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ディアオ・イーナン『鵞鳥湖の夜 (がちょうこのよる)』横移動を縦に貫く"ネオン"ノワール

黄色いライトに照らされた真夜中の駅下広場で、柱の裏から姿を表す主人公チョウ。すると、別の柱から真っ赤なセーターを着たグイ・ルンメイ演じるリューがヌルっと登場し、ロベール・ブレッソン『スリ』のスリシーンような流麗かつ艶めかしい手付きで傘を閉じて煙草を取り出す。灰色のコンクリート柱、紺色の闇を含め色が散乱したこの冒頭から、"ネオン"ノワールとも言える鮮やかな光の物語が幕を開ける。やたらと長い原題をそのまま英訳すると"南の駅で会いましょう"というかなり間の抜けた題名になってしまうのだが、英題はチョウが逃げ込む犯罪無法地帯から取られている。こちらの方が静かな追いかけっこを繰り広げるどこか神秘的な映画の内容と噛み合っている。そして、"追う男"リャオ・ファンと"永遠のファムファタール"グイ・ルンメイの関係性は前作『薄氷の殺人』から繰り返され、壮大な輪廻の続きに位置しているかのように両作品は呼応し合う。彼のアイコン的存在である"クリーニング"の存在も洗濯機という形で顔を出す。ここまでくるとキャラゲーみたいな側面すら表に出てきている。

ディアオ・イーナン作品で初めて時系列が入り乱れる本作品は、主軸となる逃走劇、チョウが逃走するきっかけとなった事件、そしてリューがチョウと関わるきっかけとなった彼の妻ヤンとの約束の三部構成になっている。事件の発端はバイク強盗の縄張り争いからチョウが警察官を誤って射殺したことにあった。バイクというだけあって横方向のセットなり移動なりばかりだが、それを破壊するのは仲間の首が上に吹っ飛ぶ瞬間にあって、長く焦らされた甲斐があったと嬉しくなる。仲間を失ったチョウが死体に駆け寄ると、後ろから銃で撃たれてロベール・ブレッソン『少女ムシェット』からそっくり頂いたかのように斜面を転がって湖に転落する。斜辺の切り返しで、映画に高低差がもたらされる。文字通り、ベテランのゴロツキはその地位から転がり落ちたのだ。リューが語る関与へのきっかけは、チョウが"どうせ逃げられないなら、疎遠の妻にどうしても報奨金を渡したい"と考えたことにある。引き受けたポン引きのホアホアはリューを使ってヤンを餌にチョウを誘き出そうとして、何重にも重なった追いかけっこが幕を開ける。画面から現れては消える三人は互いが互いを見張る"三竦み"のような状態を移動しながら繰り返す。画面から消えることを至上命題とするこの挿話では扉は乱暴に閉じられ、しゃがみこみ、発作で倒れ、多種多様な方法で入場/退場を即座に繰り返し続ける。この映画は、グイ・ルンメイが不意に画面に登場することで成立していると言っても過言ではない。逃げ回るチョウを導く彼女もまた、追手に追われているのだ。

光があれば影が出来るように、本作品での影の使い方は過激で印象的だ。特にマンションでの追いかけっこは投下されるゴミで高低差を出しつつ目線をミスリードしていき、迷路のような通路をカメラがグルグルと回り続け、『第三の男』そっくりの影がチョウの逃走を手助けしたり邪魔したりする。ここから、導く者リューと導かれる者チョウの関係性は完全に逆転し、二つ目の挿話の要素を帯びた本筋も追いかけっこを繰り返す。通報してくれと言う割にしっかりと逃げるのは滑稽だが、彼が逃げれば逃げるほどドラマが生まれるのは事実である。

本作品は反復と対比の映画でもある。ギャングたちの縄張り決め会議は同じ地図で警察の配置決めとして繰り返され、些細な喧嘩から事件に発展する前者と規則正しくまとまる警察官たちすら対比させる。疎遠の妻にどうしても報奨金を渡したいがために事件へと巻き込むチョウと、それに関わりたいがために事件へと巻き込まれたリューの立場も対比と言えるだろう。チョウとリューが冒頭で唐突にビールを飲むシーンは終盤でも繰り返され、"逆に人がいるほうが隠れやすい"という発言を反復で回収する。『少女ムシェット』の構図まで反復するのだ。そして、前出の洗濯機も反復と対比に絡んでくる。海の上でのセックスで波の揺れが重なり、洗濯機の上でのレイプは人工的な揺れが重なる。これには流石に眉を顰めたが。

★以下、結末のネタバレを含む

男たちの死によって呪縛から逃れた二人の女たちは、最後に残った男の追跡も振り切って微笑み合う。彼女たちを束縛していたもの、束縛するものは全て無くなり、彼女たちすら互いを束縛する間にない。陰鬱な終わり方をしていたこれまでの三作品に比べると実に軽やかで鮮やかな帰結だ。

追記
二本のタバコに同時に火を付けるやつ、どっかで観たと思ったら『情熱の航路』か。サーカス小屋で『上海から来た女』を再現するのも笑える。皆大好きだよね。Boney M "Rasputin"とかDschinghis Khan "Dschinghis Khan"みたいなポップな音楽がウエスタンの撃ち合い前のような緊迫感の中で流れるのも良い。前者がモデルで後者が作られたという連続性も根付いている…のか?

私は本作品と『薄氷の殺人』の関係性にロバート・エガースを見てしまう。『ウィッチ』において初めて地上を離れたエガースは、『The Lighthouse』において最初から上下を意識していた。その関係性は『薄氷の殺人』で白昼の花火を見上げたディアオ・イーナンが本作品で空間を上下に拡張したからに他ならない。

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・作品データ

原題:Nan Fang Che Zhan De Ju Hui / The Wild Goose Lake
上映時間:113分
監督:Diao Yi'nan
公開:2019年12月6日(中国)

・評価:80点

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