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マティ・ディオップ『アトランティックス』 過去の亡霊と決別するとき

開発の進むセネガルは首都ダカール。建設中の建物がむき出しのコンクリートを乾いた太陽光の下に晒す中、賃金を支払われない労働者たちは管理たちに食って掛かる。しかし、その後の物語は我々の想像する所謂"貧困映画"や"格差恋愛映画"とは一線を画した展開に発展していく。昨年、マティ・ディオップの短編作品がMUBIに登場したときには、まだ彼女の初長編作品がカンヌ映画祭のコンペに選出され、熱狂的に受け入れられるとは思いもしなかった。彼女の経歴や該当短編作品については別の記事をぜひどうぞ。

物語の主軸は階級差恋愛にある。裕福な男と結婚する予定のエイダ、その恋人スレイマンは労働者であり、彼女との別れの挨拶もなく、これまた裕福になるためにスペインへ向かう密航船に乗り込む。海のショットが随所に差し込まれているのは、もう二度と会えないかもしれないスレイマンに対するエイダの気持ち以上に、自然の無機質な不穏さや二人の関係性を超えたセネガルという国家の業すら感じてしまう。スレイマンの生死についての具体的な結論は宙ぶらりんのまま、エイダは彼の残像を求めて、結婚相手を人生から叩き出す。ちょうどペドロ・コスタ『ヴィタリナ』もカーボヴェルデからポルトガルに出稼ぎに出た男と、故郷で彼を待ち続けた妻の話だったように、家族を養うために命を賭して海を渡った男たちと、そのホームを守り続ける女たちという構図は本作品でも繰り返される。しかし、その中で唯一サイクルから抜け出したエイダは最終的にスレイマンと再会を果たし、未来への道標を手にすることになる。

もう一つの主軸は、冒頭にあった賃金未払い問題の解決である。男たちが国を去った直接の原因は、国内に居ても金が稼げないことにあり、密航船が嵐によって転覆して全員が死亡した責任の一端もその未払い問題にあるといえるだろう。そして、資本家に賃金問題の解決を求めるのは男たちの霊が憑依した女たちなのだ。"次は我々が声をあげる番だ"と言わんばかりに立ち上がる彼女たちの姿は、国そのものの未来を背負い立つ力強さと覚悟で満ちている。彼女たちは男たちの霊を憑依することで国家の未来への道標を継承したので、まだその責任や行動については無自覚である。それに対して、愛という形で未来への道標を得たエイダはそれらについて自覚しているのだ。

自らの力に無自覚な女性たちは、自らの力で未来を切り拓き、愛という形で未来を託されたエイダはカメラに向き直って、その大きな目で我々を覗き込む。鏡を覗き込む自身との切り返しであるはずが、鏡でしか判別できなかったスレイマン、そして過去の亡霊との切り返しともとれ、それと決別していくという強い決意を感じ取った。

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・作品データ

原題:Atlantique
上映時間:106分
監督:Mati Diop
公開:2019年11月29日(全世界)

・評価:80点

・カンヌ国際映画祭2019 その他のコンペ選出作品

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