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40 英語教員に高い英語運用能力は必要か

 今年、国立大学二次試験対策で個別指導をしたことは先に書きました。

 過去問を解き、授業時に出てくると予想される質問に備え、自身があいまいだった文章の分析、受験生が解けるようになるための要領考案。
 これらをこなすだけでかなり時間がかかりました。

 その間、自身の学習習慣は絶え絶えでした。

 そして悟りました。
 現場の英語の先生が、日々の授業準備に追われ、自己研鑽のための時間など設けられない事情を追体験で来たのではないか、と。

 試験対策で必要だったのは、読解力、英作文能力。
 リスニングが課せられていなかったので、聴解力は問われませんでしたし、いわずもがな、会話能力も必要ありませんでした。

 そもそも、大学入試をゴールとする英語教育の場面では問題の回答能力が生徒に求められていると考えました。
 そのような場合、現場の先生がリスニングやスピーキング能力を上げていこうとする意欲は、他の作業に相殺されてしまうことは(いくらプロと言えど)不可避です。

 それでも、高い運用能力が必要とされる場面があるでしょう。
 リスニングやスピーキングを指導する必要がある学校に勤務していれば必要でしょう。
 東京大学、東京外国語大学など二次試験でリスニングが課せられたり、京都大学などこなれた日本文からの和文英訳が課せられたりする大学の受験に力を入れていたり、留学を定期的に学校のプログラムで展開していたりする学校では必要です。
 
 そのような学校は、日本国内にどれほど存在するのでしょうか。

 先日、文部科学省が英語教員の”英語力”に関する調査結果を発表しました。

 が、私はさほど関心を持ちませんでした。

 そこじゃない!って思っているからです。

 もちろん、話せないより話せるほうが良いです。
 自己の学習体験から導き出せる学習のヒントは多いでしょう。
 生徒にとって身近に良いモデルが存在することは励みになるでしょう。

 ですが、それより現場ではもっと大切にされていることがあると思うんです。
 めっちゃ英語できても生徒を見下していたりすれば生徒も先生を敬えないでしょうし。 

 うまく言語化できないので、また別の機会に記したいと思います。
 私は現場の先生方を尊敬します。