと引っかかります。

 或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈の袢天で赤ん坊を負ぶった婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だったが、どうしても袢天負ぶをするという柄ではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂れの下から格子縞か何かの御召しが出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面は雨なので、五六人の乗客は皆傘をつぼめて杖にしていた。女のは黒蛇目であったが、冷たいものを手に持つのが厭だと見えて、彼女はそれを自分の側に立て掛けておいた。その畳んだ蛇の目の先に赤い漆で加留多と書いてあるのが敬太郎の眼に留った。
 この黒人だか素人だか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉を心持八の字に寄せて俯目勝ちな白い顔と、御召しの着物と、黒蛇の目に鮮やかな加留多という文字とが互違いに敬太郎の神経を刺戟した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようでおかしいが、顔質ちは悪い方じゃありませんでした。眉毛の濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶い起しながら、加留多と書いた傘の所有主を注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。(夏目漱石『彼岸過迄』) 

 この場面は「黒人だか素人だか分らない女」が、

「じゃ女は何物なんでしょう」
 田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女の方は男よりもなお分り悪いです」と答えてしまった。
素人だか黒人だか、大体の区別さえつきませんか
「さよう」と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。革の手袋だの、白い襟巻きだの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜括ったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。
「割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿めていましたが……」
 女の身に着けた品物の中うちで、特に敬太郎の注意を惹いたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真面目な顔をして、「じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか」と聞き出した。(夏目漱石『彼岸過迄』) 

 この「素人だか黒人だか、大体の区別さえつきませんか」のふりとなり、また「私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊」が(結果的には)須永の出生の秘密と結びつけて考えられる場面であり、「加留多」とはあれとこれとを結びつけなさいという暗示としての効果を持つものだということまでは言って良いと思います。

 問題はここで「その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だった」として、私が『三四郎』『行人』に関して述べて来たロジック、「お母さん神聖理論」「お母さん子供連れだと女として見ない説」が見事に崩されていることです。

 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。
 これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除れば、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいという外ほかに何の感じも残っていない。(夏目漱石『こころ』) 

 この『こころ』の話者が子供を持たない静に対して「美しい」と言っているのがぎりぎりの限度だと思います。赤ん坊をおんぶした女の人を見て「その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だった」というのはちょっと危険な領域ではないでしょうか。  だって相手はお母さんですから。

 さらにこの場面、千代子との出会いの場面ですが、

 女は年に合わして地味なコートを引き摺ずるように長く着ていた。敬太郎は若い人の肉を飾る華麗な色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦袢の襟さえ羽二重の襟巻で隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮の逼るに連れて、空気から浮き出して来るほかに、女は身の周囲に何といって他の注意を惹くものを着けていなかった。けれども時節柄に頓着なく、当人の好尚を示したこの一色が、敬太郎には何よりも際立って見えた。(夏目漱石『彼岸過迄』) 

 この田川敬太郎の態度ですが、まず「私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった」という『こころ』の話者のようなもので、ごく尋常だと思います。しかし引っかかるのは、千代子は敬太郎にとって「女の容貌は始めから大したものではなかった」とされている点です。なのに敬太郎は「若い人の肉を飾る華麗な色をその裏に想像した」と書かれています。相手が飛び切りの美人であれば、まあ、そうかと思いますが、田川敬太郎はどういう了見か容貌の大したことのない女を追いかけます。コートの下に着ているものまで想像しています。コートを脱ぐ前から、「身体の発育が尋常より遥かに好い」と見做しています。これは「若い人の肉」まで想像が達したということでしょう。コートを着た女を観念で裸にしています。

 その時敬太郎の頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂髪に結っているので、その辺の区別は始めから不分明だったのである。が、いよいよ物陰に来て、半ば後になったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲って来た。
 見かけからいうとあるいは人に嫁いだ経験がありそうにも思われる。しかし身体の発育が尋常より遥かに好いからことによれば年は存外取っていないのかも知れない。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 ここです。

 後ろから女を見て、ここでは明らかにおけつ、千代子のお尻を見て、その肉づきを確認して、処女だろうか細君だろうかという問題が襲ってきていますね。想像の中で尻の肉をめくってその奥を確認しています。これが千代子でなんとかセーフなわけなんですが、ひよっとすると田川敬太郎には、

 或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈の袢天で赤ん坊を負ぶった婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だった。身体の発育が尋常より遥かに好い女だった。

 と、やりかねないような危うさが感じられてきます。それからよく読むと田川敬太郎は脳天から文鎮を突き立てられそうなことを言っていました。

 敬太郎は年に合わして余りに媚びる気分を失い過ぎたこの衣服を再び後から見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。その上この女の態度にはどこか大人びた落ちつきがあった。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 みなさん、このことは須永市蔵には絶対に教えないでください。文鎮がなくても杖を突きさしますよ。これは漱石にしてみれば、この女を千代子と結びつけないようにするため、「高等淫売」まで引っ張るミスディレクションのための仕掛けの一つという割り切りなんでしょうが、もう少し須永市蔵の気持ちというものを考えてあげてもいいんではないでしょうか。

 敬太郎は派出所の陰を上へ廻って車道へ降りた。そうしてペンキ塗の交番を楯に、巡査の立っている横から女の顔を覘うように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。今まで後姿を眺めて物陰にいた時は、彼女を包む一色の目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂髪とを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論を弄んだのだが、こうして彼女の知らない間に、その顔を遠慮なく眺めて見ると、全く新らしい人に始めて出逢ったような気がしない訳に行かなかった。要するに女は先刻より大変若く見えたのである。切に何物かを待ち受けているその眼もその口も、ただ生々した一種華な気色に充ちて、それよりほかの表情は毫も見当らなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 ああ、気を使っていますね。

 これで田川敬太郎が殺されなくて済みます。

 ただどうですか、やはり剣呑な感じがしませんか。田川敬太郎は男の方を探偵する筈が女の方にばかり関心があります。須永市蔵と千代子がどうにもならない以上、ここには田川敬太郎がしゃしゃり出る余地があるように思えてきます。もし田川敬太郎がしゃしゃり出てしまえば『こころ』みたいになってしまうかもしれませんけどね。

 あ、敬太郎。keitaro……。


[余談]

 石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)を立ち読みしてきました。矢張り我田引水。「貧困」→「国語力低下」という主張で、本質的な問題が見えていません。何十年も夏目漱石の『こころ』を「愛と友情の話」に押し込めて乃木静子を論じてこなかった人々に国語教育を求めることがそもそもの間違いです。

 やはりロジックで読むということが大切で、読書感想文で自分語りをさせるようなやり方が駄目なんだと思います。

[余談②]

 国語力、教えたがりの問題で言えば、これどうですか。

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『秋田県巡査簡易科教員授業生中学校師範学校入学受験者必携』大沢堅治 編鮮進堂 1891年

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『幹部必携測図指針』沢木外雄 著川流堂 1903年

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漱石の作品には、順序の入れ替え、当て字など言葉遊びの多用が見られる。漱石以前に使った形跡が見られない造単語や一般的に使われている漢字とは異なる別種の綴りがある。現在、下記の「浪漫」「沢山」のように一般用語化されたものも多いが、漢字検定の上級問題として用いられることも多い。


単簡(簡単)
笑談(冗談)
八釜しい(やかましい)
非道い(ひどい)
浪漫(ロマン)
沢山(たくさん)(ウィキペディア「夏目漱石」)

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『病恋愛』徳田秋声 著隆文館 1905年

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『滑稽笑談清仏船栗毛 第4編』伊東専三 (橋塘) , 川上鼠文 著三岳寛隆[ほか] 1885年

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『商業英語』今井友次郎 講述早稻田大學出版部 1800年

 これ恥ずかしくないですか?

 よく調べましたか、って言いたくなりませんか?

 ウイキペディアの記事を書く人の何割かは教師という私の疑いは案外当たっているのではないでしょうか。何人かはそれを生きがいにしたりしていて。

 いや中世の神学に関する記事など、上智大学の教授がまとめていただいているものなどは素晴らしいですよ。自分で調べようとしても先ず資料がそろいませんし大変な時間がかかります。それを丁寧にまとめていただいているのはいいとして、国語教師は少し楽をしていませんか。














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